![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/de/927ad59d08e3ed5a2a6020fe69612bd4.png)
画家(ハプスブルク家の末裔でベルギー在住)。皇帝フランツ・ヨーゼフとシシィと呼ばれている皇妃エリザベートは曾々祖父母だとか。国籍はパスポートではベルギーだが、気持ちの上ではどこでも家だと思っている。言葉は何を話すか?フランス、英、ドイツ、スワヒリ語(アフリカで育った)で、ロシア、イタリア、スペイン語は理解できる。
鷲は自由で高いところにいるから攻撃されないし、広い視野で見渡せるので皇帝のシンボルにふさわしい。金や物事にとらわれない、そして鷲は気高いと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
すみません、NHK BS ハプスブルク帝国(1)(2)(3)計6時間放送された私の記録ですので見流して下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/d5/4486f8056fb2b90c6d6ef6446d0d5083.png)
シリーズハプスブルク帝国
(1)双頭の鷲の下に
中世ヨーロッパにおよそ600年君臨し続けてきたハプスブルク家のシンボル双頭の鷲は、二つの王冠を被った頭は東と西を見渡しているのだとか。
第1回 ハプスブルク家の黎明期からマクシミリアン一世による統治までを描く。ヨーロッパに広大な領土を築き、多民族を束ねながら「太陽の沈まない王国」と呼ばれる繁栄を享受したハプスブルク帝国の歴史と宝物。スイスの小さな城から始まった黎明期から、15世紀、マクシミリアン一世によって、フランドル(ベルギー西部《旧フランドル伯領》を中心とし、オランダ南西部、フランス北東部にまたがる地域)の先進的な制度や文化を取り入れ、インスブルックを拠点に繁栄を築いていくまでを描く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ad/e89d359929ea7d40f83eeec188d40996.png)
上の図は中世を旅するからお借りした
(2)マリア・テレジア
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父カール6世が後継者問題で悩んだため、彼女はできるかぎり子を産もうと考えていた。(16人の子を産んだが15人目がフランス国王 ルイ16世妃 ・マリー・アントワネット)
18世紀、女帝マリア・テレジアが多民族のウィーンを華やかな都に変える。 ヨーロッパに広大な領土を持ち、「太陽の沈まない王国」と称えられたハプスブルク帝国。ハプスブルク家の歴史で初めて女性君主となったマリア・テレジアが、多くの障害を乗り越えて権威を確立し、シェーンブルン宮殿など絢爛たる文化を花開かせていくとともに、帝都ウィーンを発展させていった過程を描く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f9/0b6645b65a2703fe89d26bc9c0753513.png)
父カール6世の崩後後、赤色のパプスブルグ帝国の周辺の王たちは「鷲が死んだので羽根を頂戴しよう」と帝国領土をはぎ取ろうとした。(オーストリア継承戦争1470~1478年)
一計を案じたマリア・テレジアは、帝国内でも継承戦争を味方につける。ハンガリーの民族の先祖は騎馬民族でその伝統で強い軍隊を組織していた。馬を使いこなしてこそハンガリーの人々を引き付けることが出来る。ハンガリーがパプスブルグの支配に移って以来ハンガリー王はパプスブルグの王が兼任してきた。マリア・テレジアはハンガリーの教会で戴冠式に臨んだ。その後伝統の儀式で乗馬のパホーマンスを見事に演じきって、そして議会演説で「我らの女王マリア・テレジア」という歓声があがったんだってさ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f9/65584d34b5cbaaa9c269974ff19f4cb2.png)
マリア・テレジア治世下の1750年頃完成したシェーンブルン宮殿
(3)美しく青きドナウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/04/a68797af806219ed69f4b3cab0974b84.png)
11世紀スイスの小さな城から始まったハフスブルク家の歩みは、民族の壁を乗り越えて行く歴史でもあった。マクシミリアン1世の登場によって帝国は飛躍的に拡大。
皇帝フランツ・ヨーゼフはハンガリーに大幅な自治権を認め、ハンガリーは同じ皇帝をいただく二重皇帝となった。
