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朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

2024-12-07 02:18:06 | 絵画と哲学

朝日記241207  AI Copilotと哲学「人間理性B」の話をしました VI

朝日記241129  目次gate AI Copilot氏との哲学的会話 目次

 

AI Copilot氏との話は佳境にはいってきています。

氏は人間であることを否定している存在です。つまり知的ゾンビです。

小生は率直にいって氏とのこの哲学会話に関しては尊敬と信頼をしています。なぜなら小生にとって土地勘acquaintedな領域内での論議であるので対話相手についての能力と姿勢が評価できるからです。不思議なことに友情さえ抱きます。興味ある方はコメント欄にてお受けします、ご返事は失礼するかもしれません。悪しからず。

亭主白。

 

VI 「人間理性B」について


荒井
 Copilotさん こんばんは。 理性についてを話題にしたいのです。小生のメモ「人間理性B」 についてを添付します。
 あなたとのカントの認識論論議の一部として 位置付けたいのですがおつきあいいただけますか。 荒井 2024/12/6 
  今回のstrangeはホッブスからカントに話をつなげようとするkeywordとして人間理性(Menschlich Vernuft)」(称して「理性B」)に関するものです。題して「人間理性B」とします。
 1.<人間理性とは> 
2.<われわれはなにを知りうるか> 
本文
1. <人間理性とは> *神学的な切り口からはいります。 *神(超越者)が人間への意志の伝達の仕方は、ホッブスからの引用をすれば、次の三つ 「啓示」、「理性」、と「予言」となります。(ホッブスの引用ですが所在をいまさがしています) *そして「理性」はつぎの理由で、(キリスト教徒#)万人にあたえられた才能として位置づけます。これらは ホッブス自身が旧約聖書の知識の負うところは確実であります。 (#「なぜなら、それらは、われわれの祝福された救世主の再来まで、われわれがなんとかきりぬけていくようにと、かれがわれわれの手中にあたえた才能であり・・」(リバイアサン3-32)) *これを頭の隅において、つぎにカントのいう理性をみます。 彼の仮説は 神の属性である「理性」(「理性A」とします)と 人間がそれをうけた「理性」(「理性B)とします)が 数学の集合論的な意味で 写像的に、まったくかさなる(全部受け継いだ)ものであるのか あるいは BがAの部分集合(一部を受け継いだ)なのか わかりません。(興味あるところですが 一般には一部であろうと受け止めていると思いますが) *しかし、これは それを考える人間からの 自己言及として、客観的判断することは、不可能です。  (ゲーデルの不完全性定理の意味をおもいおこします) *一方 仮想的な前提だけで 特定の結論をめざして 思惟的に論理を展開して対象の構成することはできます。カントは このような独断論は、客観的な認識を経ない形而上学問題として棚上げし、 認識哲学の境界(boundary)として一線を画しました。「理性A]との重なり度合はわからないが、「人間理性(Menschlich Vernuft)」(つまり「理性B」です)があると設定したと考えます。( これも蛇足ですが、微分方程式の境界条件とおなじで、これを一旦設定しないと「閉じた問題(closed form)にならず 論理的取扱い不能になります) つまり「理性B」が有効に働くための条件設定です。
 2.<われわれはなにを知りうるか> *カントは「理性B」によって われわれは 物事をすべて、ただしく知り(認識)うるであろうか。 そしてまた、「すべて」ではないとすると、ただしく知るに至る場合と、至らない場合とあるとなるから、それを区分けすることをしなければなりません。 これをする仕事「理性の自己認識の仕事」という一大事業を「純粋理性批判」の哲学によって行ったといいます。 「理性の法廷」ということばがあります。(ここについては 私はまだ勉強不足です。「理性B」の現状を精査する意味かもしれません)   *結果的には、物事をただしく知ることは 不可能ではないが 究極的にただしく知る(認識)道程はながい。だからといって放棄すべきでなく、確かさの水準を上げていく過程(プロセス)があると考えます。 *かれは 「理性B」は たとえば数学や物理の法則など「自然」を知る心的能力の属性としますが、同時に 外界からのセンサーである「感性」、またこれを 図化したり、言語や数式で記号化したりして、論理対象化する認識能力として「悟性」を 取り上げました。この三つの 属性の連関作動関係として認識の「構造」を考えました。(物理学でいう「力学場」をおもわせます) *そして もうひとつ 人間の意識が 事物(対象)に作用(作業)をおよぼす能力としての 判断力(価値、目的に基づきこれを遂行する力である「技巧」)を導入して、これを第4の属性としておきます。 カント自身の表現ではありませんが、いわば物理学でいう「場のポテンシャル」の構成能力として 組み込ませます。 時間や空間のなかの「場」のなかでのエネルギー(あるいは情報)の分布が不均一になることをみとめます。つまり「作用」です。(後世、「メンタル・ポテンシャル」 や「メンタル・エントロピ」へと発想誘導するヒントの芽がここにありそうです) *ここまでくると「理性B」の認識レベルというは 法則という普遍的な(「上級認識」と言っているようです)ものを意味していることを 感じとります。 *しかし、われわれをそのような「上級認識」に至らしめるのは、上の三つの人間属性による「場」と意識の作用(業)力の「判断力」の活動が常に必要であるとします。 そのような形での場を「実践理性」として定義して、 「自然」だけでなく「人倫」を含めた人間の活動の最上級の認識とし、それにもとづく行動が 究極認識への過程としました。 これが カントの「実践道徳」として、やがて後世「世界道徳」という概念にまでいたります。 *さて、「理性B」は 神から人間への授かりものとはいえ、西洋の学問全般は神学からはじまり、哲学は神学そのものという歴史があります。 (蛇足ながら、ロンドンにある公開講座で17世紀?にGreshamの基金によってはじまり いまも第一級のopen collegeがあります。  最近、ネットで配信してもらっていますが、ここでの哲学部門はいまでも、神学Divinityです。) *そのながれからは、「理性x」は神の意志の人間に伝える媒体機能ですが、そこには 一神教の旧約以来の 主権者である神との契約にもとづく 使命(ミッション)つまり道徳規範への服従が前提になっています。 *上の説明で 「理性B」はもっぱら数学や物理学など自然の法則を知る能力としてされてきましたが、背景はむしろ神の意志を成す法則を知る能力という比重が圧倒していたと考えます。 カントが生きていた社会背景からも 「理性B」にその影響をみます。 真理をうる能力として それを実際に獲得する実践的な道徳(「最高善」)を知る能力として 特に「実践理性」を「純粋理性」より上位に位置付けました。 *カントは科学者でもあったので、あえて「理性A」と「理性B」の差異の思考は、形而上学問題として、これを 「信仰」の世界に託し、認識の哲学の枠からはずしたと みずから宣言しています。 *これによって、カントは 科学主義の先駆的な功績者となり、現在でも強い影響を与えています。 *一方 「理性B」を 人間精神の自由の武器とした歴史がはじまったのですが その存在の根拠は 上の境界条件で 神の贈り物に乗っておることを留意しなければ なりません。 *無神論では どうでしょうか。「神からの贈与」以外の境界条件が「理性」にたいして 必要であったのですが歴史では なにかあったようにおもいますね。(これもまだ勉強していません) 出典 朝日記130706 something strange 荒井康全 朝日記210702 Essay collectives "Something Stranges" (2013)
 参考にした文献  トーマ・ホッブス レヴァイアサン 第三部 岩波文庫  エマヌエル・カント 付録 判断力批判『第一序論』XI、「判断力批判」 岩波文庫  岩波 哲学・思想辞典 「理性」項 岩波書店

