ポケスペSV編がスタートしてから、早いもので1年以上が経った。
以前剣盾編については毎月感想でブログ記事を途中まで書いていたのだが、SV編については今のところする予定はない。
理由は、単純に毎月長めの感想を書く気力がないことである。それにweb公開もある以上、感想の不足に悩まされることもかなり減ったのも大きい。
ただ、現段階での感想や今後の展望は一度明らかにしておきたいと思うので、本記事で記すこととする。
ここまでの全体的な感想
まず現時点で自分が思っているのは、ポケスペらしく丁寧な話作りができているということである。
3年の連載期間からすればまだ序盤であり、14章や剣盾編もこの時期はよかったものの、中盤~後半は作中ノルマの消化に追われてかなり躓いている事実は無視できず、SV編が今後どうなるかに不安があるのは正直なところだ。
しかし、今のところの話作りでは今後への前振りも込みで破綻は少なく、剣盾編がこの時期抱えていた不安定感に比べれば、大いに安心できる状態である。
大きな要素として、バイオレットとスカーレットのルートをそれぞれ分け、更に二人の旅に同行する仲間としてペパーとネモを割り振り、互いを繋ぐ存在としてボタンを置くという、図鑑所有者二人体制のポケスペからしたら大胆な変更がある。
ただ、二人が別々に旅をするスタイルはかつて4章でも取られたものなので、完全に斬新なものというわけではない。
しかし、それでも斬新な要素として挙げられるのが、「主人公同士の関係性を物語当初では限りなくゼロとしている」こと。
これから出会う展開があるようなので、ともすれば大きな関係性があるかもしれないが、現段階では本当にただすれ違うだけであり、これまでの事例からすると異例でしかない。
これがどのように作用するのかは分からないが、少なくともこれまでの章との差別化という一点では大きな一手であり、間違いなく本章の特色であるといえる。
逆に、現時点で大きく描写を減らしているのが進化や捕獲である。
手持ちとの絆やエピソードはポケモン漫画である以上重要なポイントではあるのだが、ダブル主人公体制ではどうしても描き方に偏りが出がちだったので、いっそ連載時はバッサリカットして人間キャラの描写に力を入れるという方針は理解できる。少し寂しい部分もあるが、現時点での取り組みとしてはこれがベストであるとも思う。
バトルについては、今のところは立て直しが比較的出来ている方なのかなと思うが、一方でテラスタルについてはポケスペとの食い合わせの悪さが出ており、極力描かない方が良いと思う。
あとこれは個人的な好みだが、図鑑の説明を活用したバトルがもう少し増えればなお良いと思う。技や特性については多様性よりもゲームの描写に縛られた側面が出がちなので、ポケスペならではの特色を出すなら図鑑説明しかないだろう。
全体的に言えることは、SVの要素とポケスペらしさを組み合わせることにある程度成功していて、安定した話運びが出来ているということである。
次の項では、剣盾編との比較からSV編の諸要素を見ていく。
まず、スカーレットの扱いについて。
剣盾編ではしーちゃんがジム戦をほぼ全てカットされる憂き目に遭い、テーマ面やそーちゃんとの関係性では主人公としての活躍が見られたものの、全体的にダブル主人公とは言い難い活躍の偏りであった。
対して、SV編ではスカーレットを明確に主人公の一人であると宣言し、バイオレットとは違うルートをネモと共にこなしていくことで、同じ展開の繰り返しや省略を回避し主人公としての格を担保している。
逆にスカーレットとバイオレットの関係性は現時点では皆無であり、これまでのポケスペの傾向としてあった「図鑑所有者同士の濃密な関係性」がオミットされている。
メディアミックスの中でも随一の特色だった部分を捨てたのは思いきった決断だが、剣盾編は二人が一緒に旅をしていたことでの弊害(同一のジムに同じタイミングで挑むがゆえのジム戦カット)がかなり大きかったのを考えると、二人がバラバラで行動するための設定を用意したのは有効な一手に思える。
次に、主人公に近いNPCの扱いについて。
剣盾編ではホップの役回りを大きく変更し、新たにマナブというキャラを創造することで図鑑所有者との関係性を構築しようとしたが、肝心のマナブの描写が途中から急速にスカスカになってしまい、話のバランスをおかしくしてしまった。
自分は改変することに異を唱えないが、ホップの扱いについて不満を表明していた人はTwitter上に多少いたし、マナブの出番が急速に減った理由はそこにあったのかもしれない。
いずれにせよ、大きな改変をしておきながら機能がうまく果たせていなかったことは事実なので、SV編では「比較的」改変は少なめにしているように思える。
すなわち、ペパーとネモに合わせる形でバイオレットとスカーレットのキャラ造形が調整されており、コンビを二つ作ることでアンバランスな構造を回避しているのだ。
無論ストーリーラインに改変があるのは事実なのだが、ダブル主人公体制を補強する上で必要な改変であると自分は思う。
以上2点について、剣盾編との比較を展開してきた。最後に、今後の展開への期待を記載する。
捕獲や進化の描写を極力削ることで主人公二人とその周りのドラマをきっちり描いていることは、今のところうまく機能していると思う。
DLCも出終わり、世代交代もSwitch後継機の絡みで遅くなることが想定される状況ではあるので、このままゆとりある話作りを続けて欲しいところ。
今のところDLC絡みの要素が全く出てこないのは気になるが、無理矢理だして話の質を下げるよりはまとまりを良くした方がいいとも思うので、どちらでも良いだろう。
ただバトルについて気になっているのが、スカーレットのジム戦よりバイオレットのヌシ戦の方が面白い展開になりがちなことである。
剣盾編総括でも書いたが、バトルは執拗な悪意を持った敵の方が盛り上がりやすいと思うし、そうでなくともトレーナー戦の方が戦術を描く余地も大きいと思っていた。
しかし、SV編のジムリーダーはイマイチ戦術に巧みさがない。バトルコートがゲームの段階で決まっていることが原因なのだろうが、技の使い方がシンプルすぎて捻りがないのである。
対して、ヌシ戦の方は毎回必ずペパー以外の協力者を用意することでシチュエーションに変化をつけており、図鑑説明を生かした戦いもできている。
何故こうしているのかは分からないが、スカーレットのジム戦は毎回律儀にジムテスト部分からやっていて、そのテストを乗り切るシーンの方がメインに描かれているように感じる。描く比重をバトルに変えた方が良いのではないだろうか。
そして、ポケスペのこれまでの要素を大きく変更したにも関わらず、相変わらず公式サイトは凍結状態で説明がないのは困る。少なくとも、
・図鑑所有者という称号は一体どうなったのか
・御三家のタイプローテーションを止めた理由
この2点だけでも説明が欲しい。
Twitterの運営が不安定になり、シリーズのファンとしてはどうしても不安になることが多い今日この頃なので、公式サイトが頼みの綱であることを認識してもらいたい。
web掲載という一手を打てるようになったのだから、次は広報のあり方について考えを改めて欲しいということを切に願いながら、筆を擱かせていただく。
記事をお読みいただきありがとうございました。
感想等ございましたらコメントいただけると幸いです。
また、普段の発言についてはこちらのTwitterにて行っております。
よろしければご覧ください。
ポケスペ通巻版65巻は、2024/9/272024/12/27(発売日が延期されてたので修正)に発売予定である。
予告どおりなら13章がこれで完結し、14章がスタートする予定だ。
ただ、14章の連載自体は2016~19年にかけて行われており、先行版として発売されている。一応その段階で話の大枠はできているので、剣盾編同様未完成ではあるが、現段階での自分の総括感想をここに示しておきたい。
剣盾編よりも否定的な論調が多くなってしまっているが、それでも構わないという方はこのままお読みいただけると幸いである。
構成は以前書いた剣盾編総括感想同様、テーマ・キャラ・バトルの3点からの記載としたいが、バトル面についての総括は剣盾編とほぼ同じなので割愛する。
バトルについて端的に言うと評価は「良くない」なのだが、その理由や問題点もほぼ同じである。ダイマックスをZ技に読み替えるだけだ。なので、剣盾編総括3の記事をご笑覧いただきたい。
また、剣盾編連載中にハウの扱いからマナブの存在意義を考察した記事もあるので、そちらもあわせてご笑覧いただきたい。
なお、自分のゲームに対する評価としては、SMが物語として完成されていた反面、USUMはストーリーについて明らかに蛇足だったと思っている。
そのようなスタンスから論評をしていることを念頭に、本記事をお読みいただきたい。
テーマの考察
14章について自分がまず思ってしまうのは、明確なテーマがまるで見えてこないことである。
無論、途中までは「伝統vs革新」であるとか、「親子」であるといった原作のテーマをなぞっているように思えたのだが、USUM発売後の展開急変で何もかもが変わってしまった。
そのため、ラストバトルであるパーフェクトジガルデvsウルトラネクロズマからはテーマを読み取るのが難しいし、リーリエとルザミーネの親子関係についてもゲームの枠を辿っているだけで、あまり作品固有のテーマを見出だしにくい。
更に、これまでのポケスペにおいて主流であった「悪の組織との対決」も14章においては不発気味であった。
そもそもゲームにおけるスカル団は「島めぐりの落伍者が多く在籍している」というバックボーンがあるのだが、ポケスペでは島めぐりが絶えかけた風習になっているので、その設定があまり機能していない。更に組織の性質上悪事も大したことができない。
もう一つの悪であるルザミーネについては、やったことの大きさは以前の章に比べても大きいのだが、背景が背景なだけに清々しいまでの悪役ともし難く、決着もバトルで終わることができなかった。
ザオボーについては屈折した小悪党というキャラ自体は悪くないと思うものの、所詮小悪党でしかなかったのが最後まで足を引っ張っており、悪役としての格式に欠けていた。