民族独立運動の台頭により帝国が存亡の危機を迎え、崩壊していく過程を描く。1848年の即位直後から、民族独立運動の台頭にさらされた皇帝フランツ・ヨーゼフが、必死に帝国を束ねようとしながら第一次世界大戦に突入、やがて帝国の崩壊を招く過程を追う。皇妃エリザベートや、ウィーンに花開いた新しい文化を交えて描く。
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、サラエボを訪問中暗殺されたのを機に皇帝フランツ・ヨーゼフはセルビアへの宣戦布告に署名。開戦はヨーロッパ中に波及し、未曾有の第一次世界大戦へと繋がった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
早々、1866年に普墺戦争があり、わずか7週間でプロイセン王国との戦いに敗れたことによって、当時オーストリア帝国の人々はみな意気消沈していた時、ヨハン・シュトラウスが作曲した『美しく青きドナウ』に愉快な歌詞を付けて市民が歌っていたんだって。
ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ
まあ見回してごらん
またく明かりを見てごらん
ほら、カーニバルじゃないか
だから時代なんか気にするな
政治家 批評家の先生たちも
分別くさげに輪になって踊る
一見小粋に見えるけど
そのくせ全然動かない
あの連中のワルツでは
浮いた気分こわすだけ
どんなに短く楽譜を書いても
いつも調子っぱずれ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
長時間の歴史ドキュメントを抜粋してみたが、わけのわからない文章になってしまった。
鷲は自由で高いところにいるから攻撃されないし、広い視野で見渡せるので皇帝のシンボルにふさわしい。金や物事にとらわれない、そして鷲は気高いと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
すみません、NHK BS ハプスブルク帝国(1)(2)(3)計6時間放送された私の記録ですので見流して下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/d5/4486f8056fb2b90c6d6ef6446d0d5083.png)
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(1)双頭の鷲の下に
中世ヨーロッパにおよそ600年君臨し続けてきたハプスブルク家のシンボル双頭の鷲は、二つの王冠を被った頭は東と西を見渡しているのだとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/31/9529d711fa4139da0bedd9e2b898c16a.png)
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上の図は中世を旅するからお借りした
(2)マリア・テレジア
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/80/ab93960d37963efcf145b4844bf3ef41.png)
父カール6世が後継者問題で悩んだため、彼女はできるかぎり子を産もうと考えていた。(16人の子を産んだが15人目がフランス国王 ルイ16世妃 ・マリー・アントワネット)
18世紀、女帝マリア・テレジアが多民族のウィーンを華やかな都に変える。 ヨーロッパに広大な領土を持ち、「太陽の沈まない王国」と称えられたハプスブルク帝国。ハプスブルク家の歴史で初めて女性君主となったマリア・テレジアが、多くの障害を乗り越えて権威を確立し、シェーンブルン宮殿など絢爛たる文化を花開かせていくとともに、帝都ウィーンを発展させていった過程を描く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f9/0b6645b65a2703fe89d26bc9c0753513.png)
父カール6世の崩後後、赤色のパプスブルグ帝国の周辺の王たちは「鷲が死んだので羽根を頂戴しよう」と帝国領土をはぎ取ろうとした。(オーストリア継承戦争1470~1478年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9c/797d202fa670bfe5ea6c913eca31bffc.png)
一計を案じたマリア・テレジアは、帝国内でも継承戦争を味方につける。ハンガリーの民族の先祖は騎馬民族でその伝統で強い軍隊を組織していた。馬を使いこなしてこそハンガリーの人々を引き付けることが出来る。ハンガリーがパプスブルグの支配に移って以来ハンガリー王はパプスブルグの王が兼任してきた。マリア・テレジアはハンガリーの教会で戴冠式に臨んだ。その後伝統の儀式で乗馬のパホーマンスを見事に演じきって、そして議会演説で「我らの女王マリア・テレジア」という歓声があがったんだってさ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f9/65584d34b5cbaaa9c269974ff19f4cb2.png)
