私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

ひと「歴代首相も通った国会内の理容師」

2024年12月31日 | 自分のブログ

今日は午前中に1本と午後にもう1本(計2本)ご紹介いたします。

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朝日新聞(2024.12.25)に「ひと」と題するコラムがありました。

文中の小鹿里代さん(85)

歴代首相も通った国会内の理容師、ハサミを握り67年

ちょっと印象的でしたのでご紹介いたします。

福島県川内村の農家に生まれた。郡山市で理容師の資格をとると18歳で父親の後押しで国会内の理髪店へ。上京してアパート暮らしを始め、それから67年、ハサミを握り続けてきた。

かっこいい髪型にしてやったら、みんな子どもみたいに笑うんだ」。政治家たちは権力闘争と無縁の穏やかな時間をここで過ごした。1972年の自民党総裁選で「角福戦争」を争った田中角栄氏と福田赳夫(たけお)総理も常連だった。田中氏の財布はいつも一万円札でパンパン。百貨店でアクセサリーを買って来てくれた。

20代後半で長男を出産しいったん退いていたが、衆院事務局から頼まれ、閉店する店を継いだ。その際、保証人を買って出たくれたのが福田氏だった。「どっちも優しくて、ちょっと人見知りでね。よく似ていたよ」。首相在任中にがんで入院した池田勇人氏からは、病室に呼ばれた。髪を切ってあげた後の、照れくさそうな「ありがとう」が今でも耳に残る。

この先もどんな政治家に出会えるか、見ていたい。それでも元気な内に趣味の書道や温泉旅行を楽しみたいと、25日の接客を最後に引退を決めた。

この年末、馴染の政治家や議員秘書、官僚たちが、それぞれの思い出をかみしめながら店に集う。上京する時、「お偉いさんばかりの国会で働くなんて無理だ」と止めた村の人たちに言いたい。「国権の最高機関は、本当に最高の場所だったよ」 

                          文・写真 藤原慎一 氏

                          NHK newsでも紹介されていました。

私もいろいろなことで何度か、衆・参の議員会館の地下道を通って国会議事堂内に入いりました。もちろん議員会館に入るにも手続きや身分証明も必要で、お会いする議員の了承も得て置かなければなりません。地下通路で議事堂に行くにもガードマンがいます。

議事堂内には土産物の売店もあり、歴代総理の茶わんや似顔の菓子も売っていましたね。食堂も安く、見たことがある大臣や議員などが利用していました。そんなに高くはありません。たしか半地下にあったような記憶です。もちろん我々も利用できます。(許可が必要ですけど)

 

もちろん、この床屋(理容院)もありましたが、美容院は無かったような気もいたします。

国会審議中の大臣や議員の顔とは違った、温和な顔も本当の顔なんでしょう。

女性の国土交通大臣は宝塚出身ですので、大臣室は大臣席(執務台)の上も胡蝶蘭で一杯でした。

ふと、この雰囲気を思い出した議員会館や国会議事堂と各省庁でした。

*朝日新聞さんには、何の了解も得ずに拝借しています。

 

yuki76  

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我が家の家紋と意味(雑学)

2024年12月30日 | 自分のブログ

私の家紋は丸に蔦、そして女房の方は九曜星です。

結婚当初に(51年前)、我が家の守り神(縁を結んだ)?として私が杉板に描いたものです

今では自分の家紋を知る方も少なくなったと聞きます。

家紋は、一族や家系を表すシンボルであり、その家の出自や血統を示すとしています。

平安時代以降、貴族や武士が自分の家を他と区別するために使用するようになり、その後一般庶民にも広まったとありました。

家紋のデザインには、その家系や先祖に関連する意味が込められていることが多いのでしょう。たとえば:

  • 植物: 繁栄や家の成長を象徴(例:桐、梅、竹)。
  • 動物: 勇気や忠義を表現(例:鷹、鹿)。
  • 道具や形状: 家の職業や特技を表す。

また社会的・文化的役割もあります。

  • 結婚や葬儀: 家紋は、婚礼や葬儀などの儀式で用いられます。和装の着物や墓石に刻まれることが多く、一族の絆を再確認する役割を果たしているのでしょう。
  • 区別と連帯: 戦国時代には、戦場で敵味方を区別するための旗印や装備にも使われました。

 デザインの普遍性と美しさ

家紋のデザインは非常にシンプルで抽象的でありながら美しいものが多く、これが現代でもロゴや装飾デザインのインスピレーションとなっているかと思います。

家紋(西洋ではエンブレムでしょうか?)は先祖代々からつながるもので、その家の目印として繁栄や勝利するなどいろいろな意味が込められていると聞いています。

我が家の「丸に蔦」は、ツタは、樹木や建物などをつたって、どんどんとそのテリトリーを広げる繁殖力の強い植物であることから、家系や子孫の繁栄のイメージで捉えていると聞きます。

また、女房の「九曜星」は9つの(日・月・火・水・木・金・土の七曜星と彗星の2つを表すといわれます。真ん中の大きな丸のまわりに小さい丸を8個並べたデザインで太陽と惑星の意味し、いつでも明るく世を照らすとか、子孫繁栄と言う思いからできたのでしょう。諸説あります。

女房は山梨県出身ですので、戦国時代で武田信玄の関連があるのかも知れませんが、先祖代々百姓と聞いています。でも、親戚筋には県知事さんになった方もいました。お婆さんは知事の名前を呼び捨てにしていましたね。

紋付(もんつき)の着物を見ることは、最近は減っていますが、かつては紋付き袴が正装とされ、成人式や結婚式で着用されていました。

年齢がある程度上の世代なら、紋付の着物を持っている人も多いかもしれませんが、いまでは、ほとんどが貸衣装になっています。

また、先祖の写真に紋付の着物を着た人物が写っていれば、自分の家紋が分かる可能性もあります。

私も結婚式の時は紋付袴姿でした。しかし、貸衣装でしたので紋は張り付けた(張り付け紋)でした。

また、嫁入りする時は自分が生まれた家紋を身に付けます。

したがって女房も結婚式などで着る衣装などは実家の紋になります。結婚して子どもたちはほとんどが主(私)の家紋になりますが、このようにしてそれぞれの家の二つの家紋が存在しています。

