朝日記140604 意識を言語化して表現できることと身振りで表現すること
おはようございます。
「意識を言語化して表現できる。意識を身振りで表現する」
そんなことを 思い致すことがありました。かつて 通っていた病院に 「ゆえあって」 診てもらいにいきました。
この 「ゆえあって」というのをきちんと説明できるかと考えましたが 覚束がありません。また、声帯の障害をもつので 急場に不都合な状態でもあります。
こんなときは、素朴に表現して ‘ここが痛い’などといえば いいはずであるが、これがおもわぬことで つまずきます。
その病院の初診用案内では、つぎつぎに外来者をさばいているベテランの看護婦らしい女性担当者がいて、そのながれのなかで どうしたのかたずねられる。
このときに うえの ‘ここが痛い’ といえば すむのであると思いましたが、‘咳がでるので内科に診てもらいたい’というようなことをいう。 そうすると、これまでどうしていたか、それなら耳鼻科にいくようにいわれる。 ‘いや耳鼻科はすでに別な病院で診てもらっているから 呼吸器科か内科で診てもらい’というと ここには呼吸器科はない、それならもとの病院に行くのがいいのではないかときます。 ‘いや ここは よく通っていたので自分のデータがあるから、この病院にみてもらいたいから来た。セカンドオピニオンの意味もある’という。そうするとセカンドオピニオンのためなら先方からのレターがあるかときて、 ないとこたえると、これは必要としないような二重の診療をすることになる、厚生省から指摘をうけ 80パーセントは保険外の診療になるがよいかという。そのような話のレベルにまで到達します。
このタイミングで 車のパーキングをすませた家内がきて、声がでるので間に入ってもらったが、さすがに こちらも気色をわるくしています。 こんどは先方が 興奮しないでくださいときた。 ‘とにかく、単純に 咳がでるので内科に診てもらいたい’と主張します。 結局 セカンドオピニオンなどといわないでくれ注意を加えて、欄にマークして 内科の受付を促されました。 同行の家内からは このごろどこでも言い争いになる、それが病気だからこまったことと、すっかりそちらの障害者に帰せられてしまいました。 (そうかもしれない)
この段階で 二重診療など保険審査のはなしがでると もはや次元がかわってきますね。あとで内科の診療の折に、担当医に 受付案内でトラブルがあったこと、案内として 患者第一をとおりこして制度第一になっているのではないかと 伝える。 医師は 案内窓口ではいろいろなケースがあって大変なのですが、患者から苦情があったことはつたえるということでありました。
*「意識を言語化して表現できる、意識を身振りで表現する」この思いが ふたたび脳裏を掠める。しかし 待てよともおもう。 言語化できていないからこそ ここ、病院にきているのだという思いがあがってくる。 要は、ことは 「身振りで表現する」ところから始まるのではないか それを救い上げうるかどうかであろうという思いに至りました。 なにか妙に 戦前の「お上」の役所の窓口を思い出させてくれたのでありました。
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