GOREとにゃんこの桃源郷

主観的にCDのレビューやら、日記やら、色々と。
ゴアとかメタルとかロックとか

2010/10/21 - 勧善懲悪を掲げる悪の軍団

2010-10-24 | 日記
 長期間に渡り放置してしまった。しかし、もはや特筆すべき事柄など皆無である。よって今回の日記を記した後、再び姿を消すことになるだろう。

 さて、最近は専ら「ロマンシングサガ-ミンストレルソング-」(以下ミンサガと表記)に熱中している。現在8周目で、トリを飾る主人公はバルハル族の大女、シフである。「開拓村の誘拐事件」という序盤のイベントに間に合わせるため、初期イベントでは全ての雑魚戦を避けた。シフは両手斧が似合う主人公だと、私は思う。ゆえに両手斧の使い手として頑張ってもらうべく、初期クラスには「帝国正騎士」を選択した。しかし、ゲームを開始してから気付いたのだが、ガトの村では隠密スキルを調達出来ない。その代わり、交渉スキルが存在するため、旅商クラスであればエンカウント回避も比較的楽になるかもしれない。バルハラントの各洞窟内は、とにかく道が狭く、反面モンスターの密度が高い。因って、全てのエンカウントを回避するのは非常に苦労した。
 戦闘で獲られる物は、金とジュエル、それにアイテムがある。更にミンサガでは、ゲーム中には確認できないマスクパラメータとして戦闘ポイントを獲得し、これが一定値以上たまることによって、同じくマスクパラメータに充当するゲームランクが上昇していく。しかし、前述の戦闘ポイントが加算されるのは、戦闘に勝利した時だけだ。つまり、進行度を意識したエンカウント回避は、必ずしも敵を避け切るのではない。退却や交渉を駆使してモンスターを消してしまえば済む話なのである。(退却した場合、または交渉を行った場合は、そのモンスターシンボルが消える)
 そこで私は、敵シンボルを消す手段として退却を活用することにした。だが、退却を行う際には、逃げるを選択させたキャラクターのLPが仲間の人数と同じ値だけ減少してしまう。かといって、シフ1人で初期イベントの固定敵(所謂ボス)を倒すのは現実的ではない。そこで最初の3洞窟攻略のため、PUBで仲間に加えることが可能な、詩人とバルハル族の戦士を仲間にした。この詩人は非常に重宝する。というのも、彼のLPは16と、他のキャラクターに比べて格段に高いLPを誇るのだ。シフのLPは12、バルハル族戦士のLPは4だ。メンバーが3人ということで、1度の退却にはLPが3必要になる。ということは、シフが3回、バルハル族戦士が1回、詩人が5回まで退却可能である。合計9回の退却が出来るということは、最大で9匹の敵シンボルを消すことが出来るということだ。洞窟攻略の度に宿でLPを回復しさえすれば、序盤の全エンカウント回避には十分な数字だ。バルハル族戦士に限っては、ボス戦で残りLPが尽きて消滅したとしても、結局アルベルト加入直後、2度目の3洞窟攻略前に解雇するため、特に問題は無い。2度目は、南の洞窟に限りボス戦の難易度が上昇する。それにも係わらず彼を解雇するのは、4人パーティだと退却に必要なLPが4となり、全員のLPを駆使しても、退却可能な回数が著しく減少してしまうためだ。それに、弱いとは言えアルベルトはLPが10あるため、3人パーティであれば退却可能な数は3回に相当する。また、余程のことが無い限り、ボス戦に勝利出来ないということは無い。
 こうして、無事に「開拓村の誘拐事件」を請けることが出来た。現在は漸く皇帝の奇病が発生したところだ。前の周回(7周目のクローディア)では、無期限のイベントを悉く先延ばしにするプレイスタイルをとった。そこで今回は、こなせるイベントは次々にクリアすることにした。ところが私は初歩的なミスをした。財宝の穴の情報を得る前に、財宝(500金と長弓)を入手してしまったのである。つまりプレイヤーノートに於いて、「草原の財宝」が未解決のままになるのだ。どうせ×ボタンで会話のスキップが出来るのだから、幾度と無く聞いた情報と雖も、とりあえずNPCに話し掛けるようにしておけばよかったと後悔している。シェラハのイベントに関しては、イベント映像をスキップするとダイヤモンドの件がプレイヤーノートに書き込まれないことがある。これは直後に気付いて、すぐさまやり直した。
 ところで、南エスタミルにて、ごろつきから11枚ほど宝の地図(無論、総てレベル1)を入手した。すると不思議なことに、そのうちの7枚が「エスタミル地下道」のものだった。この偏りは何だろうか。掘りに行き易い場所ゆえ、別段困ることは無いものの、何となく気になっただけだ。

 ところで、眠い。今これを読んでいる人よりも眠いし、クロロホルムを含ませたハンカチを顔に押し付けられた女性よりも眠い。ミンサガに肖るならば、進行度60%のジュエルビーストよりも眠い。



