H's monologue

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11月 ほかに何がある?

2020-11-30 | 内科医のカレンダー


<嘔気を訴えて外来を受診した33歳の女性>

33歳の女性が「ムカムカする」との訴えで外来を受診した。

問診表には次のように書かれていた。

「先週木~水曜まで子供の具合が悪くて十分な睡眠がとれませんでした。木曜日頃よりムカムカとして,熱が37℃台を上がったり下がったり,お腹が下ったりしました。他の病院で昨日胃カメラ検査と血液検査をしましたが,胃が少し赤くなっている程度と言われました。血液でも貧血があるが,それ以外には特に異常はないとのこと。生理も遅れているのですが,妊娠ではありませんでした。」

 

若い女性で「ムカムカする」という訴えをみれば,即座にこりゃ妊娠でしょうと考えたが,最後の1行で「ん?」となる。何で妊娠ではありませんでしたと言えるんだろうか。いぶかしげに思いつつ患者さんを呼び入れる。


患者さんの話。

10日位前から子供の体調が悪く睡眠不足であった。6日前より自分自身の体調も悪くなってきた。心窩部に不快感があり,食後にも嘔気があり,37℃の微熱もある。4日前に近医を受診し,投薬を受けた。症状が改善しないため前日に上部消化管内視鏡を受けたところ胃粘膜の発赤を指摘された。のど元がムカムカする感じがあり食前,食後にも症状が続く。頭痛や眼痛はない。

まあ頭や緑内障ではないなあと考える。やっぱり妊娠じゃないかなと思いながら,月経についての質問を開始。

「最後の生理はいつでしたか?」
「○月8日から15日でした。」
「いつも定期的に来ますか?」
「はい。」
「そうすると今日は○月18日ですから少し遅れていますね。妊娠の可能性はありますか」
「ないと思います。」
「それは避妊しているということですか?」
「はい。」
「何を使って避妊していらっしゃいますか?たとえばコンドームとか・・」
「いえ,コンドームは使っていません。でも今朝,妊娠試験を自分でやってみて調べて陰性でした。」
「うーむ・・そうですか。」

(市販の妊娠反応でも予定月経以降に行えば感度は90数%とかだったよなあ。じゃ,やっぱり妊娠じゃないか・・)と思いつつ,診察を開始。

来院時のバイタルサインはBP 100/57, 脈拍 69/min, 体温 37.0℃。微熱。(やっぱり妊娠は疑うな~)

眼瞼結膜に貧血,黄疸なし。胸部聴診上は,呼吸音正常で心音も心雑音なし。腹部は平坦,軟で局在する圧痛なし。腸管グル音 正常でもちろんMurphy徴候なし。肝臓,脾臓,触知せず。

身体所見は予想通り「微熱」以外にはさしたる所見は認められない。

前日に行った近くの医院での検査結果を持参したというので見せてもらう。

WBC6400,Hb9.1g/dl,Ht30.4%,血小板50.7万,生化学でもNa136,K4.0,Cl105,BUN 6.2,Cr 0.47,血糖89で,内視鏡所見は胃粘膜の発赤のみ。

処方はH2ブロッカーとプリンペラン30mg3x。

さてここで何を考えるか?内視鏡も行われているので,胃潰瘍,急性胃炎のたぐいは否定されてしまう。

問題点を整理すると,

#1 主訴である嘔気
#2 貧血は確かにある。多分小球性で鉄欠乏性パターンであろう。
#3 月経が遅れている
#4 37℃の微熱?

胃カメラで異常がなくて症状があるとすれば非潰瘍性胃病変 (Non-ulcer dyspepsia)ということになるか?胆石は鑑別にあがるかもしれないけど,あまり胆石発作を疑う痛みは訴えていない。少なくともこれまで胆石発作を疑うようなエピソードはなさそうである。

 

やっぱり妊娠じゃないか? 今朝「自分でやった」と言う妊娠反応の結果を聞いていなければ,90%いや95%は妊娠だと思うな。でも確かに市販のものであっても妊娠反応(HCG測定は感度がいいから,陰性だったらやっぱり陰性だよな)さて困った。どうしよう。

もう一回妊娠反応をやりましょうといってもなあ。今朝やったばかりと言われたら困るしなあ。

とにかく患者さんはムカムカが強いのでこれを何とかとって欲しいと訴える。

「吐気止めを入れた点滴で少し様子をみましょう・・・」

我ながらセンスないなあ,と思いつつも時間稼ぎをして考えることにする。(良い子の研修医の皆さんはまねをしてはいけません。)

 

そう言えば,かなり昔に読んだ『臨床決断分析』という古典的な教科書の中に,同じようなエピソードが書いてあったっけ・・と,ふと思い出した。

 

