色の黒い外国人らしい男が湯船から上がってきた。パキスタン人かインド人のような精悍な顔付きをしていた。このあいだはヨーロッパ人のような色の白い男が入っていて熱い湯のためにピンクがかった肌の色になっていた。銭湯も国際化したものである。
贅沢にも思える高い天井、大勢の客が一度に入っても酸素が不足しないようにつくられているのだろうか。そういえばカトリックの大聖堂もトルコのモスクも天井が高そうだ。冷たい水滴が肩の上に時折落ちてくる。湯船の上の壁一面に富士山の姿を描いたペンキ絵が施されていた。湖にヨットが浮かんでいた。
おれは手ぬぐいを頭に載せて熱い湯に入った。泡の出ている場所に行って肩まで湯に浸かった。
おれは最近、政府が子どもの数が滅ったと言って何かと人民に負担を強いる口実に使っているのではないかと思うようになっていた。ドイツ、イタリア、日本が世界でもっとも出生率の低い国を争っているというのは興味を覚えた。これらの国はすべて第二次世界大戦で負けた国ではないか。スウェーデンがもっとも出生率の低い国だったこともあったが、政府の施策によって出生率が向上したとおれは何かで読んだ記憶があった。
これから益々子どもの数が減っていくと予想されるので、将来働く者の数が少なくなる。その少ない労働者で多くなる高齢者を養わなければならないというわけだ。そのために消費税率を引き上げる、介護保険を導入する。年金は納入額を引き上げ、支給開始年齢を遅らし、支給額も減額する。
なぜかこれはおかしいなとおれは思っている。将来のために今から色々な負担を引き上げ、ため込むということは、ため込んだお金を政府が何かに投資するということだろうから、そのことが将来の高齢者を養うことにはつながらないと思う。二百四十兆円を越えるという財政赤字の埋め合わせになるか、防衛費という名前の軍事費に使われるか、財政の操作でどうにでもなってしまう。
高齢化社会がくるからなんて脅しだと思う。毎日都会から吐き出される夥しい人の群れ、何層も連なる中層高層のアパート群、東京に住んでいると余裕もスペースもなさ過ぎる、人が多すぎると思うことがいつもある。中国などは人口がこれ以上増えると食料生産が限界を超えてしまうからだと思うが、子どもの数を一人に制限しているそうだ。日本も江戸時代は三千万人位で人口は一定していたという話だから、無理なく生きていくためには五千万人位が適当な人数かもしれない。そう考えれば、政府の悪政のためとはいえ、政府が人口を制限しなくても子どもの数が減っている今の傾向は、人口という点だけを考えれば、そんなに悪い傾向とは思えない。不幸中の幸いといったところだろうか。
人口が減れば、需要と供給の関係で土地の価格が下がる。また、賃貸住宅の家賃も下がるはずである。この面でも住みやすくなる。
おれは明日の日曜日に今住んでいるところからさして遠くない新築の都営アパートに引っ越すことになっていた。小さいながら風呂場もついていた。それで銭湯にも当分いかなくなるかもしれないと思った。時代が変われば栄枯盛衰はあるもので、時代に合わせて銭湯も変えていかなければならないものだろうとおれは思った。
(初出誌1997年『城北文芸』31号)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます