部屋のクロスも貼りかえて、かなりのものを処分(正確には移動しただけ)しました。アルバムや資料などもその一つです。
57年前の通学定期で16才と記入されています。最寄りの駅から荻窪までですが、C大S高に通っていたころのものです。電車に乗るのもやっとですが、カバンを離しても落ちないくらい超満員電車でした。
きっと高3の修学旅行(九州一周バスの旅)だと思います。
そのころだと思いますが、山中湖かな?モーボートなどで遊んでいたりもしました。
また、大学生に交じってヨットなども楽しんでいました。よく見るとボーイスカウトのメンバーだと思います。この中のお二人は米国にお住いなのでしょう。理工系(土木工学科)を目指したのも右端の方がこれから土木建築の時代だよとアドバイスがあったからです。
首都高速道や東名高速道も全線がつながっていない時代です。思い出せば学生の頃、静岡県の小山付近の山中で、東名高速道建設現場でアルバイトしていました。寝泊まりは民家の無い山中の現場で半場(プレパブの作業員宿舎施設)です。遊び場所もありませんので、バイト代は溜まりました。それが一人米国の旅となる資金でした。
北米一周を一人旅をしていたころボストンに立ち寄った時の街角です。当時の雰囲気はレンガの街がイメージでした。
何回もご紹介しているアルバイト先の日本食レストランです。観光ビザでしたので、就労はダメですが、オーナーの知り合いでたまたまお手伝いとしての立場です。危なくイミグレーション(移民局官)に捕まるところでした。無謀な一人旅です。
その後、結婚して子どもと遊ぶことが好きで、イギリスからキットを取り寄せて自作のヨット(ミラー級)までつくりました。*こんな写真まで出てきました。
井の頭公園の像「はな子」さんの等身大の写真です。もう就職していましたが、大変な仕事ばかりで良いイメージはありません。たとえ息子がこの職業を選ぼうとしたら反対していたでしょう。*他の方は、楽で潰れないしこんな仕事をさせたいと思っていた方がほとんどの職業です。
ドイツから移動中の車中だったと思います。
これはケルンだったかな?常に一人旅でした。
我が家にホーステーしたオランダの子が来てくれと言われて訪問した時です。
そう、ベルリンの壁が崩壊して3カ月後に、単身で現地を訪れました。壁はドンドン壊されその時も総領事にお世話になったこともあります。
ベルリンはどこにあったかご存じですか?①華やかな西ドイツに接していた。②共産国の東ドイツのどこかにあって壁で囲まれていた。正解は②です。東ドイツの真ん中あたりで、面積は東京都23区くらいです。その周りに壁を造って、西ドイツの方などが暮らしていたのです。ベルリンへ行くのは飛行機か、鉄条網に囲まれた列車(地上)で行くのです。
東西ドイツを合わせても日本の面積の方が広かったのです。
写真を見ると、何故か思い出などで手が止まってしまいます。
ちなみに昨日の画像です。ダンスのレッスンに行ってきました。今日は道志に向かいます。
差し上げた宝石コーンなどが飾られていました。
今月の30日はダンスの試合がありますので、それなりに楽しんできます。早朝に出ますのでこんなものでお許しを!
yuki74
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