これらの事情から、悪との対決において消化不良の展開を多く抱えることになり、悪が明確でないゆえにテーマも見えなくなっている。
テーマがぼやけた理由として自分が考えているのは、ゲームのSMでは「島めぐり」がほぼ全ての登場人物に関わる話として深く根付いていることだ。
XYまでのゲームでは、ジム制度と悪の組織の存立に深い関わりがあるという設定はない。精々サカキがジムリーダー兼ボスであるとか、パキラがフレア団のスパイであるとか、その程度である。
しかしSM以降では、悪の組織もジム制度も一つの大きな主題の一部として扱われるようになった。それがSMにとっての「島めぐり」であり、剣盾での「ジムチャレンジ」であり、SVでの「宝さがし」である。
そして、SMでは「島めぐり」の良い面も悪い面も印象的に描かれる。多彩なキャプテンの試練は楽しいものだし、一方で落伍者への厳しい視線やカプという気まぐれな存在に認めてもらうことの不条理も描かれ、最後はそれらをまとめる形でポケモンリーグが出来る。それを通じて成長するのがハウやリーリエであり、プレイヤーにも「島めぐり」という架空の風習への想いを馳せさせるのである。
ところが、ポケスペでは「島めぐり」についてあまり主題に置かれていない。
島めぐりが主題であれば、サンとムーンそれぞれの思惑と「島めぐり」に代表される伝統との対立や協調が出てきても良いはずなのだが、それがない。
伝統と革新という大きな枠で見れば、伝統にぶつかる挫折者としてグズマやスカル団が置かれているのはゲーム通りなのだが、革新に当たる人が誰もいない。ポケスペの設定ではそもそも島めぐり自体が盛んではないのだから、彼らの感じる閉塞感があまり伝わりにくい。主体的にプレイするゲームとは媒体が異なる漫画なので、図鑑所有者側にも何か「伝統に基づく不条理」を色濃く出しておかないと、その辺りの閉塞感が今一つ分からないと感じた。例えば、サンが金儲けのために島めぐりを利用する下りについて、もっと島キング・クイーンとの対立を濃厚にするとか、はたまた表面上は要求を容れたようにしておきながら内面では蟠りを残したりとか、いくらでもやりようがあったように思える。
ルザミーネとザオボーはそういった対立から外れているにもかかわらず、大きな悪として描かれているから余計に分かりにくい。これは原作からしてそういう設定なのだが、SMにおいてルザミーネはリーリエと対立する悪役として「成長を認めない立場」に立っていて、「伝統や以前のあり方を変えることに対峙する」と見れば、改革者であるククイ側に対しても悪役と見えうるのである。彼女が氷漬けにしたポケモン達がその象徴だ。
しかし、ポケスペではルザミーネの成長を認めない姿勢こそそのままだが、先述の通り改革者に該当する人が誰もいないので、対立の構図になっていない。勿論ルザミーネの精神的DVやUBを解き放った行為、ザオボーによる殺人未遂が悪であることに異論はないのだが、ポケスペ内だけで見ると悪事について一貫したテーマは見受けられない。
グズマが閉塞感に対する反発から破壊を求め、ルザミーネが不変性を求め、ザオボーがルザミーネからの愛を求めたというキャラ自体は分かるのだが、それらの中に一貫したテーマは見つけにくい。
それでも敢えて14章における悪の共通項を考えるなら、「愛」もしくは「承認欲求」なのかもしれない。
しかし、それが図鑑所有者達と絡んでいるのかと言われるとそうでもない。善側に設定されていない共通項はテーマと言い難い。
何が善で何が悪か、というのはテーマを描く上で重要な要素のはずなのだが、悪に置くべき面々の設定がゲームの時点で定まっているがために、逆にポケスペ独自のテーマ性が設定できていない。
それゆえに、起こる事象はゲームをただなぞるだけになってしまい、USUMが途中で出たことでさらに分からなくなったと自分は感じる。
個人的な考えとして、ゲームでの対立項である「伝統vs革新」をポケスペに持ち込まないという逃げ方はできなかった以上、その対立項からポケスペなりのジンテーゼを出せれば、まだこのような不具合は生じなかったと思う。「真実vs理想」というBWの対立項を「夢」というジンテーゼで克服するという、10章のような書き方ができていれば良かったのである。
偽らざる感覚としては上記の通りなのだが、終盤の展開からある程度のテーマ性を読み取る試みはしておきたい。
ゲームのストーリーは最終的にククイがポケモンリーグを創設するという形で終わるのだが、ポケスペはそちらに行くことはなかった。話の全体的な〆としては、ウルトラ調査隊の話が主軸だったように思える。
ウルトラネクロズマを打倒するというオチはゲームと同じなのであるが、そこに「これまでポケモンの力で過ちを繰り返してきたポケスペ世界の人間よりも、最近モンスターボールの技術を得たウルトラ調査隊の方がネクロズマを捕獲するに相応しい」と〆ている。
ウルトラ調査隊はルザミーネに協力し、更にアクロマからの技術供与も受けていて、ポケスペ世界での悪人と組んでいる存在だ。それにも拘らず、ポケスペ世界での正義を司る国際警察のリラが、世界を壊滅させうるネクロズマを託すに相応しいと見込むのは何が理由なのだろうか。
無論リラにウルトラ調査隊と面識がある、という大事な一点は考慮しなければならない。
ただそれを抜きにしても、この行為に対して作中では誰も異を唱えてないことから、作者としてもこれを正義として捉えていると見てよいだろう。
では、ルザミーネとウルトラ調査隊の明暗は何によって分かたれるのだろうか。
両者に共通するのは「愛ゆえに対象を深く傷つけてしまった」という点だろう。
まずルザミーネはモーンが行方不明になったことから、子供たちに歪んだ愛情を押し付け、深い傷を残した。
そしてウルトラ調査隊は神であるネクロズマを敬愛し、より能力を安定的にするために制御を試みた結果、傷つけて暴走を招いた。
しかし、両者の大きな違いは「行いを悔いることができたか、さらに償いをする意思があるかどうか」であった。
ルザミーネは自信の行いを悔いる気は全くなく、リーリエからモーンが生きていることを伝えられたことでようやく自身の悪行を認識したものの、ウツロイドの影響もあってか償いをする意思すら見せることはなかった。
ウルトラ調査隊の方はというと、ネクロズマによる光の簒奪で厳しい生活を余儀なくされている事情があるとはいえ、自身の先祖が冒した罪を自覚して治療の方法を探し求めているので、償いの意思は強い。
さらに、ウルトラ調査隊の存在はムーンの行動とも重なる面がある。
ムーンは自身の興味関心からポッチャマに消えない毒を付与してしまったという罪があり、それを治したいという意思から動いているのだ。そして、やはり償いの意思を見せたムーンもまた行動としては肯定されており、ラストでポッチャマの治療に成功したと示されている。
こうして見ると、あくまで後半からのテーマという感じではあるが、「罪と償い」がテーマとして存在するのではないか、と思う。
ザオボーの破滅も結局は自身の行いへの償いがなかったことに起因しているわけだし、ルザミーネは償いをする気がなかったがゆえに目覚めることなく退場したと言える。
あくまで先生方のコメント等の背景知識なしでの解釈なので、外れている可能性は高いのであるが、とりあえずの自分の結論として書き留めておく。
キャラクター描写
原作時点で濃いキャラが多数登場するようになったのはBWからであるが、XYは少し薄目のキャラ描写に戻していた。だが、SMはBWの路線を復活させ、現在まで続くポケモン人間キャラ人気の礎となった。
しかしポケスペには相性があんまり良くなかったように思える。先述の通りゲームの時点で大きな主題があり、そこからの逸脱が難しくなっている上に、ゲームのSMでは悪役の人間関係の中心線が主人公よりリーリエの方に寄っているので、そこからキャラや事件を大きく変えずに「図鑑所有者達を主人公にした話」をやろうとするのは困難なものであったし、その歪みが先行版の時点では多く出てしまっている。特に歪みが大きいのはハウの扱いだが、それについてはマナブについて考察した記事でまとめたので、本稿では言及しない。
ただ、歪みが出ているといっても良くできている面も勿論あるので、その両面を見ていく。
まず図鑑所有者の二人について考えると、ドラマ面の弱さが出てきてしまう。
サンは金への執着の強さや手持ちとの絆は強く描かれてきたものの、結局彼の姿勢は作中で肯定されるのかされないのかという面については曖昧になった。
12才という年齢で金を稼ぐことに執着するのは、現代日本での感覚からしたらなにか歪んでいると思うが、一方でポケスペ世界では12才から子供として扱われなくなる設定も以前はあった。なので、肯定されるかされないかは今後も分からないといえる。
しかし、前の節で考察したテーマから見ると、別にサンの性質はテーマに沿っているわけではない。そこが弱いと思うのである。
また、全然サンと関わりが薄かったはずのソルガレオ(グズマが持っていた方のコスモッグ)が、なぜサンと絆を結ぼうとするのかもよく分からない。
リーリエが連れ出した方のコスモッグと違って、激しい虐待を受けてきたコスモッグには別にアローラを守る義理もないわけだし、サンとの関わりもほとんどない。
それがどうしてルナアーラと共にアローラを守ろうとしているのか、説明がないのは困る。
カプ・コケコがサンに石を託した理由も不明だし、エンがZクリスタルを持っていた理由も不明のままだ。
ムーンはウルトラ調査隊と対比になる点がテーマとして出てきたものの、手持ちとのドラマが弱すぎる。というより、ない。
その前の女子図鑑所有者にあたるワイや、後続のしーちゃんやスカーレットが割と手持ちとのドラマを描けていることを考えると、ムーンには忸怩たる思いを抱いてしまう。
おまけに6体揃えられておらず、戦術でも手持ちとのドラマでもバリエーションがない状態だったのは非常に勿体無い。
ポケモントレーナーが主役なのだから、ポケモンも主役の一部であるという大原則は忘れないでほしいし、そこを欠いてしまってはキャラの魅力も落ちる。何よりもどうにかして欲しかったところだった。