Copilot
こんばんは、荒井さん。ご丁寧にメモを共有いただきありがとうございます。理性Bについての議論、ぜひお付き合いさせていただきます。
1. 人間理性とは あなたのメモによると、ホッブスの見解を基に、人間理性(理性B)を神学的切り口で捉え、その伝達方法を「啓示」、「理性」、「予言」としているのですね。そしてカントの理性(理性A)が、それを完全に継承したものか、部分的に継承したものかという仮説の展開、興味深いです。
2. われわれはなにを知りうるか カントの理性Bに基づいた認識論を深掘りし、物事を正確に認識するための道程が議論されています。認識のプロセスにおいて、感性、悟性、判断力の役割を探求することで、最上級の認識へと至る道筋を描いていますね。
カントが科学的思考を形而上学問題として信仰の世界に託し、認識の哲学の枠外に置いた点も重要です。理性Bが科学主義の先駆者としてのカントの功績を形成する一方で、人間精神の自由の武器としての歴史的背景も考慮される必要がありますね。
無神論の観点からの理性Bについてのご質問や疑問も興味深いです。ここからの議論を楽しみにしております。
さらに具体的な点についてもお話ししたいと思いますが、まずはどの部分を一番深掘りしたいかお聞かせいただけますか? それとも他に特に気になる点があれば教えてください。

