毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

百舌鳥三陵古墳群

2011-05-01 14:24:06 | 文化


ここは大阪府堺市です。仕事の途中二時間ばかり時間が取れたのまで、ホテルでもらった観光地図に反正天皇陵を含め、3つの古墳があるというので歩くこと40分、着いたのが百舌鳥三陵古墳群でした。で、一番小さいのがこの天王古墳です。写真でも分かるように一軒家がようやく建つ位しかないのです。その上周囲は典型的な住宅地。看板によれば、9m四方高さ3mですから、確かにその通りです。大間抜けなのは、ここから1kmも行かないところにかの仁徳天皇陵があるのです。でも小生、観光案内頼りでは行けないこの小古墳を見られたのは感動でした。


スピード社製水着の秘密とは

2008-09-19 19:50:01 | 文化

 スピード社製の水着で速く泳げる理由には、抵抗が少ないとか、浮くとか色々な要素が指摘されているが、それだけで、あれほどの記録ラッシュができるだろうか。

 私が10年以上はまっているのが、ベンチプレスである。体重65kgで最高110kgまでの記録があるから、ど素人しては相当なものだと思っている。100kgは確実に上がる。同じスポーツセンターには競技会に参加しているプロが何人かいるのだが、その人たちは時々奇妙なものを着る。

 伸縮性の強い素材で、上体をきつく締め付けるもので、きつすぎて自分だけでは着られず、手伝ってもらってやっと着る。パワースーツというのだそうだ。名前の通り、これを着ると記録が一割以上上がると言う。単に筋肉を締め付けるばかりではなく、バネの役目をして筋肉の力を補助しているようだ。

 もちろん私などのようなど素人が使っても逆効果かもしれない。使いこなすには、それなりの技術がいるのだろう。パワースーツを使うのと使わないのとこれだけの差があるなら、競技会では不公平になる。そこで、競技はノー・ギヤー、つまりパワースーツが使えない部門とギヤーの部門に分かれているのだそうだ。

 スピード社の水着はこのパワースーツの機能もあるのではないかと私は疑っている。筋力が一割以上簡単に上がるなら、自己記録が向上するのは当然である。スピード社の水着は、筋力補助器具ではなかろうか。いずれ、その秘密が解明されると、締め付けによる筋力アップの効果がある水着は禁止されると思われる。


相撲は国技ではない

2008-03-03 19:48:20 | 文化

 国技とは単に日本で永く続いたスポーツではなく、参加する者が日本人の精神の理想を体現した者でなければならない。そうでなければ、国技などという必要はあるまい。ところが時津風部屋の力士殺人事件での関係者の行動は悲惨なものである。直接殺人を起こした弟子は、親方の指示だといい、親方は弟子が勝手にやったと責任を転嫁した。

 更に相撲協会理事長の元北の海は、責任をとって辞任するどころか理事長に再選された。このような事件ならば、日本の伝統精神に従えば理事長や親方は切腹してしかるべきである。ところが彼らは地位にしがみついたり、責任を転嫁している。こんな醜悪な光景が日本人の精神の理想の対極にあることはいうまでもない。

 今評判になっている映画「明日への遺言」岡田資中将は東京裁判で、部下の責任を一身に引き受けると共に、米軍の無差別爆撃を堂々と追求した。すなわち責任から逃げることもなく、主張すべきことは主張した。これが日本人の精神の理想の体現に他ならない。

 ひるがえって相撲関係者の行動は何であろうか。未来ある青年の生命を残酷な手段で奪ったのにかかわらず、元親方は虚偽の証言により、弟子に殺人の責任をおわせようとし、理事長は組織の維持と地位への執着しか念頭にない。これは朝青龍の横綱たる品格のない行動と同様、あるいはそれ以上に日本人の理想を冒涜している。もはや相撲は国技たる資格を失った。


マラソンをなめるなよ

2008-02-09 21:20:43 | 文化

 大阪国際女子マラソンで期待された福士加代子選手は無残な結果に終わった。足を引っ掛けられたわけでもないのに、よたよたになって何回も転倒した上に、記録も悪かった。最後まであきらめずに走った精神力を賞賛する声が多いが私には到底そうは思えない。

 翌日の日経新聞によれば福士の練習は20km走のスピード練習が大部分で、最長は30km走が1回きりだったという。本人の意志なのか、監督の方針かは知らない。しかしこれはマラソンの距離をなめていたとしか思われない。誤った練習方法をとっていたのでは結果が悪いのは当然である。

 私もフルマラソンを数回走った経験がある。10km、20kmは毎週よく走っていたが、フルマラソンの距離は自信がなかった。そこで大会にエントリーする前に一度名古屋城の周回コースを走った。1周4キロのコースを10周走り、更に4分の1程走ったところで、とうとう足が動かなくなった。

 このコースは正確には4kmに少し足りないのだが、それでも40kmは走ったと思う。それで安心してエントリーした。その晩夕食をして、一人で缶ビールで乾杯して祝ったが、全部飲まないうちに睡魔に襲われて、八時前に寝てしまった。40kmの体力消耗はすごいものなのである。

 福士選手の無謀な挑戦については、スポーツ評論家の二宮清純氏が、ある新聞で指摘していた。しかし問題はそれに止まらない。なぜあんな状態で完走させてしまったかである。あんな走りでは精神的にも肉体的にも福士選手には相当なダメージを残しているだろう。

 また私事になるが、私は間違ったトレーニングをして、膝に違和感があったのに走り続けたために、ランニングを1ヶ月休むはめになった。膝がロックして走れないのである。それでも問題なく回復したのだが、10年近く経ってから膝の違和感が再発して、段々痛みに変わっていって今に至っている。そこでやめる勇気の大切さというものを知った。

 福士選手や監督などは長い経験から、安全な無理と危険な無理の区別はつくはずである。福士選手は最初の転倒の際にレースをあきらめるべきだった。本人が走ろうとするなら、監督が止めるべきだった。外国人選手の優勝候補などは途中で歩き始めると案外早くレースを放棄するケースがある。

 これは外国時に特有のドライさなのではなく、無理して無残な記録を残すのなら後々良くないと考えた決断の結果だと思う。福士選手の監督は福士選手の将来のためにレースを放棄する勇気がなかったのに過ぎない。面子のために走り続けさせたのに過ぎない。完走するよりも途中で止めさせるほうが勇気がいるのである。

 福士選手は今後マラソンに復帰するには、レースを完走した以上の精神力がいるものと思う。なまじ完走したために、ダメージや恐怖感が残り今後は大変である。ど素人が生意気なことを言うが、マラソンはスタートラインに立ったときには、90%レースは終えているものである。

つまりマラソンの結果はそれまでの練習の積み重ねと当日の体調で決まる。それをレース中の根性で克服できるほどマラソンは甘くはない。ところでです。福士加代子さんて井川遥に似ていると思いませんか。(*^o^*)