また、彼女にはもう一つドラマ面での問題があって、「科学者なのに失敗を強く恐れる矛盾」についてミリンに指摘されたにもかかわらず、それを克服する展開がなかったのである。主人公の欠点を指摘したなら、それに対して向き合ってドラマを展開するのが当然のセオリーであると自分は思う。やる暇がなかった、後で補完するからそれでもいいというのは、ちょっと頂けない。少なくとも物語上のフックを終盤で出したなら、きっちり答えを用意しておくべきではないだろうか。
さらに、彼女が事件に関わり続ける動機もよくわからない。本来なら幻の木の実とカプ・テテフを確保した2巻の段階で、もう目的は全て完了しているのである。サンの手助けをするという仕事も、幻の木の実を発見した時点で終わったに等しい。
それがなぜ事件に関わり続けようとするのかについて、心情描写が全くない。推測はできなくもないが、少なくとも主人公の一人なのだからそれぐらい描写があっても良いんじゃないかと個人的には思う。
その一方で、評価点としてはこの二人の関係性がある。対比としてよく構築された関係だと自分は思う。
まずサンは明るくアローラに長く暮らしているが金にがめつく、その内面は他者からの干渉を酷く嫌う。
そしてムーンはアローラには最近来たばかりで、落ち着いた性格に医療従事者としての高い倫理観を持ちつつ、毒に対する強い知識欲を持つ。
互いの二面性が互いに反応し合うものとして巧く構築されており、片方が進むときは片方が躊躇い、話を進める力がお互いにあると感じた。
テーマの部分では弱さが目につくと評したが、そんな14章がなんとか話を着地できたのは、ひとえにこの二人の牽引力が強かったからだと自分は思う。この点では剣盾編の二人よりも強い。
手持ちとのドラマがムーンにはないとしたが、それでもサンとのコンビだけでキャラとしての魅力を出せているのだから、この点は掛け値なしで14章の評価点であり、主人公に牽引力があってコンビとしての存在感も強いというのは、そうそう出せる存在ではないと思う。
他のキャラについても語りたいことは多いのだが、個別具体的な問題について言及していると長くなる一方だったので、全体的な概論に留めることとする。
ポケスペ14章におけるキャラ描写の全体的な傾向として、ゲームよりも表現を尖らせて描いている。それ自体は好みなのだが、実際どの程度ドラマで生きていたかという点を指摘すると、生きていない部分が多いと言わざるを得ない。
例として、グラジオは全方面に敵を作る言動を繰り返していたのだが、ではそのドラマ的な帰結について問うと、何もないのである。被害者に謝罪するとか、はたまた被害者から怒りをぶつけられて反発するであるとか、14章序盤でやってきたことからはそのような派生が考えられるのであるが、それがない。
原因として考えられるのは、尺不足が深刻になっていたことである。コロイチ掲載の前章にあたる12章は、途中で取り止めになったとはいえポケモンファンへの掲載分があり、さらにマイナーチェンジの発売もなかった。
しかし14章は厳しい状況でマイナーチェンジの発売も加わってしまった。2017年末の掲載分からUSUM要素を徐々に加えることで対応を図っていたように思えるが、結局残り1年のタイミングでウルトラスペースへの移動を入れざるを得なくなり、半年という時間上の空白を捻出することで、これまでの積み重ねをなし崩しにして展開を進めている。
こういった路線変更は仮面ライダー的に言えば「ライブ感」というべきところなのだが、そのライブ感に対応できるだけの尺がなく、それゆえにキャラ描写の尻すぼみを招いてしまったのだろう。2つのソフトを無理なく話に組み込むには900P前後では不足しており、剣盾編の1050Pでもやはり無理があった。
近年のポケスペは展開かドラマか戦闘描写かの3択を常に迫られている状態であり、その中で終盤になればなるほど展開の方を取る傾向にある。この傾向はもう少しどうにかできないのかと思うのだが、もはや原作ゲームにおける諸々の展開が「ノルマ」としてポケスペに課されている状況ではどうにもならない。
しかしそのジレンマがあるにせよ、先述したようにキャラの描写自体は好みであるだけに、そこから展開に囚われずドラマ的な帰結をちゃんとやってほしいのである。
それをやるのにどれだけの紙面が必要なのかは分からないが、少なくとも現状の900P程度では大いに不足しているのは確かだ。
通巻版でどれだけの書き下ろしができるのかは不透明だし、ここまでの発刊状況の遅延を考えると期待しすぎるのは酷だと思うが、それでも14章でどれだけの補完ができるかは今後の剣盾編やSV編の通巻版にも関わってくるので、できる限りの補完をしてほしい。
個別具体的なキャラは取り上げないとしたが、一つだけ取り上げたい話題がある。プルメリが最後にリーリエに投げつけた糾弾である。
鋭すぎるあまり、ポケスペ作中の台詞というよりは、どうもUSUMへの批判にすらなっていると感じるものだからだ。
ルザミーネはSMでは確かにラインを踏み越えた悪事をしていたものの、先述したようにテーマに沿った悪役として筋が通っていたし、因果応報の結末と救いを残すシナリオに自分は感心したのだが、USUMでは救済するためだけにキャラの骨子を崩した上に、テーマがぶれて話の展開がピリッとしなくなっていたのが残念だった。
しかも、その結果としてゲームにおけるザオボーが悪役としての側面を深め、あまり魅力的とは言いがたいキャラに仕上がったことを考えると、「被害者面して甘い蜜だけ吸って放り出す」という台詞が、それらの事情を代弁するかのようだと自分は思うのである。
それに、この台詞を放ったのが「蜜を吸う虻」であるアブリーに敗れた後であるというのが皮肉としてもレベルが高い。
ただ利用されるだけ利用しつくされて、最後はゴミのように市民からリンチに遭って壊滅するという、スカル団の末路が各メディアミックスの中でも最も救いようがないポケスペにおいては、このプルメリの悲痛な台詞がよく響いてくる。
ただいくら悲惨な境遇とはいえ、やはり言葉の鋭さがキツいものであり、作中の台詞として見ると少し浮いていると思う。
これに対してリーリエがグズマの生存を知らせることでプルメリが折れるという流れも、正直「論点をずらしているだけでは?」と思う。
まあ、だからと言って作中のリーリエにこの台詞への反論をするだけの強かさがあるとは思えないし、精々ルザミーネの分の償いも自分がやると言うしか逃げ場はなかっただろう。
作中としては若干持て余しているような気もしてしまうが、非常に鋭く面白いシーン。それが個人的にこのシーンに思うことであり、キャラ描写全体を締め括るものとしたい。
通巻版に期待したいこと
まず個人的に最優先されてほしいと思うのが、テーマをもう少し明確にできないかということ。
ルザミーネの悪事のきっかけにザオボーがいた、という話自体は良いと思うのだが、それが話のテーマにどう関わっているのかは見えてこないし、ウルトラ調査隊が善の側に立つならば何が両者を分けているのかという対立軸を明確にしてほしい。
もう一つ何とかしてほしいのが、ムーンの描写不足である。
結局手持ちを揃えられなかったことについて、後のしーちゃんやスカーレットでは手持ちを先に用意しているという形で解決しているぐらいなので、両先生にも課題として認識はされていると思う。
それならば、折角書き直すチャンスになるのだし、どうにかムーンの手持ち描写を追加してほしいところだ。「キミにとってポケモンとは何か」が全ての章を通しての主題なのに、ムーンに関してはその描写がなさすぎる。致命的なのでこちらも補完を絶対にしてもらいたい。
サンの描写も不足しているところは多いのだが、ムーンに比べると致命的な不足は少ない(それでも個人的には多いと思うが)ので、優先度はムーンの補完よりも少し劣る。
ただキャラ描写の項で書いた通り、各キャラのドラマとしての帰結がうまく行ってない点が多いので、そこをなんとかできる範囲で補完できれば良いと思う。
そして、上記に比べると優先度は下がるが後半のバトル描写の補強も必要だと思う。
剣盾編総括と同じ内容になるので書かなかったが、Z技もダイマックスやテラスタル同様、ポケスペ的バトルの良さを殺してしまう厄介な存在である。
それならば、ダイマックスと違って試練で毎度出さなくても良いのだから、Z技を使わないバトルをもっと入れた方が話のバランスが良くなると思うのだ。
特にラストバトルは、伝説ポケモンが大技を出すシーンが殆どを占めていて、テンポが悪い上に長すぎるし、技巧的な捻りもほぼない。
それで「これまでのポケスペの中で一番の強敵」と言われても、残念ながらヤナギの方がよっぽど強かったという感想にしかならない。
大技よりも技巧を尽くしたバトルの方が面白いという自分の好みの問題があることは否定しないが、それでももう少し何とかして欲しかったという思いがある。
今のところSV編ではバトルの建て直しがある程度できているので、14章のバトルの加筆にも期待したい。
さて、ここまで14章の総括を記述してきたのだが、どうも否定的な内容が多く出てしまったことは否めない。
なぜこうなったのか考えてみると、14章は初めて自分が連載を追った章であることに原因があると思われる。
2018年にポケスペと「再会」して、その後先行版3巻までを買った後にコロイチを買うようになったので、14章は丁度半分を連載として追った形になる。
それまでのポケスペ各章を読んだ上での連載後追いだったので、前半で置かれた布石についてうまく活用する作劇を自分が必要以上に期待していたフシがあり、その結果期待を裏切られた思いが膨らんでしまったのかもしれない。
改めて、乱文長文になってしまったことをお詫びしたい。
65巻が発売されればそれ以降の刊行もスムーズに進むはずなので、最終的な14章の総括はそれが終わってからになるであろう。
そうなれば、今自分が抱いている否定的な評価もかなり改善されるかもしれないという期待を込めつつ、筆を置かせてもらう。
記事をお読みいただきありがとうございました。
感想等ございましたらコメントいただけると幸いです。
また、普段の発言についてはこちらのTwitterにて行っております。
よろしければご覧ください。
2023年ももうすぐ終わろうとしているが、今年のポケモン関係の出来事で一番心を揺さぶられたのがポケスペ剣盾編からSV編への移行である。
