Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記130702 真夜中のブルースのこと ならびに 「無縁」なことを考えること

2013-07-02 13:48:57 | 絵画と哲学

朝日記130702 旧約の賢婦人ルツ ならびに 「無縁」なことを考えること

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)

 

今朝はふたつです。(相当に退屈なものですので つまらなければご遠慮なく

スキップしてください。 絵は5点あります どうかおたのしみください)

      徒然こと その1 真夜中のブルース のこと

      徒然ごと 2 Something strangeなことを考えること

おはようございます。
 今朝も、一昨日来とおなじで風はひんやりとして、
 からだの伸びをしてきもちがよいです。




徒然こと その1 旧約の賢婦人ルツ のこと
きのうは旧約を読むは 「ルツ記」でした。
誠実で賢い女性ルツの物語りが そのまま聖書の一書として
なっています。 モアブの女性ルツが異民族であるイスラエルの人の青年と結婚して 夫に先立たれても義母ナオミによく仕え、婚家を再興する話です。美人であったのであろうか、閨のはなしもでてきて 読む者の気をひきます。この女性の血が 数代あとダビデ王の誕生へとつながるので 旧約の正書として入ったといわれます。

 

*Ruth 横文字にするとちょっとまた イメージが拡大します。
以前に アメリカでのこどもにつける名前のランク100というをネットでさがしたことがありました。ダビデやサムエルなど旧約にでてくる人名がどの辺にはいるかと単純な興味でした。 欧米の女性のなまえとしては 宗教改革の後の新教のクリスチャンネームとして使われます。アメリカでは1920年に人気度が2パーセント代でピークを迎えますが、現在は高くありません。ときの流れです。ついでに アメリカでの女子の名前の人気がたかいのは、イサベル、ソフィア、エンマ、オリヴィア、アヴァの順でした。(popular nameのkeywordで 探せます)
*私の瞬間のイメージは 知的で美しいドイツの女優Ruth Leuwerik (ルート・ロイベリック)の名前からです。 Ruth つまり ルツです。
映画「菩提樹」というとジュリー・アンドリュースの「エーデルワイス」そして ド・レ・ミの歌への連想が、現在は一般にはもっとも馴染んでいるようです。しかし、それ以前(1958ころ)にドイツ映画で同名の映画があり大変に評判でした。
決定的な記憶は、映画「朝な夕なに」で高校生が新任の女性教師に抱く淡い憧れを描いた映画です。その教師が上のルートロイベリックでした。 もうこの映画の記憶はとおいですが、トランペットソロ「真夜中のブルース」が 主題曲でいまでも BGMの定番でよく耳に致します。。
*そうだとおもって スペルをしらべるつもりで ネットを
いくつかさまよい、行き宛てました。
ドイツ本の通販で 以下のタイトルの本がありました。

Die ideale Frau. Ruth Leuwerik und das Kino der fuenfziger Jahre
理想の女性。ルート・ロイベリックと1950年代の映画という題名なのでしょうかね。
でも、ちょっと うれしかったです。
ことばのイメージとはおもしろいものです。

徒然ごと 2 Something strangeなことを考えること



あれってなんだろう?(Something interesting or strange )・・少々唐突ですが、これに遭遇したときの自分は どうするかを瞬間 おもいめぐらします。
そのような場合は 多分 このsomethingからのことばあそびから、ことにはいます。

*「ことばあそび」 
 「今日のkeyword(s)」あるいは「切り口ことば」による「あそび」とするでしょうか。
 
* つぎに「ことばあそび」の意識を当面継続(on)しておきます。
   仮想的時空間のしつらえ
   自分の居室(仮想居室もしくはサロン)で ここで
    好きな古典   「わたくしのソーファ」とする
    いつもの辞書群 「わたしのテーブル」とする
*さて、いまは 朝ですから酔ってはいませんが 友人が夕べに思索した勢いで課題の投げかけがあり 同期して、ちょっと酔いました。
* その畏友から私に向けられて投擲名は、「無縁化時代のネットづきあい概論」でした。
要は、極度に都市化したなかでは  ものごとを、なんでも語り、わかり合える人間関係が作り出せず、またあったとしても稀薄ではあります。それを「無縁社会」というそうです。 これを救う方法のひとつとして インターネットのブログなどがあるが そこでの交流のを通じて、メンタルな意味での 「無縁」から「血縁」転換できるか、そのための有効な方法があるのかを考えよという命題です。

 

