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朝日記220910 橘樹住香つづりかた―随想―わが國寶百色その四 

2022-09-10 23:04:22 | 自分史

朝日記220910 橘樹住香つづりかた―随想―わが國寶百色その四 

―随想―

わが國寶百色その四

                       会員 橘樹 住香

                            住

むかしにかへせ 藤原王朝 京のみやこ       

四条大橋 たそかれから闇へ 闇から明けそめるころ なまあたたかき霊気がただよふけはい 人はいつこよりきたりていつこにかさる 無窮にこのよからきえし人々に おもひをはせてみよかし 

一千年前の一條帝も藤左相府道長 清少納言 紫式部 和泉式部も この繪の橋をわたりしか 見わたすと下賀茂 奥に上賀茂 その先に比叡が 鳥居のあたりが今は先斗町 橋をわたると祇園 そしてどんつきに八坂の社 鎌倉からの六波羅探題の武者たちも 右大將頼朝にともなはれ 大姫のこころにめばえし京はいずこに

 

花の木ならぬは かつら ごえう
たそばの木 しななきここちすれど 花の木どもちりはてて おしなべて緑になりにたるなかに ときもわかず濃きもみぢのつやめきて おもひもかけぬ青葉のなかよりさしいでたる めづらし
まゆみ さらにもいはず そのものとなけれど やどり木といふ名 いとあはれなり さか木 臨時の祭のみかぐらのをりなど いとをかし よに木どもこそあれ 神の御前のものとおひはじめけむも とりわきてをかし
楠の木は こだち多かるところにも ことにまじらひたてらず おどろおどろしきおもやりなどうとましきを ちえにわかれて恋する人のためしにいはれたるこそ たれかは数をしりていひはじめけむとおもふに をかしけれ
檜の木 また きちからぬものなれど みつばよつばの殿づくりもをかし

さつきに雨の声をまなぶらむもあはれなり かへでの木の ささやかなるに もへいでたるはずゑのあかみて おなじかたにひろごりたる葉のさま 花もいとものはかなげに 虫などのかれたるに にて をかし
あすは檜の木 このよにちかくもみえきこへず みたけにまうでてかへりたる人などの もてきめる 枝さしなどは いと手ふれにくげに あらくましけれど なむのこころありて あすは檜の木となづけけむ あぢきなきかねごとなり

や たれにたのめたるにか とおもふに きかまほしくをかし

ねずもちの木 人なみなみになるべきにもあらねど 葉のいみじうこまかにちさきがをかしきなり

あふちの木 やまたちばな やまなしの木 しいの木 ときはぎはいづれもあるを それしも葉がへせぬためしに いはれたるもをかし 

しらかしといふものは まいて深山木のなかにもいとけどをくて 三位二位の上の衣そむるをりばかりこそ 葉をだに人のみるめれば をかしきこと めでたきことにとりいづべくもあらねど いづくともなく雪のふりをきたるにみまがへられ すさのおのみこと 出雲のくににおはしける御事ことおもひて ひとまろがよみたる歌などをおもふに いみじくあはれなり をりにつけても ひとふしあはれとも をかしとも ききおきつるものは 草木鳥虫もおろかにこそおぼえね
ゆづり葉の いみじうふさやかにつやめきたるは あをうきよげな

 

るに おもひかけず にるべくもあらぬくきは いと赤くきらきらしくみえたるこそ あやしけれどをかし

なべての月にはみえぬものの しはすのつごもりのみときめきて なき人のくひものに しくものにや とあはれなるに また よはひをのぶる歯がための具にも もてつかひためるは いかなるよにかは もみぢせむよや といひたるもたのもし
かしは木 いとをかし 葉守りの神のいますらむもかしこし 兵衛の 督かみ 佐すけ 尉ぞう などいふもをかし すがたなけれど 棕櫚すろの木 からめきてわるき家のものとはみえず

清少納言

神護寺國寶平重盛・源頼朝・藤原光能御影、黒の袍をまとふが、本来は紫。なれど紫(紫根)がまかないきれず、代用として白樫の葉を鉄媒染で黒に染む。その下の位が深い赤、次が薄い赤、次が橙。赤の極まりが紫。どんぐりから採れるつるばみ色の黒もあるが白樫の方が高貴な色。

 

 

柿おふる 柿生のさと 禅師丸柿 あかきをみれば まつぶさに 秋はたけけり

 


倭が國の柿は渋柿、鎌倉ごろに禅師丸の甘柿が。長尾の宿河原のあたりに多摩ほまれという酒蔵があり、この柿はその地につたはりし樹齢数百年の日の本一の禅師丸。当主がこの世から消えひろき庭も、今は甍をつらぬる町となり、柿はこのゑに。吾妻一美しいといはれし武揚八景。長十郎梨の原産地でもあり、大戰前は多摩川に舟を浮かべると鮎が身をきらめかせながら舟に飛びのるほど。越の國の杜氏は桃と梨の里を目にしここは桃源郷なのかと。いまも原生林がのこり花もみじ月雪をめで、多摩川を越ゆると草いきれの寒さが肌をつつみ、冬には水が氷るほど冷ゆ。

 

かつては多摩ほまれの前の川の水を引き氷室を作りしと。長尾を越えむこふの尾根に登呂遺跡ほどのいにしへの村があり吾妻一の白樫の森をつくりしか。

富士の山、丹沢山系や秩父山系を見はるかし、山のふもとにわが庵が。

今若乙若牛若ゆかりの源氏累代の祈願所あり。さきの右兵衛介が以仁王の令旨を掲げ旗揚げしとき、醍醐寺にて全成となりし今若が鷺沼の陣に馳せさんじ、長尾の威光寺に身をよせ、めとりし政子の妹阿波の局は右大将実朝の乳母となりし。牛若が元服し源九郎義経となり平泉から黄瀬川に馳せさんず。多摩川の景色に今若牛若は北上川鴨川におもいをはせこの桃源郷をまもりしか。

ほかに政子のいもうとごはこの地の枡形山を守る郎党稲毛三郎重成、畠山重忠、伊予の國河野通信にとつぐ。 右大将が瀬戸内に重きを置き、河野のながれに一遍がゐる。伊豆箱根につらなる山紫水明を尊び、鎌倉に幕府を開闢す。なれどいたるところが谷戸、馬ありての鎧ゆゑ逃げ道をうしなひ、ふかきかなしみにつつまれをはんぬか。

この地ならば数百年つづくこともあらむか。

 

たまがわに さらすてづくり さらさらになんぞ このこの ここだかなしき。

 

                            

 

    

                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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