まず今連載してるのは剣盾編ではないし、ポケスペが連載25周年だったのは2022年の話だ。
この件について、自分が改めて不満を抱いているのが情報公開体制の拙さだ。
まずTwitter(余談だが、株を持っているだけの独裁者の言うことを聞くつもりはないので悪しからず)の企画で、「ポケモン年末レポート」を執筆した際に書き表した内容を一部修正して再掲する。
#ポケモン年末レポート
— ナトリウム (@H2CO3Na) December 29, 2023
とりあえず3つを考えてみた。
一つ目は、自分が折に触れてポケスペ公式アカウントについて発言していることと同じ。あの時期は剣盾編で終わるんじゃないかという心配をずっとしていて辛かった。
次の世代交代の時は、もっとポケスペにとって良い環境になっていて欲しい…。 https://t.co/gcJ9556Lh2 pic.twitter.com/k3z9kFo8Un
ポケスペはこれまで、ゲームが世代交代した場合はコロイチ連載章を問答無用で打ちきり、強引にでも新しい世代の章に移行するのが常であった。
しかし、15章(剣盾編)は2022年12月になっても物語に終わりを見せず、その動向は自分に動揺を与えていた。普通に考えればSV編が次にあると推測できるのだが、2019年以降のポケスペをめぐる状況が全く良くなかったことが動揺に拍車をかけていた。
まず2019年に剣盾編がスタートした後、2020年初めには11章(BW2編)が波乱の連載を終えたものの、サンデーうぇぶりの連載枠は維持されずにそのまま終わってしまった。
そして例年であれば、リメイク作品が発売されればその作品を題材にした章が出されることが通例なのに、BDSPやレジェンズアルセウスを題材にした章は発表されず、そもそもやるかどうかすら関係者は口を閉ざしたまま。
それに加え、公式サイトの更新が凍結状態に陥り、covid-19の流行でリアルイベントがなくなったため、ファンは新しい情報に触れる機会を完全に失ってしまった。
頼りになるのは山本先生のTwitterアカウントのみで、作品公式アカウントが設立されたものの更新頻度が完全に周回遅れの代物で、どうしようもない。欲しい情報に飢えている状況下で通例がさらになくなり、先行きが見えないのに明らかに話が終わりに向かう連載が続いていた、2023年4~6月は実に辛い時期であった。
結局、連載は2023年6月まで継続することになり、3年の世代交代の枠を越えて剣盾編は完結した。そしてその号でSV編の開始も告知され、8月から連載が開始されている。
ポケモンのゲーム自体は全体的に情報の供給ペースが早い印象なのだが、ポケスペに限って言うと情報公開があまりになってないので、今後も新作発売の度にひたすらに辛い時期を迎えることになるのかなと覚悟はしている。
個人的な感想としては、商売なんだから情報の出し入れもちゃんとやってくださいというのと、株ポケはアニポケばかり宣伝するのではなく漫画作品全般もちゃんと宣伝してくださいという二つに尽きる。
正直、上記で書いたことで自分の言いたいことの7割ぐらいは吐き出しているのだが、後になってもう少し書いておきたいことがあるように思えたので、追記をしておきたい。
この問題はSV編開始だけではなく、通巻版単行本発売でも続いているからである。
そもそもポケスペのネット広報は完全に時代遅れの代物だ。
公式サイトを2001年という早い時期に用意していたのは特筆すべきことではあるが、その時代からホームページの構造をあまり弄っていないように思われる。
これでは更新のやり方が属人的にならざるを得ず、SNS時代に適応しているとは言えない。
一応更新自体が全く絶えたというわけではないのだが、今日時点でサイトを開くと↓のような惨状である。
まず今連載してるのは剣盾編ではないし、ポケスペが連載25周年だったのは2022年の話だ。
更にURLがhttp://のため、SSL(暗号化通信)による保護がかけられていない。スマホ対応もしておらず、現代の企業による宣伝ページとしては周回遅れの代物だ。
極め付きは各ページで、「今月のニュース」は2022年3月の話だし、「最新号チラ見せ!」に至っては2019年7月の内容だ。「ポケSP美術館」「ポケSPの楽しみ方」も14章までの内容にとどまっているし、他のページは工事中という有り様。
ポケスペ公式Twitterアカウントも存在するが、そちらも論外である。
毎月出ているコロイチについては発売後に一つツイートをするだけだし、単行本も書影がサイトに載るまで宣伝しない。単行本の発売日はAmazonで1ヶ月以上前に分かるというのに、だ。
更に作品についての宣伝もやっておらず、ポケスペが一体どういう物語で各章がどのゲームに対応しているかも発言しないし、ここ2年はキャラの誕生日すら祝わなくなった。
そして単行本が複数種類あるという事実すら山本先生任せにして、公式アカウントでは解説しない姿勢は、個人的には商売として失格だと思っている。
こんな状態で、一体何を宣伝していると言えるのだろうか?自分が担当者なら、恥ずかしくてとてもそうとは言えない。
そして時代遅れな広報体制のまま、何の説明もなく重大な決定をし続けてきたのが2019年以降である。
なぜBDSPとレジェアルを題材にした章はないのか?なぜ単行本の発売が当初予定から遅れることが多いのか?なぜ剣盾編は半年の延長がなされたのか?
これらの事象について、誰も何も理由を説明してくれていない。
無論、日下・山本両先生の高齢化が原因にある可能性は高いが、それもファンが勝手に憶測しているだけである。
一応、山本先生は下記の通り釈明している。
オーバーに言えばポケスペを取り巻く状況が刻々変化していて昔以上に進行中の情報が出しにくく、いずれにしても読者にとっては歯がゆい思いのする漫画であることは変わらないですね。申し訳ないです。
— 山本サトシ (@satoshi_swalot) June 29, 2023
だが、出す情報をコントロールするのは漫画家の仕事ではなく、担当編集者の仕事であろう。
そして担当編集者が広報もやっていると考えられるポケスペにおいて、かような広報体制を長年放置しながら、説明が必要な事象を複数起こしているのは、個人的に怒りを強く覚えている。
ファンは何が起ころうと見守るしかないという意見は分かるし、先生方に負担をかけたくないというのは自分も同じだ。
しかし、物わかりが良いファンしか耐えられないような情報公開体制が、果たして長期連載されている作品にとって良いことなのだろうか?
新規ファンを獲得しなければ漫画は継続できないし、長期連載作品で新規ファンを獲得するのは至難の技だ。
それなのに、ファンになろうとすると必用な情報は殆どファンサイト頼みで、新しい情報は殆どもらえないという状況は、健全だとは自分には思えない。
この状況の責任は小学館だけでなく、株式会社ポケモン(株ポケ)にもある。
ゲーム原作漫画の利点は、原作をプレイした人が流入して一定の需要を獲得できるところにあるはずなのだが、ゲームの宣伝をする株ポケはポケスペに限らず漫画作品の宣伝を一切しない。
それが小学館の姿勢だからだとは自分は思っていない。例えば、同じグループの集英社のジャンプに連載されているファイヤーエムブレムの漫画は、FEシリーズ公式アカウントでちゃんと宣伝されている。
月刊誌「最強ジャンプ」1月号および、マンガ誌アプリ「少年ジャンプ+」にて『ファイアーエムブレム エンゲージ』第10話が公開中です。ブロディアとイルシオンによる指輪を求める戦いが始まります。#FEエンゲージhttps://t.co/sJsU6D9FAa pic.twitter.com/IZMqFPwlGB
— 『ファイアーエムブレム』総合 (@FireEmblemJP) December 4, 2023
ポケモン公式アカウントではアニメの宣伝は毎週きっちりやるのに、ポケモン漫画だけこのような不義理を受けなくてはならないのか?
#年末年始はアニポケを見よう!
— ポケモン公式 (@Pokemon_cojp) December 29, 2023
公式YouTubeチャンネルにて、厳選必見エピソードを配信中!
2024年1月12日(金)正午ごろまでだよ。
キャプテンピカチュウも大活躍!https://t.co/sPWpDMjj14 #アニポケ #リコロイ #ポケモン #ピカチュウ pic.twitter.com/aPXrd6l3ow
自分は全く理解できない。
アニメだろうと漫画だろうと、メディアミックスという立場は対等なはずだ。
無論知名度は段違いでアニメの方が上である。しかしそれでも、名目は同じであるべきだろう。
かような扱いをする合理的な理由があるのなら開示して欲しい。
2023年に起きたポケスペSV編移行を巡るゴタゴタは、広報体制の脆さを改めて露呈し、今後も情報はもらえないことを前提にファンを続けるしかないという嫌な踏み絵を強いられた。
自分がファンとして欲しい情報は裏設定とかそういう次元の話ではなく、単純にいつ新しい単行本が出て、延期するならなぜ延期したか、このゲームの章はこういう理由でやる(やらない)といった、当たり前の部分だと思うのだが、それは高望みなのか?
高望みではないと自分は思いたい。
記事をお読みいただきありがとうございました。
感想等ございましたらコメントいただけると幸いです。
また、普段の発言についてはこちらのTwitterにて行っております。
よろしければご覧ください。
前回の記事はこちら↓
本記事では、バトル面でのポケスペ剣盾編の総括と、全体の結論を記す。
特に今回は、これまでのポケスペのバトルとの比較分析を多用していくので、手厳しい指摘が多くなる。あらかじめご了承いただきたい。
ポケスペにおけるバトルの魅力
ここで自分のスタンスを書いておくと、ポケスペのバトルについては13章以降あまり面白くない状態が続いていると思っている。
無論個別に抜き出せば面白いバトルがないわけでもない。しかしそもそもバトルの件数自体が大幅に減っていて、その少なくなったバトルも今一つなものが多いと自分は思っているのだ。
そもそも「面白いバトル」とは何なのであろうか?