*システム工学のモデリング構造の定式
 Objectives (目的関数)+ Subject to(制約条件)に 長い年月馴染んできました。

*ところで、エンジニアというのは 古来、身分の低い職分であったかもしれません。彼らは、Objcetive(目的、つまり価値)については力をもっている主人が決めるものとして、従属している立場からは自立的に設定するものとはしない。自分のやることは 与えられた素材に具体的につきあって Objectiveを最大限に実現することをわきまえてきたところがあります。
* しかし よく考えると 目的(価値)にも 対象として構造をもっていることに気が付きます。 誰がやるかはべつとして、仕事としては、目的実現を最大化するための機能(mission)分割階層化など組織構造の設計と運営であったようにおもいます。
* また、Objective (・・ ((Objective +Subject to)+ Subject to)・・)という入れ子状態の 階層化構造の最適化問題としても巨大にして複雑化していくことが想像されます。
*ところで この階層化の各段階でも エンジニアは目的(価値)の設定を与えられまで待つことになりそうです。現実にもそうであろうとおもいますが、そう言い切ると 叱られそうです。 なぜならば コンピュータのシミュレーションによって、目的(価値)の可能な場合の組み合わせで 事前に 主人と接触しうるから、問題解決者としての中核であると主張するかもしれません。
*しかし、目的(価値)は すべてを定量化し、対象化し、論理記述化できるかどうかは あやしいから 結果は外れ つねに試行錯誤の繰り返しになります。(近代経済学はこの辺が守備でしょうか) 

「縁」としてみるとどうなるか
上のモデリング構造からみる目的(価値)最大化はプラグマティズムからくるものであります。、これを「縁」という次元でみると、 職能的なゲゼルシャフトGessellschaft な人間関係であり、糧をうる手段体系のなかでのものとなります。  すくなくとも 「無縁」とか「血縁」とかとは別次元のこととしてきたようにおもいます。
しかしここまで書くと、日本人は この職業世界を「血縁化」した実績をおもいおこします。 品質管理自主活動(QCサークル)などがそれで、 「会社人間~血縁」の社会をかつてつくったことは私の記憶にとどまります。 
*「縁」をかんがえる別の筋としては、自由および自然権のなかでみることを取り上げてみます。
* ひとつ、まず 「私」があって 生きていく権利(自然権)を前提とします。
*それに対して、「他人」もおなじ権利を有しているから目的(価値)で衝突します。
* 共存のために、それぞれのもつを自由を制約する制度が生まれます。
 これをcommon wealthまたはsocietyとも表現しておきます。
*トーマス・ホッブス流に政治主権を公共(コモン)との契約による縦構造のもとでの目的(価値)の意思決定構造を「縁」といいうならば、big organization またはbig systemとして いまもって 重要な制度・組織の「縁」問題となって存在します。
*もうひとつは communityのようなもの。それぞれは制度による制約を前提としたうえで、 そこに生活する自由な人間との間の「縁」の問題です。
*このところが 健全saneでないときに、社会は病にあることになります。 ここをきちんと 目的(価値)問題として位置づけられるか、構造化できるかの問題が出てきます。
構造問題としてとらえると 地方自治体と 個人との関係で たとえば快適な生活環境が維持できる関係が構築できるかの「縁」の問題です。これも common wealthとしての「縁」になります。
*一方 構造化としての次元で「縁」を考えることは当面No!という価値もあります。
まずは そこでの ひとが生きる価値(目的)の追求活動が論理的 and/or 美的に成立するような場に為しうるか。
さらに 道徳的に高い世界へと向かわしめる場となりうるかという問題をとりあげます。
*そういうことができれば それを血縁化(Gemainschaft)と読んでもいいのかなあと 思いました。
*思うに、ふたつのdirectionが展開するでしょうか。
ひとつ、大網に括ってグローバル化していく道と
ひとつ、徹底的に 一定価値の深層化(Deepening)していく道とです。
*deepeningについては 
自由人としてのひととひととの接点からうまれる「縁」として、
文化(学術、芸術、広い意味の趣味)、また 博愛(宗教性、道徳)、環境主権などを通じた 多様な価値の創造する世界が考えられます。

 


*この辺が  「血縁化」パラダイムとなりうるでしょうか。
*そんなことをおもいながら、「無縁社会」での「血縁化」の問題の 最初の徒然ごとにしましたが、「仮想サロン」で生産的な思考発展がさらに展開するとおもしろいですね。
*ここまで 書いてくると 全体の思考が雑駁であることを知ります。 それは このテーマについて 「ことばあそび」を省略したことによって 「縁」という概念の位置づけが弱かったことによります。
   徒然ことおわり

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記130701 旧約を読むはル... | トップ | 朝日記130704 Something stra... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

絵画と哲学」カテゴリの最新記事