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ローズガンズデイズ Last Season 感想・竜騎士トラップのつくりかた、その他
筆者-Townmemory 初稿-2014年1月20日
☆
ローズガンズデイズのseason4(最終巻)を読みました。以下、思ったことを書き付けます。
お話の結末などについて全部ぺらぺら明かしますから、まだ本編をお読みでない方はお気を付け下さい。
これまでの感想記事は、こちら。
ローズガンズデイズ体験版/勝手な感想/勝手な予想
ローズガンズデイズ season1 感想その1 マダム・ローズと日本人たち
ローズガンズデイズ season2 感想・チャイナの日本人
ローズガンズデイズ season3 感想「理想の日本人」とヤクザたち
●お話の閉じ方
全体的には、特に大きなどんでん返しはなく、順当にお話が終わったという感触です。開いた扇子を、閉じました、といった感じで、スマートに着地しています。大仕掛けはない。トリプルアクセルを飛ばない浅田真央ちゃんの演目みたい。
こういう着地になるのは無理もないのであって、前にも何度か書いていますが、竜騎士07さんのキャリアは「渾身の大仕掛けを、ユーザーが理解しない(あるいは、できない)」ことのくりかえしですから、「どっちみち評価につながらないなら、ぶっぱなさないほうが良い」という判断になってるものと個人的に想像します。他の作品と比べて、だいぶん大人しいですよね。
●ガブリエルのトラップ作法
今回、一番おもしろかった部分は、ガブリエルがリチャードをほいほい誘導していくところです。
米軍の高級将校ガブリエルは、マフィアによって妹を殺された過去を持っており、「マフィアというもの」そのものを激しく憎んでいました。
GHQに派遣された彼は、
「なるべくむごたらしくみじめな方法でマフィアを壊滅させよう」
と考え、それを実行に移します。
具体的には、日本人マフィアのプリマヴェーラと、中国人マフィアの金龍会のあいだに全面戦争を発生させ、双方を壊滅させようともくろみます。
そのきっかけとして、暗殺者を放って、プリマヴェーラの要人リチャードの妹ステラを殺します。
同時に、金龍会の李梅九(だめだ、どうしても「うめきゅうさん」としか読めない)の妹、梅雪を襲い、これも殺そうとします(しかしこれは失敗しました)。
妹を殺されたガブリエルは、あいつらの妹も殺してやれ、と思ったのですね。
誰だって、肉親を殺されたら激情します。そこで、「ステラを殺したのは金龍会だ」「梅雪を殺したのはプリマヴェーラだ」という方向に誘導し、全面戦争を引き起こさせ、それを高みで見物しようと目論んだわけです。
が、梅雪の殺害に失敗したこと、そして梅九さんが冷静だったことにより、金龍会はうまく踊ってくれませんでした。やむなくガブリエルは、うまくひっかかってくれたプリマヴェーラのリチャードだけに目標を定めます。
まずガブリエルは、悲嘆にくれているリチャードに、「実は僕も妹を殺された過去があるんだ」と打ち明け、迫真の演技で、同情しまくってみせます。
「同じ境遇だから気持ちがわかる。同志みたいなものだ」か何か言って、ちょいと泣いてみせたりするわけです。
リチャードは賢人ですから、ふだんだったらそんな三文芝居には乗らないわけですが、実の妹を失って、気持ちが弱り切っているもんですから、「ああ、なんていい人だ」かなんか思ってうっかりハートをまるごと明け渡してしまいます。
つまり「この人は味方だ、善人だ!」と思いこんでしまうのでした。
そこにもって、「この事件は金龍会のしわざだよ」というのを、段階的に吹きこんでいきます。段階的なところが、いやらしい。
最初に「どうも金龍会のせいらしいよ」と吹きこんだ段階では、リチャードもまだ踏ん切りが付かない部分がありました。何しろ、金龍会は大組織ですから、そこと戦争になるというのは大ごとです。
リチャード自身も、「金龍会がいちばんアヤシイ」と思ってはいるのですが、彼にはまだまだ冷静な部分が残っていて、「様子を見なければ」というふうに身をこなしている。
ガブリエルはそこに、もう一撃喰らわすわけです。
目に入れても痛くない甥っ子の祐司を、毒で暗殺する。
しかも、中国マフィアにしか手に入れることのできない特殊な毒で殺す。
毒で苦しみ抜いて命が消えるさまを、リチャード自身が目撃してしまうようなタイミングで殺す。
更にだめ押しで、「李梅九がステラの暗殺を命じた」という書類を偽造して、「GHQの鑑定の結果、この書類は本物だと判明した」というふうに、真実性を「保証」する。
段階をふむごとに、リチャードの心の中から、「冷静に判断しなければ」という部分がしりぞいていく。じわじわと「金龍会め、金龍会め」という気分が増殖していく。
もう、確実だ。もう、許せん。
リチャードはついに、金龍会との全面戦争を決意します。そのために、穏健派のマダム・ローズを地方に監禁するという方策までとります。
これは、もしわたしが実際にやられたら、この誘導にはたぶん抵抗できないなと思いながら読んでおりました。
●感情のぶつけどころが欲しい
ポイントとしては、本文にも書いてあることですが、リチャードは「この襲撃事件の真相を知りたい」のでは「ない」のです。
彼は真実を知りたいのではなくて、
「犯人がいて欲しい」
「敵が存在して欲しい」
その敵を討ち滅ぼすことによって、心の辛さを少しでも解消したいのです。
「肉親を失った辛さ」を、辛さのままずっと持ち続けなければならないというのは、拷問に近いのです。
この辛さを、何らかの形に変えて、外部に発散したい。
そうでなければ、自分というものが壊れてしまう。
だから、この心の中にわだかまった激情をぶつける場所が欲しい。
そこにガブリエルは、「ほら、あそこですよ」とささやく。「あなたが欲しがっているものはあそこですよ」と指さす。
そうなるともう、リチャードは、その指さす方に向けて突進せざるをえない。そこに向かって拳を振り下ろさずにはいられない。普段の冷静さは鳴りをひそめてしまう。というか、その普段の冷静な思考力のすべてが、「金龍会のせいだ」という方向で、自分自身を説得してしまうのです。
このガブリエルの手口は、「人の動かし方」として巧妙です。
そして、この手口って、竜騎士07さんの得意技なのです。
●竜騎士さんの得意技
竜騎士07さんは、この手口がどうもお好きらしくて、頻出します。『うみねこ』なんかには、わりあいしょっちゅう出てきます。
ひとつ簡単な例でいえば、
「真相を知りたいというよりは、憎むためのはっきりした敵の姿が欲しい」
というのは、『うみねこのなく頃に』における、兄を亡くした縁寿の心理状況とほぼ同一です。
『ひぐらし』の方から例を挙げれば、これに相当するのは大石警部です。彼は連続殺人事件について、「はっきりした、わかりやすい、憎むべき犯人がいてほしい」という願望にとらわれ、「わかりやすい犯人像」として園崎組犯人説にとらわれつづけていました。
真相を見れば、園崎組はほとんど何もしていなかったのですが、大石は「全部のことを、園崎組がやったんだ」という観念から、どうしても逃れ得ませんでした。そのせいで結果的に、いくつもの悲劇を誘発してしまいました。
園崎詩音もこのパターンかもしれませんね。
具体的なシーンで述べれば、『うみねこ』のEp5が、好例です。終盤あたり、古戸ヱリカが、
「犯人はあの人です、そう、右代宮夏妃さん!」
と「指さした」とたん、その場にいる全員が、聡明な霧江なども含めて、全員がその結論に飛びついてしまうという凄いシークエンスがありました。
ここでのポイントは、悲嘆にくれる絵羽の姿です。絵羽という人は家族愛のかたまりなのですが、このエピソードで夫と息子を一度に失ってしまう(殺されてしまう)のです。
いつもは気丈な絵羽さんが、あられもなく、外聞もなく、子供のようにオイオイ泣きじゃくって悲しむ姿を、右代宮家の一同は、何も言えずに見守ることしかできなかった。それで、彼らの心中は、やるせなさでいっぱいになっていました。
「絵羽さんがあまりにも可哀想すぎる」
「やるせなくて、心が痛んで、どうしようもない」
「このどうしようもない気持ちを処理するために、誰か悪い奴を罰したい」
という気分が醸成されたところに、「犯人はあなたですね、夏妃さん」。
