いわゆる社交ダンスを始めて25年くらいになります。先日、庭の日除けにぶら下っていた「ふうせんカズラ」を切り取って、スタジオにお持ちしました。
さすが、ダンススタジオです。きれいな花が飾られています。
カップルレッスンの時は聡明先生に受けています。最初の踊りでシンプルに踊っているとの評価(お褒め?)です。
その後、ハードで具体的に体幹の使い方などの指導に入ります。
ダンスを始めて25年になりますが、何でも最初は夢中になりますね。出場するからには「勝!」が目標となりましたが、歳を重ね体力も落ち、さらにコロナ禍により試合は2年近く中止になりました。
当然、今ではそんな気持ちも無くなり女房のお付き合い感覚です。
まぁ~生涯スポーツとしてのダンスです。
スタジオの受付にダンスの冊子が置かれていました。
先生はご自由にお持ちくださいと言っています。そこには習っている山内砂穂の名がありました。そう、この先生たちとはダンスを始めたころに出会ったのすが25年前になります。
自宅近くにダンス教室が出来ましたので、近くていいな?と思ってドアーを開けてみました。
先生ご夫妻から、”あらyukiさん!”と声をかけられました。以前はあるスタジオでスタッフだったのですが、独立されて近所に独自のスタジオ(教室)を開設されたのです。
それが今回ご紹介する先生です。(とは言っても息子たちと変わりない年齢です)
女性先生(木下砂穂さん)とも、幾度なくデモンストレーションを行っています。
それまでは、試合に出ても勝てないのは先生(教室)の責任と思い、なんどか先生も代えました。この先生方に教わり始めて、ランクも上がって行きました。きっと先生との相性?があっていたのでしょう。
最初は、バレーダンスからはじまり、ニューヨークに何度か行ったようです。
また、劇団四季のオーディションも受けた期間もあったとか・・・。
劇団四季では社交ダンスの講師をしていたと書かれていました。
大学のダンス部でライバルだった同期の木下聡明先生と組んで優勝経験もあり、その後、結婚してプロのダンサーになり現在に至ったとしています。
ダンスのメッカ、イギリスのブラックプールでも毎年のように出場していました。
先生というより、息子や娘のような感覚です。
先生もパーティーが開催できるようになりました。
場所は恵比寿のウエスティンホテル東京です(ディナーの美味しいホテルです)
第1回サマーパーティーが開催され大成功でした。これも両先生のお人柄からなのでしょう。
エンディングも豪華メンバーです。
木下砂穂先生も多くの方々に支援を受け、成功裡に終演した時に笑顔から大粒の涙が流れていたことを思い出しました。
この冊子を読んで、ラインを送りました。「この25年の間、いろいろとご苦労が有ったかと思います。よく頑張りましたね!」と・・・。
先生からも返信で、「涙が出そうです・・・」とありました。
出会い、人さまとの付き合いは不思議なものです。昨日も道志の別荘の方が奥さまと訪ねて来ました。
削る(減る)付き合いもあれば、増える方もおります。
そんなことを感じた昨日でした。
yuki76
東信地区の教室で実際に経営が成経っているとは思えないし、生徒も高齢者で社交場
ホールを借りて東京で食えない稼ぎ教師はいる様ですが、年金生活者には 高すぎて無理。
首都圏であっても同様で、ダンス人口は減少し高齢化しているのが現状です。
各駅に1つくらいダンス教室はありますが、中には閉じる教室もあります。
高齢の方が抜けると、良くしたもので若い方も入って来ます。
たしかに、年金暮らしの私どもも同じく高額ですね。
やはり先生方の熱意や、生涯ダンスとしての考えて、何かを節約して通うような状態です。