宗教というのは個人の心の中に存在するべきだ。同じ宗教を信仰していたとしても、その教義や教えを守らなかったと言って他人を攻撃するべきではない。それを守る守らないは個人の意思に委ねるべきだ。信仰することによって心の平安が得られるのであれば信仰すればよい。それだけのことだ。教義によって他人を束縛することの意味は何か?合理的な答えはない。その宗教が唯一正しい宗教で、その教義が完全に正しく、その神様だけが唯一の神様であるという前提でないと答えがないのだ。その条件が存在し得るのは個人の心の中だけだ。人はこのことに早く気づくべきだ。気づけば宗教対立による戦いなどなくなる。
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