冷静にひとつひとつ見ていけば、夏妃犯人説は穴ぼこだらけです。でも、感情的になっている人々には、そんなものは関係なくなる。
感情をゆさぶり、可燃化したところに、「あそこだ!」と指を指して一方向に誘導し、スタンピードを作る。
(スタンピードとは、パニックや激情に基づく殺到のことです。元の意味では、バファローの群れが拳銃の音に驚いて、一方向に雪崩をうって突進する現象のことなのですが、転じて、人間の群衆が突発的な行動をとるときにも使われるようになりました)
これで、筋を見ていけば無茶だらけの夏妃犯人説を、「感情的に押し通す」ことが可能になっていました。もちろん、絵羽は夏妃犯人説に飛びつき、「あんたがやったのね!」などと怒鳴って、夏妃に殴りかかっていました。
同様のスタンピードの作り方が、『おおかみかくし』でも使われていました。
ちょっとうろおぼえなのでアウトラインだけ書きますが、
「この街には怪物がひそんでいる」
という疑心暗鬼で人々がいっぱいになっているときに、
「あいつだ、あいつが怪物だ!」
という「指さし」が発生し、群衆が暴徒と化し、襲いかかるという場面がありました。
恐怖から逃れるために、わかりやすい、少数の「敵」がいてほしい。そいつをみんなでつるし上げて血祭りすることで、恐怖から逃れ、安心したい。そういう集団心理があり、暴徒が発生したのです。
言葉を飾らずにはっきり言うと、これは竜騎士さんがしょっちゅう使う、常套手段なのです。
●信じさせる最良の方法は、信じたいと思わせること
ポイントとして注目したいことは、こうです。
「相手に嘘のストーリーを信じ込ませたいとき、どうするか」
他人に、とある物事を信じ込ませたいとき。いっしょうけんめい汗を流して説得するよりも、スマートな方法があるということです。
相手本人に「これを信じたい」と思わせること。そういう感情(状況)をつくること。
リチャードは、妹を亡くした痛みを消化するために、拳の振り下ろしどころを必要としたのです。だから、金龍会が犯人で「あってほしかった」。
内心で「金龍会が犯人であってほしい」という感情がある相手に、「金龍会が犯人である」ということを信じ込ませるのは、簡単。
人間は、他人による説得はなかなか受け容れにくいのです。プライドもありますしね。
しかし、人間は、自分自身の声にはたやすく説得されます。
大石警部は義憤にかられており、殺人の犯人をこの手で捕まえなきゃおさまらん、という気持ちでいっぱいでした。だから、「手近な悪い奴」である園崎組が犯人であってほしかったのです。
大石警部自身の声が、「園崎組が犯人にちがいない」と自分を説得し続けるので、どうしても、かたくなに、園崎組犯人説にこだわりつづけたのです。
*
そして、『うみねこ』の戦人とベアトリーチェのやりとりの中にも、この手口は何度も繰り返されます。
ベアトリーチェは、Ep2において、「赤い字というものは真実のみを語るので、赤い字で書かれたことは疑わなくて良い」というルールを提案しました。
ベアトリーチェは、このルールを戦人に信じてもらいたかったのですが、戦人は当初、
「なんかうさんくせぇ。ウラがあるんじゃないか?」
という態度を見せました。つまり、簡単には信じなかった。
そこでベアトリーチェは、
「楼座が、使用人たちを殺人犯だと決め付け、汚い言葉で非難しまくる」
という展開を用意して、戦人に見せつけました。
戦人は、使用人のみんなのことが大好きなので、犯人だとはとても思えませんでした。というか、「彼らが犯人だなんて思いたくなかった」のです(そう書いてあります)。
右代宮邸に、マスターキーは5本しかない(ということになっている)。そしてその5本は楼座によって完全に管理されています。
だから、使用人たちを追い出して、部屋に閉じこもって鍵をかけてしまえば、仮に使用人たちが犯人だったとしても、楼座たちに危害を加えることはできません。マスターキーがなければ、鍵のかけられたドアを明けることができませんからね。
実際に楼座は、マスターキー5本を全て取り上げ、使用人を部屋から追い出し、鍵をかけて閉じこもりました。
それだけのことをして、なお、楼座は使用人たちを信用しないのです。
「何も信用できないわよ、家具どもが」
おまえらの言うことなんか信じられるもんか、ばーかばーか。くらいのことを吐き捨てたのです。
何で信用しないかというと、「マスターキーが5本しかない」という条件を、楼座は認めていないからです。
どうせ、複製された6つめの鍵があるに決まってる。使用人たちがマスターキーを提出して部屋から出て行ったからといって、安心できない。6本目の鍵を使ってこのドアを開け、私たちを殺しにくるにちがいない!
戦人が「マスターキーは5本しかないんだよ!」と一生懸命訴えますが、楼座は「6本目があるに決まってる」と言い張ります。
マスターキーが5本しかなく、その全てが楼座の手の内にあれば、使用人には犯行ができないのですから、使用人の疑いは晴れるのです。
でも「マスターキーが5本しかない」という条件を楼座が信じないので、使用人の疑いが晴れないという状況です。
そこでベアトリーチェは、憎ったらしい顔をして、赤い字でこう言うわけです。
「赤:マスターキーは5本しかない」
ついに戦人はベアトリーチェにすがりつくようにして、
「頼むからその赤い字を楼座おばさんに言ってやってくれ! 真実を語る赤い字で《マスターキーは5本しかない》って楼座おばさんに教えてやってくれ!」
そんなふうに絶叫するのでした。
おや。戦人は「赤い字が真実を語るなんて、うさんくさい話だ」と思っていたのに、いつのまにか、「真実を語る赤い字を使って楼座さんを説得してくれ!」と言い出し始めていますね。
「使用人のみんながこんなに疑われてるなんて、我慢ならない!」
という激情があるところに、
「赤:マスターキーは5本しかない」という赤い字をポンと置いてやるのが、「指さし」なのです。
使用人たちの疑いを晴らすために、マスターキーの本数は5本だけであってほしい。
マスターキーが5本しかないことを証明するために、赤い字が真実であってほしい。
いつのまにか、戦人の中に、「赤い字で語られることは真実であってほしい」という「願望」が発生しているのです。
もう一度繰り返しますが、相手を説得するときには、相手自身の願望を誘発することで、「自分自身を説得させる」方向に持って行くのが上策なのです。
この手口に、戦人くんは何度も騙されます。これは、戦人が馬鹿だというより、この手口が強力すぎるのです。
Ep3の「北風と太陽作戦」も、これと同じです。『うみねこ』の前半エピソードは、「戦人が、《魔女》というものの存在を認めるか、認めないか」ということが、重要な論点になっています。
魔女ベアトリーチェは、「妾が魔女であることを認めろ! 認めろ!」と強要してくるのですが、戦人は強情なので、絶対に認めようとはしません。
そこでベアトリーチェは作戦を変えます。改心したフリをして、紗音や譲治や嘉音のことを、身を挺してかばい、善意を尽くす姿を戦人に見せます。
すると戦人は、ふらっと、
「こいつ、案外いいやつじゃないか。こんないい奴だったら、魔女ってやつを、ちょっとくらい認めてやってもいいかな」
と思ってしまいます。
他人から強要されたストーリーは頑なに拒んできたくせに、戦人は、「ちょっとくらい認めてやってもいいかな……」という「自分が自分を説得してくる声」には、まったく無防備だったのです。
●「読者の願望」を拾う作者
……さて、このように、「他人の心をうまいこと誘導する」という手口を頻出させる竜騎士07さん、という作者がいるわけです。
竜騎士07さんは、ミステリ作家です。読者をうまいこと誘導して騙してなんぼ、というご商売です。
この手口を、「わたしたち読者」に対して使っていないとしたら、そっちが不思議というものです。是非とも、騙されないように注意したいものですね。
たとえば。
またうみねこの例ですが、わたしは以下のように思っているのです。
『うみねこのなく頃に』は、難しいミステリでした。何しろ、幻想描写だとかいって、「嘘が堂々と描写される」という作品なのでした。
普通、ミステリは、正しい描写がなされ、それを材料に推理していきます。ところが『うみねこ』は、「嘘が書かれる。そして、どこが嘘でどこが本当かは、わからない」という形になっています。
「どれが信頼できる情報なのか、わからない」
