小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

記事 「この年で初めて知る互いの心情:エッセイスト・小川有里」

2008年11月30日 | オピニオン
「定年日和」

 夫が家にいるようになると、きょうだい間の交流が増える。

 わが家にも「やあ、お元気ですか」と遠方に住む義弟がよく電話をくれ、夫となんだかんだしゃべっている。義弟も数年前に定年退職、ヘルパーの資格をとったり、公民館の趣味講座を受講したり、シルバー人材センターに登録して短期間働いたりしているので、夫との共通の話題がたくさんあるのだろう。現役時代には用事以外の電話などしたこともなかった夫と義弟だったのに。

 Sさん(男性)は故郷の姉宅に1ヶ月滞在して戻ってきたばかりだ。

 「義弟が脳梗塞で倒れ、飛行機で駆けつけた。幸い、強い生命力で危篤状態は乗り切ったが、つぎの山が2、3週間後と医者に言われた。姉に『このままいてほしい』と強く頼まれてそのまま居残っていたのです。ええ、義兄はうれしいことにその後も意識も回復し、序々に快方に向っているところです」

 長期滞在ができるのも定年後ならではだ。

 Sさんの妹も姉と同じ町にすんでいる。

 「私が郷里を出たのは22歳のとき。大げさでなく、生まれて初めてきょうだい3人でじっくり、しみじみと語り合ういい機会になった。現役のころ顔をを合わせたのは法事と親の葬式のときくらいで、40年間ゆっくり話しをすることなんてないままだったから」

 今回話してみて、互いの家族のこと、健康のこと、親のことなど知らなかったことが多く「そうだったのか、大変だったね」「まあ、あなたよくがんばったわね」など驚いたり、いたわり合ったりすることが何度もあったという。

 「本当に話しが尽きなかったなあ」とSさんは穏やかな顔のまま続けた。

 「心情を吐露し合ってきょうだいの距離がずいぶん近くなったと感じましたよ。そしてつくづく思いました。争うほどの親の財産がなければ、老後はこんなふうにいい形のきょうだいでいられるんだなあと」

 さすが男性らしい締めくくり。でもそれ、真実ですよね。       (毎日新聞夕刊)


 小父さんの義弟が退職するまでにはまだ時間がある。だけど東京の一人暮らしの兄貴が寝込むと、すぐ同じような状況に追い込まれる。そうだな、電話で長話をするようになったのも定年退職後のことだ。お互いが現役の時など冠婚葬祭以外で話しをすることもなかった。尊敬できる兄が今居る、ということは大きな幸せだ。 
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4 コメント

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おはよう (ba-chama)
2008-11-30 01:01:00
7人兄弟の主人、兄弟それぞれで仲の良い兄弟、悪い(会話も少ない)兄弟 いろいろです。

下の2人とは一番気があいますね。まだまだ皆定年まで20年以上あるかなー。

私には一人父違いの妹がいますが、彼女と初めて会ったのが36歳のときで、その後2回しかあったことがないです。
小さい頃から兄弟が欲しかった私にとって彼女は心の中では非常に近い存在、、、作り上げた存在でしょうか、、。

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兄弟 (小父さん)
2008-11-30 15:36:15
何回か書いたと思いますが、私は兄弟姉妹の末っ子、
上から、長男、次男と間に姉が三人居て私なので、
私は三姉妹の中で育ったようなものでした。

中学のころ、隣組に2つ違いの同年の兄弟が引っ越してきました。ところが家の前を歩いていると、いつもレスリングごっこみたいな声がします。

とても、羨ましく感じましたね。楽しそうに感じました。彼らも、もう61歳と59歳なのか?信じられないなー。
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今回は・・・ (pinky)
2008-11-30 22:11:50
定年後という生活を、身近に体験したことがないので
すが
そういうこともあるんですね

うちの母は6人の女ばかりの姉妹で、それはしょっちゅう一緒に出かけています。
子供の頃は、其々の家族が揃って総勢25人で旅行なんていうこともありました。
今でもちょくちょく誰かがやってきては賑やかです。
私の妹は嫁いでからも、あまりに実家に来ているので
もう戻ってこないらしいと噂になったことも・・・
夫の妹は、高校の後輩でやはり一緒に旅行したりしています。
女ばかりだと、気楽なものです~。(笑)
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姉妹 (小父さん)
2008-12-01 00:13:37
 私の母は86歳まで生きていましたが、近くに年の近い姉が住んでいて、たまに会うとそれは嬉しそうだったのを思い出します。どちらも自分の娘と暮らしていましたので幸せだったと思います。

 あと上に兄が3人いましたが、皆大家族でしたので、一度だけやった従兄弟会でも30人近く集まりましたね。もう昔々のアルバムの1ページです。

 pinky家の結束は羨ましいです。だけど、お付き合いも大変かなと想像します。

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