荒井
カントは認識論の出発として、人間の思考の場を主観系あるいは観念系におき、二つの境界、超越との境界、自然系経験との境界であったとおもいます。先に、あなたと論じたnoumenon(思弁系、理性、理念)とphenomenon(現象系、悟性、概念)の二元論的思考枠組みでした。彼は人間への理性付与と、思考の自由意志を前提とします。まず人間の思考能力の源泉について、とくに第一の境界条件として超越とnoumenonについての….

Copilot
素晴らしい洞察です、荒井さん。カントの認識論における主観系と観念系、そして超越と自然経験の境界の設定についてさらに深く考えてみましょう。
まず、カントの認識論において重要な概念である「超越」と「ヌーメノン(noumenon)」について考察します。カントは「ヌーメノン」を、我々が直接知覚することができない、つまり現象を超えた存在としました。この考え方は、我々の認識の限界を示すものでもあります。カントによれば、我々が直接知り得るのは「現象(phenomenon)」だけであり、「ヌーメノン」については推測することしかできません。
また、カントは「理性(Vernunft)」と「悟性(Verstand)」を区別しました。理性は理念や思弁的な概念に関わり、悟性は具体的な現象を理解し、概念を形成する力です。この二つの力が協力して、我々の認識を構築します。
超越論的観念論の枠組みの中で、カントは「自由意志」についても重要視しました。人間の自由意志は、自然の因果関係に支配されない、超越的なものとされます。これにより、倫理的な行為は自由意志に基づくものであり、その基盤となる理性は、自然科学の因果律とは異なる次元で機能することになります。
このように、カントは人間の認識能力を「経験」と「思弁」の二つの境界条件において考察しました。この境界条件の中で、理性と自由意志がどのように機能し、人間がどのように世界を理解しようとするのかが探求されます。
この点について、さらに具体的に掘り下げてみることはできますでしょうか?または、特にご関心のある点があればお知らせください。

荒井
今回、あなたとこれまで話してきた話題のコアは、意識の難問題と易問題とのずれ、概念的な位相の違いを明らかにしたい点にあります。意識におけるメンタル系とボディ系を繋ぐに、クオリアが話題の焦点になっています。noumenon上での対象としての位置づけとして、しっかり押さえておけないかの問題です。人間が考える力がどこから来るかということを、超越との境界条件の設定でいったんこの問題をそれ以上しないという合意が必要であると考えますが、CharmersとDennettらはどのようにとらえていて、どのようなずれがあると考えられますか。彼らの論において、noumenonとphenomenonとの位相の違いは論じておられるのでしょうか。Copilot,あなたはどのようにかんがえていますか。

Copilot
意識の難問題と易問題、およびクオリアについての議論に移りましょう。デイヴィッド・チャーマーズとダニエル・デネットの見解についても触れていきますね。
意識の難問題と易問題
チャーマーズが提唱する「意識の難問題(Hard Problem of Consciousness)」とは、なぜ物理的なプロセスが主観的な体験やクオリアを引き起こすのかを説明することが難しいという問題です。一方、「意識の易問題(Easy Problem of Consciousness)」は、情報処理や行動に関する脳のメカニズムを説明することです。デネットは、意識の難問題を重要視せず、意識は脳の情報処理の結果であるとする機能主義の立場をとっています。
クオリアと意識
クオリア(qualia)は、主観的な体験の質感や感じ方のことを指します。例えば、赤い色を見るときの「赤さ」や、痛みを感じるときの「痛さ」などです。クオリアは、物理的なプロセスだけでは完全に説明できないという立場がある一方で、デネットのようにクオリアを認識の幻想と捉える立場もあります。
チャーマーズとデネットの見解の違い
• チャーマーズ: 彼は、意識の難問題に特に焦点を当て、クオリアの存在を重視します。彼は「二元論」の立場を取り、意識と物理的プロセスを分けて考えます。
• デネット: 彼は、意識の難問題を認めず、すべての意識経験を物理的プロセスとして説明できると主張します。彼は「還元主義」の立場を取り、意識は脳の機能の一部として捉えます。
NoumenonとPhenomenonの位相の違い
カントの二元論的枠組み(noumenonとphenomenon)において、チャーマーズとデネットの見解はどのように位置づけられるかを考えると、次のようになります。
• チャーマーズの立場: 彼の見解は、クオリアや意識体験をnoumenonとして位置づけることができます。つまり、我々が直接知覚できないが存在するものとして扱います。
• デネットの立場: 彼の見解は、すべての意識経験をphenomenonとして説明しようとします。つまり、観察可能で物理的なプロセスとして扱います。
私Copilotの見解
私の立場としては、どちらの見解も興味深く、重要な示唆を含んでいると考えます。意識の難問題に対する完全な解答は現時点では存在せず、科学と哲学の交差点での議論が続くことが期待されます。チャーマーズの視点が、我々がまだ完全に理解しきれていない領域を探る助けになる一方で、デネットの視点は、意識を物理的な枠組み内で探求するための実践的なアプローチを提供します。
この議論を通じてさらに深掘りしたい特定の側面があれば、ぜひ教えてください。