のですから、雲をつかむような話で、真相が解析できませんでした。
あまりにも手掛かりが薄いので、ユーザー間で話し合いがなされていくうちに、
「戦人が見たものについては、嘘や幻想は混じっていないのではないか」
というアイデアが、自然発生してきました。
これは、わたしが見る限りでは、理論的に導き出されてきたというよりは、
「この物語が解読可能なものであってほしい」
「解読可能なものであるために、疑わなくて良い明確な手掛かりが存在してほしい」
「明確な手掛かりとして、戦人の見たものくらいは実在したものであってほしい」
という、
「願望」
であったように思うのです。
もちろん、ネット上でのユーザー間の議論を眺めることのできる竜騎士07さんは、
「ほぉ、読者のみなさんにはそういう願望があるのか」
というふうにリサーチするわけです。
そこで竜騎士さんは、「探偵視点」という特別な視点かあるかのような描写を、後続のエピソードに書き足してくる。
「探偵役が見たものは、正しく存在し、見間違いや虚偽の記述はない」
「そして、戦人は基本的に探偵役である」
というルールがある「かのように読める」描写を繰り出してくる。
読者たちは、潜在的に持っていた願望が充足されたので、「やっぱりそうだったか!」と満足する。「思った通りだ」と受けいれてしまう。
しかし、ようく注意深く読めば、「探偵視点があっても見間違いを起こすことができる」のです(「探偵視点は誤認ができる」を参照のこと)。つまり「探偵の視点は見間違いを起こさない」というルールは存在しないのですが、ユーザーの大勢は、そういうルールが存在するように思いこみました。
そういうルールが存在して欲しいという願望があったからです。
竜騎士さんは、これによって、「存在しないルールを存在するかのように思いこませる」ことができました。
竜騎士さんという人は、ネットでの読者のやりとりをわりとじいっと見ていて、そのように「願望充足によって、読者をミスリードする」ということを、丹念にやる人だと思うのです。
この手は竜騎士さんの得意技で、「竜騎士トラップ」の基本のひとつだと思うのです。多少気に留めておくと、以降の作品を読むときに何かと便利かもしれませんよ。
●三者会談と家族会議
『うみねこ』にことよせた解説が続いたついでに、もうひとつ拾っておきます。
season3に、
「ローズ、バトラー、梅九の三者会談の苛烈さを目の当たりにして、ステラが絶句する」
という場面がありました。
「そこで行なわれていたのは言葉での殺し合いだった」
くらいのことが書いてありました。
しかし、ステラがさらに驚いたのは、その「言葉の殺し合い」が終わったとたん、この三人はサッとにこやかな表情に戻り、「ああ、有意義な話し合いができた」かなんか言って、笑顔で談笑し、乾杯しあい、ふだんの友好的な彼らに戻ったということです。
その変貌ぶりに、何なのこれ、とステラは呆然としていました。
さて、それで思い出したことは、『うみねこ』で毎回行なわれる、「親族会議」というやつでした。
親族会議では、右代宮家の大人たちが、父の遺産を争って、それはもう、聞くに堪えない醜い争いあいをするという、「言葉の戦争」の場でありました。
この会議のあんまりな争い方が有名になって、
「右代宮家の一族は、全員が全員、金の亡者で、自分だけに利益を引っぱろうと必死で、ほんとにどうしようもない人間の屑だよなあ」
といった後世の世間的な評価が発生していました。縁寿なんかはその評価を完全にうのみにしていました。
が、『うみねこ』のEp8では、「しかし、それでもなお、右代宮家の一族は、お互いを想い合っていて、仲良しで、絆があったのだ」という主張がなされます。
「親族会議はひどい言葉の暴力が飛び交う聞くに堪えないものだったが、同時に、右代宮一族は深い絆で結ばれていて、楽しくパーティしたりなんかして、プレゼントしあったりして、幸せな一族でもあった」
「《ひどい親族会議》と、《愉快で楽しい右代宮家》は、矛盾することなく同時に成立するのである」
という、ちょっと不思議な主張がEp8にはあるのです。
この矛盾めいた関係性の正体が、ローズガンズseason3に描かれた三者会談の姿ではないでしょうか。
利害は利害としてきっちり守り、相手から取るべきものはきっちり切り取る。そのためには交渉相手をそうとう強い言葉で攻め立てたりもする。神経をヤスリでこすりあうような神経戦をガマン大会のように繰りひろげる。
が、交渉が終わったあとは、ぱちんとスイッチを切りかえて、友人同士に戻り、馬鹿話に興じたりもする。
そういう洗練された関係性が、ローズ・梅九・バトラーの間にはあった、というわけです。
こういう洗練された関係性が「右代宮一族にもあった」と想定することで、「ひどい親族会議」と「仲良し右代宮家」は、矛盾ではなくなります。
利害は利害。家族愛は家族愛。そこにはきっちり区別がなされていて、一方が他方をバイオレートすることはない。遺産や将来についてきっちり戦ったあとは、お互いの健闘をたたえあって乾杯する。
こういった大人の社交のしかたは、百戦錬磨のステラにとってすら珍しいものだったのですから、戦人やら、縁寿やら、まして興味本位の世間の人々が想像しえないのは当然でした。
でも、そういう姿を「あえて想像する」「あえて想定する」ことで、「不幸ではない右代宮一族」「心豊かな親族たち」という姿を見いだすことができる。手に入れることができる。
そういう例示として受け取ることは可能だなと思って読みました。
●キースとの相互承認が憎悪を高める
話をちょっとリチャードのところに戻しますが、リチャードのそばにキースという人物を置いたところが、お話として(誘導として)ニクいところです。
「ステラという家族を奪われた憎しみ・悲しみ」
を背負っているのが、もしリチャード一人だけだったら。どっかの段階で、
「あれ、なんかおかしくね? もうちょっと冷静になって考えた方がよくね?」
というふうに、我に返った可能性が高いように思うのです。
しかし、隣に、すぐそばに、同じ悲しみ・同じ憎しみを抱えたキースという存在がいることで、リチャードとキースは、お互いにお互いの感情を承認しあって、「我に返らなくなる」のだと思うのです。
「犯人が憎い」
「絶対に復讐を遂げてやる」
「全てはそのためだ。俺たちは間違っていない」
というふうに、リチャードとキースは向かい合わせになって、お互いの激情を承認しあっています。まるで、鏡に映った自分自身に「おまえはまちがってないよ」とうなずくような状況にあるわけです。
たとえば、リチャードが一瞬、すっと冷静を取り戻しかけたとしても、キースを見ると、キースの激情がうつって、感情の閾値が元の水位に戻る。
逆にキースが怒りを持続できなくなった場合も、リチャードの感情とシンクロして、また元の高い水位に戻る。
この二人が互いに向かい合って「俺たちはやるぜ」「うん、やったるぜ」と言い合っていることにより、
「あれ、俺ら、なんかちょっとおかしくなってねぇ?」
という気づきが発生しないわけですね。この構造は、ちょっと身に覚えがあるし、これは凄いなあ、鋭いなあと思って、読みました。
以下、余談。
●余談1・林原樹里の正体関連
なんとローズとレオは、林原樹里のおじいちゃんとおばあちゃんであった、という真相がございました。樹里はこの二人のお孫さんであったわけです。樹里本人がビックリしておりました。
微妙なところではありますが、ひょっとしたら、この真相は当初から予定されていたものではなくて、シリーズの途中で思いつかれたものなのではないかな、という考えがちらっと浮かびましたので、一応ここにメモしておきます。
というのも、レオの本名が航太郎であることはseason1で、ローズの本名が美咲であることはseason2で、ごく初期に明かされています。
もし、マダム・ジャンヌの昔語りの中に、この名前が出てきたのだとしたら、さすがに樹里が気づかないのはおかしい。
もう一つ。当初の物語では、樹里がジャンヌに呼び出されたのは、樹里が新聞記者だったからであり、「マダム・ジャンヌが昔のことを語りたいと思うので、それを記事にしてほしい」ということだったわけです。インタビューしに来い、それをまとめて公開せよということだったわけです。