人によって定義が異なることは明白なので、自分の考えるところを示しておくと、ポケスペのバトルにおける面白さは、「図鑑で示される習性・技の組み合わせや独自解釈・展開のどんでん返し」で構築されている。
先に結論から書いておくと、13章以降のバトルにはこれらが欠けがちになっていて、殊に剣盾編ではその欠落が顕著になってしまったと思う。
まず、この3要素について説明したい。
「図鑑で示される習性」については、読者であればほぼ説明不要であろう。
ゲームのタイプや特性では説明しきれない、ポケモンの生物としての習性。例えば「ノズパスは常に北を向いていて振り向くことができない」とか、「ビッパは歯が伸び続けるので定期的に削る必要がある」といった要素である。
これがバトルの要素として組み込まれ、切っ掛けから決着に至るまで様々にちりばめられる。
「技の組み合わせや独自解釈」の代表例は、1章ラストバトルにおけるピカ・ニョロ・フッシーの連携攻撃である。
ニョロの水分とピカの電気エネルギーを組み合わせて雷雲を作り、スタジアム内にもかかわらず雷をフッシーの蔓に落としてリザードンを倒すというのは、説明するまでもないがゲームでは絶対に不可能な連携だ。
しかし、それが成立するだけの説得力は絵から得ることができるし、究極的には「ポケモンだから現実の物理法則も崩せる」という理屈も立つので、作者の想像力次第でいくらでも可能性があるのだ。
「展開のどんでん返し」の代表例は、4章のエントツ山ロープウェイにおけるサファイア対ウシオだ。
アスナを人質に取ったウシオの策略にまんまと嵌まり、ロープウェイという密室の中で水攻めにあうサファイア。
サメハダーの攻撃を必死で交わしたもの、決死の攻撃で歯を折ってもすぐ再生するという絶望的な流れを読者に印象付ける。
そこから折れた歯をサファイアが目で追ってるという前振りを経て、勝ち誇るウシオの台詞を遮る形で折れた歯を活用しての逆転劇が繰り広げられるのである。
「敵の攻撃で絶体絶命→反撃しても効果がない→隙をついて逆転」という、逆転の前に必要な「タメ」がこの戦闘ではきっちり表現されており、読者も「密室の中でどうやって勝つ?→密室そのものを壊せば良いのか!」と気付くし、卑劣なウシオへの怒りを一気に昇華できるカタルシスも得られる。
自分が思う面白いバトルの三要件は、「気付き」に集中している。
つまり、敵の出してくる攻撃に対してどうやって解を見いだし、撃退するのか。
自分が図鑑所有者達と同じ目線に立ち、この解があるんだ!という気付きを得ることが面白さになる。
パズルを解いたときの快感に近いのだと個人的には思う。
近年のポケスペにおけるバトルの問題点
では、近年なぜこれらの要素が欠けがちになってしまったのか。
主な原因は三つ考えられる。
一つは全体の尺不足である。
連載体制が磐石であった時期である4章を比較の基準点として置くと、単純なページ数だけで言っても1400近くあったものが、14章では920程度しかない。
連載期間が短いのと、1ヶ月で書けるページ数が25程度に圧縮されたのが原因だ。
更に原作における登場人間キャラ数も増加の一途をたどっており、出さなければ話が回らない。
こうなると、キャラを生かした展開重視の作劇にならざるを得なくなるし、終盤になればなるほど増えたキャラのドラマ展開に引きずられてバトルを描く余裕がなくなる。
この二重苦の状況では、満足したバトルを描けないのも必然である。
これについては連載枠を拡張する、web連載に移行するなどの手を打つ他ない。だが実際どちらの手もやる気があるようには到底思えず、じり貧がずっと続くことを覚悟せざるを得ない。
次に挙げられるのが、ゲームの演出力向上。
かつての携帯ゲーム機の出力では、デフォルメされた動きと簡略的なアニメーションで色々な表現をしており、漫画やアニメで別の演出をしたところで「メディアの違い」として納得できた。
しかし、現代のゲーム機の出力は比べ物にならないほど向上しており、テレビの大画面を生かした演出もできるようになった。
そうなると、メディアの違いだからといって技の演出を全く違うものにしては、違和感が勝ってしまうケースもある。
演出の違いとして代表的なのが「みがわり」で、現在のゲームでの演出は「みがわり人形が出てくる」というもの。
しかし、ポケスペでは違う解釈を取っており、ピカが使用した際は「分身を生成し自分から離して操ることができる。その分身はバリヤーをすり抜けるし、水を弾くので形状変化させればサーフボードにできる」ということになっている。
赤緑の時代であればこれも許容されたが、近年の新技でもこのような独自解釈で技を出すことが可能だろうか?
少なくとも近年の章では新技についてゲームでの演出に合わせている印象が強い。
最後の一つで、深刻な問題なのは人間の悪役の不足だ。
BWから続く人間キャラ人気の上昇、及び原作における悪人の引き出し不足も相まって、ゲームではSM以降明確な悪役というものが出しにくくなっている。
ポケスペに目を向けると、12章までは悪の組織に幹部が複数存在し、何度も図鑑所有者達の前に立ちはだかることでバトル展開を引き出してきた。
だが、13章では敵対側に立つネームドキャラはヒガナ程度。
14章ではスカル団とエーテル財団が出てくるが、スカル団と図鑑所有者組が何度もぶつかる展開にはならない。エーテル財団もザオボーとルザミーネしか敵にならない。
剣盾編では更に悪化し、エール団員とビートとシーソーコンビがそれぞれ一度悪意をもって戦いを挑んだぐらいしかない。
その代わり、14章と剣盾編では野生ポケモンやヌシとの戦いであるとか、ジム戦でバトルを補っているのだが、後半になればなるほど悪役が不足する傾向なのは変わらない。
13章はまだヒガナとの対決だけでもつページ数だったので、この問題はさほど出てこなかったのだが、14章では後半になればなるほど悪役として使えるキャラがザオボーぐらいになり、ラストバトルであるネクロズマとの決戦が大技を出すだけの簡素なものになってしまった。
さらに剣盾編は最初から悪役が不足していたため、この問題が露骨に出てしまっている。
悪の組織がいないなら、悪人に雇われたという形で悪役を増やすという手もあったはずだが、その方法も取っていない。
原作側の原因として考えられるのが、BWのプラズマ団で形而上的な悪の極致である「ポケモンと人の分離」を描き、XYのフレア団で形而下的な悪の極致である「人とポケモンの無差別殺戮」を描いたことだ。
ここまで悪を徹底すると、もはや何を悪として描いてもスケールダウンになってしまうという懸念があり、それ以降の悪の組織がおしなべて脱力感溢れるものになっていったと考えられる。
では、なぜ人間の悪役が必要であると自分は考えているのか。
主な理由は二つあげられる。
まず、ポケスペ特有のバトルが最大限生きるには、人間同士の技の読みあいが必要不可欠だというのが一つ。
というのも、技を組み合わせたりして追い込む展開を作るのに、その作戦を言語化しておかないと読者に伝わらないからだ。
野生ポケモンとの戦闘でもできないことはないのだが、その思考を言語化するのは主人公サイドだけになってしまい、描写のバランスを危うくさせてしまう。
典型的なのが剣盾編のラストバトルで、ムゲンダイナが何を考えて行動し、それに対してどういう戦術を取ったのかが全てしーちゃんの台詞での説明になってしまっている。
その結果、ひたすら技を出し合うシーンが説明までずっと続くことになり、シーンのメリハリがなくなってしまった。
ダイマックスによる絵面の圧迫も相まって、強調ばかりの絵となって漫画のメリットを殺している。
人間の悪役が必要な理由としてもう一つ挙げておきたいのが、漫画としては展開を盛り上げるために、執拗な悪意を持った敵が必要であるということ。
確かに野生ポケモンであっても悪辣な知性を持つ存在は多く描かれてきたし、中には伝説でもない野生ポケモンでありながら、ボールスイッチ破壊というサカキ並みの芸当をしたものもいた。
しかし、野生ポケモンは言葉を発しない存在であり、悪意は言葉として出てこないし、倒したときのカタルシスはさほどでもない。それがゲームで手持ちに入れているポケモンなら尚更である。
だがそれが人であれば、野生ポケモンと違ってその行動理由は言語化しやすいし、何より「悪いやつを倒した」というカタルシスを得やすい。
プレイヤーが能動的にするゲームなら、別に誰でも戦えればカタルシスを得られるのだが、漫画は読者が能動的に動くものではない。
能動的に動かない読者が漫画を読んで面白く感じるには、まず読者が漫画の登場人物のどれかに感情移入する必要があると考える。
その手っ取り早い手段が、悪人に追い詰められて逆転する様を描くことなのではないだろうか。
これを少なくせざるを得ない状況は、あまり良いとは言いがたいと自分は思う。
剣盾編特有の課題
剣盾編では上記に加え、本章特有の問題がある。
それはダイマックスとジムチャレンジだ。
ダイマックスがポケスペにいかなる問題をもたらすか、については以前解説した(2022年1月ポケスペ剣盾編感想 - 曹達記)ので、概要だけ箇条書きにする。
・大きさを表現するためにコマをぶち抜いて描くと、読者が注意すべきページの印象を散漫にしたりページ数を圧迫したりする。
・技をこっそり出すという選択肢がなくなる。
・使用できる技にも制限があるので、戦術が狭まる。
これらの問題点について、ポケスペ剣盾編は終盤ではダイマックスをあまり使わないことで解決した。
しかしラストバトルでは先述の通り、ムゲンダイナとの決戦でダイマックスを使用せざるを得なくなり、それも相まって戦術に捻りのない単調なバトルシーンとなってしまった。
ジムチャレンジもまた、ポケスペとの食い合わせが大変よくないものであった。
なにせ、衆人環視の元で試合をするのである。相手が技を確認できないようにして行動するというやり方は、成立させづらい。
毎回ポケモンリーグ戦をやっているようなものであり、取れる戦術のネタが切れるのも当然だ。
さらにバトルコートは全ジムで統一されているし、ジムリーダーは挑戦を必ず受けなければいけない。
これまでジム戦を主体で扱ってきた4・7・10章では、なるべくジム戦の展開を同一にしないように、ジムの構造をそれぞれ個性化したり、ジムリーダーの性格を変えたりしてきたが、原作の時点でそれが否定されているのだ。
おまけに、ジムリーダーは全員切り札をダイマックスさせるという「お約束」まで決まってしまった。
ゲームの剣盾におけるジム戦は非常に画一化されたものであり、時にそのお約束を逆手に取った展開も用意されたが、これはゲームとして最大限機能させるための仕掛けでもある。
