-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

やっぱり

2017-11-30 10:11:21 | 日記
 やっぱりね、やることがないのはしんどい。車を洗うかと思ったら外はめちゃ寒い。冷えは膝に悪い。

 だからしばらく部屋の中をうろうろ徘徊してみたけど、ますますクサクサするので、結局テレビを見るしかない。

 そんなわけで、全然興味ないと思いますが、今私は、独身時代から使っている、足を折りたためる卓袱台の上にノートパソコンとコーヒー、テレビとHDプレーヤーのリモコンを置いて、32インチの東芝レグザの前、1.5メートルぐらいのところに、座椅子に座っているのです。座椅子の横には、小田作之助、幸田露伴、泉鏡花の文庫本。読みかけが三冊もあるなんて、だらしない生活をしている証拠です。

 テレビはやっぱり日馬富士。もういいんじゃない。いろいろ言われてるけど、相撲だからって、みんなが興味を持って真剣に考えてるわけじゃないでしょ。正直、 そんなに興味ある?? この事件。九州場所も見てなかったし、私。 誰が優勝したの??

 しゃーない、撮り貯めた映画でも見るか。ベイマックス、バケモノの子、スタンドバイミー ドラえもん・・・・・・。

 明日からいよいよ師走。クリスマスツリー出しますよ。12月ですから。当然でしょ。


 これは神宮球場




    --------------------運命の道を歩いてみよう(その18)-------------------



                              *


 だったら、人だって、死ぬじゃない。

 私も、いつかどこかで死ぬのでしょう? そうしたらそれをあなたのお父さんみたいな誰かに一つ、好きに選んでほしい。でもそれはやっぱり嘘で不謹慎で不幸なことなのかしら。私は全然そんな風には感じないけど。『この人は、何月何日何時何分に何処で死に、何処に埋葬されました』って、ずっと生前のデータに縛られ続けるのが、本当に正しくて幸せな事なのかしら。それってそんなに大切なこと? たとえ今目の前にいるこの男性と結婚することになったとしても、お互いの顔形、体、声、言葉、臭いがある間は、何もわからないし、見えてないし、考えられないじゃない。本当にわかる時が来るとすれば、それは……。


 一番大切な事って何ですか?

 それは自分の運命に抵抗しないという事だ。それは同時に運命以外には決して屈しないという事だ。自分以外が自分? 自分をパズルの最後のピースのように考えているようだな。嵌めた瞬間、自分も消える。それが怖いからいつまでも不完全な状態を保とうとする。いいか、湯川、お前の形なんて元々ないんだよ。つまり何があろうとお前はお前。それは周りに関わらず永遠に変わらない。たとえ体が消えてなくなろうとだ。私がこの目の前の女性と結婚して子供をもうけ、家庭を築き、深い幸せをかみしめようと、私は私だ。それでしかない。わかっていることはただ一つ……。


 外は暮れ始めていた。駅舎の屋根に暮れようとする太陽が店内を眩しく照らしていた。妙に明るくなった店内を、二人は同時に見回した。いろんな人がいろんな事をやっていた。それぞれに様々なことが起きているとすぐにわかった。きっといろんな事情に従っていろんなことを考えて様々に行動しているのだろう。だがそれは風に吹かれたタンポポの穂が綿毛を飛ばすのと何の違いがあるというのか。

(空き缶や吸い殻や唾や痰やオシッコやウンチをまき散らすのが罪だというなら、歩道や植え込みや道路、灰皿やゴミ箱やトイレを作ったものもまた同じ罪を負わなければいけない。それは『罪産み』だから)


 白菜が二つ、テーブルを挟んで置かれている。

「今年の稲の出来は、どうだろうね」
「雨さえ足りてくれれば、あとは人間が何とかするでしょう」
「風は、どうだろう?」
「収穫前に強く吹き過ぎなければ、あとは人間が何とかするでしょう」
「美味いかね?」
「美味いでしょう、感謝して食べれば……」
「足りるかね?」
「足りるでしょう、欲張り過ぎなければ……」
「じゃあ、何も心配は要らないね」
「要らないでしょう、疑わなければ……」

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