10/24(日)
 失敗した。「皇帝の奇病」直前に幾つかのイベントを一気に消化して周った。おかげでミニオン、ゾディアック共に余裕を持って戦えた。しかし、「草原の財宝」で財宝の情報を訊く前に財宝を取ってしまい、プレイヤーノートをチェックしていなかった。そう、予めジェルトンの村人から情報を得ないと、ノート上では未解決のままになってしまうのだ。ミニオン戦で、僅かでも威力の高い「イド・ブレイク」を撃ちたかっただけなのに。数年前に購入したゲームであるため、このような小さいポイントが頭の中から抜け落ちていた。抜け落ちることで気落ちに繋がるとは、まるで毛髪の如しである。イベントを多く解決しようと思っていたため、なかなかに無念だ。さらに今日は『笑点』の演芸部分を見逃した。
 まぁそれにしても、ミンサガは良く出来たゲームだ。狂人難易度の「青の剣」など(各種色つき)は手に入れようと思えないが、周回を重ねても武器やクラスを変えるだけで、同じ敵に相対しても違った戦闘を味わえる。ドラクエは勿論、何よりも好きだが、ロマサガシリーズのように自由度の高いゲームというのもまた凄く楽しい。そうそう、狂人ものについては、明確な入手法が確立していることが意欲を失わせる。相応の根気、努力は必要なのだろうが、先人の知恵をなぞるだけというのは自由度が無いように思える。入手法の記事など、読まなければよかった。と思いつつも、知らなければ永遠に手に入らないだろう。世の中、上手く行かないものだ。

2010/05/06 -Wiz#3

2010-05-06 | 日記

05/01
 なんとなく懐かしさを感じて、『Wizardry リルガミンサーガ』を始めた。#3→#2→#1の順でやれば、愛着あるキャラクターで進められると思ったので、今#3をプレイ中だ。しかし、#1と比べて序盤の敵が強い。そのため、新規キャラクターだけでは死にまくりリセット地獄に陥った。高ボーナス狙いのキャラメイクで強キャラだらけにするのは、没個性となるため好ましくない。だから敢えて、戦士、侍、盗賊、魔術師、僧侶、司教、という分かり易い構成にした。現在のところ、全員レベル3で揃っているが、盗賊のHPが10しかない。そして、彼は前衛に立たせてあるのにAC6と、結構死に易く辛いところだ。よって、また暫くはレベル上げに徹するつもりだ。そうでもしないと不安で仕方ない。PS版と言えど、ぬるゲーマーが気軽にクリアできるほど甘くないため、俺みたいな俄かは、慎重すぎるほど慎重なスタイルで丁度良いのだ。そう、過去に#1でワープアイテムを使用したら、壁に埋まって全滅した、あの悔しさを忘れはしまい。

05/02
 善のパーティで4階まで行った。宝目当てでモンスターを薙ぎ倒していたら、コモドドラゴンの大群に強襲され、ブレスで焼き尽くされて全滅した。全滅した時はリセットするので、大した被害は無い。だが、生き残っている限りはリセットしないため、2階のマミーからのドレイン攻撃が辛過ぎる。おかげで盗賊は常にレベル不足だ。ただでさえACが6しかないのに、HPまで下がると本当に脆くて困る。とりあえず、善ルートの探索に一区切り入れて、新しく悪のパーティを拵えた。中立メンバーが居れば楽だったようだが、そんな前情報は得ていなかったため、パーティは見事に分断している。現在、悪のパーティは平均レベル5、善は平均レベル9といったところだ。今までの冒険において脅威としてあるのは、ブレス攻撃(コモドドラゴン)、ドレイン攻撃(マミー)、20匹くらいからの集団リンチ(ストラングラーバイン)、あとネクロマンサー(だったかな?)も全体攻撃がキツイ。それと、魔法やアイテム名は英語表記の設定にしているため、博物館の日本語表記に違和感がある。

05/03
 悪のパーティは、牙の僧侶どもと戦ったところで一旦帰還させた。今度は再び善パーティに切り替えて、宝を集めつつ6階まで辿り着いた。しかし、ここの敵が強くて全滅とリセットを繰り返す。特にエルフ魔術師の魔法は、全員が30~40程度のダメージを受けてしまうため、1ターンと持ち堪えることが出来ない。また、いつも10人以上の集団で登場するサムライも、全体魔法を連発してくるため恐ろしい相手だ。相手より速く行動できたなら、逆に全体魔法で一掃できそうなものだが、さすがに後半のフロアということもあり、敵は素早い。現在、善パーティのレベルは、上級職が10、下級職が11といったところだ。漸く高位魔法が使用可能な域に達してきた。また、メンバ-のHPもそこそこ高いため、肉弾戦ではそうそう倒れることがない。唯一、司教だだけはHP35と低めなので、弱いブレスや魔法でさえ、連発されると不安だ。

05/06
 やっとクリアした。前衛は結局、レベルを下げられることが何度もあったため、全員レベル11だ。後衛は、ダンジョンから帰還したらレベル13(司教は12)になった。やっと最高位の魔法が扱える。しかし図鑑によると、出会っていない魔物が2体、発掘していないアイテムが5種あった。気になるので、攻略サイトで確認しておく。
 以下、リルガミンの遺産の簡易攻略チャートをネタバレ覚悟で書いてしまおうと思う。いずれ再び、このゲームをプレイした時のために。

ニュートラルキャラは全フロアに進入可能。ただし、最低でも各パーティに善か悪が1人ずつ必要。
【善悪共通】1Fは右上から2F(善)、3F(悪)へ。途中でモートモンスターが4~5程度ずつ出現。さらに中ボス・ハイコルセアと戦う。こいつが落とす宝箱には、2Fの宝箱と同程度のアイテムが入っている。