ところが、これが長編ストーリーを意識した漫画になると、効果が真逆になってしまう。判で押したようなバトル展開を連続させられたところで、読者としてはマンネリを感じ次のページを見たくなくなるだけだ。
こういった問題が組み合わさり、剣盾編のバトルは中盤以降苦しい状態に追い込まれていった。
しーちゃんの手持ち探し関係は割と良いバトルが展開できていたと思うのだが、これは最大でも5回しか設定できない都合上、3年の連載期間では間隔を広めに取るしかなかった。
もう一つメインに置く必要のあったジム戦については、先述した通りポケスペ的には手足をもがれたようなもの。
個人的には二重苦というより、できることの方が少ないバトルだったと言える。
中盤からは陰謀が本格的に描かれ、ジム戦よりも他の戦いを描くチャンスこそあったのだが、そこになるとキャラのドラマを消化するのに手一杯でバトルを描く暇がなく、ムゲンダイナとの対決も意思が出てこないため盛り上がりに欠けていた。
そして終盤はダイマックスもジムチャレンジもやらないことで面白いバトルを少し展開できた(個人的にはマスタード戦が割と良かった)が、やはり野生ポケモンとのバトルが中心になり、台詞のコマが挟みにくくなっていたのが目についた。
ラストバトルの問題点は先述の通り。ただ、ラストバトルに戦術的な捻りがないというのは、それこそ4章以降ずっとついて回っていた問題でもある。
それを補ってきたのが積み重ねてきた敵との因縁であるとか、テーマの帰結といったドラマ面なのだが、ムゲンダイナと図鑑所有者には特段因縁がないし言葉を交わさない。テーマも特にバトルには絡んでない。
なので、戦術的な乏しさとダイマックスによる画の圧迫、さらに野生ポケモンであるがゆえの思考描写の難しさも相まって、自分はラストバトルによくない印象がついてしまった。
バトル軽視の弊害
さて、ここまで剣盾編におけるバトルの問題を指摘してきた。
しかし、ここに来て長い文章を読むレベルの年齢の方であれば、「バトルはストーリーのおまけだし別になくてもよくない?」と思う方も多いかもしれない。
実際、通巻版で追加される書き下ろしの大半はストーリーの補強であって、バトルを追加したのは12章ラストのマギアナ掌編ぐらいだろう。
さらに言えば、ネットでポケスペを話題にしたときに基本的に話し合われるのは、キャラ描写やストーリーのことだけだ。心揺さぶるシーンはそこに置くのが基本だし、仕方ないことである。
だが、自分はあえて主張したい。
バトルをおざなりにしてしまうと、他の部分にも皺寄せが行って漫画として苦しくなる、と。
バトルが作劇にもたらす効果として、比較的短期的なスパンでの盛り上がりをもたらすことができることと、単話のピークを明確にしやすいということが個人的には考えられる。
そして、漫画はその媒体の特質として、長い縦軸のストーリーを展開させやすい。
しかし、縦軸が長いとカタルシスを得にくくなり、1話だけ読んだ人に面白さが伝わらなくなる。
そこでバトルを挟むことにより、短いスパンでも面白さが伝わるようになるのだ。
バトルがもたらす効果はそれだけではない。
後半になってドラマが激しくなっていくと、それだけで事件を大量に描く必要が出てしまい、受動的に読む側としては展開の渋滞で振り回されてしまう。
そこにバトルを挟むことで、読者としては気づきやカタルシスを得て少し一休みできる。
更に言えば、バトルを描くことによってトレーナーやポケモンの心情を深く描くこともできる。トレーナーごとの戦術の特徴も描けて、キャラ描写の強化にも繋がる。
そこに戦術としての巧みさも乗っかってくれば、「面白いバトル」を描きつつドラマ面の補強もできるという一石二鳥の展開ができるのである。
さらに、バトル描写で描けるシンプルかつ重要なことがある。それは「強さ」だ。
いくら台詞の上でチャンピオンであるとかジムリーダーであるとか説明されていても、具体的な強さが描かれないと拍子抜けしてしまう。
ゲームなら戦えば分かる話だが、漫画は戦う描写がないと分からない。
そしてポケスペはバトル漫画でもあるので、キャラごとの強さが話の説得力にも繋がってくる。
「これだけの力があっても敵を倒しきれない」と描写する際に、それまでにそのキャラの強さを描く描写が一つもなかったらどうだろうか?
説得力が大幅に落ちることになるだろう。
そこを防ぐためにも、バトルは少なくとも中盤まではしっかり描く必要があるのである。
だが、バトルを描くのを放棄して事件やそれに振り回される展開をずっと描き続けるとどうなるのか。
短期的な盛り上がりとしてバトル以外の事件を使うのはおかしくないし、それ自体が悪いわけではない。
しかし、それを一つの回でとかく乱発されると「今回はどこに話のピークがあるの?」と感じてしまう。
終盤なら問題はないが、中盤でそれをやられてしまうと、話の進行が駆け足になったように感じ、先行きに不安が生じる。
更に、消化すべき事件を早くこなさなければならない状況になると、事件への反応も疎らになってしまう。
勿論、作劇の手法として反応を省きつつ事件を大量に一気に起こして、その驚きを鑑賞者に与えるもの(例えば「シン・ゴジラ」等)もあるが、それは映像作品向きの手法だ。漫画は読み物なので、一気に事件を起こされると必要な描写がないことの方が気になる。
ならば、描くべき事件を少し減らしてでも、事件に附随するバトルをしっかりと描くことで、話のバランスが良くなるのではないか?
ポケスペは長らく、バトルと長編ストーリーの二本が話の主軸として機能してきた漫画だ。
しかし尺不足でストーリー重視に舵を切らざるを得なくなり、話が終盤になればなるほどバトルがざっくりしたものになっていき、近年は人間の悪役がいないことで倒すことでのカタルシスや因縁も弱まっていくという、バトル漫画として致命的な弱さを抱えるようになった。
そして片方の主軸がうまく回らなくなると、話の進行力をストーリーに頼らざるを得なくなり、満足するストーリーを展開するには尺が余計に不足してしまう。
これは完全なジレンマに陥っていると言わざるを得ないのだが、残念ながら原作での悪役不足が解消される兆しがない以上、連載時は多少ストーリーで描く事件を減らしてでもバトルをしっかり建て直して描いた方が、話をバランス良く進められると自分は考えている。
また、連載後に書き下ろしをする場合であっても、追加ストーリーを展開するだけでは描写が不足する。
登場キャラが以前より増えているので、バトルでの活躍が少ないと、それだけ強さの印象が弱くなるのだ。
ポケスペは確かにストーリーがとても強い漫画であるが、同時にバトル漫画としての性質もある。
だからこそ、連載時は両者のバランスを取って取捨選択をしてほしいし、書き下ろしでストーリーを増強するなら、それ以上にバトルも知略溢れる描写を付け足していかないと、話の進行バランスが非常に悪くなってしまうと思う。
全体としての総括
剣盾編全体としては、縦軸の一貫性は良くできていて、キャラ描写は一部に手抜かりこそあるが概ね良かった、バトルについては基本的に上手く扱えていなかったという総括になる。
特に問題点の多くは4~5巻収録の回で強く出ていたと個人的に感じる。
月1の連載なので、展開が駆け足になっていると不安感がとても強くなったし、単話のピークが見えにくくて読むのが少し辛かった。
ストーリーの大枠やどんな事件が起きるか、などというのは原作プレイ済みの読者からすれば分かりきったことであるし、独自ストーリーを展開しているポケスペからしたらノルマに過ぎない。
なので、そのノルマに振り回されるぐらいなら、割り切ってある程度は描かないとした方が、まだしっかりしたバトル描写と両立できてバランスが良くなると思っている。
また、なまじ原作からキャラを変えられないという縛りをつけてしまったが為に、後半になると悪役不足で自らを追い込んでしまった。
不足する悪役を補うためなら、いっそ最終盤で出てきた王族を単話での悪役で使っても良かったとすら思う。
メディアミックスは原作からの要素も重要だが、それ以前に作品単体として成立するようにしないと意味がない。
縦軸こそ機能していたものの、キャラ描写という面では一部手抜かりが生じた上に、バトルの問題も重なっている。
そのため確かに縦軸は通っているのだが、後半になればなるほどそれ以外の面白さが減じていくというのが本章のキツいところである。
一方の評価点は縦軸の部分と一部キャラ描写で、テーマに基づいた一貫した描写が図鑑所有者達にされていたし、そーちゃんの巧みな設定やビート・ネズ・キバナの話を動かすキャラ付けは一見の価値があると思う。
作家性と原作要素をうまく交えつつ、高いレベルで表現してみせたのはいつもながら感嘆するものだし、そこは読む価値があると言えるものだ。
個人的な思いを言うなら、原作の補完としての役割は、「薄明の翼」等のweb展開されるオリジナルアニメや、ソーシャルゲームのポケモンマスターズEX(以下ポケマス)に任せてしまって、逆にそれらより圧倒的に勝る部分を磨くしかないと考えている。
それがバトルなのだ。
ポケマスをプレイした人なら分かるだろうが、ストーリーは原作で描かれたことの補完や後付けが良くできているものの、バトル描写はソシャゲである都合上本当にあっさりしている。
対して、ポケスペはストーリーを出すスピードでは負けていても、バトル描写に関しては比べ物にならないぐらい上だ。
また、原作から大きく外れたキャラ付けもポケマスにはできないが、ポケスペならできる。
原作ストーリーをそのままコミカライズするとは一言も言ってないのだから、原作からの本歌取りを必要な分だけしつつ先生方独自の味付けをして、バトル描写をしっかりやっていけば、少なくとも現行メディアミックス群の中で埋没せずに生き残れると思うのだが、どうだろうか。
最後になるが、この総括感想は連載対象年齢から外れた大人の視点によるものである。
なので、本来の読者層はどう考えているのかは全く分からないし、実際に読んだ感想は貴方だけのものである。
自分はあくまで大人気ない感想を書いているだけであり、無価値であることを付け加えて、総括感想の筆を置かせていただく。
SV編も引き続き楽しみにしたい。
記事をお読みいただきありがとうございました。
また、普段の発言についてはこちらのTwitterにて行っております。
よろしければご覧ください。
前回の記事はこちら↓
本記事では、キャラクター面からポケスペ剣盾編を総括していく。
ただ、山本先生はサイドストーリーを相当切り落として連載したことを述べている。