ところが今回のLast Seasonでは、「この話はローズの孫であるあなた一人に教えたかっただけなので、他言してはいけませんよ」というふうになってしまっており、前提条件がまるで変わっています。
ひっかかかるのは、このインタビューは、半年に1回ずつ、2年ごしで行なわれたものです。樹里は最初の1回目で聞いたことを、その時点で記事に起こして公開するかもしれなかったのです。
「最後まで語り終えるまでは記事にするな」とジャンヌが差し止めていたかもしれませんけれど、その差し止めがちゃんと守られるかどうか、保証はありません。
ジャーナリストというものは、「これは今すぐ公開して世の中に問わねばならない」と思えば、口止めなど無視して世の中に出してしまうことが往々にしてあります。
たとえば、樹里の上司が、
「次回のインタビューが取れるかどうかなんてアテにならない。だからこれは今すぐ記事にしろ」
と命令したのであれば、樹里は断れないように思います。
ついでにいうと、「林原樹里は稀少な純日本人である」という条件もあやしくなってしまいます。ローズは半分ギリシャ人であって、つまり、容易に辿れる範囲に海外の血が入っているわけです。
そのへんをうまく消化する理論として「樹里がローズの孫であるという設定は、当初は存在せず、シリーズ途中で思いつかれたのである」という条件をひねりだしてみました。
Season1が書かれたときには樹里は本当に純日本人であって、ただの新聞記者であった、途中で設定が変更された、というふうにすると、うまく消化できるわけですね。
が、「灰原」の姓をいじって「林原」にするというあたりは、最初からそういう設定を決め込んでいないとできないつながりかただなあと思いますし、レオとローズの下の名前が初期段階で語られているということについても、「ジャンヌはそこまで詳しく語ったわけではなかった」というふうに思ってしまえばそれで済むことではあります。
記事をいつ公開するかしないかという論点も、「プリマヴェーラが脅しをかけたので、全部話を聞くまでは記事にしようがなかった」くらいに思えば問題ではなくなりますね。
●余談2・マダムの死、マダムの再生
マダム・ローズが、23番市の全ての悪の体現者となる。そんな悪のマダム・ローズをジャンヌが打ち倒し、新たな善なる君主マダム・ジャンヌとなる。悪の王を打ち倒し、善なる王が即位する。
それによって、世の中に希望と活力がよみがえる。
というストーリーを設定し、みんなして演じた結果、うまいことマダムの交代が成し遂げられた、という形になっています。
これは、なじみ深い類例で言えば、昔話の「泣いた赤鬼」ですし、もっと大層に言えば、フレイザーの『黄金の枝(金枝篇)』に書かれた「森の王殺し」であって、つまりこれはきわめて神話的な類型です。昔からよくある形ってことです。そういえばローズガンズデイズは、竜騎士さんの作品の中ではいちばん神話っぽい形状をしていますね。
けど、個人的に、この結末をみていちばん強く想起されたのは、何年か前のテレビアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』という作品でありました。
主人公ルルーシュは、物語終盤、世界を力と恐怖で支配する悪の権化と化すのですが、それは、「のちにわざと殺され、この世の全ての悪を一身に背負って滅びることによって、世界を解放する」という意図によるものでした。
つまりこれも「泣いた赤鬼」であって、マダム・ローズの破滅のしかたとほぼ同一です。
重要な点は、この『コードギアス』という作品は、「架空の超大国による侵略を受けて、日本が主権を喪失し、植民地と化し、日本人は二級市民となった」という舞台設定を持っていることです。ローズガンズデイズとえらい似ています。
そして竜騎士さんは、『コードギアス』の脚本を書いた大河内一楼さんと対談をしたことがあります。その対談は『コードギアス』のムックに載ったもので、内容もそれに関することでした。つまり竜騎士さんはこの作品を通しで見ている見当になります。
おそらく、結構な影響を受けているのではないかな、ということを、一応ここにメモしておきます。
以下、余談はますますどうでもいい話題になっていきます。
●余談3・謎の大統領夫人
レオは南の国に行って独立戦争を手助けして、1950年に帰国してきます。
「独立戦争が終わったのはだいぶ前なのに、帰ってくるのが遅かったな」
みたいなことを聞かれたレオは、
「俺のジョークを聞かないと眠れないって、大統領夫人が引き留めるからさあ」
といった、洒落と下品を紙一重でまたいだような軽口を言います。
さて、ここで、レオの行っていた南の国というのは、インドネシアのことである(もしくは、明確にインドネシアをモデルにした国である)というふうに分析できている人は、
「大統領夫人」
というキーワードにぴくんとして、
「インドネシア初代大統領スカルノの夫人といえば、まさかあのテレビでお馴染みのデヴィ・スカルノ夫人か……」
というふうに一瞬で想起するわけです。自然ななりゆきとして。
あのデヴィさんがレオに向かって、
「あっはっは、あーたおもしろいわね」
かなんか、あのおっとりした口調で言うところまで想像したりしてね。
が、しかし、デヴィ夫人は1940年生まれですから、このときまだ10歳。史実に準拠するならば、ここでレオの言っている大統領夫人はデヴィさんではありえないということになります。だからこれは第1夫人ファトマワティさんか、第2夫人ハルティニさんのことですね。残念……。
●余談4・自分に当たる弾だけ避ければいい
レオの馬鹿話を真に受けるシリーズその2。
「どうやったら、何十人もの敵と銃撃戦で渡りあって、しかも勝てるんだ?」
というふうに聞かれたレオは、
「自分に当たらない弾は避ける必要ないんだから、自分に当たる弾だけ見分けて避ければいいだろ?」
という、むちゃくちゃなことを言います。
これっていわゆる、「弾幕シューティングゲーム」の基本的な動かし方ですよね。
東方シリーズなんかがそれです。
東方のSTGは、youtubeなんかでプレイ動画を見るとわかりますが、画面全体をぶわーっと覆い尽くすような弾幕が広がります。こんなもん避けきれっこないよ、と、最初は思います。
が、ようく弾を見てみると、自機に向かってくる弾はほんの少しであって、ほとんどはあさっての方向に飛んでいきます。
「自分のところに飛んでくる弾と、そうでない弾を見分けて、当たる弾だけ最小の動きで避ける」
ということを覚えるのが、弾幕ゲーを遊ぶための第一歩だそうです。
で、そんなことを俺は生身でやらかすことができるぜ、とレオは自分で言っているワケです。
レオという人物は、
「もう伝説的に、超人的に、むちゃんこつおい」
というふうに描かれるわけですが、書いてる竜騎士さんが具体的にどういう強さを想定しているか、というイメージが、ちらっとここに出てるのかもしれないです。
つまり、常人の群れの中に、一人だけ「東方シリーズ」の世界の妖怪的超人がいるようなイメージ。
(竜騎士さんが東方ファンなのはおなじみのことですしね)
たぶん想定として、「レオは博麗霊夢や八雲紫とタイマンが張れるくらい強い」みたいなイメージを核にして「強さ」を描写してるんじゃないのかなー、くらいのことを思いました。
そのくらいでなきゃ、「伝説の夜」のホテルロビーでの戦いなんて、ありえないですもんね。
アランやキースは、「ものすごい高度な能力を持った常人」として描かれているのに対して、レオは明確に「超人」として描かれていると思うのです。そういうとらえ方をしてみると、わたしはしっくりきました。
●余談5・マダムジャンヌの正体
は、クローディアだと想像していたんだけどなァ……。おもいっきり、外しました。
●余談6
……は、思いついたらここに追加して書きます。
(以上)
■ローズガンズデイズ 目次■
ローズガンズデイズ Last Season 感想・竜騎士トラップのつくりかた、その他
筆者-Townmemory 初稿-2014年1月20日
☆
ローズガンズデイズのseason4(最終巻)を読みました。以下、思ったことを書き付けます。
お話の結末などについて全部ぺらぺら明かしますから、まだ本編をお読みでない方はお気を付け下さい。
これまでの感想記事は、こちら。
ローズガンズデイズ体験版/勝手な感想/勝手な予想
ローズガンズデイズ season1 感想その1 マダム・ローズと日本人たち