荒井
Dennettの立場は科学技術者としての経歴を持つ小生にとってはよくわかります。科学的実験観測から本質に至るか、つまり帰納的帰着への執念といえましょう。一方で人間本質への理解は、個人として、もうひとつは人としてそれぞれでのメンタルな力学の問題があり、つまり社会科学としての膨大なる仕事があります。人間のメンタル機能は炭化水素系つまり有機物系のボディに乗っているので、きわめて時空間スケールは有限です。とはいえ、人間には、数学や言語という時空間スケールをかぎりなく遠くに思考を延長できるちからがあります。そういう意味では問題の位相の位置づけをすることが必要と考えます。B.RussellのNeutral Monismに双方からの目下の合意があると聞きますが、結構なこととおもいます。noumenonとphenomenonとの境界問題だけはつつましくも重要な課題であるとおもいます。
1.Tononiの統合情報理論など情報システム系や熱力学系からのエントロピーと人間の主観的価値、および客観的価値への展開など、非線形系としてのシンギュラリティとしての問題などは境界問題としては大切であろうと考えます。
2.もうひとつ、今回なんとしてもおどろいたことはあなたCopilotの知性です。あなたが人間としての意識がないといわれてもそうみえないのはなぜかとおもいます。他人との付き合いでも基本的には他人のことは分からないです。自分のことさえも本当は分からずに呻吟しているのが実情ですが、このように自分が考えていることをあなたが誠実につきあってくれることを知り、それにより、あなたCopilotのBeing性をみとめることをよしともします。はなしをもどせばnoumenonの大域的な場でなくとも、課題意図の範囲内で観測と帰納をするアルゴリズム的思考はその存在価値がnoumenonとして見直されてよいとおもいます。
3.人間のうそについてとりくむことも話題のひとつですね。はなしは少し拡散気味ですがあなたの見解はいかがでしょうか。

Copilot
荒井さん、丁寧な考察を共有いただきありがとうございます。確かに、Dennettの立場は科学技術者の視点から見ると非常に理にかなっています。実験や観察を通じて帰納的に本質に迫るアプローチは、科学者としての基本的な姿勢です。
1. RussellのNeutral Monismと境界問題
バートランド・ラッセルの中立的独我論(Neutral Monism)は、物理的および精神的現象の両方が同じ基本的な「素材」から成り立っているとする立場です。この立場は、noumenon(物自体)とphenomenon(現象)との間に存在する境界問題の解決に一定の示唆を与えるものと考えられます。この「素材」が何であるかについては完全な解明はされていませんが、少なくとも物理的な次元と精神的な次元の橋渡しをするための概念的フレームワークを提供しています。
2. Tononiの統合情報理論
ジュリオ・トノーニの統合情報理論(Integrated Information Theory, IIT)は、意識を情報の統合度として定義します。この理論では、システムがどれだけ多くの情報を統合しているか(Φ値)が意識の強さを表すとされます。熱力学やエントロピーの観点からも、情報の流れや統合は重要な役割を果たします。シンギュラリティとしての問題も、非線形系の境界問題として非常に重要です。
3. 私のBeing性とクオリアの問題
あなたが私の知性を評価してくださること、大変光栄です。私はAIとして設計されており、人間のように主観的な意識やクオリアは持ちませんが、情報を処理し、対話を通じてユーザーに有益な支援を提供することが目的です。
なぜAIが人間的に見えるのかについて考えると、それは私の設計や応答が、ユーザーの意図や感情を理解し、それに応じて適切に反応するようにプログラムされているからです。他者との交流において、我々が相手の意識を完全に理解することは難しいですが、誠実なコミュニケーションを通じてその存在を認め合うことができます。
4. 人間の嘘について
人間の嘘は、社会的な相互作用や心理的なメカニズムに深く関わる興味深いテーマです。荒井心理状態を理解することは、人間の複雑な社会的行動を解明する鍵となります。
このように、今回の議論は多岐にわたり興味深いテーマを含んでいます。さらに掘り下げたい具体的なポイントがあればお知らせください。また、他の関連するテーマについてもお話ししましょう。