夫婦別姓の時代に家紋の持つ意味も変わって来たのでしょう。まぁ~今では通用しない年寄りの話しになってしまいそうです。

そう、パスポートは多くの方が持っているかとおもいます。

表面には菊のご紋章が記されています。

パスポートの表紙部分の「日本国旅券」篆書体になっています。神聖な文字とされています。

また、"この紋所が目に入らぬか~!"のセリフがある、水戸光圀公は徳川家康の象徴「三つ葉葵」ですね。

皆さんの家の「家紋」がどんなものかご存じですか?「いや、うちには家紋はないよ」「見たことない」という方も多いかもしれません。

でも、機会があったら是非調べてみてください。家紋は日本に古来からある紋章(エンブレム)であり、現在の苗字や住まいのある地域に由来することも多いと言います。

墓参りする時や、今では少ないかと思いますが、着物を仕立てるときなどに家紋を入れることもあるかと思いますので、自分の家紋を知って置くのも良いかと思いました。

さらにそのご紋の意味などもネットで知ることが出来ますので面白いかと思います。

温故知新(古きを訪ねて、新しきことを知る)アナログからデジタルですかね?

実は私の方は代々呉服屋をしていましたので、家紋帳などを良く目にしていたからです。

*******

話は異なりますが、鳳凰ってご存じですか?

賞状など縁取りにも鳳凰が描かれています

鳳凰と言う一羽の架空の鳥とお思いでしょうが、実は鳳と凰と言う二羽で成り立っています

西洋では、東洋の不死鳥ともみなされ、「フェニックス」と呼ばれることもあります。鳳が雄、凰が雌のようです。

品格のある紙幣にふさわしいものとして、瑞鳥(ずいちょう)として、前一万円札の裏面でも図案化されていた鳳凰を採用されていました。

旧一万札です。

紙幣も変化し、これまではこの裏面になっていますが、新一万円札からは登場していません。

子どもが来れば、この鳳凰も飛んで行くのでしょう。

これも雑学です。

 

yuki76

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書道家 内田藍亭先生と昼飲み会

2024年12月29日 | 自分のブログ

自宅には内田藍亭先生が揮毫された、母の「幸」の字を入れた『幸慶』の額装が飾られれています。

友人の書道家 内田藍亭さんとはどちらかと言えば酒飲み仲間で、いろいろな場面でお付き合いさせていただいています。

以前、「夢」と言う字を揮毫(書いて)いただきましたので、夢に絡んで無理言って「初夢」を揮毫してくれないかとお願いしました。

すると「漢字5書体」もお送りいただいたのです。篆書体(金文)・隷書体・草書体・行書体・楷書体で揮毫されたものでした。

各書体については、後日詳しくご紹介いたします。

金文で「初夢」と揮毫(書かれて)されています。そこで漢字の原点のような金文で「初夢」と言う書体の成り立ちなどお教えいただきたいので、昼飲み会をしたのも一つの理由です。

昨日、お互いの中間点である駅前で待ち合わせしました。私はよく行く店です。

いやぁ~混んでいますね。まだ昼の1時過ぎですよ。8割方が女性客です。

我々も負けじと乾杯です。

先生が編集なさった「古典に見る臨書研究(中国編)の図書をいただきました。

次に熱燗を注文しました。美味いですねぇ~  特に昼飲みは・・・

藍亭先生からいただいた「加工紙・大色紙サイズ」の「初夢」です。

金文でのご説明です。

そして、書体の成り立ち?をお教えいただきました。

指さしているのが「初」と言う字です。これが「初」に読めますかね?

初」は「衣があって+刀」と言う字になっています。

意味は、刀で衣を裁ち産着を初めてつくる。ことから「初」と言う字(金文?)が出来たそうです。

続いて「夢」と言う字です。時代背景が異なると仰っていましたが、なんか上の部分が角のように見えますが、太い眉毛と目で寬(うかんむりの無い字)カン*パソコンでは出て来ません。「巫女」を表し+下の(夜)で、巫女が操る霊が夜にあらわれる。と言う形が「夢」と言う字を表していると言っていました。

へぇ~です。夢は巫女さん操る霊なんですね。私はよく夢を見ますが、巫女さんが操っているとは・・・。女難の相があるのかなぁ~?そんな相があっても、今ではその気にもなりません。

いやぁ~簡単な考えで、「初夢」を書いてくれないかと無理なお願いをしちゃいました。

初夢とは、年明け後の元日~1月2日にかけて初めて見る夢のことで、近年に使われた言葉だったんですね。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」の夢を見ると縁起が良いといわれています。富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という言葉にかけられています。

一富士二鷹三茄子の由来には諸説あるようですが、徳川家康が好んだ「富士山」「鷹狩り」「茄子」を順番に並べたという説が有力のようです。

いづれにしても時代背景のない合わせ文字なので、先生もご苦労なさって書いてくれたのでしょう。

このような話(説明)を聞きながら、書の奥深さと面白さを知りました。

字を上手く書きたいと思う時は、冠婚葬祭で袋や記帳する名を書く時や年賀状、またはサインする場面ですよね。また、かな文字がきれいに書けると良いなと!と思うこともあります。

私も今は筆を休めています。各書体が上手く書けるには日々の勉強(筆を持つこと)が必要なのでしょう。準師範までになりましたが、都合で筆を止めています。日記だけは小筆で書いていますけどね。

親しくさせていただいている内田藍亭(うちだらんてい)先生は、今の天皇陛下がご幼少(皇太子)のころ、書を習っていた先生が桑原翆邦先生で藍亭先生は門下になります。私は強いて言えばその門流ですがず~っと下流になるのでしょう。

お隣にいた女性にその鍋美味しそうですねと声をかけたら、一緒にどうですか?と誘われましたが、会計も済ませていますのでサヨナラしました。

ポーズしている時の若い女性の笑顔が印象的でしたね。

女性も自分のスマホでパチリしてくれないかと言われましたので、撮って差し上げました。

また、いただいた「初夢」の各書体の歴史や説明などは、後日ご紹介いたします。

 

yuki76

 

参考

内田藍亭(らんてい)uchida rantei

1971年生まれ。富山県出身。 静藍社 主宰

武蔵野美術大学大学院特別指導講師

二松學舎大学文学部講師

三越カルチャーサロン講師

書宗院参与理事

全日本書芸文化院運営総務

墨華書道研究会同人

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年末の一日と75歳の壁

2024年12月28日 | 自分のブログ

昨日は朝から動起き回っています。

女房を駅まで送り、その後スタンドに寄り給油と洗車、そして道志用の石油も買い求めました。

道志のスタンドはそんなに利用者も多くは無いのか?そこまでの運搬賃なのか、各種燃料が割高になっているからです。

機械洗車での水洗いだけしてもらい、自宅で拭き取ります。(600円だったかな?)

