-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

西武線をば乗り過ごし

2017-11-27 14:58:44 | 日記
 としまえん か、トイザらスがあるよね。ざっくり言うと、乗り過ごしたわけですわ。

 昔江古田に住んでたんで、ちょくちょく来たんですね。としまえん。昔は夏、毎週末花火が上がったような記憶があります。入場すると金が掛かるので、前の駐車場がごった返してた。入場だけなら、数百円だった気がする。

 あぁ、貧しきものよ、汝は幸福である。

 車洗わなきゃ、汚くなってきた。砂埃が凄いからね。埼玉県。

 此間、ところざわ駅前のイルミネーション点灯式に西武ライオンズの平井投手と駒月捕手がみえたらしい。 


-----------------------------------運命の道を歩いてみよう(その7)--------------------------------------------------


 そんな湯川がある日の仕事終わり、少し飲みませんか? と内海を誘った。

 行ったのは駅前の『金ちゃん』という、高齢につき今年いっぱいで閉店しますと、主人自らが言う、バブル時代から行きつけの焼き鳥居酒屋で、話題は定石通り、まずその日一日の仕事の反省に始まり、少し酔うにつれて会社への不満へと移行していった。

「そもそも『みなし残業』ってなんっスか? 単にタダ働きじゃないですか。先輩の頃はいいですよね、聞きましたよ。毎日銀座や六本木のクラブで飲み放題だったんですってね? しかも会社の経費で、タクシー券なんて今でいう、デスクの上のキャンディーみたいなモンだったらしいじゃないですか」

「誰がそんなこと言ったんだ?」
「重村専務が、いつも口癖のように言ってましたよ」湯川は皮串を咥えながら言った。

 重村直哉。なぜ客の金を横領して逮捕された同僚の話など持ち出すのか。実刑判決を受けた重村は、今も服役中だった。

「重村さんチクったの、実はおれなんすよ」湯川は続けて田楽の味噌をこねながら事も無げに言ったのだ。驚く内海に向かって湯川は悪びれた様子もなく、だってしょうがないじゃないですか、言わなきゃ罪が闇から闇に葬られてしまうでしょ、と言ってにっこりと笑うのだった。

 湯川は重村の手口を見事だったと褒めた。ありゃ、どうしたってバレない、と。重村は内海の同期で、成績優秀、一番の出世頭だった。バブルの後、一気に冷え込む国内需要を見越し、どこよりも先に海外に目を向け、製造機器などの発展途上国への貸し出しを始め、国内の支店を減らす一方で、海外に支店を増やし、雇用も維持したその手腕は社の内外からも高く評価され、まさに会社は重村のおかげで存続しえたと言っても決して過言ではなかった。
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