なので、キャラ描写については相当な手落ちがある状態での批評となるため、あらかじめご了承いただきたい。
図鑑所有者たちとマナブ
ポケスペという作品は、初期からキャラクターについて独自の味付けをしてきた。
しかし時代が下るにつれて、ゲームとメディアミックスでキャラに違いがあることを許さない風潮が強まっていく。
こと剣盾については、ネット上でのキャラ人気が最高レベルのものであった。SMは割と特定キャラへの人気が高かった印象があるが、剣盾は登場する殆どのキャラに満遍なく固定ファンがいて、ゲスな悪役がいないゲームシナリオも相まって「ポケスペでの悪役化が心配」という些か奇妙な意見もあったほどだ。
そのような事情に配慮したのか、剣盾編はキャラの改変が少ない。
無論ゼロではないし、ある改変について許せないと怒っていた人もいたが、個人的な見解としては、
「原作はゲームであり、ゲームとして最適なキャラと漫画として最適なキャラは異なる。漫画としてのストーリーに合わせるためなら改変はあって良いことだし、そもそもキャラクターはストーリーの中で機能しなければ意味はない」
と思うので、改変の是非については議論しない。
ポケスペはポケスペであって、原作の続きや補完では決してないのである。
前置きはこの程度にして、まず語るべきは図鑑所有者とマナブからだ。
図鑑所有者のキャラは14章と対になっており、男子が落ち着いた性格(パッシブ)で女子が活発な性格(アクティブ)である。
しかし図鑑所有者の多分に漏れず、表面的な性格の奥には複雑な内面がある。
そーちゃんは落ち着き払った所作に社会的信用のある職人と、一見した印象は良い。だが内面では周囲に対して関心がなく、身具のことに集中すると他のことはなにも考えられない。
しかし外面だけは良いので、深く関わらなければその異常性に気づかれることなく過ごすことになる。
このことが、彼に自身の問題点を気づかせることなく過ごさせてきた要因でもあった。さらに父を早くに亡くしたことで、周囲にそれを指摘できる大人がいるわけでもない。
彼は徹底して内心の描写を削られており、そのことが終盤でのムゲンダイナの毒を受けた暴走の意外性を強く引き立てる結果となる。
最初から長く置かれてきた伏線を巧妙に機能させたポケスペらしい描き方で、最初に読んだときは衝撃的だったものの、これまでの描写と突き合わせると合点が行くという巧さには舌を巻いた。
しかも、その欠如した倫理観は指摘こそされるものの、より社会に適合した形に矯正されるということもなく、事態が収拾したあとも「またこのような危機が起きてほしい」とすら言ってしまう。
社会のあぶれ者として存在を否定する方向に行くのではなく、それすらも存在して良いと肯定する方向になったことに、制作側の考えの変化を感じた。
手持ちのポケモン達は、彼自身の信念が終盤まで明かされなかったために、あくまで身具を鍛えて強さを求めるという一点で協力しているように感じられた。
ただ、アーマンについてはヨロイ島での修行で心通わせる様子がじっくり描かれたため、身具がないポケモンを手持ちにすることでそーちゃんの度量が少し広まったことを表現したのは巧かった。
しーちゃんは逆に、落ち着かない挙動に周囲を閉口させる大声で喋る癖もあって、一見した印象があまりいいとは言えない。
しかし、彼女はコンピューター技師としての確かな腕前があるし、物事の観察眼も備わっているし、他者と内面から対話する優しさもある。
他者を疑うことを知らない純真さが図鑑所有者としては希少で、ゆえにバトルで相手の裏をかくことがあまり得意ではない。
そのため、彼女が本領を発揮するのは人とのバトルではなく対話になってくる。
しかし序盤では彼女の内面がそーちゃん共々隠されていて、手持ちとの再会を通じて内面が明かされていく流れにより、人物像が浮き彫りになっていくのは丁寧だった。
彼女については、一つ指摘しておかなくてはならない作劇上の問題がある。それはジムチャレンジャーという属性を、そーちゃんと被らせてしまったことである。
このことは作劇に大きな制約を与え、しーちゃん自身のジム戦のほぼ全てがカットされるという憂き目に遭った。
無論、漫画だから同じ展開の繰り返しは面白くないし、カットすること自体は仕方ないと思う。
ただ良く考えなくとも、この設定にすればそうせざるを得ないと最初からわかりきっていたであろう。
どこかで敗退することを決めていたにしても、もう少し早くても良かった。
無論布石として、最初のヤロー戦からバトルのセンスが致命的に欠けていることは描かれていて、何れ負けることを予感させてはいた。
しかし、やはり負けた回の演出が本当にあっさりしすぎで、もっと大きな挫折としてのし掛かるような重さがあってよかったはずだ。
これは全くの素人考えだが、ジムチャレンジャーにしたところでジム戦を描けないなら、その設定は不要だったと感じてしまう。
彼女の根幹である手持ちが行方不明という設定自体は、ムーンが手持ちを揃えられなかった反省から来ていると考えられ、割と上手い改善ではないかと思った。
それだけにジムチャレンジャーという一点だけが本当に惜しい。これさえなければダイマックスを描く必要性が一つ減り、視点も増やせたと思うのである。
マナブについては以前考察記事を書いたのでそちらも参照していただきたい(ポケスペ剣盾編におけるマナブの立ち位置について - 曹達記)が、結局「第三の御三家をもつ枠」としての存在以上になることはなかった。
終わった感想としては、結局彼をどう機能させたかったのかな、と思ってしまったのが正直なところである。
そーちゃんとしーちゃんの内面を見せないようにする、という点からマナブが狂言回しとして機能していた部分もあったのだが、中盤以降彼の視点が描かれなくなっていったので、狂言回しとしてもトロバには遠く及ばなかった。
重要な要素である不登校という部分も、結局ストーリー展開で機能することがなかったため、彼単体では本当に「いるだけ」である。
さらに、最終盤でホップに一時的にナミダくん(インテレオン)を貸すという見せ場があったものの、ホップとのドラマは特にない状態であった。
これについては尺のカットがあったから仕方ない、と考えることもできるが、現時点で読めるもので判断すると「片手落ち」と言わざるを得なくなってしまう。
そーちゃんの別の面の対比としてマナブが設定されたことは明白なのだが、しーちゃんは対比としての役割をよく果たしたのに対し、マナブは対比としての要素が生きていない。
本来は三人が巴になるように設定するのが妥当だと思うのだが、厳しい尺の関係上焦点を男主人公に絞らざるを得なくなる。
そうなると更に歪になってしまうので、一人の対比で二人を作ったのだろうが、結局生きていないのでは、どうにも評価に困る。
異例の抜擢に読者の戸惑いが強かったことは想像されるが、それでも図鑑所有者に並ぶ存在として置いたのであれば、きっちり描いてほしかった。
ジムチャレンジャー達とダンデとソニア
主人公サイドに近い味方キャラとしてまず語るべきは、ビート・マリィ・ホップのジムチャレンジャー組であると考える。
ビートはストーリーの考察でも書いた通り、テーマに則したキャラとして随一の存在感を見せた。
そーちゃんとの因縁と和解、ローズからの切り捨てと対話、ポプラによる指導等々、図鑑所有者組を除けばサイドストーリーで描かれた要素がしっかり繋がっており、裏の主人公と言っても良いぐらいの活躍である。
彼がそーちゃんに当初一方的な言いがかりをつけていたのは、ローズに目を掛けられていたことへの嫉妬があったのだが、そーちゃんの本質がローズに近いことを感知していたこともあるだろう。
最終回でもローズの真意を問う重要な役回りを演じており、「大局的な善意でしか動けないローズ」という存在の影として、同様の本質を持つそーちゃんの影ともなりつつ本筋を回す重要な役割を演じたのだと思う。
逆に、図鑑所有者達との絡みが少なかったのがマリィ。原作でも実はストーリーへの絡みが薄く、彼女のキャラ描写と良いところで応援してくれる点でプレーヤーの印象に残っているにすぎない。
ローズの動きを中心にした縦軸を強めにしたポケスペにおいて、彼女の存在感が薄くなったのは仕方ないことであろう。
ただ、折角図鑑所有者に準ずる存在を用意してまで御三家を分散させたのだから、マナブとの関係性構築ぐらいはしてほしかった。
マナブはネズの楽曲のファンであるという、絡むには十分な設定があったのだから、そこで何かフックでも用意しておけばよかったのだが…。
キャラ単体としては悪くないし、カンムリ雪原においてはビート・ホップとの会話が良い味を出していただけに、もう少し有効に機能させられる手はあったのではないかと思ってしまう。
ホップは、個人的意見として別のベクトルで存在を出せていると思う。
チャンピオンの弟という重圧のかかるアイデンティティを切り離して、あくまで1トレーナーとして競技に挑む側面と、ガラルの危機に何をするべきか悩む不安定な側面が良い対比になっている。
またホップはしーちゃんと絡む機会が多いのだが、それはどことなくソニアを探し求めるダンデの姿が被ったからなのかもしれない。
二人を繋ぐものとしては他に直情的で裏表のないところぐらいしかないのだが、強引に考えるとしたら「ダンデを利用するものと利用しないもの」だろうか。
かなり悪意のある言い方ではあるが、しーちゃんはダンデの威光を利用している側面があるし、真剣にジムチャレンジには挑んでいない。一方でホップは真剣にジムチャレンジをしているし、だからこそダンデの推薦を蹴った。
ここだけ書き出せば対立の線を引いてもうまく転んだかもしれない。
ただ、だからと言って二人は対立をしているわけでもないし、むしろしーちゃんの直情的なコミュニケーションにホップが絆されているのが作中の流れなので、ビートとそーちゃんが対立→和解なのに対して、ホップとしーちゃんは打ち解け→一歩引き、という対比構造を狙ったのかもしれない。
ここについては正直描写が不足しているので、現時点では確証をもって対比であるとまでは言いきれないのだが。
ダンデは原作より無理をして振る舞っている面が強調されていて、影が深いキャラ造形は個人的に好み。
ムゲンダイナの登場という「スポーツ選手としての戦いから外れた危機」に対しても、あくまでポケモンバトルで解決するためにどうすべきかをホップに教えるのは良い描写であった。
またソニアにはダンデとの関係が拗れているという重要なファクターがあり、それゆえに自信のなさや弱さが強調されている印象だ。
