言葉遣いについて、少しばかり書きたい。
先週、講演で福岡市に出掛け、日帰りした時のちょっとした経験だ。私のもとには、主催者からJAL普通席の往復チケットが届いていた。
往路、朝の便に乗ったが、B席つまり三席並んだ真ん中だった。私のような肥満体(約九十キロ)には、シートの幅が狭くかなりつらい。講演の前から疲労がたまりそうな不安に襲われる。
夕刻の復路は、1ランク上のJシートがないか、福岡空港のカウンターで問い合わせると、一席だけ残っていた。やれやれだ。席につくとすぐに背広の上着を脱ぎ、内ポケットから財布を出してカバンに移し(いつも「貴重品は入っていませんか」と確かめられるので)、
「これ、お願いします」
と女性の客室乗務員に渡そうとしたところ、
「あ、いまはお預かりしておりませんので、申し訳ありません」
「えっ、だめなの」
「申し訳ありません」
「そお、やり方が変わったんだ」
「はい、申し訳ありません」
「では結構です」
「申し訳ありません。よろしけれが上のタナにお入れしますが」
忠実に再現すると、そんなやりとりだった。くたびれて帰途につく時、背広の上着を預かってもらうのは、私などには何よりのリラックス効果があるので、貴重な機内サービスだった。だから、やめたのは残念至極。
だが、それよりも、
「申し訳ありません」
の連発に、私はいささかくたびれた。何か少し違うのじゃないか、と違和感が先に立った。申し訳ない、は辞書によると、〈弁解のしようがない〉〈大変すまない〉の意味、つまり最上級に近い謝罪言葉である。
しかし、多分、機内サービスの簡素化程度の話だろう。ご理解いただきたい、くらいで十分だ。それを繰り返し謝ってしまう。
しばらくすると、飲み物サービスが始まった。先ほどの二十代後半くらいの女性乗務員がカートを押してやってきた。
「何か……」
私は躊躇なく頼んだ。
「ビールを」
「申し訳ありません。アルコール類は置いておりませんので」
「へえ、じゃ、スープ」
と言ったものの、未練が残る。この時刻、ビールをひと口でいいからほしい。
同じ乗務員が通りかかった時、私は呼び止めた。
「以前はビール、あったじゃないですか」
「ええ、一缶五百円で。でも、申し訳ありません、いまは……」
「なぜなの」
「需要がありませんから。申し訳ありません」
そうかなあ、ビール飲みたいのは私だけではないはずだが。需要がない、というのは私なんかは相手にされていないことになる。納得しかねるが、まあ、JALの客扱いの方針だろうから、仕方ない。
◇言葉を使う側と聞く側の信頼関係をどう保つか
結局、女性乗務員との三回の短いやりとりのなかで、都合七回も、
「申し訳ありません」
という謝罪の言葉を聞かされるハメになった。ほかの乗務員でも似たようなやりとりになっただろう。
彼女たちを批判するつもりは毛頭ない。機内だけでなく、この言葉は日常生活のなかで多用されている。JAL機内は回数が多すぎてかなり安直に使っているな、という感想はあるが、それは大したことではない。
何を言いたいのか。言葉を使う側と聞く側の信頼関係をどう保つか、という割合大切なテーマである。どんな言葉を使えばお互いに信用し合えるか、と言い換えてもいい。
JAL機の話に戻すと、JAL側に特別の非があるわけではないのに、お客の側に不満があると読みとって、やたら謝る。謝罪言葉はやりとりを封じる効果があるから、そこで話は終わる。だが、お客に不満は残り、
〈謝るのが手っ取り早いと思っているに違いない。誠実な感じでないなあ〉
と不信も芽生える。それなら、次はANAにするか、となりかねない。双方の信頼関係を保つのに失敗している。言葉はこわい。
「申し訳ありません」
からは一片の説明意欲も説得の姿勢も感じられないからだ。背広預かり制度はお客の快適な空の旅を助けるから続けたほうがいいに決まっている。しかし、おそらく経営改善計画のなかで消えていき、それが乗務員の削減につながるのかもしれない。どこの企業でもやっていることだから、お客にも理解できる。
「いろいろ簡素化しておりまして、ご理解を」
と言えば、そうか、となるのではないか。
日常会話でも、テレビの出演者でもそうだが、聞く側は相手がどこまで本音でしゃべっているかをかぎとろうとしている。最近は、政治家のテレビ出演が多いが、能弁、多弁がいいわけではない。
〈あの議員の発言はなんとなくうさん臭い〉
と思われたら、出演自体がマイナスになる。言葉だけでなく、声の調子や目付き、顔の表情なども響くが、やはり言葉がいちばん肝心だ。本音を語ろうとする態度がまず大事だが、本音を言葉に換える能力も問われる。
三木武夫元首相からこんな話を聞いたことがあった。ある会合で、三木さんが、
「どうしたらいい文章が書けるのかねえ」
と問いかけると、作家の井上靖さんが、
「いい文章を読むことです」
とこともなげに言い、感じ入ったという。言葉を選び、書き、話し、演説することを、雄弁家の三木さんは信条にしていた。
ことに接客業に携わる人たちは、言葉を工夫しお客と気持ちを通じ合うようにしなければならない。便宜的に使われる、
「申し訳ありません」
には本音と感じ取れるものが薄く、言葉のふくらみも乏しい。
<今週のひと言>
鳩山邦夫さんを支持する。
(サンデー毎日 2009年6月28日号)
2009年6月17日
日本語ってむつかしいよね。ファーストフード店をはじめとして、会話のやりとりがマニュアル化して用は足りても情の通わない言葉使いって本当に増えてきたと思う。「申し訳ありません」って丁寧だと思うけど多用してそう聞こえなくなるのか。頭を下げるのは得意な小父さんだったが、たぶんその時の態度とか、間合い、情感と関係するのじゃないだろうか。
うっ!鳩山邦夫氏って前総務大臣で鳩山由紀夫氏が兄の民主党代表だね。鳩山邦夫氏、言論人が支持してくれたら強いねー!
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何か気持ちを感じません。
各人が気持ちをいれて会話をすると 聞いてるほうも納得するでしょうに、、。
政治家の発言は 細かく キャッチされますね
うっかり何もいえません
職場で 私のそばを通るたびに
”I'M SORRY” と云う人がいて
アメリカ人にしては変わった人だなと感じる事です
普通
”EXCUSE ME" ですから、、。
I'M SORRY の連発も聞きズライです
日本国内においても、それだけ多くの若者
が日本国語が話せなくなって行っているの
でしょうかね~。自分の語彙では対応しきれ
なくなって行っているのか!
アメリカ人でもよく似た現象があるんですね(笑)