お久しぶりでございます。
コチラ新しいPCでございます。
以前と同じLAVIEです。
でもモデルはCore i5なので、
とにかく開く速度が速い。
軽い。
今までのは相当重く遅い。
それに慣れっこだったけど、
どうやらそれもモデルによってということが判明した。
知り合いというか、
座うたざの座長の本職は、
PC関連の仕事が本職なので、
名古屋から家までは遠いけど、
購入から設定まで、
お任せで全部やってもらっちゃった
いやぁ~~~
普通の有名な電気屋さんで購入してたら、
2~3万は高くなるこのモデル。
通販で購入してもらったので、
私が望んでいた金額で納まった。
助かった~~~
さて、このPC設定は4/29に無事に終わっていて、
私のGWはのんびりと
このPCをいじりながら過ごそうと思っていた。
が、
実はとんでもない事態が起こっていた。
というか今も継続しているというか・・・
ここからはちょっとかなり深刻な話です。
長くなると思うけど、
思い出す限り、記録として・・・
母が闘病中の話は以前もしていたと思います。
抗がん剤の副作用というのがなかなか厄介で。
そんな中、
今年に入り、
父がずっと飲み込みが悪く、
どんどん食べる量も減っている。
元々好き嫌いがあったり、
歯が悪かったり。
でも、余りにも食べる量が減っているので、
デイサービスに相談に行き、
リハビリ的なことや、
流動食的なものや、
総合栄養食のドリンクや、
とにかく色々。
それでも、
飲み込む時にむせたり、
食べれなかったり。
4/16の朝、
父が余りにもエラそうだったので、
救急で病院に連れて行った。
採血の結果は異状なし。
え?
この状態で異常なし?
栄養失調とか貧血とか、
何にもないわけ?
と思いながらの帰宅。
次の日はデイサービスは休ませる予定だったけど、
父は行きたいというので、
母が凄く小さいお弁当箱を持たせて行かせた。
次の日も次の日も。
でも、一日目だけ間食で、
あとは半分も食べれない状態だ。
4/23の昼、
いなり寿司の一個もまともに食べられなくなってる父。
お腹はどんな感じなの?
と聞いたところ、
ずっと胃の中に何かが残ってる状態みたいなんや。
食べてもお腹がすぐにいっぱいになる感じや。
という。
これは胃に何か出来てるかもしれない。
ということで、
翌日4/24にとりあえず、
個人病院に母が連れて行き、
採血の結果は炎症の値が以上に高い。
4/27に胃カメラとCT検査となった。
その場でのパッと診て頂いただけの結果だけど・・・
食道がんステージ4
既に肺と肋骨にも転移。
今後は放射線治療か抗がん剤治療か・・・?
実は4/25~27まで母が同時進行で、
抗がん剤治療中で、
ここに来て副作用が出始めた。
そして、4/30に救急で病院に行き、
白血球の数値が普通は9000の値が50000・・・
は?
5万
脱水症状もあると言われ、
緊急入院。
さて、こうなると、
食べられなくなってる父をどうする?
少しでも飲み込めるものを与えたり、
甘ったるい栄養ドリンクを
ヨーグルトや牛乳やコーンスープやら、
色々混ぜて飲ませてみる。
でも、これだけじゃ栄養が足らない。
5/2に全身を撮るPETというレントゲン。
この日に急遽、診察を入れてもらい、
入院とかはさせてもらえませんか?
と尋ねる。
そしたら、
入院してもすることないよ。
だってもう、
肝臓まで広がってるし、
とにかく全身に広がってるから。
え?
そんなに?
とにかく飲み込めないし、
今、出されている栄養ドリンクは
本人は甘ったるくて飲めんというので、
どうすれば良いですか?
と尋ねたら、
じゃあ、
5/8に喉の狭くなっているのを広げて、
通りを良くする為のステントを入れましょうか?
ただ、
癌末期の人は、
味覚障害はあるし、
食欲はなくなるので、
そこまでは治せないけどね。
は?
末期?