ローズガンズデイズ season2 感想・チャイナの日本人
ローズガンズデイズ season3 感想「理想の日本人」とヤクザたち
●お話の閉じ方
全体的には、特に大きなどんでん返しはなく、順当にお話が終わったという感触です。開いた扇子を、閉じました、といった感じで、スマートに着地しています。大仕掛けはない。トリプルアクセルを飛ばない浅田真央ちゃんの演目みたい。
こういう着地になるのは無理もないのであって、前にも何度か書いていますが、竜騎士07さんのキャリアは「渾身の大仕掛けを、ユーザーが理解しない(あるいは、できない)」ことのくりかえしですから、「どっちみち評価につながらないなら、ぶっぱなさないほうが良い」という判断になってるものと個人的に想像します。他の作品と比べて、だいぶん大人しいですよね。
●ガブリエルのトラップ作法
今回、一番おもしろかった部分は、ガブリエルがリチャードをほいほい誘導していくところです。
米軍の高級将校ガブリエルは、マフィアによって妹を殺された過去を持っており、「マフィアというもの」そのものを激しく憎んでいました。
GHQに派遣された彼は、
「なるべくむごたらしくみじめな方法でマフィアを壊滅させよう」
と考え、それを実行に移します。
具体的には、日本人マフィアのプリマヴェーラと、中国人マフィアの金龍会のあいだに全面戦争を発生させ、双方を壊滅させようともくろみます。
そのきっかけとして、暗殺者を放って、プリマヴェーラの要人リチャードの妹ステラを殺します。
同時に、金龍会の李梅九(だめだ、どうしても「うめきゅうさん」としか読めない)の妹、梅雪を襲い、これも殺そうとします(しかしこれは失敗しました)。
妹を殺されたガブリエルは、あいつらの妹も殺してやれ、と思ったのですね。
誰だって、肉親を殺されたら激情します。そこで、「ステラを殺したのは金龍会だ」「梅雪を殺したのはプリマヴェーラだ」という方向に誘導し、全面戦争を引き起こさせ、それを高みで見物しようと目論んだわけです。
が、梅雪の殺害に失敗したこと、そして梅九さんが冷静だったことにより、金龍会はうまく踊ってくれませんでした。やむなくガブリエルは、うまくひっかかってくれたプリマヴェーラのリチャードだけに目標を定めます。
まずガブリエルは、悲嘆にくれているリチャードに、「実は僕も妹を殺された過去があるんだ」と打ち明け、迫真の演技で、同情しまくってみせます。
「同じ境遇だから気持ちがわかる。同志みたいなものだ」か何か言って、ちょいと泣いてみせたりするわけです。
リチャードは賢人ですから、ふだんだったらそんな三文芝居には乗らないわけですが、実の妹を失って、気持ちが弱り切っているもんですから、「ああ、なんていい人だ」かなんか思ってうっかりハートをまるごと明け渡してしまいます。
つまり「この人は味方だ、善人だ!」と思いこんでしまうのでした。
そこにもって、「この事件は金龍会のしわざだよ」というのを、段階的に吹きこんでいきます。段階的なところが、いやらしい。
最初に「どうも金龍会のせいらしいよ」と吹きこんだ段階では、リチャードもまだ踏ん切りが付かない部分がありました。何しろ、金龍会は大組織ですから、そこと戦争になるというのは大ごとです。
リチャード自身も、「金龍会がいちばんアヤシイ」と思ってはいるのですが、彼にはまだまだ冷静な部分が残っていて、「様子を見なければ」というふうに身をこなしている。
ガブリエルはそこに、もう一撃喰らわすわけです。
目に入れても痛くない甥っ子の祐司を、毒で暗殺する。
しかも、中国マフィアにしか手に入れることのできない特殊な毒で殺す。
毒で苦しみ抜いて命が消えるさまを、リチャード自身が目撃してしまうようなタイミングで殺す。
更にだめ押しで、「李梅九がステラの暗殺を命じた」という書類を偽造して、「GHQの鑑定の結果、この書類は本物だと判明した」というふうに、真実性を「保証」する。
段階をふむごとに、リチャードの心の中から、「冷静に判断しなければ」という部分がしりぞいていく。じわじわと「金龍会め、金龍会め」という気分が増殖していく。
もう、確実だ。もう、許せん。
リチャードはついに、金龍会との全面戦争を決意します。そのために、穏健派のマダム・ローズを地方に監禁するという方策までとります。
これは、もしわたしが実際にやられたら、この誘導にはたぶん抵抗できないなと思いながら読んでおりました。
●感情のぶつけどころが欲しい
ポイントとしては、本文にも書いてあることですが、リチャードは「この襲撃事件の真相を知りたい」のでは「ない」のです。
彼は真実を知りたいのではなくて、
「犯人がいて欲しい」
「敵が存在して欲しい」
その敵を討ち滅ぼすことによって、心の辛さを少しでも解消したいのです。
「肉親を失った辛さ」を、辛さのままずっと持ち続けなければならないというのは、拷問に近いのです。
この辛さを、何らかの形に変えて、外部に発散したい。
そうでなければ、自分というものが壊れてしまう。
だから、この心の中にわだかまった激情をぶつける場所が欲しい。
そこにガブリエルは、「ほら、あそこですよ」とささやく。「あなたが欲しがっているものはあそこですよ」と指さす。
そうなるともう、リチャードは、その指さす方に向けて突進せざるをえない。そこに向かって拳を振り下ろさずにはいられない。普段の冷静さは鳴りをひそめてしまう。というか、その普段の冷静な思考力のすべてが、「金龍会のせいだ」という方向で、自分自身を説得してしまうのです。
このガブリエルの手口は、「人の動かし方」として巧妙です。
そして、この手口って、竜騎士07さんの得意技なのです。
●竜騎士さんの得意技
竜騎士07さんは、この手口がどうもお好きらしくて、頻出します。『うみねこ』なんかには、わりあいしょっちゅう出てきます。
ひとつ簡単な例でいえば、
「真相を知りたいというよりは、憎むためのはっきりした敵の姿が欲しい」
というのは、『うみねこのなく頃に』における、兄を亡くした縁寿の心理状況とほぼ同一です。
『ひぐらし』の方から例を挙げれば、これに相当するのは大石警部です。彼は連続殺人事件について、「はっきりした、わかりやすい、憎むべき犯人がいてほしい」という願望にとらわれ、「わかりやすい犯人像」として園崎組犯人説にとらわれつづけていました。
真相を見れば、園崎組はほとんど何もしていなかったのですが、大石は「全部のことを、園崎組がやったんだ」という観念から、どうしても逃れ得ませんでした。そのせいで結果的に、いくつもの悲劇を誘発してしまいました。
園崎詩音もこのパターンかもしれませんね。
具体的なシーンで述べれば、『うみねこ』のEp5が、好例です。終盤あたり、古戸ヱリカが、
「犯人はあの人です、そう、右代宮夏妃さん!」
と「指さした」とたん、その場にいる全員が、聡明な霧江なども含めて、全員がその結論に飛びついてしまうという凄いシークエンスがありました。
ここでのポイントは、悲嘆にくれる絵羽の姿です。絵羽という人は家族愛のかたまりなのですが、このエピソードで夫と息子を一度に失ってしまう(殺されてしまう)のです。
いつもは気丈な絵羽さんが、あられもなく、外聞もなく、子供のようにオイオイ泣きじゃくって悲しむ姿を、右代宮家の一同は、何も言えずに見守ることしかできなかった。それで、彼らの心中は、やるせなさでいっぱいになっていました。
「絵羽さんがあまりにも可哀想すぎる」
「やるせなくて、心が痛んで、どうしようもない」
「このどうしようもない気持ちを処理するために、誰か悪い奴を罰したい」
という気分が醸成されたところに、「犯人はあなたですね、夏妃さん」。
冷静にひとつひとつ見ていけば、夏妃犯人説は穴ぼこだらけです。でも、感情的になっている人々には、そんなものは関係なくなる。
感情をゆさぶり、可燃化したところに、「あそこだ!」と指を指して一方向に誘導し、スタンピードを作る。
(スタンピードとは、パニックや激情に基づく殺到のことです。元の意味では、バファローの群れが拳銃の音に驚いて、一方向に雪崩をうって突進する現象のことなのですが、転じて、人間の群衆が突発的な行動をとるときにも使われるようになりました)
これで、筋を見ていけば無茶だらけの夏妃犯人説を、「感情的に押し通す」ことが可能になっていました。もちろん、絵羽は夏妃犯人説に飛びつき、「あんたがやったのね!」などと怒鳴って、夏妃に殴りかかっていました。