以下,少し長いが引用。

ベイズの公式のオッズ-尤度比法の使用がいかに簡単であるかを,本書の著者の1人のエピソードで紹介しよう。

3年前,私の妻が初めて妊娠したと思い,妊娠検査を受けに産婦人科医を訪れた。彼女は確かに妊娠しているはずだと感じていたが,検査は陰性であった。当然彼女は落胆して医師に検査が誤っていないかどうか尋ねた。はじめて妊娠した妊婦のうち10%ではこの検査は陰性になると産婦人科医は言った。私は,その診療所で彼女に会ったとき,医師の話から彼女は落胆しきっていた。”私は彼女に,「検査する前,どれくらい確実に妊娠していると思ったの」と尋ねたところ,彼女は「とても確実に」と言う。私は「それは95%程度?」と聞くと,彼女は「ええ,およそ95%よ」と答えた。私は偽陽性率は無視できるほど小さいと仮定し,頭の中でオッズ-尤度比法を用いて検査後確率を計算した。事前オッズは約20:1で,陰性結果についての尤度比は約1:10となることより,妊娠の事後オッズは(20) (1/10),つまり2と簡単に計算された。これを暗算で検査後確率を約2/3とすることも簡単であった。数秒間で到達したこの結論から彼女だけでなく私自身も妊娠を確信できた。われわれの最初の子供は今2歳になっている。

この例は事前オッズを19:1から20:1に概算したが,数秒間で役に立つ程度の結論を得ることができた。

臨床決断分析 -医療における意思決定理論-  監訳 日野原重明,福井次矢 医歯薬出版 1992
( Clinical Decision  Analysis.  Weinstein MC & Fineberg HV. W.B.Saunders. 1980)

 

この最後の「われわれの最初の子供は今2歳になっている」という気の利いたフレーズがとても印象に残っていたのである。この一節を直ちに思い出して,この患者さんもまったく同じではないか?と考えた。

市販のものであっても今の妊娠反応は99%位の感度を持つはずである。

それでも「今朝,陰性だった」と言われてまた,すぐに検査をしましょうというのも「何となく下品かなあ」とも思う。

散々迷ったあげくに「とりあえず様子をみてもらって2〜3日後に症状が続くならもう一度妊娠反応の検査をしましょう。」といってカルテを書き終えた。

が,やっぱり気になって,

「申し訳ないですが,もう一度妊娠反応を調べてみませんか?」と患者さんに話してみる。

幸い患者さんが同意してくれたため,高感度hCGを提出。

 

結果は・・・・・陽性であった。

 

<What is the key message from this patient?>

hCGホルモンは排卵・受精後7~9日目(すなわち次回月経予定の5~7日前)には妊婦尿中に出現。その後急激に増加し妊娠9~13週でピークに達しその後18週位まで漸減し,以後妊娠末期まで分泌。早ければ受精後10日後,遅くとも受精後3週間(予定月経から1週間後)には90%以上の判定が可能とされる。予定月経の1週間あとに妊娠検査薬を使えば妊娠している場合は90%の方が陽性。

この患者では予定月経の4日後に来院しているため,判定がまだ陽性になっていなかったかもしれない。

市販の検査と病院で採用されている検査に違いがあるのか?感度はどの位なのか?

気になったので薬局のDI室に行き担当の薬剤師に「市販のものも含めて日本である妊娠反応検査の能書を全部調べてもらえませんか?実際にどの程度の感度なのかが知りたいんです」とお願いしてみた。

後日,薬局からコピーの束が届いた。これによれば大体どのメーカーのキットでも98%程度の感度をもつということが分かった。では,なぜその日の朝患者さんが調べた結果が陰性で,その日の昼頃に調べると陽性になったのであろうか?

 

答えはJAMAのRational Clinical Examinationのシリーズ "Is this patient pregnant?" JAMA. 1997;278(7):586-591.  の中の一節にあった。

Despite manufacturer claims of 97% overall accuracy for the test kits used, the investigator found an accuracy of 77%. The participants had sensitivity of 80% and specificity of 68% for detecting early pregnancy using the home pregnancy tests (LR+, 2.5; LR-, 0.29) with similar diagnostic efficiency observed for all 2 kits.

使用した検査キットの総合的な精度は97%とメーカーが主張しているにもかかわらず,研究者によれば77%の精度であった。被験者による家庭用妊娠検査の感度は80%,特異度は68%であり(LR+、2.5、LR-、0.29)、2つのキットすべてで同様の診断効率が観察された。

つまり「患者自身が判定するために,陽性と判断される感度,特異度とも実際のメーカーが謳っているものよりも低く出ることがある」ということであった。

 

上記の『臨床決断分析』の著者の一人が暗算で計算したことを,もう一度わかりやすく書くとこうなる

当初の自分の印象では妊娠の可能性は95%位。

事前確率 95%
事前オッズは  妊娠 95%:妊娠でない 5%  から  0.95/0.05 = 19
妊娠反応 感度90% 特異度100%とすると
陰性尤度比=(1-感度)/特異度=(1-0.9)/1 =1/10
事後オッズ=事前オッズx尤度比=19 x 1/10=1.9
事後確率=1.9/(1 + 1.9)=0.65    すなわち 65%

つまり検査前に妊娠の可能性を95%と疑っていた場合,たとえ検査が陰性であっても検査後確率は65%である。

 

この患者を経験してから,自分が何かの疾患の可能性を考えたときに「一体自分は何%くらいの確率で疑っているか」と具体的な確率を無理矢理にでも意識するきっかけになった。

自分の思考過程を定量的に考える癖をつけると時に役に立つ。

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