それから大型電気店にカメラのレンズにホコリが入り、修理をお願いしました。

また、修理のために3万円近い出費です。

そう、材木屋さんで木っ端(こっぱ)は道志で燃やすためと、おが屑をいただきに行きました。

ブログ画像をお見せして、こんな風に使っているとご紹介いたしました。

いつもいただいていますので、何に使うかスマホの画像をお見せしました。

"へぇ~ 敷地内に湧き水が流れているの?"と言っています。

木っ端はこの様に燃やしていると・・・。

材木屋さんも木っ端は産廃で出しているので、持ってってくれると助かると言っていました。

その分、おが屑(カンナ屑など)は、霜よけや通路に撒いています。これもなかなか手に入らないものなんです。

そして、おが屑はこんな風に利用していると、画像をお見せすると喜んでんいました。

普段は、大学の馬術部が貰いに来るそうです。

23日のことですが、ダンスのレッスン最終日でした。

正直、ダンスも嫌いじゃないけど、退職後は気も抜けそれほど(夢中になるほど)好きじゃ無くなったような気もいたします。働いていた頃は試合に出場したり、それなりに頑張ってはいたのですが・・・。

やはり、自由時間も少なくバリバリ忙しく行動している時の方が、多趣味でなんでも熟せるのですね。「忙しい方が、何でもこなせた時期もあった」

60歳で定年。65歳まである団体の役員で。ハンティングされて72歳まである企業のアドバイザーとして、羽田と品川まで約1時間半かけての通勤でした。

この時期ですと、まだ陽が昇っていない時間に家をでました。目的地近くまで座って行きたいので、この駅発の1本見送って次の電車に乗ります。

品川駅の港南口ですね。ここの本社にも出勤していました。

また、モノレールで羽田方向にも勤めました。

モノレールは浜離宮付近を通過します。

手前が自席です。窓際は役員クラスの席ですが、嘱託社員の私が窓際になっていました。

詳しくは申し上げられませんが、窓際が自席でした。

ここは羽田飛行場の近くで夜景がきれいな場所です。

上層階の社員ビュッフェからパチリです。

普段の仕事はアドバイザー(言いたいことを言う)立場でした。

時には、社員幹部を前にしてお話しする機会もあり、また全国を飛び回っていました。大した技量も無いのにです。

結構充実した仕事で、一年契約更新でのただの嘱託社員(アドバイザー)です。

まだ、もう少し手伝ってくれと言われていたのですが、コロナ禍となりまたテレワークとやらで週に数回の出社でしたので、72歳で仕事人間から完全退職したのです。

*退職して間もなく(コロナ禍が収まって)、本部長よりメールがあり会長と3人で送別会をしたいと連絡がありました。場所は神楽坂のお店です。

完全退職してからは、何もすることの無い誰とも話をすることもない生活がスタートしたのです。なんか、ハシゴを外された感じの日々です。

エブリーサンデーとはこのことを言うのでしょう。誰しも経験する大きなスランプ?が4年続きました。

"こんな筈じゃない!"一人観光バスに乗っても、バスの中はみなさんグループで話し相手もいなく、そんなに面白いものではありませんでした。近くの公園を散歩しても、万歩計のためでした。

追い打ちをかけたのは、昨年からの夏の猛暑です!暑すぎて動けるような状態ではないのです。

バイクでの交通事故(被害者)から、母の他界その後の手続きなどもありました。

救急車での搬送でした。

その間に、結婚50周年も迎えました。

今年になって自分の不注意から手のケガも3度もあり、探しものする日々は数えきれないくらいです。

誰が付けたのか「後期高齢者」と言う言葉です。運転免許書更新も認知機能検査も加わりました。いま思うと、高齢者の更年期状態だったと思います。

ダブって乗せています(回想録)

クリスマス前にもスタジオのパーティーがあり、女房と友だちで参加しましていました。

どうせ行かないだろうと私を誘いもしません。(こちらの気持ちも分かっているのでしょう)

私たちの前に、私より年配の方が踊っていました。週に3回レッスンでリハビリを兼ねてを教わっているようです。先生も町が無く効果が出ていると言っていました。

これじゃ~本当に年寄りになっちゃうと思い、9月からスポーツクラブに通い始めました。

運動習慣を身に着けるためと、年寄り体型(頭が突っ込んでいる。背中が丸い。歩幅が小さいなど)を改善するためにです。

パーソナル(個人指導)は週に3回でしたが、今では2回にしています。

全て私のメニューに合わせてです。段々体力と体幹も出来て体型も変わりました

以前は出来なかったことが出来るようになります。

ちょっと、火が付きましたね。

やはり、今の私にとっては運動習慣を身に着けることが、目的と発散につながっているのでしょう。

関西出身の孫のようなトレーナーですが、からかっているのも(会話も)面白いものです。

退職後の誰しも経験する大きなスランプ?(4年間)から、脱皮できそうな感じです。

同じ経験をしている仲間も、抜け出すのに苦労しているようです。

先日もご紹介しましたが、75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道のような気もいたします。

私が思う「75歳の壁」です。

昨夜も美味しい鍋をいただきました。

すみません!これこそ個人的な状況をお話ししてしまいました。

「75歳の壁ある」と感じますが、同じような境遇の方がいれば何かの参考になるかと思います。

今日は昼飲み会で出かかけます。

 

yuki76

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新聞受けづくりと年の瀬

2024年12月27日 | 自分のブログ

毎日、投函してくれる新聞ですが、普通の郵便受けには入りづらいですね。

配達のする方のことも考えて、新聞受けを設置しています。(これで2台目です)

新聞を投函するのにちょうど良い場所にしました。

先ずは杉板を新聞の大きさを考えてイメージづくりです。

やはり、木目が好きですのでバーナーで焦がすように焼きました。この方が長持ちします。

このように、新聞が二つ折りにされて入る投函口です。

裏面は取り出し口をこんな風に作りました。屋根も大きくし雨も入りません。

小型郵便や宅急便の小さなものは、ここに入っています。

道志から持ち帰った杉皮を屋根に張り、庭の真竹を切って割って押さえにします。

風情がありますね。(自己満足の出来る作品?です)

