カレーを食い終わって一按配。んで何となくテレビを付けたら、救急病院のテレビをやっていた。
新生児、超低体重児、息子が生まれた時を思い出します。
息子は健康な体重で生まれてきたのですが、2500グラム以下は低体重児らしいですね。うちの子は2788グラム。やや決して大きくない。
しかし、子供は、親だけを、本当に親だけを頼りにして、歩く事も這う事も出来ない状態で、言葉も分からず、知り合いもいない、歯も生えていない、目も見えないのに、果敢に生まれてくるんですよね。絶対に受け止めてくれると信じて。
その信頼だけはどんなことがあっても裏切ってはいけない。当たり前のことだけど、でもそれがいろんな事情でままならない人もいる。
子供の小ささは圧倒的だ。あの無力さは圧倒的だ。
子供が、正しく認識できない、親としての距離感がつかめない、そんな親がいる。親ばかりを責めるわけにはいかない。そんな時は変な結論にたどり着く前に、堂々巡りをし続けたる方を仕向ける方がいいのかもしれない。私は、親か?否か?
特にお母さんは、自分が実際に産むわけだからその呪縛は強いと思う。私は、親か?否か?
私はね、責任から逃れるためにネグレクトになるのは、まったく勘違いだと、うまく伝える方法があればいいのにな、と思うんです。
生活保護をさ、デタラメな届け出で受給してたスカタンみたいなヤツがいたでしょ。あれは確かに悪い事だけど、それでもいいから、法の隙間をかいくぐってでもいいから、(まあ本当は制度が整えばいいんだけど弱者に対しての法整備は期待薄なご時世だから)なにをやっても生きていかな、という善悪を超えたネズミ小僧的な愛を万全に肯定する野蛮な常識が、世の中の根底にもっともっと定着していけば、しゃくし定規な整った世の中で、逃げ道を失って苦しまなければならない人が、後を絶たないなら、その方がずっといいように思いますよ。
息子はうまいもまずいも言わずにカレーを食って今、食い入るように救急病院のテレビを見ています。
別に、医者になっても、いいぞ。ただし国立大学でお願いします。
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