いや、
でも、
ま、
本人がずっと飲み込んで食べれるようになりたい。
と望んでいたので、
ステントは宜しくお願いします。
と頼み、
じゃ、5/8からステント入れの手術入院ね。
で、明日5/3~5/7まで、
午前中に栄養の点滴に通院ね。
と別の栄養ドリンクを出された。
その診察の後に、
PET。
しかし、このPETがまた父の体力を消耗させた。
朝、お茶しか飲んでない。
帰ってから、
出された別の栄養ドリンクを飲ませた。
これが色んなフルーツ味をトッピング出来るもの。
パイナップル味を試しに飲ましたら、
美味しそうだった。
でも、250mlを飲ますのはなかなか難しかった。
5/3の朝、
気になって早めに父の様子を見に行ったら、
廊下に倒れてる・・・
というか寝っ転がっている。
どどど、どうした
新聞を取りに行き、
歯を磨いたらエラくなってしまったらしい。
そしてその後、
父が下痢をしており、
(念のため履くパンツにいていたが)
勝手に出るんや
とパニック。
そして他人の便の匂いに慣れない私も、
嗚咽しそうになりパニック。
替えてやろうにも父に近づくことさえ出来なく、
もう泣けてくる。
そして、
義妹(元介護士)に来てもらい、
ちゃっちゃと交換してもらった
この騒動で、
点滴の予約時間ギリギリ。
父を病院のバス停のベンチに座らせ、
車を止めて、
そこから、救急の入り口まで支えながら歩いて行った。
そしたら、
救急の受付前で、
父が倒れてしまい、
大騒動。
この距離が歩けない程、
こんなにも弱っていたのか・・・
そして、次の日からは、
新聞を外に取りに行くことも出来ない。
歯を立ったまま磨くことも出来ない。
服が一人で着替えることが出来ない。
ベッドから起き上がることが一苦労。
そこからトイレに歩いて行くけど、
それだけでも息が上がる。
服を着替えるだけでも息が上がる。
すべての事に介助が必要になってしまった。
母は入院中で不在。
私しか家には居ない。
メンタルというか胃がヤバい。
と思いながらも、
投げ出す気には一切ならなかった。
素直に私の言うことを聞き、
父が頼ってくるのだ。
全身を委ねてくるのだ。
でも、
トイレだけは自分で行きたい意志はあった。
立って歩くのもやっとだけど、
車までは頑張って歩き、
点滴に通院した。
それは娘に対しての
父としての配慮だったんだと思う。
5/7の晩、
私は明日から仕事。
お父さんは明日はステント入れの手術。
お互い頑張ろうぜ
乾杯
と父とオレンジ味の栄養ドリンクを一緒に飲んだ。
この後、
弟からLINEが入る。
結婚記念日23年目になりました。
と。
父にその話をして、
お父さんとお母さんは何年になる?
と聞くと、
K(姉の名)は何歳になる?
51歳やよ。
ほんなら51年や。
長いねぇ~~~
長いなぁ~~~
実はこの会話、
今から思うと、
めちゃくちゃ不可思議だったのです。
父は、耳が遠く、
そして、もうまともにしゃべれなくなっていたのだ。
なのに、
普通に活舌良く話が出来ていたのだ。
私の話してる事も、
ハッキリと一発で分かったようで。。。
現在は、
ステント入れは成功した。
PETの結果は、
左半身ほぼ全部癌。
右も白い部分が少し残っていただけ。
脳にも転移。
なぜ、こんなになってるのに、
デイサービスの人は病院を勧めなかったのか・・・?
それは多分、
父が軽い認知症だった為、
痛み等に対しての感覚や症状がなかったからだろう。
下痢でお腹が痛いと言ってる程度で。
デイサービスに通っていたし。
ただ老人性の飲み込みの悪さで片付けられていた。
母と私もそう言われていたから、
そうだと思い込んでいた。
主治医曰く、
3ヶ月持ったら、
頑張ったね。
だそうです。
今後は緩和ケアを薦められた。
腕からも足からも、
もう点滴をするには血管が細くなってきて、
なかなか厳しいので、
植え込み型ポートを右鎖骨下の辺りに入れる。
実はこの手術、
熱があるため、
延期になっている。
果たして無事にポートを入れて帰って来れるのか?
あれが、
最後の会話になりたくないな。
お母さんとすれ違ったまま
お別れになって欲しくないな。
ということで、
このGWは、
父と二人っきりの
濃密な濃厚なGWを過ごしておりました。
(あ、もちろん姉弟も点滴は連れて行ってくれたり協力はしてくれましたよ)
なんかね、
一生分の親孝行が出来たような、
やり切った感満載です。
今後は母をサポートしながら、
母が介助して、
その後は緩和ケアホスピスと思っていますが。
やはり、帰って来れるかなぁ~~~。
といったところです。
あ、因みに母は、
5/10(水)に退院してきて、
ホッとした次第。
完全ではないけど、
マグロと言われてる母は、
もう動き回って、
父が帰ってきた時の為の準備をして、
待っています。
長文読んで頂き、
ありがとうございました