同様のスタンピードの作り方が、『おおかみかくし』でも使われていました。
ちょっとうろおぼえなのでアウトラインだけ書きますが、
「この街には怪物がひそんでいる」
という疑心暗鬼で人々がいっぱいになっているときに、
「あいつだ、あいつが怪物だ!」
という「指さし」が発生し、群衆が暴徒と化し、襲いかかるという場面がありました。
恐怖から逃れるために、わかりやすい、少数の「敵」がいてほしい。そいつをみんなでつるし上げて血祭りすることで、恐怖から逃れ、安心したい。そういう集団心理があり、暴徒が発生したのです。
言葉を飾らずにはっきり言うと、これは竜騎士さんがしょっちゅう使う、常套手段なのです。
●信じさせる最良の方法は、信じたいと思わせること
ポイントとして注目したいことは、こうです。
「相手に嘘のストーリーを信じ込ませたいとき、どうするか」
他人に、とある物事を信じ込ませたいとき。いっしょうけんめい汗を流して説得するよりも、スマートな方法があるということです。
相手本人に「これを信じたい」と思わせること。そういう感情(状況)をつくること。
リチャードは、妹を亡くした痛みを消化するために、拳の振り下ろしどころを必要としたのです。だから、金龍会が犯人で「あってほしかった」。
内心で「金龍会が犯人であってほしい」という感情がある相手に、「金龍会が犯人である」ということを信じ込ませるのは、簡単。
人間は、他人による説得はなかなか受け容れにくいのです。プライドもありますしね。
しかし、人間は、自分自身の声にはたやすく説得されます。
大石警部は義憤にかられており、殺人の犯人をこの手で捕まえなきゃおさまらん、という気持ちでいっぱいでした。だから、「手近な悪い奴」である園崎組が犯人であってほしかったのです。
大石警部自身の声が、「園崎組が犯人にちがいない」と自分を説得し続けるので、どうしても、かたくなに、園崎組犯人説にこだわりつづけたのです。
*
そして、『うみねこ』の戦人とベアトリーチェのやりとりの中にも、この手口は何度も繰り返されます。
ベアトリーチェは、Ep2において、「赤い字というものは真実のみを語るので、赤い字で書かれたことは疑わなくて良い」というルールを提案しました。
ベアトリーチェは、このルールを戦人に信じてもらいたかったのですが、戦人は当初、
「なんかうさんくせぇ。ウラがあるんじゃないか?」
という態度を見せました。つまり、簡単には信じなかった。
そこでベアトリーチェは、
「楼座が、使用人たちを殺人犯だと決め付け、汚い言葉で非難しまくる」
という展開を用意して、戦人に見せつけました。
戦人は、使用人のみんなのことが大好きなので、犯人だとはとても思えませんでした。というか、「彼らが犯人だなんて思いたくなかった」のです(そう書いてあります)。
右代宮邸に、マスターキーは5本しかない(ということになっている)。そしてその5本は楼座によって完全に管理されています。
だから、使用人たちを追い出して、部屋に閉じこもって鍵をかけてしまえば、仮に使用人たちが犯人だったとしても、楼座たちに危害を加えることはできません。マスターキーがなければ、鍵のかけられたドアを明けることができませんからね。
実際に楼座は、マスターキー5本を全て取り上げ、使用人を部屋から追い出し、鍵をかけて閉じこもりました。
それだけのことをして、なお、楼座は使用人たちを信用しないのです。
「何も信用できないわよ、家具どもが」
おまえらの言うことなんか信じられるもんか、ばーかばーか。くらいのことを吐き捨てたのです。
何で信用しないかというと、「マスターキーが5本しかない」という条件を、楼座は認めていないからです。
どうせ、複製された6つめの鍵があるに決まってる。使用人たちがマスターキーを提出して部屋から出て行ったからといって、安心できない。6本目の鍵を使ってこのドアを開け、私たちを殺しにくるにちがいない!
戦人が「マスターキーは5本しかないんだよ!」と一生懸命訴えますが、楼座は「6本目があるに決まってる」と言い張ります。
マスターキーが5本しかなく、その全てが楼座の手の内にあれば、使用人には犯行ができないのですから、使用人の疑いは晴れるのです。
でも「マスターキーが5本しかない」という条件を楼座が信じないので、使用人の疑いが晴れないという状況です。
そこでベアトリーチェは、憎ったらしい顔をして、赤い字でこう言うわけです。
「赤:マスターキーは5本しかない」
ついに戦人はベアトリーチェにすがりつくようにして、
「頼むからその赤い字を楼座おばさんに言ってやってくれ! 真実を語る赤い字で《マスターキーは5本しかない》って楼座おばさんに教えてやってくれ!」
そんなふうに絶叫するのでした。
おや。戦人は「赤い字が真実を語るなんて、うさんくさい話だ」と思っていたのに、いつのまにか、「真実を語る赤い字を使って楼座さんを説得してくれ!」と言い出し始めていますね。
「使用人のみんながこんなに疑われてるなんて、我慢ならない!」
という激情があるところに、
「赤:マスターキーは5本しかない」という赤い字をポンと置いてやるのが、「指さし」なのです。
使用人たちの疑いを晴らすために、マスターキーの本数は5本だけであってほしい。
マスターキーが5本しかないことを証明するために、赤い字が真実であってほしい。
いつのまにか、戦人の中に、「赤い字で語られることは真実であってほしい」という「願望」が発生しているのです。
もう一度繰り返しますが、相手を説得するときには、相手自身の願望を誘発することで、「自分自身を説得させる」方向に持って行くのが上策なのです。
この手口に、戦人くんは何度も騙されます。これは、戦人が馬鹿だというより、この手口が強力すぎるのです。
Ep3の「北風と太陽作戦」も、これと同じです。『うみねこ』の前半エピソードは、「戦人が、《魔女》というものの存在を認めるか、認めないか」ということが、重要な論点になっています。
魔女ベアトリーチェは、「妾が魔女であることを認めろ! 認めろ!」と強要してくるのですが、戦人は強情なので、絶対に認めようとはしません。
そこでベアトリーチェは作戦を変えます。改心したフリをして、紗音や譲治や嘉音のことを、身を挺してかばい、善意を尽くす姿を戦人に見せます。
すると戦人は、ふらっと、
「こいつ、案外いいやつじゃないか。こんないい奴だったら、魔女ってやつを、ちょっとくらい認めてやってもいいかな」
と思ってしまいます。
他人から強要されたストーリーは頑なに拒んできたくせに、戦人は、「ちょっとくらい認めてやってもいいかな……」という「自分が自分を説得してくる声」には、まったく無防備だったのです。
●「読者の願望」を拾う作者
……さて、このように、「他人の心をうまいこと誘導する」という手口を頻出させる竜騎士07さん、という作者がいるわけです。
竜騎士07さんは、ミステリ作家です。読者をうまいこと誘導して騙してなんぼ、というご商売です。
この手口を、「わたしたち読者」に対して使っていないとしたら、そっちが不思議というものです。是非とも、騙されないように注意したいものですね。
たとえば。
またうみねこの例ですが、わたしは以下のように思っているのです。
『うみねこのなく頃に』は、難しいミステリでした。何しろ、幻想描写だとかいって、「嘘が堂々と描写される」という作品なのでした。
普通、ミステリは、正しい描写がなされ、それを材料に推理していきます。ところが『うみねこ』は、「嘘が書かれる。そして、どこが嘘でどこが本当かは、わからない」という形になっています。
「どれが信頼できる情報なのか、わからない」
のですから、雲をつかむような話で、真相が解析できませんでした。
あまりにも手掛かりが薄いので、ユーザー間で話し合いがなされていくうちに、
「戦人が見たものについては、嘘や幻想は混じっていないのではないか」
というアイデアが、自然発生してきました。
これは、わたしが見る限りでは、理論的に導き出されてきたというよりは、
「この物語が解読可能なものであってほしい」
「解読可能なものであるために、疑わなくて良い明確な手掛かりが存在してほしい」
「明確な手掛かりとして、戦人の見たものくらいは実在したものであってほしい」
という、
「願望」
であったように思うのです。