1F
 東16・北13~14 戦闘(ハイコルセア、ガリアンキャプテン)→1ランク上の宝

2F
 東4・北19 設問→答「くうき」
 東7・北11 合言葉→答「アブドルがおくってくれる」
 東3・北1 戦闘(フィーンド、ゴースト)
 東7・北1 拾う→大地の杖
 東11・北19 ボス戦闘(ポレ)→大気の護符

3F
 東18・北19 アブドルのタクシー(2500GP)→ダンジョン脱出
 東19・北0 アブドルのタクシー(2500GP)→ダンジョン脱出
 東17・北16 壁に埋まりゲームオーバー
 東7・北7 ブロードソード(だんびら)渡す→ゴールドメダリオン
 東10・北19 ゴールドメダリオン渡す→聖水

4F
 東10・北5 天井から脂っこい黒い液体→麻痺
 東7・北17 ボス戦(デルフ、デルフズミニオン)→悪の水晶
 東12・北17 戦闘(デルフズミニオン)
 東18・北11 設問→答「ひ」
 東12・北13 シュート→2Fに落ちる

5F
 東0・北9~ 牙の教会→各所で戦闘(牙の僧侶)
 東4・北8 ~ 東4・北7 支払い(25000GP)→炎の杖
 東5・北13 設問・答「せんしゃ」
 東6・北14 魔法封じ
 東6・北1 (?) アブドルのタクシー(5000GP)→ダンジョン脱出
 東0・北2 (?) アブドルのタクシー(5000GP)→ダンジョン脱出
 東6・北15(?) アブドルのタクシー(5000GP)→ダンジョン脱出
 東12・北10 ボス戦(ソウルトラッパー、クルセイダーロード、クルセイダー)→善の水晶

6F
 中立の水晶(悪のキャラが悪の水晶を使用、または、善のキャラが善の水晶を使用。)を所持
 →ル'ケブレスと戦闘しない
 →設問(私が転がれば...)→答「しゃりん」
 →彫像を調べる→ムフーズの宝珠(中立の水晶と交換)
 →MAP右上、設問→答「し」
 →彫像を調べる→宝珠(中立の水晶と交換)


2010/04/12...ゴア・チャンプルー

2010-04-12 | 日記
 「シャイニングフォース2~古えの封印~」にて、久し振りにレベル上げを再開した。その昔、レベルが上昇することで、黄色いHPゲージが緑色に上塗りされていくことが嬉しかった。HPが100ポイントを超えるボスキャラ、たとえばレッドバロンは、ゲージが緑半分と黄色半分になっている。つまり、HPは150ポイントである。さらに、HPが200を超過しているボスキャラになると、緑色から水色に上塗りされていくなど、ゲージの色は何色かのバリエーションを持つ。主人公キャラのゲージ色が黄色ではないとすれば、各個ボスクラスの能力があると思えて楽しかった。どの能力値でも、100ポイントからは表示が??になってしまうため、正確な数値は分からなくなる。オート戦闘に勤しんでいると、いつの間にか移動距離さえ??表記になるが、これは実質無意味だ。レベル上昇の機会は、少しでも多いほうが強くなるので、転職前はレベル40まで上昇させてからクラスチェンジさせる。すると転職後、大体レベル30程度にもなればHPは100を超える。だが、厳しいのはここからだ。俺は"好きなゲームにチートコードは使わない"協会会長の精神を受け継ぐ好漢である。それゆえ、転職後レベル40になる頃には、ラストステージの敵はおろか、ラスボスでさえ1ポイントの経験値しかくれない。このゲームは経験値を100ポイント集めれば1レベルアップという方式なので、これ以上レベルを上げるには単純に100回攻撃する、または100匹倒すことを要求される。ただし、サポートという補助魔法が使えるキャラは、これを唱えれば何故か固定経験値を獲得できるため、レベル上げは容易だ。

 とにかく、こういった自己満足なレベル上げは、妖精の森スペシャルステージで行うのが効率的だ。理由は、特定の敵を倒さない限り、ザコが無限に湧いてくれるからである。とにかく私は、このステージで頑張って、主人公ほか数名をレベル99にした。妖精の森の経過時間カウントは999分でカンストなのだと知った。また、育てたキャラのHPやMPが、緑一色になっているのを見て、上限が199若しくは200なのだと知った。正確な情報が知りたかったので、チートコードにて200(C8)が最大だと確認した。水色とかになると思って頑張っていたのになぁ。ただでさえ、キャラの能力に個性の無いシャイニングフォース2でレベルを上げすぎると、みんな上限値に引っ掛かるため、より一層、無個性集団になってしまう。こうなると、なんだか虚しい。もしかしたら、レベル20で転職させて、クラスチェンジ済みのキャラと一緒に競わせるのが正しい遊び方なのかもしれない。

 あと、年齢のせいか、頬に出来た小さな傷跡がなかなか消えない。肌荒れも悲しい。風呂に入るのを躊躇っていると、シャツが臭くなってくるし、足汗が物凄くて布団が異臭まみれで悲しい。相対的に見て、俺の人生は悲しい。

