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私の愛機は五藤光学8cmMARK-X

我々の住む宇宙ってなんだろう -6-

✔数学する身体を読んで

 2月11日、祝日に立ち寄った書店の入口に近い場所にひら積みされていた一冊の本に目が行った。
森田真生氏の”数学する身体”だった。
ギリシア時代の生活のために道具として使い始めた数にはじまり、古代ローマ数字からインド経由のアラビア数字に代わったことによる計算革命。紀元前5世紀にギリシャで発生した論証するための数学。四則演算や√などの記号や代数の言語の整備による数学的表現能力の飛躍的拡大と生活から離れた学問としての数学の領地の拡大。そして現代につながる人口知能の芽など、今まで気にした事もなかった数字とのかかわり方が非常に興味深く、買った当日に読み終えてしまった。

本書ではドイツのエニグマ暗号解読のチューリング(私も何度も映画”イミテーションゲーム”で見ていた)と、筆者が深く傾倒した孤高の数学者岡潔に関しては多くのページが割かれていた。
その中で印象的なくだりを抜粋してみたい。
 1,”岡潔によれば、数学の中心にあるのは「情緒」だという。計算や論理は数学の本体ではなくて、肝心なことは、五感で触れることのできない数字的対象に、関心を集め続けてやめないことだという。自他の別も、時空の枠すらをも超えて、大きな心で数学に没頭しているうちに、「内外二重の窓がともに開け放たれることになって、【冷涼の外気】が室内にはいる」のだと、彼は独特の表現で、数学の喜びを描写する。”
 自他の別も、時空の枠すらをも超えて:とは無意識下のことであり、内外二重の窓:とは意識と無意識が接した臨界点。冷涼の外気:彼は数学に没頭しながら境地にいたのではなかろうか。

2,”理解は自他対立的にわかるのではあるが、体取は自分がそのものとなることによって、そのものがわかるのである。(中略)ひとの上にはこういうことをする智力が働いている。”
 ひとの上の智力(Great mother)の存在を端的に言い表す表現ではないだろうか。

 チューリングと岡の”心”に関するアプローチ方法は全く違い、チューリングはその世界の存在を予見(オラクルと表現している)しながらも、はなから全く手を付けることなく計算能力にフォーカスした開発を手掛けた。

 森田氏は本著作で最年少の小林秀雄賞を受賞したが、その小林秀雄氏をして、岡潔氏を世の仕組みが最も理解できている人物の一人と評価している。
 様々な岡氏の著書の中には様々な示唆に富んだ言葉がちりばめられているが、一度どこかで説明された(であろう)言葉の定義をそのまま別の書で再度説明することなく言い放つため、その言葉の定義そのものに立ち帰って読み砕く必要があり、かなり難解で時間をかけた読書時間になる。
 時にはかなり過激な意見もあり、表現が非常に断定的なこともあり、私には”本当かな?”と思えるようなところも正直ある。”自我に対して人権を与えている”、として日本国憲法に噛みついたり、芸術作品に関してはその芸術性に関し全てがわかっている創作者本人であるが如く語られている。
時には著作物の中でも矛盾があったりもするが、ただ集合知は創造の源泉であること、はぶれない。

数学だけではなく宗教、とくに正法眼蔵を残した道元を心酔するが、その宗教が理想の世界かといえば、そうではないらしい。
 理性と宗教に関して、”人の悲しみが理解できる”のが理性。”人が悲しんでいると自分も悲しい”、が宗教。彼は宗教は自他対立のない世界ゆえ安息は得られるが、その世界には向上が得られないため、その世界に生き続けることが出来ないと言っている。

我々は宇宙の果てを”物質世界が存在する事を前提”に発想しているが、岡氏は我々の心が有って初めて宇宙が存在するのだという。もし精神世界に物質世界が包含されているとしたら、宇宙の果てとは意識下では到底解明できるものではない。我々の知識はこれらを解き明かすための手段の開発途上初期といったところだ。









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