もちろん、ネット上でのユーザー間の議論を眺めることのできる竜騎士07さんは、
「ほぉ、読者のみなさんにはそういう願望があるのか」
というふうにリサーチするわけです。
そこで竜騎士さんは、「探偵視点」という特別な視点かあるかのような描写を、後続のエピソードに書き足してくる。
「探偵役が見たものは、正しく存在し、見間違いや虚偽の記述はない」
「そして、戦人は基本的に探偵役である」
というルールがある「かのように読める」描写を繰り出してくる。
読者たちは、潜在的に持っていた願望が充足されたので、「やっぱりそうだったか!」と満足する。「思った通りだ」と受けいれてしまう。
しかし、ようく注意深く読めば、「探偵視点があっても見間違いを起こすことができる」のです(「探偵視点は誤認ができる」を参照のこと)。つまり「探偵の視点は見間違いを起こさない」というルールは存在しないのですが、ユーザーの大勢は、そういうルールが存在するように思いこみました。
そういうルールが存在して欲しいという願望があったからです。
竜騎士さんは、これによって、「存在しないルールを存在するかのように思いこませる」ことができました。
竜騎士さんという人は、ネットでの読者のやりとりをわりとじいっと見ていて、そのように「願望充足によって、読者をミスリードする」ということを、丹念にやる人だと思うのです。
この手は竜騎士さんの得意技で、「竜騎士トラップ」の基本のひとつだと思うのです。多少気に留めておくと、以降の作品を読むときに何かと便利かもしれませんよ。
●三者会談と家族会議
『うみねこ』にことよせた解説が続いたついでに、もうひとつ拾っておきます。
season3に、
「ローズ、バトラー、梅九の三者会談の苛烈さを目の当たりにして、ステラが絶句する」
という場面がありました。
「そこで行なわれていたのは言葉での殺し合いだった」
くらいのことが書いてありました。
しかし、ステラがさらに驚いたのは、その「言葉の殺し合い」が終わったとたん、この三人はサッとにこやかな表情に戻り、「ああ、有意義な話し合いができた」かなんか言って、笑顔で談笑し、乾杯しあい、ふだんの友好的な彼らに戻ったということです。
その変貌ぶりに、何なのこれ、とステラは呆然としていました。
さて、それで思い出したことは、『うみねこ』で毎回行なわれる、「親族会議」というやつでした。
親族会議では、右代宮家の大人たちが、父の遺産を争って、それはもう、聞くに堪えない醜い争いあいをするという、「言葉の戦争」の場でありました。
この会議のあんまりな争い方が有名になって、
「右代宮家の一族は、全員が全員、金の亡者で、自分だけに利益を引っぱろうと必死で、ほんとにどうしようもない人間の屑だよなあ」
といった後世の世間的な評価が発生していました。縁寿なんかはその評価を完全にうのみにしていました。
が、『うみねこ』のEp8では、「しかし、それでもなお、右代宮家の一族は、お互いを想い合っていて、仲良しで、絆があったのだ」という主張がなされます。
「親族会議はひどい言葉の暴力が飛び交う聞くに堪えないものだったが、同時に、右代宮一族は深い絆で結ばれていて、楽しくパーティしたりなんかして、プレゼントしあったりして、幸せな一族でもあった」
「《ひどい親族会議》と、《愉快で楽しい右代宮家》は、矛盾することなく同時に成立するのである」
という、ちょっと不思議な主張がEp8にはあるのです。
この矛盾めいた関係性の正体が、ローズガンズseason3に描かれた三者会談の姿ではないでしょうか。
利害は利害としてきっちり守り、相手から取るべきものはきっちり切り取る。そのためには交渉相手をそうとう強い言葉で攻め立てたりもする。神経をヤスリでこすりあうような神経戦をガマン大会のように繰りひろげる。
が、交渉が終わったあとは、ぱちんとスイッチを切りかえて、友人同士に戻り、馬鹿話に興じたりもする。
そういう洗練された関係性が、ローズ・梅九・バトラーの間にはあった、というわけです。
こういう洗練された関係性が「右代宮一族にもあった」と想定することで、「ひどい親族会議」と「仲良し右代宮家」は、矛盾ではなくなります。
利害は利害。家族愛は家族愛。そこにはきっちり区別がなされていて、一方が他方をバイオレートすることはない。遺産や将来についてきっちり戦ったあとは、お互いの健闘をたたえあって乾杯する。
こういった大人の社交のしかたは、百戦錬磨のステラにとってすら珍しいものだったのですから、戦人やら、縁寿やら、まして興味本位の世間の人々が想像しえないのは当然でした。
でも、そういう姿を「あえて想像する」「あえて想定する」ことで、「不幸ではない右代宮一族」「心豊かな親族たち」という姿を見いだすことができる。手に入れることができる。
そういう例示として受け取ることは可能だなと思って読みました。
●キースとの相互承認が憎悪を高める
話をちょっとリチャードのところに戻しますが、リチャードのそばにキースという人物を置いたところが、お話として(誘導として)ニクいところです。
「ステラという家族を奪われた憎しみ・悲しみ」
を背負っているのが、もしリチャード一人だけだったら。どっかの段階で、
「あれ、なんかおかしくね? もうちょっと冷静になって考えた方がよくね?」
というふうに、我に返った可能性が高いように思うのです。
しかし、隣に、すぐそばに、同じ悲しみ・同じ憎しみを抱えたキースという存在がいることで、リチャードとキースは、お互いにお互いの感情を承認しあって、「我に返らなくなる」のだと思うのです。
「犯人が憎い」
「絶対に復讐を遂げてやる」
「全てはそのためだ。俺たちは間違っていない」
というふうに、リチャードとキースは向かい合わせになって、お互いの激情を承認しあっています。まるで、鏡に映った自分自身に「おまえはまちがってないよ」とうなずくような状況にあるわけです。
たとえば、リチャードが一瞬、すっと冷静を取り戻しかけたとしても、キースを見ると、キースの激情がうつって、感情の閾値が元の水位に戻る。
逆にキースが怒りを持続できなくなった場合も、リチャードの感情とシンクロして、また元の高い水位に戻る。
この二人が互いに向かい合って「俺たちはやるぜ」「うん、やったるぜ」と言い合っていることにより、
「あれ、俺ら、なんかちょっとおかしくなってねぇ?」
という気づきが発生しないわけですね。この構造は、ちょっと身に覚えがあるし、これは凄いなあ、鋭いなあと思って、読みました。
以下、余談。
●余談1・林原樹里の正体関連
なんとローズとレオは、林原樹里のおじいちゃんとおばあちゃんであった、という真相がございました。樹里はこの二人のお孫さんであったわけです。樹里本人がビックリしておりました。
微妙なところではありますが、ひょっとしたら、この真相は当初から予定されていたものではなくて、シリーズの途中で思いつかれたものなのではないかな、という考えがちらっと浮かびましたので、一応ここにメモしておきます。
というのも、レオの本名が航太郎であることはseason1で、ローズの本名が美咲であることはseason2で、ごく初期に明かされています。
もし、マダム・ジャンヌの昔語りの中に、この名前が出てきたのだとしたら、さすがに樹里が気づかないのはおかしい。
もう一つ。当初の物語では、樹里がジャンヌに呼び出されたのは、樹里が新聞記者だったからであり、「マダム・ジャンヌが昔のことを語りたいと思うので、それを記事にしてほしい」ということだったわけです。インタビューしに来い、それをまとめて公開せよということだったわけです。
ところが今回のLast Seasonでは、「この話はローズの孫であるあなた一人に教えたかっただけなので、他言してはいけませんよ」というふうになってしまっており、前提条件がまるで変わっています。
ひっかかかるのは、このインタビューは、半年に1回ずつ、2年ごしで行なわれたものです。樹里は最初の1回目で聞いたことを、その時点で記事に起こして公開するかもしれなかったのです。
「最後まで語り終えるまでは記事にするな」とジャンヌが差し止めていたかもしれませんけれど、その差し止めがちゃんと守られるかどうか、保証はありません。
ジャーナリストというものは、「これは今すぐ公開して世の中に問わねばならない」と思えば、口止めなど無視して世の中に出してしまうことが往々にしてあります。