2010/04/08 Crushing Scrotum

2010-04-08 | 日記
 桜咲き誇り、そして散りゆく季節が訪れた。桜と云えば、日本の春を代表する風物詩だ。そんな日本の特色を、今回は徐に語ってみよう。

 日本人は誰しも、日本語を公用語として用いている。そしてこの日本語というものは、非常に奥深い言語であろうと私は思う。伸縮性に富むことで、他言語の一部を吸収し、日本語へと変形させてしまう。昨今では多種多様にわたり用いられる、所謂"外来語"がこの類だ。ところが、日本語は増え続けているのかと言えば、そうではない。時代の移ろいと共に、日夜変化しているのである。この変化は、他言語に比べ非常に短い期間で起こるため、私たちの多くは、別の時代の日本語を扱うことが難しい。特に、時代を遡ろうとするほど、言葉遣いから果ては文章に至るまで、単語の原形すら見出せなくなる。現代国語が得意だからといって、古典も得意な理由にはなりえないのである。
 このように、私たちの住まう国に於ける母国語は、変化して然るべき言語である。一過性の流行語が飛び交い、その後、流行にそぐわない言葉が淘汰されてゆく。あまりの言葉の量に押し流され、使い難いものは誤用を繰り返すことも多々ある。しかし、こうして繰り返される誤った言葉遣いは、それすら正式な用法として許容される可能性を孕む。日本語とは実に寛容で、それゆえに、学ぼうとする者には際限無い勉学を要求する。
 さて、こうした変遷を知ってか知らずか、流行り言葉などを拒絶する風潮も少なからず存在する。私としては、その流行の世代を生きている人までもが流行語を拒絶するのは、頭が固すぎることだと思う。自然のままに、人々が用いることで淘汰され、変化してゆくのだ。これを何故、進化だと受け止めることができないのだろうか。抗体を持ち耐性を得るためには、体に菌を植え付けるものだ。はしかや水疱瘡だとて、発症による苦しみを越えることで、抗体が身に付くのである。この発症期間は、日本語に於いて流行り言葉が蔓延する期間に置き換えられると思う。病気を例に挙げたのは語弊があったかもしれないが、私自身は流行り言葉、つまりおよそ若者言葉が一概に悪弊と思えない。確かに耳障りと感じる瞬間こそあるが、自分の世代に合致しないというだけかもしれない。

 流行り言葉を"日本語の乱れ"であるとして、強く批判する方々を批判したかったのだ。だが、脳細胞の著しい死滅により、巧く語れないことが悔まれる。そしてこれは、飽くまでも主観であり、世間一般の意見ではない。別の意見を持っている人は、それを説明して欲しい。自分と違う考え方を持つ意見を知るのは、とても楽しいものだ。とはいえ、私は活字が読めない人間なので、書かれたところで読まないだろう。基本的にお喋りな人間なので、話されたところで聞かないだろう。以上。

2010.1.02?

2010-01-02 | 日記
 大晦日から新年にかけて、(自分が)他人と会話のキャッチボールをすることが、致命的に下手だと痛感した。人の性質は様々だが、大別すると"ボケ"か"ツッコミ"に分類できるだろう。どちらのカテゴリーにも、ボケとツッコミをどちらも扱える"小器用"といったタイプが存在する。しかし、先に述べた通り、人は本来"ボケ"か"ツッコミ"に分類できるため、小器用タイプも本質的にはどちらかのタイプに傾倒しているはずだ。
 大別した"ボケ"と"ツッコミ"の性質について、"ボケ"の亜種として"天然ボケ"が存在する。天然ボケの人は、「ボケようとした訳ではないのに、発言にツッコミ所が含まれる」という性質を持つ。この性質が頻繁に露出したならば、その人は"ボケ"とも"ツッコミ"とも違う、"天然ボケ"である。話題を簡潔にしたいため、今回は"天然ボケ"について言及しないこととする。
 さて、自分の本質が"ボケ"なのか"ツッコミ"なのか、簡単に知る方法を紹介しよう。まず、携帯電話(電話帳)に登録されている全ての友人を、"ボケ"か"ツッコミ"に分類してみる。あくまで、登録されている友人だけを抜き出して分類することが大事だ。仕事場だけでの付き合いや、親族に関しては、分類する必要が無い。分類は、特に親しい人たちについては、なるべく正確に分析するといい。自分が"ボケ"か"ツッコミ"のどちらかに大きく傾倒しているほど、どちらか一方にだけ友人が振り分けられる。たとえば、分類した友人が"ボケ"ばかりだったなら、貴方はきっと優秀な"ツッコミ"である可能性が高い。それとは別に、"ボケ"と"ツッコミ"が、どちらも同数程度に振り分けられた場合、貴方はおそらく"小器用"なタイプである。この方法では、小器用タイプの厳密な分類は出来ない。
 私自身、紹介した方法(仮に電話帳検索法と名付けよう)で友人を分類したところ、見事に凡そ9割がツッコミタイプもしくは小器用タイプという結果になった。とはいえ、電話帳検索法を実践したのは未だ自分だけである。ゆえに、この方法がどれほど信頼性があるかは未知数だ。