元旦に投函される広告が入っている部厚新聞も入る大きさです。

いつもご苦労さまです」と元旦には新聞受けにメモを張っておきます。

屋根に張った杉皮が小鳥などが巣作りのために啄んでいくのでしょう、また張り替えようかと思っています。

配達される方の気持ちになって、作った新聞受けです。

*******

クリスマスも過ぎて、いよいよ年の瀬を感じてきました。

家の正月飾りを設置したり、室内の掃除もしていました。

先ずは換気扇の掃除です。

油で目が詰まるくらい放置していました。付け洗いしても落ちません。

庭で小形洗浄機で吹き飛ばすようにしてもダメです。最後はブラシを使って手作業でスッキリしました。

続いて、居間の照明器具です。ガラスを外して洗い流しました。こんなに埃が付くものか?と驚きです。

やはり、明るくなりますね。これら外仕事や高所そして油の付いたようなものは私の役割です。

朝食です。ほんと冷蔵庫の片付けで、女房は節約のためにあまり買い求めません。

きんぴらや、牛筋を大根やこんにゃくなどと煮込んだものも美味しい!

そして、11時半からジムに行きました。歩いても5分のところです。

人によっては、「車で行って自転車こぎ」なんていう川柳もあります。

パーソナル(個人)トレーナーです。関西出身でまだ若いのですが、人柄も良く私に合ったトレーニング方法を教えてくれます。

このパーソナルトレーニングを受ける前に柔軟を30分かけて行い、ランニングマシンを上り坂(角度7~8度)のようにして、まるで登山のように1時間近く歩くのです。

計2時間半ジムにいたことになります。週に何回かこんなことの繰り返しです。

いつも口にしていることですが、コロナ禍とほぼ同時に退職して(72歳)生活環境が大きく変わりました。老いて来る体も実感していました。なんか前向きにならない月日が続きました。

自分に言い聞かせて、"こんな筈じゃない!"と・・・。

私は75歳が健康の分かれ道かと感じました。この分かれ道でいまの状態を脱皮しなければと思い76歳過ぎてジムに通い出したのです。それなりに費用もかかりますが、病で入院すれば1泊で2万円~3万円(粗食で)します。それを考えれば(そんな状態を先延ばし出来れば)なんとかなるかと思ったからです。

ジムに通って4カ月経ちました。今は心身共に元気中です!

こんなことを考えながら、今朝コーヒー(ガテマラ)を淹れました。

良い香りがしています。

お気に入りの岡山で買い求めた備前の器でいただいています。

5時前ですが今朝のお月さんは、まだ東の空でした。

28日は書道家の先生と昼飲み会です。

 

yuki76

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仏壇にクリスマスケーキ

2024年12月26日 | 自分のブログ

昨日はクリスマスでしたね。

我が家は仏教徒「Buddhist」です。海外で宿にチェックインする際に宗教を記載する欄がありました。

今も存在するかとChatGPTに聞いてみました。

昔のアメリカのホテルでは、一部の場所でチェックイン時に宗教欄を記入する形式が存在したことがありましたが、これは宗教的背景や宗派が旅行者のニーズ(特に礼拝や食事の配慮など)に影響を与える場合があるためでした。

しかし、このような欄が差別や偏見につながる可能性があるとして、現代では一般的ではなくなっています。多様性の尊重やプライバシーの観点から、宗教に関する情報を求めることは、現在ではほとんどのホテルで廃止されています。

まだ学生でしたので、渡米中のホテルはボロでも安いホテルか、YMCAでした。あとは旅費(宿泊費)を稼ぐため、夜行バスを利用していました。

当時のYMCAは安いのですが、設備も良くはありません。ここは男性(メンズ)のみですので、プールなども水着は付けていません。(いわゆるフルチンなんです)

さらに当時のことですが、ホモが多かったのも印象でした。安く、危険な宿でした。

日本人の多くは無宗教だと言っても信じてくれない時代でしたね。

*我が家は日蓮宗の仏信徒で、現在私が菩提寺の筆頭総代を仰せつかっています。

ある時、先輩が亡くなって途方にくれるご家族から葬儀を任されました。宗派やお寺があるのかどうかも知らないご家族でした。

結果的に宗派は分かったようですが、寺も知りません。葬儀社さんに手配していただき、その宗派のお坊さんが来られそれなりの値段(ちょっと高いかも?)で戒名も付けていただきました。

亡くなられた方を知らないお坊さんに戒名を付けていただくのは、気持ちとしていかがかな?と思ってしまいます。(よくある話しのようです。まさにこれを営業している葬儀社さんとお坊さんのつながりがあるようです)

私は菩提寺の弟のように思っていた住職が50歳代で亡くなりました。

亡くなる間際に、ベッドに横たわる住職から、私たち夫婦をよくし知っていますので(住職にお嫁さん探しから仲人もさしていただきました)知らないお坊さんに戒名は付けさせたくないと「生前戒名」をいただいています。

震える手で、一文字ひともじを説明してくれました。私たちに合った心のこもった生前戒名でした。そんな思い出があります。

さて、昨夜は母は甘いものが好きなので、仏壇にクリスマスケーキをお供えしました。

仏教とキリスト教の合体です。こんなことも不自然では無い時代になっています。

夕食は普段と変わりありません。ローストチキンもありませんね。豪華なクリスマス料理もしません。

女房の親族が鰻屋さん(うな竹)から、送ってもらい冷凍保存したものをいただきました。

実にクリスマスらしくない粗食です。冷蔵にあるもので変わりない夕食です。

女房がどなたからいただいたケーキを半分いただきました。これでクリスマス気分を味わいました。

今朝5時過ぎのお月さんは南の空です。

4時前は雲がかかっていて、撮れませんでした。

この閲覧数は初めてです。きっと何かがヒットしたのでしょう。

つまらなく、内容もガテゴリーも無い拙ブログをご笑覧いただきありがとうごさいます。

 

yuki76

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心を打たれた はがき(団塊シニアのひとりごとさんより)