たとえば、樹里の上司が、
「次回のインタビューが取れるかどうかなんてアテにならない。だからこれは今すぐ記事にしろ」
と命令したのであれば、樹里は断れないように思います。
ついでにいうと、「林原樹里は稀少な純日本人である」という条件もあやしくなってしまいます。ローズは半分ギリシャ人であって、つまり、容易に辿れる範囲に海外の血が入っているわけです。
そのへんをうまく消化する理論として「樹里がローズの孫であるという設定は、当初は存在せず、シリーズ途中で思いつかれたのである」という条件をひねりだしてみました。
Season1が書かれたときには樹里は本当に純日本人であって、ただの新聞記者であった、途中で設定が変更された、というふうにすると、うまく消化できるわけですね。
が、「灰原」の姓をいじって「林原」にするというあたりは、最初からそういう設定を決め込んでいないとできないつながりかただなあと思いますし、レオとローズの下の名前が初期段階で語られているということについても、「ジャンヌはそこまで詳しく語ったわけではなかった」というふうに思ってしまえばそれで済むことではあります。
記事をいつ公開するかしないかという論点も、「プリマヴェーラが脅しをかけたので、全部話を聞くまでは記事にしようがなかった」くらいに思えば問題ではなくなりますね。
●余談2・マダムの死、マダムの再生
マダム・ローズが、23番市の全ての悪の体現者となる。そんな悪のマダム・ローズをジャンヌが打ち倒し、新たな善なる君主マダム・ジャンヌとなる。悪の王を打ち倒し、善なる王が即位する。
それによって、世の中に希望と活力がよみがえる。
というストーリーを設定し、みんなして演じた結果、うまいことマダムの交代が成し遂げられた、という形になっています。
これは、なじみ深い類例で言えば、昔話の「泣いた赤鬼」ですし、もっと大層に言えば、フレイザーの『黄金の枝(金枝篇)』に書かれた「森の王殺し」であって、つまりこれはきわめて神話的な類型です。昔からよくある形ってことです。そういえばローズガンズデイズは、竜騎士さんの作品の中ではいちばん神話っぽい形状をしていますね。
けど、個人的に、この結末をみていちばん強く想起されたのは、何年か前のテレビアニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』という作品でありました。
主人公ルルーシュは、物語終盤、世界を力と恐怖で支配する悪の権化と化すのですが、それは、「のちにわざと殺され、この世の全ての悪を一身に背負って滅びることによって、世界を解放する」という意図によるものでした。
つまりこれも「泣いた赤鬼」であって、マダム・ローズの破滅のしかたとほぼ同一です。
重要な点は、この『コードギアス』という作品は、「架空の超大国による侵略を受けて、日本が主権を喪失し、植民地と化し、日本人は二級市民となった」という舞台設定を持っていることです。ローズガンズデイズとえらい似ています。
そして竜騎士さんは、『コードギアス』の脚本を書いた大河内一楼さんと対談をしたことがあります。その対談は『コードギアス』のムックに載ったもので、内容もそれに関することでした。つまり竜騎士さんはこの作品を通しで見ている見当になります。
おそらく、結構な影響を受けているのではないかな、ということを、一応ここにメモしておきます。
以下、余談はますますどうでもいい話題になっていきます。
●余談3・謎の大統領夫人
レオは南の国に行って独立戦争を手助けして、1950年に帰国してきます。
「独立戦争が終わったのはだいぶ前なのに、帰ってくるのが遅かったな」
みたいなことを聞かれたレオは、
「俺のジョークを聞かないと眠れないって、大統領夫人が引き留めるからさあ」
といった、洒落と下品を紙一重でまたいだような軽口を言います。
さて、ここで、レオの行っていた南の国というのは、インドネシアのことである(もしくは、明確にインドネシアをモデルにした国である)というふうに分析できている人は、
「大統領夫人」
というキーワードにぴくんとして、
「インドネシア初代大統領スカルノの夫人といえば、まさかあのテレビでお馴染みのデヴィ・スカルノ夫人か……」
というふうに一瞬で想起するわけです。自然ななりゆきとして。
あのデヴィさんがレオに向かって、
「あっはっは、あーたおもしろいわね」
かなんか、あのおっとりした口調で言うところまで想像したりしてね。
が、しかし、デヴィ夫人は1940年生まれですから、このときまだ10歳。史実に準拠するならば、ここでレオの言っている大統領夫人はデヴィさんではありえないということになります。だからこれは第1夫人ファトマワティさんか、第2夫人ハルティニさんのことですね。残念……。
●余談4・自分に当たる弾だけ避ければいい
レオの馬鹿話を真に受けるシリーズその2。
「どうやったら、何十人もの敵と銃撃戦で渡りあって、しかも勝てるんだ?」
というふうに聞かれたレオは、
「自分に当たらない弾は避ける必要ないんだから、自分に当たる弾だけ見分けて避ければいいだろ?」
という、むちゃくちゃなことを言います。
これっていわゆる、「弾幕シューティングゲーム」の基本的な動かし方ですよね。
東方シリーズなんかがそれです。
東方のSTGは、youtubeなんかでプレイ動画を見るとわかりますが、画面全体をぶわーっと覆い尽くすような弾幕が広がります。こんなもん避けきれっこないよ、と、最初は思います。
が、ようく弾を見てみると、自機に向かってくる弾はほんの少しであって、ほとんどはあさっての方向に飛んでいきます。
「自分のところに飛んでくる弾と、そうでない弾を見分けて、当たる弾だけ最小の動きで避ける」
ということを覚えるのが、弾幕ゲーを遊ぶための第一歩だそうです。
で、そんなことを俺は生身でやらかすことができるぜ、とレオは自分で言っているワケです。
レオという人物は、
「もう伝説的に、超人的に、むちゃんこつおい」
というふうに描かれるわけですが、書いてる竜騎士さんが具体的にどういう強さを想定しているか、というイメージが、ちらっとここに出てるのかもしれないです。
つまり、常人の群れの中に、一人だけ「東方シリーズ」の世界の妖怪的超人がいるようなイメージ。
(竜騎士さんが東方ファンなのはおなじみのことですしね)
たぶん想定として、「レオは博麗霊夢や八雲紫とタイマンが張れるくらい強い」みたいなイメージを核にして「強さ」を描写してるんじゃないのかなー、くらいのことを思いました。
そのくらいでなきゃ、「伝説の夜」のホテルロビーでの戦いなんて、ありえないですもんね。
アランやキースは、「ものすごい高度な能力を持った常人」として描かれているのに対して、レオは明確に「超人」として描かれていると思うのです。そういうとらえ方をしてみると、わたしはしっくりきました。
●余談5・マダムジャンヌの正体
は、クローディアだと想像していたんだけどなァ……。おもいっきり、外しました。
●余談6
……は、思いついたらここに追加して書きます。
(以上)
■ローズガンズデイズ 目次■
この絵は嫌いではありませんが、ちょっと物足りなかったですね。
うみねこのときは最後にドアを開ける前に震えましたが、今回はやっぱりそうきたか、という感じでした。
私は、樹里がローズの孫であるという設定は最初からあったと考えています。
純日本人の件は赤字、ローズの孫だったというのが金字、と考えればいいのでは。
たとえば、樹里の親が物心つく前にローズが亡くなったとすれば、母は日本人の鏡のような人であったと(実際、下手な日本人よりも純日本人的ですし)聞かされて育った子供とその子供の樹里が自分達を純日本人であると信じていても不思議ではないですよね。
自分が純日本人だと信じている上にローズは純日本人ではない訳ですから、同じ名前の二人が出てきても、不思議に思いこそすれ、最後までまさか自分の祖父母だとは思わなかったということにすれば、一応辻褄は合います。
インタビューを記事にするかという件も、公開しなかった場合のみ最後に真相を語るとジャンヌが決めて進めたとすれば、こちらも辻褄は合います。
話は変わりますが、トリスタンダクーニャという島はご存知ですか。
この島はその地理的条件から、ある病気が世界で一番多いそうです。
Townmemoryさんのうみねこの推理を裏付ける鍵の一つかと思います。