 長々と"ボケ"だの"ツッコミ"だのと述べてきたが、関東の人間には致命的な特色がある。その特色について、思いつくところを紹介していこう。
 まず1つめの特色は、「ボケない」ことである。とりわけお笑い好きの人間や、一部の人を除いて、意外と関東人(特に女性)はボケないのだ。学生時代、クラスの人気者だったり、ムードメーカーになるのは、面白いことを言う、または実行して、そういった人気者などの位置付けがされる。しかし、この面白いことというのは、「TVや漫画などのセリフまたはギャグなど」のことであって、本人の"ボケ"や"ツッコミ"とは無関係な場合が多い。つまり、関東人は意外と、タイプを判断することが難しい。一例として、私の自宅周辺では、若者たちが屯して話し込んでいることがあり、夏場などは窓を開けているため会話の内容まで正確に聞こえる。こうした悪意の無い盗み聞きで解ったことなのだが、彼らはオチの無い話で笑うし、ただ笑うだけでツッコミも無い。聞いてる私としては、何もかもが不思議でならなかったのだが、唯一、意外と"ボケ"や"ツッコミ"が関東圏では文化として浸透していないのだということは理解できた。
 2つめの特色はそう、「ツッコまない」ことである。人がボケないため、そういう人間(特に女性)にツッコミなどした場合、たんに直情型のキレやすい奴だと勘違いされることすらある。しかし、これに関しては一応、打開策もある。どうしてもツッコミたい時、あえて関西弁を用いることにより、「笑いを意識」した行動であることを伝えることが可能だ。関東人の多くは、"ボケ"や"ツッコミ"を関西とイコールで認識している。特にお笑いなどに疎い人の場合、関西人が関西弁で日常会話をしているだけで、「漫才をしている」と認識してしまう。そういう人にとっては、コントや漫談の区別も無いため、関西弁で面白いことをすれば(特に面白くなくても)全て漫才になりかねない。
 3つめの特色は、「ワンパターン」なことである。先に、ボケないこととツッコまないことを特色としてあげたが、意図せずにボケる"天然ボケ"は何処にでも存在する。そのような人を相手にした時や、誰かがオチのある話をした時、普通のボケにはツッコまない関東人でさえ、「なんでやねん」とツッコミをすることがある。だが、無駄に関西弁を用いるだけでなく、語彙とともにパターンも無い。したがって、「なんでやねん」、「なんだよそれ」、「そんなわけないだろ」、などがひたすら飛び交う。「お前って、〇〇だよな」というフリがあっても、「そうなんだよ俺、〇〇だから〇〇が無いと夜も眠れない・・・ってそんなわけないだろ、豚骨ラーメン屋の店主じゃないんだから。」というノリや例えを交えたツッコミは、まず間違いなく期待できない。そもそもフリという概念が存在しないため、そこでボケたとしても相手を苛々させてしまう。
 こうした理由に因り、ボケる人間は、(病的な意味で)おかしい人、(話が)脱線する人、天然の人、などと誤解されやすい。逆にツッコミの人間は、短気な人、口うるさい人、などと誤解を受けやすい。

 あと、関西の人がたまに勘違いしている事があるので、一応訂正しておく。よく「友達と東京行って、喋ってるだけで周りの連中を笑わしてやった」というような話を耳にする。確かに関西人は、自然と笑いの礎が身に付いている人が多いため、面白さには定評がある。しかし、先に述べたように、多くの関東人は関西弁の会話と漫才をイコールで認識しているため、関西弁自体が面白いという場合が多々ある。実際、日頃のボケ、ツッコミを織り交ぜた本域の"しゃべくり"を、多くの関東人は正確に聞き取ることが出来ない。よって、「何言ってるのかよくわからなかったけど、面白かった」という事態になり易いのである。実は私自身も、オール阪神巨人、やすきよ、など往年のベテラン漫才師が、関西の劇場で漫才している映像を見ていても、聞き取りにかなりの集中力を要する。関西人がどう思っているのかは解らないが、関東人からすると、知らない関西弁も意外に多いものだ。たとえば、「ぎる」という言葉は、私がごく最近知った関西弁だ(ある関西人がつかっていたので、ググって調べた)。

 ところで、あけましておめでとうございます人類。

2009.12.05(SAT) - 今年ぽろぽろPart1

2009-12-05 | 日記
 2009年12月、今年も残すところもう僅か。今回は、2009年という年を、一から振り返っていこうと思う。そのために、Wikipediaで主な出来事を調べてきた。序でに、自身の生活とも比較してゆきたい。

1月の出来事
 2008年度、小学5年生と中学2年生を対象に、全国体力テストなるものを実施したらしい。その結果を、今年1月21日に公表したみたい。すると、1週間に殆ど運動しない生徒が、女子は約3割、男子は約1割いた。さらに、半数以上の生徒の体力水準が、ピーク時1985年度の平均を下回ったようだ。