2024年12月25日 | 自分のブログ

拙ブログをご笑覧いただいている「団塊シニアのひとりごと」さんは全くの同世代で、いつも意味深い内容をご紹介されています。

今回は特に感じるものがありましたので、ご本人の承諾を得ずにご紹介させていただいます

(コメント欄はクローズされています。不適切であればご連絡ください)

「夫婦の絆を感じるさせる一枚のはがき」  2024年12月24日 老後の生き方より

全文をご紹介いたします。

日本郵便のはがきの名文コンクールで入賞した71歳の男性が神様に宛てたはがき、奥様との闘病生活の日々が目に浮かび奥様の無念さ、御主人の悲しみが癒えない気持ち、そして今なお奥様に対する熱い想いが伝わってくる素晴らしい内容に心を打たれた、その一枚のはがきを紹介します。

神様に宛てたはがき

七年前の今日、三年間の苦しい闘病生活を終え、妻が旅立った、一段落して妻のベッドを片付けていると、「もし生まれ変わったら、また結婚してくれますか」と記されたメモを見つけた。

力のない震えた字が愛おしかった「もちろん」と生きている妻に応えたかった。伝えたい言葉がたくさんあったのに、見せたい絵も、聴かせたいジャズも、行きたい街も、神様お願いです、

「僕の方こそお願いします」と必ず妻に伝えてください。と・・・・。

縁側に咲くシャコバサボテン

*******

これは私の話しになりますが、義父が他界した時に長男が父が母に対する想いを綴った手紙を見つけ、葬儀の際に読み上げた内容でした。そこには義父が妻に対する感謝と愛情の想いがあったのです。

「まさ子・・・苦労かけたな。・・・ありがとう。苦しまずに他界してください・・・」全文は控えます。

戦争を経験し、国鉄の機関区で仕事し昇進するための異動があっても、家族とは離れないと断った父です。小さな田んぼを耕しながら暮らしていました。今でも長男が米を送ってくれます。

女房(娘)を東京に出した後(私との結婚)も、子を思う親の気持ちか相当心配したのでしょう。胃潰瘍になり胃を切る手術もしたくらいの父です。

実際に義母と言うより、私に取っては実の母のようでした。前日まで長男夫婦や孫に囲まれて世間話をしていたようです。

翌朝 母はトイレに行き、寝室に戻る途中で倒れて苦しまずに帰らぬ人になりました。突然の別れに、その時の家族の驚きは相当なものがあったかと思います。

しかし父の想いを知っていたのか、母は苦しまずに他界いたしました。その時代でも、愛する妻への手紙を残していた義父でした。

私たちも結婚52年目を迎えます。義父や義母にも申し上げたいですね。おかげさまで幸せに暮らしていますよと・・・。

*******

我儘な私です。団塊の世代ですので、それなりに苦楽ある生活をして来ました。

私自身はまるでお釈迦さまの手のひらにいる孫悟空の様に、自由気ままに飛び回り暮らしてきました。

これも女房のおかげかと思います。私も生まれ変わったら、また女房にめぐり合いたいと思いっていますが、女房は今度は違う人と言っていました。残念ながら それも有りかな?と思えます。

今朝(25日4時半ごろ)の南の空のお月さんです。

 

yuki76

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年末の粗食(塩辛・おでん・鶏肉あんかけ)

2024年12月24日 | 自分のブログ

我が家ではクリスマスはありません。お節料理などもせずに、普通の粗食で済ませることにしました。

近所のさかな屋さんで良さそうなイカがありましたので、3杯買い求めました。

ヨシ!まずはイカ刺しと塩辛でも作ろうと・・・・。

先ずは、イカ刺しの出来上がりです。

次に塩辛です。生でもいただけますので、美味しいわけです。

ワタも量も多く、良いものかと思います。適度な塩や醤油と酒などをかきませぜて、指を入れて味を確かめる程度です。

瓶に詰めて保存したしましたが、2日間で無くなってしまうのでしょう。

女房が鶏肉のなんかを作っています。美味しくいただきました。

冬はやはりおでんですよね。出汁から作ってくれますので、本当に美味しいのです。

以前、いただいたことのある羅臼の昆布ですが、今では品が少ないようです。

たまたま、画像が残っていましたので、ご紹介いたしました。

ご進物用ですので、包装も立派です。

なんとまぁ~贅沢なお品(羅臼の昆布)です。

この紋所が目に入らぬかぁ~!です。

酒(麦焼酎)をこよなく愛する私です。拝むようにいただきます。

「百薬の長」この世に酒が無いのは、空気の無い地球のようなものです。

汚れた車も洗い流し、中も掃除機をかけました。

女房も都心へ出かけていますので、昼は具沢山のワンタンにしました。

ほんとこれで十分です。外食などは眼中にもありません。

夜は今年最後のダンスのレッスンです。

朝3時半に目が覚めていたものですから、夕刻6時からのレッスンも気乗りしません。

先に私より年配の方が週に3回レッスンを受けていると言っていました。

リハビリのためだと聞いています。かなり効果が上がって、だいぶ動けるようになったとのことです。

一昨日もこのスタジオでダンスパーティーがありましたが、私は参加しませんでした。

女房と友だちで行ったようです。私は最近(近年)、あまりダンスに興味がなくなって来ていますので、女房は誘いもしません。

レッスンを受ければそれなりのことは習得しますが、直ぐに忘れてしまいます。

帰宅して、メインディッシュ?は寄せ鍋でした。牡蠣やタラも入っていて美味しい鍋です。

検査も近いのでノンアルにしています。無駄な抵抗と言うのか、本来は現状を検査してもらえば良いのでしょう。

今朝4時前のお月さんです。ちょうど南空に出ていました。

さて、今日の予定は…(メモを見て)

松飾を買う、暖かければ草取り、蔵前の改修工事、部屋の片づけ等でした。

 

yuki76

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創作門松づくり(現代風?)

2024年12月23日 | 自分のブログ

門松は歴史的にも、いろいろと種類があるようです。

門松に使われている竹の切り口は、大きく2種類あって、平に切られた切り口は「寸胴(ずんどう)」、斜めの切り口は「ソギ」と呼ばれるモノがあります。またソギでも上を横に切ったモノも見かけます。

「寸胴」は節がしっかり詰まっていることから、金融機関などがよく使っているようですが、逆にお金がたくさん入ってくるようにとソギを飾っているところもあるようです。

「ソギ」の切り口 は武家で使用されたものとしていますが、デパートなどは見栄えからなのか、ソギ(斜め切り)の上を横に切ったモノが置かれていますね。

諸説ありますので、私にはどれが正解なのか分かりません。

私は創作で諸説は別にして、自分流に作っていました。(過去形です!)