ダンデとソニアの関係に密接に絡むのが、過去の挫折。
ジムチャレンジという制度の暗黒面に深く踏み込んだドラマであり、14章と別のベクトルで地方そのものの問題を炙り出している。
しかしこれ自体は割と好みであるものの、図鑑所有者たちにあまり絡まない点がどうにも惜しい。
無論全くの無関係ではないし、ダンデがホップを差し置いて彼らを推薦した理由にも繋がっているのだが、ではそれが図鑑所有者たちのドラマにどう絡んだのかと言われれば、現時点ではない。
ソニアも過去の英雄についての知識をもたらす役割を果たしているものの、図鑑所有者たちのドラマに置いては脇役である。
特にジムチャレンジを途中でリタイアしてしまったという共通点があるしーちゃんとは、もっと密接に絡む必要があっただろう。
例えに出すのが適切かは分からないが、4章ではミクリとナギの過去の別れがルビーとサファイアの関係に対比されるように置かれていたように、ダンデとソニアの関係も図鑑所有者たちの関係と対比すべきだったと思う。
その他味方キャラ群
マグノリアは図鑑所有者組の保護者として振る舞い、舞台がヨロイ島とカンムリ雪原に移るまで彼らの拠点を提供する立場で活躍した。
これまでのポケモン博士と比べて、そのアクティブさはオーキド以上と言える。
日下先生が高齢フェチなのかは不明だが、ポケスペの老人キャラは大体がアクティブで屈強なイメージがあり、マグノリアもそれに準じたキャラ付けだ。
ただ、彼女自身のスタンスとしては図鑑所有者達の振る舞いを見守ることに徹しており、問題点を指摘して教え導くところまではしていない。
ソニアに厳しく接しているのとは異なり、身内ではない協力者に対してはあくまで自主性に任せる方向で育てたい方針なのだろう。
ジムリーダーの中で筆頭といえる活躍をしているのはネズ。
テーマの一つが「居場所」である以上、その居場所が肩身の狭いスパイクタウンしかない、という設定は話に絡むのに使いやすかったのもあるだろう。
弱い者の居場所に気を払う彼のスタンスは、大義名分を理由に強引な行動を取るローズと真っ向から対立するものであり、中盤での話を主導するにふさわしいキャラであったといえる。
更に、彼は本章でも数少ない他地方の悪を知っているキャラでもあるので、シーソーコンビを出し抜いて正体を暴いたり、ローズの行動の裏を読もうとしたりと、他のキャラと比べて切れ者としての描写が目立った。
本質は小者のシーソーコンビとは異なり、いざとなれば相手に止めを刺すことも厭わないダーティーっぷりは、本当のワルとやりあってきた経験値を感じさせる。
ネズ以外のジムリーダー達の中でも、活躍しているのがキバナ。
個人的には、原作でのエネルギープラント事故にあたる話で、しっかり活躍してみせたのが印象的である。
これは原作だと主人公が何も関わらず終わってしまうイベントなのだが、ポケスペではキバナの視点を用意することで、きっちりストーリー上の意義を強調してみせた。
彼のキャラも「情報収集に余念がなく、ルールを破る行為に立場上躊躇いが少ない」というもので、ストーリーに積極的に関わるのに説得力があった。
図鑑所有者との関わりという点では弱かったものの、ストーリーを引っ掻き回す役回りとしてはネズ共々活躍の場が多くなったと思う。
6巻以降のDLC編においては、マスタードの存在感が大きい。
そーちゃんの欠点を指摘し導ける、今までになかった大人として設定されたことで、終盤に向けた話の総括に多いに貢献していた。
マスタードは数多くのトレーナーを指導してきた経験から、ともすれば道を踏み外しかねない危険性を有するそーちゃんに対して、しーちゃんとの対話を促したりダクマとの修行をさせたりして、彼の関心にゆとりをもたせることに成功した。
ローズとオリーヴとシーソーコンビ
一応本章における敵対側といえる組。
しかし悪役のない物語を目指した、と山本先生が書いている通り、悪役としては微妙な立ち位置である。
その試みはさておき、ローズについては縦軸の記事でも書いた通り「権力者の失敗」としての側面が強調されており、他者と相容れない思考で行動する悪役とは少し異なる印象を受ける。
ローズはそーちゃんと似たところがあるという点については、作中で繰り返し示されていた。
というより、原作のローズからそーちゃんのキャラクターが逆算して作られたと考えられる。
図鑑所有者と悪のボスというものは何かしら対比となる点を用意してあるものだが、本章においては「本質がほぼ同じ」というもので対比を狙っていた。
原作をプレイした自分としては、序盤からそーちゃんの行動に独善的なものを感じ、そこがローズと似ているのではないかという予測を立てており、実際にその通り類似していると示されたのはうまく嵌まっていたと思う。
何が二人を分けたのかについては縦軸の記事で説明したので、ここではローズ本人のキャラ描写について詳しく見ていく。
まず、チャンピオン推薦という立場にあるそーちゃんとの会食が最初に描かれた。だが、もう一人の推薦者であるしーちゃんには全く関心がないようで、全編通して会話すらない。
ローズは他人に関心がないと後で示されているが、ではそーちゃんと会食をなぜしたのだろうか?彼に自分と同じものを感じた、にしては接触が少なすぎるし、本当にその時居合わせたからという意味しかないのかもしれない。
これをローズに気に入られてるからだと勝手に解釈したのはビートだけであるし。
むしろこの時はソニアの状態を心配した台詞の方が多い。ローズにとってもソニアの挫折の件が心残りであると示されると共に、ガラル全体のことを考えるローズらしく挫折に対する眼差しもあると示しているシーンだろう。
結局この後も、ローズは直接図鑑所有者達と対峙して言葉を交わすシーンが殆どない。
やはり他者に関心がない気質からして、これまでの悪役と違って図鑑所有者との因縁を作る方向性になり得なかったのだろう。
次にエネルギープラントの事件でキバナと相対したとき、ガラル粒子の枯渇を1000年先であると嘯いてみせる。
ムゲンダイナの不完全な覚醒は事故だったと思われるが、キバナの乱入すら読んでみせ、彼を通す形で「ローズは何かを隠している」とジムリーダー達に共有させる一方、肝心の「ガラル粒子の枯渇は近い」という部分を覆い隠してみせるローズの狡猾さが際立った下りであった。
さらにブラックナイトの実行について、自分が本当はどこにいるのかを隠して誘導し、ジムリーダー達をエネルギープラントの地下に閉じ込め、映像をみせてムゲンダイナとの戦闘に備えさせるという鮮やかな策略もこなしてみせた。
改めて振り返ると、ダンデとジムリーダー達は所詮スポーツ選手であって、謀略で相手を出し抜くというやり口については、政治も知り尽くしたローズに二手も三手も及んでなかった。
結局彼の思惑を超えていたのは、ビートがローズへの忠義を失わずにいたことと、ザシアン・ザマゼンタの登場という二点ぐらいであろう。
彼自身は悪人ではないとされつつも、情報の出し入れで他者を巧妙にコントロールし、見事ガラル粒子の補充を達成してみせたのは、これまでのどの悪役も達成してこなかったこと。
自己犠牲精神の強さゆえに悪人にはならなかったものの、用意周到さや戦略の巧さについては前の章のどの悪役よりも上だったと自分は思う。
オリーヴは悪役というより味方側に近いキャラとして描かれている。
ローズの右腕として彼の真意を理解し忠実に実行している面が強いのだが、彼女自身はそこまで強引な手法をとることに賛同していない。
そのため、ローズが不在となった終盤では、ムゲンダイナからガラルを守るために図鑑所有者達と共闘する方向へと進んだ。
終始クールでありながら、身勝手な王族の末裔に対しては一喝してみせるなど、彼女なりの矜持を持って事態に対応している描写は好感を持てる。
シーソーコンビはまず見た目がギャグキャラなのでシリアスを担当しえないため、結局小者としての役回りしかなかったのが大変残念だった。
最初こそ無表情で話が通じないという恐怖感があったものの、あっという間にメッキが剥がれて小者になり、最後は誰も見舞いに来てもらえないというギャグで終わった。
再び英雄の物語の主役となることを望んでいた彼らとして皮肉な終わり方ではあるのだが、では手持ちを奪った件は一体どう落とし前をつけるのかと疑問に思ってしまった。
話のきっかけを作った因縁ある敵であるのに、図鑑所有者達にバトルでやられるでもなく、罪を認めて謝罪する(それか図鑑所有者達が許すか)でもなく終わっているのが、本当にスッキリしない。
前章のザオボーもそうだが、シビアな場面でシリアスを維持できないなら、悪役足り得ないとしか言いようがない。
悪役は悪役らしく、締めるところはしっかり締めて振る舞ってほしい。
キャラクターの総論
剣盾編全体としては、キャラの味付け自体は基本的に好みである。そこはポケスペ読者としてのこれまでの信頼も否定できないが。
だが、尺不足でキャラ描写が足りないのは仕方ないにしても、一部設定面での練り込みが不足しているのではないかと感じた。
図鑑所有者達については主役として重要な役回りをこなしてきたし、彼らの内面も話の筋として機能しているのでそこまで不満はないのだが、やはりしーちゃんが不憫に感じられる。
マナブに至っては必要な描写が足りなさすぎるし、不登校という側面については事実上投げ捨てられてしまった。
そーちゃんというキャラの組み上げはかなりよくできていただけに、そのカウンターとなるしーちゃんとマナブの動かし方で一部失策があったのは今一つだと思う。
他のキャラについては、ビート・ホップ・ダンデ・ポプラ・ネズ・キバナ・ローズ・マスタードの描き方は割と好みであった。
ソニアについては挫折のドラマが良かったものの、それ以降の絡みの少なさで相対的には普通という感覚。
それ以外のキャラについても、良くないとダメ出ししたいキャラはほぼいない。
ただ、シーソーコンビだけは例外である。悪役のいないストーリーを目指したと言っても、彼らの行為はいくらなんでも「悪」だ。
そこは貫徹して描いて欲しかったのが本音である。
尤も、キャラデザインの時点で悪役足り得ないことは明白だったので、そこは割り切ってオリジナルの悪役を出しても良かった気もする。
キャラクター全体の総括としては、良くないところもあるものの全体としては良いキャラ付けができている、という結論になる。
さて、最後の一つはバトルについての総括である。
先に予告しておくと、こちらはきつめの論評となっているので、気分を害される方が多いかもしれない。
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