 やっぱり体力は下回ってるだろうね。そう思ってたよ。全国の高校生の平均身長・平均体重が、ここ20年ほどで大きく変化したデータを見たよ。平均身長が伸びているのに対して、平均体重が減っていたんだ。確かに、最近の若者が望む、所謂スタイルの良さは得られているようだ。しかし、普通は背が伸びるとそれに伴い体重が増加するものなのに、データの上で比例しないということは、華奢な人が増えているということだね。実際、街を歩くと目に入る若者の姿は、大半が痩せていてスマートだよ。デブも居るけど、その中間、一般的に中肉と言われていた体型の子がいないよね。昔はもっと多かった気がする。そういう意味で現代は二極化が進行していると思う。本来は、数値上の身長から体重を引いて、丁度100残るくらいが標準と言われていた気がする。でも、昨今では110くらい残らないとデブ認定されそうな勢いだ。あと、眼鏡を掛けている子供が圧倒的に増えたよね。これは絶対にTVやPCの影響だと思うよ。何故なら、昔と同じように公園に子供が集まっていることがあるけど、任天堂DSでポケモンとかプレイしているんだよ。こういう光景を目の当たりにすると、強烈な驚きが湧き上がる。実際、俺らの世代でも初期型のゲームボーイがあったよ。けど、友達同士で外出する時に、ゲームボーイなんて持っていた記憶が無いし、誰かがやっていた記憶も無い。あくまで、家族で外出する時、大人だけの用事が終わるのを待つ時くらいだな。外でゲームボーイやったのは。その時は、ロックマンワールドの1か2で、サクガーンだとかいうキャラと戦っていた。まぁ、そういう、容姿やデジタル機器の普及から、体力は落ちているだろうと思っていたという話さ。けど、本当に目の悪そうな子供が多いね。俺は義務教育課程の間は、両目とも視力1.5くらいあったが、それは決して自慢になるレベルじゃなかったよ。2.0ある奴も居たからね。だけど、これを現代病という言葉で片付けることは出来ないよね。だって今と昔では、外の安全性が大きく違うから。たとえば、紫外線の量が著しく増加したはず。それと、児童を狙う犯罪の多発ね。これらの危険な要因が幾重にも重なって、むやみに外で遊ばせておくことが出来なくなっているんだよ。だからこの体力低下は時代の流れだね。昔の子に負けるなと言うのなら、まずは空気と人の心を浄化しないとね。あと、1つ断っておくけど、俺は関東の、東京近郊生まれ東京近郊育ち、悪そうな奴は大体避けて歩く、そんな奴だから、農村とか地方都市のことは分からないよ。

1月の俺
 労働していたなぁ、週に6日も。「週の休みが1日あるか2日あるか、それは心身の疲労に大きく関係する。もう週に1日しか休めない仕事はするまい。」そう誓ったよ。あと、この頃は一時的に大宮に住んでいたなぁ。しかも駅から徒歩5分以内だから、物凄く便利だった。物臭な俺には最高の環境だったよ。でも、いつも疲れていて、目の下の隈が消えなかった。それが大きなコンプレックスになっていたので、あんまり人に会いたくなかった。あと、仕事のためにヒゲを処理していたうえ、基本的にYシャツを着ていたので、同級生から中高生呼ばわりされて悲しかった。仕事の日、タトゥーが透けないよう、下にTシャツを着ていた。けど、可笑しな話なんだよね。だって、Yシャツって元々、下着だもの。


2月の出来事
 インフルエンザの治療薬、タミフルが効きにくいウイルスが流行したため、ある製薬会社がフランスから日本へ、インフルエンザ治療薬を緊急輸入すると発表したらしい。

 怪我や病気というのは怖いよね。病気に罹ったとき、それが治らないと知ったら、恐怖はより大きなものになるよね。人によっては、何かの特効薬が完成すると、また新しい病気が出てきて、結局のところイタチごっこだと言う。でも、それは至極当然のことだ。有史以来、生物の進化の過程を考えると、非常に分かり易い図式だと思う。水中の生物が、陸上生活に適応するために、進化する。ウイルスも、天敵である薬の成分に負けないよう進化するんだよね。もう少し細かく言うと、突然変異的に、逆境に耐えた個体が子孫を残す。そうするとその子孫は、親たちが苦しめられた逆境への耐性を、生まれながらにして備えている。そしてそこから、逆境に耐えられる個体が次々と生まれていくわけで、新たな逆境が出現したとしても、絶滅しない限りはいつかその逆境に耐性を持つ。そういうことを繰り返して、強い生命体が誕生していくし、同じように強力なウイルスが生まれるのではなかろうか。でも、特効薬の開発というのも、これは人間の手によって解明され作り出されたものなのだから、人類が生き永らえる為の進化と言えるだろう。薬が完成することで、耐性を持ったと言えると思う。つまりはこうした進化合戦だね。どちらかが先に絶滅するまで終わらないし、ならば同じ人類の一人として、治療薬の完成を願いたいよ。不治の病だったC型肝炎すら、治療が可能になってきた現在、治らない病気(治せない病気)はガンくらいなものだろうと思った人は、甘いにも程がある。こういう不治の病だとか、そう言われているものは、音楽で言うところのメジャーレーベルだけなんだよね。インディーズに目を向けると、マイノリティであるが故に治すための薬が開発されていない、もしくは開発のための資金が少額であるために、なかなか特効薬が完成しない、そんな病気が沢山あるんだよね。となれば、そう、アマチュアの存在もあるわけだよね。原因不明の病気で、未だ名前さえも付けられていないような、音楽で言うとレーベル契約まで到達していないような、そんな病気もあるよね。けど、そういった希少な病は、ただ特効薬を待ち侘びても無駄なんだよね。国が薬の開発に資金を出すのは、ある一定以上の流行を確認した後であって、その症状を発見した後じゃないんだよね。そういうことを全て含んだ上で、病気は怖いなぁ、と思う。むしろそれしか言えないんだよね、恐怖が目に見えないし、誰も伝えてはくれないでしょう。いやしかし、薬は進化するものの、人自身は強くならないって、人類の滅亡を仄めかされているようで恐ろしいね。