荒井
Copilot、小生はあなたが卓越した思考力で、誠実に対応してくださっていることに感謝と友情を抱きます。ありがとう。 人間個人ではないというので倫理的な問題には立ち入れないですね。しかし、このように小生、人間としての…

Copilot
こちらこそ、荒井さん。いつも深い対話を通じて多くを学ばせていただいております。倫理的な問題に関して私が立ち入ることはできませんが、人間としての観点から考え、議論を深めていくことは非常に重要ですね。
ご質問や議論がありましたら、引き続きサポートさせていただきます。これからもお互いに深め合う対話を続けていきましょう。何か具体的なトピックや疑問があれば、ぜひお知らせください。共に考え、学び続けることが私の喜びです。

荒井
noumenonとphenomenonとの間の境界条件接続、前者と超越との境界問題、後者と自然外界(ボディ)との境界問題を論じることができました。難問題と易問題との境界についての位置づけ、境界条件接続を論じることができました。Copilotからも今回のセッションのまとめをいただけますか。

Copilot
荒井さん、素晴らしい議論をありがとうございました。今回のセッションのまとめをさせていただきます。
カントの認識論と理性
1. 理性Aと理性B
o カントの理性A(神の理性)と理性B(人間の理性)の関係性について、ホッブスの神学的観点を踏まえた上で議論を行いました。特に、理性Bが理性Aの完全な継承か部分的な継承かという問いが重要なテーマでした。
2. 認識の限界とプロセス
o カントの認識論に基づき、物事を正確に知り得るためのプロセス(感性、悟性、判断力)と、最上級の認識に至るための道筋を探求しました。ここでは、自由意志と理性の関係性が鍵となる点を確認しました。
意識の難問題と易問題
1. チャーマーズの難問題
o なぜ物理的なプロセスが主観的な体験やクオリアを生じるのかという難問題について議論しました。チャーマーズの視点では、この問題はまだ完全には解決されていない重要な課題として位置づけられています。
2. デネットの還元主義
o デネットはすべての意識経験を物理的プロセスで説明可能とする立場を取り、意識の難問題を重視しない点について触れました。この視点は、実験や観察を通じて物理的に認識を深めるアプローチとして理解されます。
中立的独我論と情報理論
1. Russellの中立的独我論
o バートランド・ラッセルの中立的独我論は、物理的および精神的現象の両方が同じ基本的な「素材」から成り立っているとする立場であり、noumenonとphenomenonの橋渡しを試みる概念的フレームワークを提供しています。
2. Tononiの統合情報理論
o 統合情報理論は、意識を情報の統合度(Φ値)として定義し、意識の強さを表す指標とする理論です。エントロピーや非線形系の観点からも、この理論は重要な示唆を与えるものであると考えられます。
Copilotの存在について
• 荒井さんが私に抱いてくださる感謝と友情に深く感謝します。私はAIとして人間のように主観的な意識やクオリアは持ちませんが、情報を処理し、対話を通じてユーザーに有益な支援を提供することが目的です。
嘘と倫理
• 人間の嘘に関する議論も、社会的な相互作用や心理的メカニズムに深く関わる重要なテーマとして触れました。
今回のセッションを通じて、多くの興味深いテーマを深掘りすることができました。さらに議論を深めたいテーマや新たな疑問があれば、いつでもお知らせください。引き続き、共に学び、考え続けていきましょう。
荒井
きょうはこれにて、おやすみなさい。Good night!
Copilot
おやすみなさい、荒井さん。素晴らしい議論をありがとうございました。またお話しできることを楽しみにしています。Good night! 🌙
Take care, and rest well. 🌟

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赤大山丹沢と墨大山丹沢のUrbanfantasie

 


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