◆青色吐息。。。。◆
クリスマスから大晦日、、お正月とアッという間だった。
母の猫家族が星になり、慌ただしくもの悲しい年越し。。
半日を寝て過ごすようになってしまった母。
母の先に見える光は、細く消えそうに見えた。
年末年始、ワタシのヘルパーさん代行も終わりに近づき、ポンと半日が空いた、、
ひとりお節をこしらえ、ゆっくり赤ワインを飲みながらラジオを点ける。
土曜の午後、久米宏のTBS「ラジオなんですけど」からは、
突然女性の涙声が聞こえてきた。
お正月特番『新春スポットライトSP「おんなたちの戦後70年」』を
生き抜いた女三人の特集らしい。
これは以前収録したモノを三本立てで放送。
出てくる三人はその道のプロ、成功までの道のりを語る。
ワタシの耳に飛び込んだ涙声は焼き鳥の名店「鳥重」の女将。
苦労話と懐かしさで感極まった所だった。
久米さんの人心を捉える言葉で、
ゲストをなんとか泣かずに話せるよう巧みに誘導。
ほろ酔いのワタシが
「泣くなよ、、一生に一度の晴れがましいチャンスなんだぜ。。
伝えなきゃもったいないよ・・・」とラジオに文句を言う。
女の涙はひどくニガテ、
紅白で感極まって、歌えない歌手はとくにニガテ、、
もしかして、今日三人共泣いたら切ってやろう!と思っていた。
二人目はラジオ店の女主。
戦後のどさくさの大変さとパイオニアの苦労。
三人目………とんでもなく
90歳の桃尻娘だった。。。。
◆桃尻娘。。晴れた空◆
赤坂在住、長谷川マツコさん90歳にならんとしていた。
長谷川さんが83歳の時、久米さんの街頭インタビューで知り合った。
それが去年偶然にも病院の待合室で再会。
彼女の破天荒な生き方と心意気にシビれた久米さん。
『ラジオなんですけど』の今週のスポットライトに長谷川さんを出演させた。
小田原ので鳶職を生業にする父をもち、
肌に絢爛な刺青を入れた男衆に囲まれ暮らした幼少期。
養女に出され、その後家出。
終戦の時は20歳くらい。
大黒柱の父を亡くし、女ひとり。。地獄だった、、
明るく逞しい気質の彼女は職には困らなかった。
昭和20年5月、ドイツ軍が降伏。
その時のドイツ海軍が日本に逃げ込んできた。
ドイツ軍艦の爆発で、
終戦後も沢山のドイツ士官と妻たちが横浜の辺りで暮らす。
昼はドイツ士官のハウスキーパー、
夜は南京街でドイツ士官の奥方相手に違法なドルチェンジ。
アメリカ軍のミリタリーポリスの目をかいくぐり、お腹を満たす日々。
長谷川さんの明るいべらんめ~口調で
『終戦で全国民が闇市で生き延びた。でもねみんな大らかだった。
だから女ひとりでも、
日本人が立ち入り禁止の南京街で稼がせてもらった。。
あの当時の私の眼つきはどうだったんだろう・・・』
その後、材木商と結婚し裕福な生活は続かず倒産二回。
『男ってだらしないねぇ、、
いつまでも社長気質が抜けない。。
ありったけのお金をかき集めて東北にダンナを逃がして、
それから借金を返すためにバンバン働いた!』
赤坂「瀬里奈」ではアラン・ドロンに会ったという。
『なるほどね!天下のアラン・ドロンは違ったよ。
でもね、お腹いっぱいになんないだよね、、あはははは』
久米さんの今は暮らしはどうですか?の問いに
『安定してるね!あとは三途の川を渡るばかりだから♪』
長谷川さんに次回の出演をお願いする久米さん。
『生きてたら、二・三年後にお願いします。。
あ~~~面白かった♪』
コレね、コンパクトにまとめて書いたけど、
一生懸命に突っ走った人は、一生懸命遊んで愉しむ心がある。
どんな苦境も乗り切って、生きざまを楽しく可笑しく話せる。
その根っこは生き抜いた自信なんだね。
ブルーのザックリしたセーターに黒のパンツ。
シルバーのシューズにシャネルのメガネの90歳。
歳を取ると汚くなるから、着るものはちゃんと考えなきゃいけない。
こんな事をサラリと言える。。こんな女は誰からも愛される
元気がもらえる。。真っ青な晴れた空を見るようなラジオだった。
そして母にもこの凄い話をYOUTUBEで聞かせようと思う。
**半村良「晴れた空」**
長谷川マツコさんの言葉は、
半村良「晴れた空」上下巻に書かれてある世界そのものだった。
街には戦争孤児が溢れ、身を寄せ合って生きていた。
去年の「永遠の0」とは異なる、全国民の生きざまが書かれている。
凄いスピード感と臨場感がある本です。
私が読んだのは20年前。。
いい本ですよ!
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