2月の俺
 大宮での勤務も無事に終わって、中旬頃に実家へ引っ越したなぁ。車とか持っていないから、荷物を少しずつ持って帰ろうと、1月の時点ではそう画策していた気がする。けれど、俺は究極に面倒くさがりだから、結局ほとんど持って帰らなくて、最終日に鞄3つくらい荷物パンパンに詰めて持ち帰った。ゲーム機やノートPCなど、電気類がとても多くて凄く重かった。あの日は正直、しんどかったなぁ。しかも風呂場まで目がいかなくて、シャンプーを忘れてきたよ。で、この頃って丁度、世間的にも仕事が枯渇していた時期なんだよね。だから割の良い仕事が全然無くて、面倒だからゆっくりしてた。殆ど浪費しなかったから、貯金もあったし。あと、やっぱり実家の俺の部屋は、エアコン無いから不便だなって思った。



なんだかもう面倒臭くなったので、ここで終わるよ。続きは、気が向いたら書くけど、今年中に気が向かなかったらもう書かないよ。

プラエバ

2009-12-02 | 日記
プラエバ プラエバ 僕はプラエバ
暖炉の傍で 息してる..

プラエバ プラエバ 君もプラエバ
膝を抱えて うずくまる..

プラエバ ひと夏の想い出
プラエバ 蜃気楼の向こう

この景色も この雪も
きっと 其処には あるのでしょうね

このストーブは 電気だし
きっと 値段が 張るのでしょうね

プラエバ プラエバ
みんな みんな プラエバを見ている


 歌詞です。酔狂なキチガイじみた方は勝手に使ってください。私は使いません。何故かって?それは、あまりにも糞尿カスリゲスな歌詞だからです。そもそも、プラエバって何?という心境なので、使いたくありません。なので、あげます。どうぞ!

2009.11.25 - FecalPainter

2009-11-25 | 日記

2009年11月22日のサザエさんは、
ノリスケは工事中/カツオひみつの花園/マスオ、絵画の腕前
以上の3本で構成されていた。

毎週欠かさずに視聴する唯一のテレビアニメなので、面白さはいつもながら申し分無い。ただ、題名が下ネタっぽいと感じただけである。まず「ノリスケは工事中」は、アナル拡張もしくは性転換中の意に受け取ることが可能だ。次に「カツオひみつの花園」は、性交の初体験を髣髴とさせる。最後の「マスオ、絵画の腕前」だが、"絵画"の部分が"春画"だったらどうだろうか。由々しき事態である、俺の頭が。我ながら下衆な発想を展開したものだ。

さて、「地上最強のカラテPART2」というドキュメンタリー映画を借りた。今までに観た、どんな映像作品よりもつまらなかった。素人の自主制作よりも遥かに楽しめなかった。何故なら、俺はスポーツ/格闘技ともに興味が無い。この映画は、2本目のシリーズということなので、これを楽しめる人が少なからずいるのだと思うと、不思議な気分だ。現代では、本当にマニアックな作品が多い。痒い所に、容易く手が届く世の中だ。便利だなぁ~。

ところで、駄文中のリンクはあまり意味が無いよ。


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2009-11-18 | 日記
人が活動するためには、食事が必要だ。文字通り、動作のためのエネルギー補給というだけではない。これから活動しようと思う、精神的なエナジーにも直結している。であるからして、食事が不十分で、且つ食の目処が立たない状況に置かれると、人はエネルギー消費を最小限に抑えようとする。つまり、無意識のうちに動きを抑制し、そのうえ、動こうとする意志までも抑え付けてしまう。しかしながら、人の動作を鈍らせる要因は、他にも存在する。それは、凍てつく冬の寒さだ。冷気が人の体を這い、寒さを感じるまでになると、人は体温の上昇に努めるだろうか。否、そういった場合に人は、現在保有している体温を、奪われまいとするのである。体温を上昇させようとするのは、あくまで人の意思であり、肉体の持つ潜在的機能とは言い難い。即ち、寒さによって、人は動作を鈍らせるのだ。これら以外でも、脳の活動状況や精神状態、危険回避の如何によって、無意識的に動きを抑制してしまう要因が存在する。だが、現在、冬季の日本国内に於いての、圧倒的マジョリティを占めるのは、初めに挙げた食事と寒さによる活動減退だろう。この二大要素の併発のため、大多数の人が活動を放棄してしまっている。それが持続することとなれば、人は他者との接触さえも煩わしく感じるようになり、コミュニケーションを遮断してしまうという危険性が孕む。となれば、結果として人は、慢性的な社交不足に陥ることとなり、遠からず絶滅の一途を辿る事と成り得る。

