-ALKAN-

しどろもどろでも声は出るなり。

Drive my car

2017-11-29 12:16:51 | 日記
接骨院に行ってきました。明後日また行く予定です。

結局、私はリウマチなのかどうなのか、リウマチと言えば、不治の病という印象がある。不治の病か……。

今日は病院まで、久々に車に乗っていきました。いいね。車は。ドライバーだから、車は当然好きだけど、やっぱり車に乗ると癒される。

 今日の午後、検査の結果を聞きに病院まで、午前も午後も接骨院と病院。アカン、完全に病人や……。

 腹が減ったので、スパゲッティ食べます。

         ---------------------------運命の道を歩いてみよう(その16)-----------------------------------


「ほほう、百億個ぐらい売れたらそれも可能かもな」

「そうです、可能なんです。出来る人間が、出来る力を貸せば。そして将来は我々が彼らの力を借りるのです。これはそのための先行投資で、決して温情や慈悲で言っているのではないのです。モノを大切にする力や、その魅力を、我々から世界に広げることは困難です。お金持ちの日本人が綺麗事を言っていると、一笑に付されるだけです。それができるのは、今は貧困に喘いでいても、決してあきらめずに将来に夢を託す事が出来る彼らしかいないのです。お願いです社長、少しでいいんです。力を貸してください」

 だが社長はもはや相手にもしていない様子だった。そしてその顔には、この世間知らずで強情な小娘を完膚なきまでに叩きのめしてやりたいという意地の悪い表情だけがありありと浮かんでいた。

 確かに、会社の先行きは不安だらけで、ここへ来て、やや広げ過ぎた感のある規模を持て余している事も否めなかった。それは社の経営方針の見通しが甘かったせいでもあり、このままでは大手企業と正面衝突する事は避けられそうもない状態だった。それをどう舵を切るのか、シビアな判断が求められているそんな時、おとぎ話の様な話を真剣な顔で進めようとするこの小娘に、社長は社長としてではなく、個人的な憎しみを感じていたのだろう。五島も、感情的には理解出来ても、全面的に社長の意見に賛成だった。社長の言うとおり、及川の話は余りにも荒唐無稽で現実味がなく思えた。優しさや愛を盾にした面倒くさい屁理屈のようにさえ、その時の五島には感じられた。実際に会議の時間は押していたし、時差も大きいアフリカ諸国への対応は、ヨーロッパやアメリカに比べ、大幅に手間も時間も掛かる作業だった。それは五島だけではない、その場にいた全員の意見でもあった。

 そんな空気の中、社長は最後に吐き捨てるようにこう言ったのだった。

「民度も教育も低い国の人間は、人権がある分、正直動物よりも厄介だよ。紛争が始まってみろ。親の形見の石コロだろうが何だろうが平気で投げるさ、アイツら」

 その時、不覚な笑いが起きた。五島も自分の口元がわずかに緩んだのを覚えている。及川は澄んだ目でじっと五島を見つめていた。その表情には落胆の色も怒りの色もなかった。そこには傷つき黎明の海に静かに沈んでゆくクジラの様に純粋な悲しみの色があった。慌ててそらした五島の目に、育ちのいい、真っ白な及川の手と、その指の間からぶら下がっている、空き缶で出来たキーホルダーが見えた。

 それだったら、人だって、死ぬじゃない。

 おそらく五島にしか聞こえなかったであろう、それは及川の最後の言葉だった。そして及川は笑った。少なくとも五島にはそう見えた。でも果たして本当に笑ったのか、それは一生、誰にも訊くことは出来ない五島だけの謎になった。
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