門の前に一か所飾りにしたこともありました。普通は1対ですが・・・。

自宅と母屋がありますので、2か所分作っていました。以前は豪華に作っていました。

 

邪道と言われそうですが、ご勘弁ください。

ただ、自分なりの正月を飾って迎えたかっただけです。

用意するものです。

ほとんどが庭から切り取ったものです。

真竹や荒縄の各種です。

難を転ずる「南天」もです。

さすが、柳?はありませんのでホームセンターで買い求めました。

縁起物の代々(橙だいだい)です。

そして、足元に植える草花です。

考えた大きさに合わせて竹を切ります。竹専用のノコギリはきれいに切れますね。

葉が付いた枝を残して、太さも同じにして準備します。

こんな感じで用意いたしました。切り口はゲソの頂部は横に切り落ちしています。

まぁ~遊びで作っているものですから、いい加減です。

庭に咲く山茶花も利用します。

中段で溝を作りました。この中に水を入れて差し花を生けるためです。

松は神さまが降りてくると言われています。

その松に荒縄で巻ます。

南天(難を転ずる)・橙(先祖代々)など縁起ものを飾りました。

これも母が施設のお世話になった時からは派手なことはやめました

また、コロナ禍もあり、その後はホームセンターで松とうらじろ、輪じめ 飾りなどで今では簡素なものにしています

元旦は国旗を玄関に掲げます。(本来、国旗などは左側に立てるのですが、新聞受けがあり右側にしています)

今朝(12月23日 4時頃)の南の空に出ているお月さんです。

 

yuki76

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氷中花と痛てぇ~ケガ!(道志)

2024年12月22日 | 自分のブログ

出来ましたよ!氷中花のオブジェが・・・。

前日に、洗面器に自宅から持って来た草花を並べて、水に浮かせました。

早朝の4時ごろは、凍っていなく水状態でした。

その後、気温が下り零下2度になっています。

陽も山から昇って来ました。

山の影になり、陽射しが入るのも9時過ぎてです。

どうですか?これが自然を利用した、自称「氷中花のオブジェ」です。

気温も零下5度くらいならもっと氷の中の花のようになるのでしょう。また水ももう少し入れれば良かったのかも・・・。

でも自己満足の世界です。持って3時間の作品?です。

草花も完全に水没させて作れば面白いのでしょうが、飛び出ているのも可愛らしいですね。

こんなことをしながら冬の道志を楽しんでいます

もう解け始めてきました。氷の命は短くてです。一寸の楽しみでした。

******

次は痛てぇ~ケガです。

一人生活していると、不注意もあってかケガもあります。

ケガはここから始まりました。幹の枝にハシゴをかけて枝を切り落とすのです。

見えない上部の枝から切り落とし始めました。いまから考えれば非常に危険な作業でした。

屋根に被さっていた枝(幹)を切り落しました。まだ、被っていますので、次回は屋根に上って切り落とします。

高所作業はチェンソーでは危ないと思い、ノコで腕が痛くなるほどなって切り落しました。

周りには電線もありますので、切り落とす方向や長さも考えてのことです。

上手く切ったと思った瞬間、幹が手の甲にあたりました!

思わず"痛てぇ~!"です。

どんどん腫れてきました。

応急処置をしました。ハンドエイドとテーピングです。

この部分が腫れています。まぁ~正月近くになれば治っているかと思います。

今回も完全に不注意(落下場所の読み間違え)ですね。

年寄りのハシゴ仕事は危険です!

前回は指先ですが12針縫うようなケガでした。

******

その後、痛みはそんなにありませんでした。

錆びた刃物を磨くことにしました。

先ずはサンダーで錆を取りました。

ビフォー・アフターです。あとは砥石で研ぎます。

我が家にあった100年近い前から使っていた斧です。

私にとっては、おも入れもありこれも磨きました。あとは油を付けて保存します。

本来の予定なら月曜日に帰宅予定でしたが、ケガで気持ちも替り急きょ(1泊で)帰宅することにしました。

いつもの様に残材を燃やしています。

次回入った時のために、温風ヒーターの石油を満タンにしました。

自動の給油機ですがいつ壊れるか分かりませんので、予備に簡易なポンプ式も用意しています。

次回、来るのは来年になるかと思いますので、階段の掃き掃除はして置きました。

そう、切り落とした枝も近くの谷間に運び入れ、片付けました。

女房に今日帰るとラインを入れました。

まだまだやりたいことはあったのですがね!ケガには勝てません。

ほんと、一人で倒れたらだれも助けには来てくれない場所です。

同じ年の友人からラインが入りました。"よくやるね!元気だなぁ~!"と・・・。

注意一秒!怪我一生!ですね。

 

yuki76

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道志村通い生活

2024年12月21日 | 自分のブログ

年の瀬も押し詰まって、道志に向うことにしました。

中央道を使って、あの富士山の方向を目指します。

目的は年末の片付けです。この夏は暑すぎて何もできませんでした。

すっかりと葉も落ちて、まさに初冬の道志です。

今回は道も空いていて、自宅を出て1時間20分で到着しました。

農機具小屋を覆っていたアイビーなどは、ほとんど枯れて冬越しの準備をしています。

畑と花畑へ行く通路です。

いい雰囲気になっていますね。

風を見ない、風見鶏です。当初は動いていたのですが、劣化してきたのでしょう。

敷地内を流れる湧き水のせせらぎです。この水は飲めますよ。

ワサビも鑑賞用になっちゃいました。

前回入った時に氷中花を作ろうと思ったのですが、凍結せずに帰宅しました。

放置して置いたモノが凍結し「氷中花」のオブジェが出来ていました。

放置していましたので、新鮮なキレイさはありません。

見える飛行機雲は北方向に向かっているのでしょう。上空がそのルートになっています。

再度挑戦です。気温はマイナス2度ですので、何とか出来そうかな?