 仰々しく捲し立ててみたが、要約すると次の一文に収まる。「腹が減ったし寒いから、動きたくない」

筆者と同じように、関東在住の方ならば、既に気付き始めているのではないだろうか。近頃、寒い日が多いのだ。この寒い日というのは、体感的な気温の低下に集約される言葉で、決して気の利いた洒落が言えないという意味ではない。それというのも、予想外に気温の上がらない夏、暖かく心地良い秋が過ぎ去り、もはや師走まで半月という、まさしく冬の到来を許してしまったためである。冬ほど寒い季節は、他に存在し得ない。何故なら、暖かい気候から寒い気候へ変化することで成り立つ季節、それが冬だからである。冬と同じく、決して気温が高いとは言えない春でさえ、寒さが和らぐ季節ということで、寒さに関しては冬に軍配が揚がる。それほど、冬は寒さに特化した絶対的季節と言えるだろう。このように、ただでさえ難儀である冬は、更なる辛苦を人に味わわせる。農作物が育たないことによる、家庭的食糧不足だ。敢えて括りを家庭内だけにおさめたのは、私だけの食が枯渇しているという可能性を考えてのことだ。

 空々しく並べ立ててみたが、要約すると次の一文に収まる。「ただでさえ寒いのに、食う物がないから動きたくない」

バスク語は世界一難解な言語であるとして有名だ。たしか、敵が攻めてくることを考えて、敢えて難しい言語を確立させたのだとか。つまり、たとえ盗聴などにより情報が漏洩しても、それが複雑な言葉であれば翻訳に時間がかかる。また、号令や命令の伝達が、敵兵にまで聞こえたとしても、理解できるのが味方だけなので安心だ。そういった理由から、非常に難解な言語に成ったのだと思うが、調べたのが何年も前なので断定できかねる。興味がある人は此方でどうぞ。
http://www.google.co.jp/

2009/11/17(火)-お日様サンサン

2009-11-17 | 日記
 つい先日、何を思ったのか急にMySpaceを始めた。MySpaceとは音楽特化型のコミュニティサイト(SNSの類)だと思う。友人に楽曲を公開しようかという動機で始めたので、当初はどうしたものか何も考えていなかった。しかし、プロフを作成してみたところ、まるっきり何も無い、荒野の如きページでは余りにも寂しい。そのため、自分の好きなバンドにフレンドリクエストを送りまくってみた。けれど、そうするのが正しいのかはよく分からないので、どうにも日本のバンドに送る度胸が無い。実際は一番初めに送ってみたのだが、阿呆なやり方をしているかもしれないため、以後は誰にも送っていない。言葉の通じない海外の人相手ならば、「旅の恥はかき捨て」の精神で振舞えるのだが、同じ日本人だと言葉が通じるので、社交性皆無な俺はどうしても臆してしまう。
 そういうわけで、ページの雰囲気だけはゴアグラインドな世界観に落ち着いた。アップロード可能な楽曲は10曲までのため、10曲載せてみた。題名は特に付けていないので、TAB譜に打ち込んでいる時と同じ名称だ。なんだかメロディアスなものを作りたいと思い立って作成したのが、songという名で、ゴアを作ろうとして作成したのが、goreという名の曲だ。番号は純粋に作った順の連番になっている。だが、それはあくまでPowerTab上での話で、実際にはSSWで作成した曲が山のようにあり、そのうち100曲くらいは、3枚のMDにカセット式MTRを用いて録音してある。これらは、ほとんど全て曲名が付けてある。ちなみに、過去に作ったものの録音が済んでいない曲を完成させない理由は、新しいPCでSSWが開けなくなってしまったためである。
 また、歌詞無しを公言しているのは、歌詞を付けるのが面倒臭いうえに、付けたところでどうせ発音できないからである。そして、ボーカルエフェクト無しを公言しているのは、現在使っているフリーMTRのエフェクト機能の使い方が分からないうえに、特に調べようとも思わないからである。しかし、ゴアというのは、そのくらいのポンコツ感が魅力的だと思う。やけにメヒコ産に思い入れがあるのもそのためだろう。
 不特定多数の人に聴いてもらうことを想定していなかったので、最初に上げた曲には、SEも加えていなければ曲頭のドラムカウントも消していなかった。更に、特にsongのほうで演奏ミスが目立つ。けど仕方ない。なぜなら俺は練習が嫌いだ。練習すると手にアレルギーが出て水疱が発生し、痒みと痛みを伴い皮が剥けるので、俺は練習が嫌いだ。
 ところで、友人と始めたロックバンドのほうも、MySpaceで公開した。そちらも結構酷い。友人の家で録音したのだが、まず、録音の際に普段使用しているマルチエフェクターを持っていなかった。そのため、俺のギターがベースっぽい音になってしまっている。そして、後で入れなおしたボーカルは、エコーがかかっている。というのも、友人のMTR側でエコー設定がされていたのだが、その切り方が解らず、仕方ないのでそのまま録音した。まぁ、コミックバンドだし、曲名の後ろに(Demo)と付けておけば全て許されるだろうと考えた。実際、デモバージョンなのは本当のことだ。
 どちらの楽曲にしても、本気でやっている人たちに反感を買わないかが心配である。杞憂であれと、ただ願うのみ。いや、むしろ言わせて貰うなら、こっちだって大マジなのだと言いたい。本当の意味で、自分の作った曲がクソだと思いながら発表する奴はいない。クソにはクソの美学があり、世間的にはクソでも自分の耳には心地良い。それが特異ジャンルの宿命だろうよ。
 とにかく、サイドメニューのブックマークに追加しておいた。それにしても今日は、雨が降り続いていて気持ちが沈む。