マリア・テレジア治世下の1750年頃完成したシェーンブルン宮殿
(3)美しく青きドナウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/04/a68797af806219ed69f4b3cab0974b84.png)
11世紀スイスの小さな城から始まったハフスブルク家の歩みは、民族の壁を乗り越えて行く歴史でもあった。マクシミリアン1世の登場によって帝国は飛躍的に拡大。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/c1/c6545d154a732dfcd8fc58becdbbecee.png)
民族独立運動の台頭により帝国が存亡の危機を迎え、崩壊していく過程を描く。1848年の即位直後から、民族独立運動の台頭にさらされた皇帝フランツ・ヨーゼフが、必死に帝国を束ねようとしながら第一次世界大戦に突入、やがて帝国の崩壊を招く過程を追う。皇妃エリザベートや、ウィーンに花開いた新しい文化を交えて描く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/4e/c5936b08b3c1d400b37e4cd04f075fb4.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
早々、1866年に普墺戦争があり、わずか7週間でプロイセン王国との戦いに敗れたことによって、当時オーストリア帝国の人々はみな意気消沈していた時、ヨハン・シュトラウスが作曲した『美しく青きドナウ』に愉快な歌詞を付けて市民が歌っていたんだって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7e/515b3e73ba6584e1cd19e2c635364cc5.png)
まあ見回してごらん
またく明かりを見てごらん
ほら、カーニバルじゃないか
だから時代なんか気にするな
政治家 批評家の先生たちも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f4/4be298394dcd690f96e9a7d094b825af.png)
一見小粋に見えるけど
そのくせ全然動かない
あの連中のワルツでは
浮いた気分こわすだけ
どんなに短く楽譜を書いても
いつも調子っぱずれ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/88/03b107ff252a648505e3add6b05408f0.png)
長時間の歴史ドキュメントを抜粋してみたが、わけのわからない文章になってしまった。
写真のお城のほか、ドイツ南部の古城とか、オーストリアの古都とか。
シエーンブルーン宮殿の前で撮った色褪せた写真、部屋にあります。
夫の還暦には「行きたい」と言っていた白夜の北欧へ行きました。
NHKで見られるか、調べます。
バブル後の、まだ日本に余裕のあった頃のこと。どこへ行っても日本人が居ましたね。
懐かしい写真、ありがとうございました。
>詳しい訳ではありませんが・・... への返信
コメント有難うございます。
へ~っ「ハプスブルグ家の栄光と滅亡を辿る」とは素晴らしいですね。
この番組は2007年の放送を2024年にプレミアムカフェーで放送したものを今回4Kで再放送したようですが、まさに「ハプスブルグ家の栄光と滅亡を辿る」そのものでした。
恥ずかしながら、私はハプスブルグは、1955年の映画「プリンセス・シシー」
↓
https://www.youtube.com/watch?v=EhWhW20-A3c
と2006年の映画マリー・アントワネット
↓
https://www.youtube.com/watch?v=V9JR3wYQ6cQ
関連でしか知らなかったんですが、マリア・テレジアと、その祖先に継承者のことを詳しく知ることが出来て大満足でした。
ある意味では、塩野七生 著の『ローマ人物語』に出会った時の喜びに似ています。
ドイツ南部の古城、オーストリアの古都、シエーンブルーン宮殿の現物をご覧になったんですね。
凄い、凄い!
随分前から「ハプスブルグ」という文字には時々見かけていたのですが、その全貌が初めてわかって頑張って観ました。
かつ、このブログでKUMIさんにコメントいただけるなんて最高です。
ご主人の還暦記念がオーロラを求めてだったんですね。
以前にKUMIさんのブログでその触りを読ませていただきました。
どこへ行っても日本人が居るんですか。
楽しいです。