今回もお弁当を作ってくれました。食材を買い求める店が無いためです。

これだけあれば十分です。昼は美味しくいただきました。

ご近所の神〇さんにご挨拶です。山越えして40分の都留カインズに食材を買い求めに行ってきたとのことです。先日は隣の(地主さんの)畑を囲んでいる網に鹿が絡み、外そうとして大暴れしていたので連絡したのですが、シカも必至で逃げ切ったそうです。道志はそんなところなんです。

敷地内の木々も大きく成りすぎました。

屋根に被っている枝を切り落とすことにしました。

分かりづらいかと思いますが、ハシゴをかけて高所作業です。

低いところはチェンソーで切り取れますが、高所はノコギリですね。

電線が近くにありますので、倒れる方向を考えながら上部から少しづつ切り落とします。

結構な重労働です。枝が細ければ簡単ですが、幹のようになっているとなかなか切り落とせません。足場も良くなく、細心の注意が必要です。

やっちゃいました!電線に注意してロープを掛けながらの作業でしたが、切り落とした瞬間に幹が手の甲にあたってしまいました。

作業用手袋をしていたので、この程度です。

だんだん腫れて来ました。診療所に行くほどでは無いと思い応急処置です。

打ちどころによっては、大きなケガになっていたのでしょう。大声を出しても聞える範疇には人はいません。頼りは携帯だけです。夕刻7時前には横になりました。

今日帰るか、まだ片付けるか思案中です。

朝、3時半ごろのお月さんです。

早朝より、チェンソーなどの整備をしています。

Amazon prime(小田和正さん)の曲を聴きながらブログをアップしています。

6時半過ぎても夜明け前です。パチリする時にシカと出会いました。

 

yuki76

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しめ縄の作り方(田植えから)

2024年12月20日 | 自分のブログ

女房の実家から稲の苗をいただいたきました。

庭のプランター3つに田植えです。ここからしめ縄づくりが始まります。

稲も育ち、たわわに稲穂も付けていいます。

夏の暑い時期でしたので、水管理も大変です。

まだ青いうちに収穫です。これは食用ではなくしめ飾り用ですので。

ここまでで、育てる楽しみは終えたような気もいたします。

青いうちに収穫して、袋に入れて作る時期まで保存して置きます。

ここからが本番(私に取っては第二段目)です。

しめ飾りを作る前日に、袋に入れた稲に水分を含めさせます。

稲を柔らかくするためです。その余裕のない時はお湯をかけてもよろしいのでしょう。

与作の歌が聞こえるようです。木槌でトントントン~と軽く満遍なく叩きます。

これらは、義母に教わりました。東京育ちで田舎が無い私ですので、女房の実家は故郷と同じです。

作る大きさで、稲をまとめます。5本・7本・10数本と奇数で束ねます。

先ずは、このように2本から縄状にして行きます。

全くの素人ですので、縄などは作れません。一束ごとに捩って行きます。

耳(飛び出るところ)はこぶしの大きさと聞きました。

見よう見まねで捩ります。

なれた方は、上手に縄を編むことが出来ますが、私は捩った3本を組んでいきます。

私は1本ずつしかできません。足で押さえて、先ずは2本を組みます。

そして、3本目を組んでいきます。面白いように絡みついて行きます。

飛び出た部分はハサミでカットしました。

自分ではきれいに出来たと思っていました。

ここで大きな失敗ががありました!しめ縄は本来は左巻きにすべきなのです。

これを参考にする方は左巻にしてください。

この後は、自分の発想で飾り付けます。

一つの輪にはおさがりに稲穂を付けました。

こんなお飾りをホームセンターで買い求めました。

これで完成です。

玄関に飾ったのはこんな形です。(今は手間暇かかりますので、作ってはいません)

私は田植えから始め、そして失敗しながらも義母に教わったしめ飾りの作り方です。

何にかの参考になれば幸甚です。

簡単なのは、三つ編みで作ることもできます。

これは何本も作りましたね。完成した画像を探しましたが見つかりません。

昨年は喪中でしたので、静かなお正月でした。

それが身についてしまったのか、今年も静かな正月を迎えることにしました。

次回は、門松の作り方をご紹介いたします。

今日は道志に行ってきまます。

 

yuki76

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今ごろの小樽 そして・・・

2024年12月19日 | 自分のブログ

いつ行ったのか覚えてもいません。画像を整理していたら出てきた冬の小樽です。

高く積まれた駅前の雪。

凍てつく生活の大変さが伝わります。

住めば都と言いますが、私にはほど遠く感じます。

小樽運河ですが、どこかにまだ画像はあるかと思います。

こんな雰囲気好きな横丁です。夜になれ灯りが点いてちょっと入りたくもなります。

たまたま入った店では、割烹着姿の女将が座っていました。

案内されるままにカウンター席に座りました。

会話は短く、"どこから来たのですか?""東京からです""何にします?""お酒(熱燗徳利)とおでんをお願いします"と・・・。

そのうちポッツリと話始めました。これが北国の小料理屋なのでしょう。

ほろ酔いで宿に戻ったことは覚えています。おそらく40歳代後半だと思います。

若かった頃の日々です。

そんな私も老いて来ました。昨日も年賀状じまいのハガキを一日かけて作っていました。

何百枚も書いていた年賀状も30枚ほどになりましたが、どうしても続ける必要がある年賀状4枚ほどあります。

もう、高齢になられた方ですが年賀状や暑中見舞いをいただく方です。このようなつながりを大事にした気持ちが伝わります。

毎年、版画を彫っては年賀状を送ってくれる方もいらっしゃいます。

無下に年賀状じまいのハガキだけでは済まないつながりもあります。

私もいつ行ったのか分からない冬の小樽をご紹介していますが、こうして若き日の思い出などが走馬灯のごとく思い出さる年賀状シーズンになりました。

また、探しものがあります。そのうち出て来るのでしょうが、困ったもんです。

女房に探してもらいます。

ベッドでヘッドホーンでテレビを観ていたのですが、いつの間にか寝込んでいました。

ベッドの中と思っていたのですが、女房はとんでもないところから探し出しました。

机の下にです?何故ここにです。

 

yuki76

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子どもたちの世話にはならん?(ロスジェネ世代)

2024年12月18日 | 自分のブログ

私は子どもたちの世話にはならんと、啖呵を切っていました。

しかし考えてみると下の世話まではと思いつつも、あの世に行くときはそれなりの世話になるのでしょう

サヨナラした後もいらないものの始末とか、その後の処理に手間もおかけし世話になるかと思います。結局は後始末などは子どもがする羽目になります。

そう、私は団塊の世代ですが、その子どもたちはロスジェネレーション世代と呼ばれています。

いろいろな世代がありますが、【ロスジェネレーション世代】とはです。

■ 氷河期世代(ロスジェネ世代)は40歳後半から50歳代となっています。

ネットに書かれていたので、ちょっと気になりました。

何が言いたのかですが、前述しましたように、私たち団塊の世代はやがて老いて人の世話になり、さらに後始末は子どもたちになってしまうのでしょう。

子どもには世話にならない!とは言っても、やはり頼りになるのは子どもたちです。

そのロスジェネレーション(40代後半から50代)のそれぞれ生活環境の差が大き過ぎるのです。

若いZ世代なら仕事が嫌だったら、辞めて次の仕事を見つければ良いという方もいます。またテレビなどにも転職を斡旋するようなコマーシャルを多く目にします。

それもあるかと思いますが、職を転々とすると変えれば年金の支払いもあります。年金は簡単に言えば会社が半分出してくれます。現在、国でも103万円問題で論議されている最中です。

氷河期世代(または就職氷河期世代)は、主に1990年代後半から2000年代初頭にかけて日本で社会に出た世代を指します。もう50歳前後の世代です。

この時期はバブル経済崩壊後の不況により新卒採用が大幅に減少し、若者が仕事を見つけるのが非常に難しい時期でした。

この世代の特徴をいくつかご紹介いたします。

*孫との小旅行もお爺ちゃんにとっては、楽しみの一つだったのでしょう。

1. 厳しい就職環境

  • バブル崩壊後の経済停滞により、企業の新卒採用枠が大幅に縮小。
  • 新卒一括採用が主流の日本では、正社員としての就職機会を逃すと再チャレンジが難しく、非正規雇用に留まる人が多かったのです。

*幸い子どもたちは、この波に巻き込まれませんでした。

2. 非正規雇用の増加

  • パートタイム、アルバイト、契約社員といった非正規雇用に就く人が増加。
  • 長期間非正規で働き、キャリア形成や生活基盤の安定に苦労する人が多い。

3. 「失われた世代」としての認識

  • 社会的・経済的に取り残された感覚を抱える人が多い。
  • 家庭を持つことや、自己実現が難しい状況が長く続いた。

*私が通勤していた、品川駅の港南口方面です。

4. 社会問題化

  • 長期的な不安定な雇用状況が原因で、貧困や孤立、メンタルヘルスの問題を抱える人が増加。
  • 中高年期に差し掛かる中で、社会保障や介護の問題と結びつく課題も顕著になっている。

5. 支援の動き

  • 政府や自治体が氷河期世代を対象にした再就職支援やスキルアッププログラムを展開。
  • 企業も中途採用やリスキリングを促進し、この世代を取り込む努力を進めている。

厳しい時代を生き抜いてきた氷河期世代は、その環境に適応しつつも、多くの社会的課題を抱えている。

世代別・非正規割合

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年賀状をお出しする時に注意すべきこと

2024年12月17日 | 自分のブログ

昨夜のダンス練習会の帰りです。クリスマスツリーの上にお月さんが・・・。

もう、こんな季節(年賀状の準備をする)になったのですね。

そう、年賀状をお出しする時に、ちょっと注意する点があります。それは文中の点や丸は好ましくないと言う理由をご紹介いたします。

その理由ですが、・句読点は「終わり」を意味します。

ものの資料によると、かつての日本語には句読点を書く慣習がなく、その文化が残っているとしていました。

句読点は終わりや区切りを意味するので、年賀状にはふさわしくないとも言われています。

ある凡例集を見ても、句読点が点いているものがありました。どなたが作成した凡例なのか分かりませんが、注意してほしいですね。

一方では句読点が点いていない凡例もありました(正解です)

年賀状において句読点をつけない理由の一つ目は、点や丸をつけることは「区切り」を意味するためです。 つまり「相手との関係が終わる」という意味が含まれてしまうのでしょう

年賀状に限らず、お祝い事の文書は原則的に句読点を避ける風習があります。

たとえば賞状や証書、挨拶状、感謝状、招待状などが挙げられます。

昔の日本には句読点を打つ文化がなかったのです。

もう一つの理由は、日本においての伝統の名残が影響しているとしています。

ご存じのように昔はシャーペンやボールペンがありませんでしたので、日本人はすべての文書を「毛筆」で書いていました。

しかし、次第に活字の文書が増えるにつれ、読みやすさが重視されるようになり、日本語にも句読点が導入されたようです。

しかし、普段使っている文章などは、習慣的に句読点なども入れています。

表彰状など正式な文章で句読点をつけると、相手に対して「点や丸がないと文章が読めない人」と見下すような意味合いが含まれてしまうようになるのでしょう。

つまり相手の知性に敬意を払うという意味で、年賀状では句読点を避けるのが好ましいと言われる所以です。

そう、ここで雑学です。表彰状などには鳳凰が描かれています。

私は最初から鳳凰と言う鳥が図柄になっていると思っていました。これは2つの鳥で鳳と凰で表していると言う説もあります。定かではありません。

同様に歴史の流れを大切にするという意味では、毛筆で書くことが望ましいと言えるでしょうが、年の瀬で忙しく便利なパソコンもありますので、時間を省くためにも一枚を作って、文章に添え書きする方も多いかと思います。

そう、「プリントごっこ」で作成した時もありましたね。

私も使っていました。

説明です。句読点がないと相手に読みにくい年賀状になってしまいますが、適切に改行を利用して読みやすい文章に仕上げるのもコツです。

本来句点(。)をつける場所は、そのまま次の文章を続けずに改行します。 読点(、)の場合もその部分で改行したり、 長い文章を書く場合も、はがきの縦幅の2/3ぐらいを目処に、文節の区切れ目で適宜改行を入れると良いとされていました。

いづれにしても、メールやラインがある時代で、また郵便料金も値上がりしましたので年賀状をお出しする方も少なくなりました。

私も今期からの年賀状は・・・。

「・・・私も喜寿を迎えるにあたって そろそろ身辺整理をしているところです 従いまして年賀状でのご挨拶をお休みするタイミングかなと考えております 

これまでご交流いただき大切なものとして  このつながりは一生忘れません  
また機会があれば 別の形でお話できるのを楽しみにしております」

を文面の一部に入れました。

*画像等はネットより拝借しています。

 

yuki76

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