からみ・鍰の由来(9) 至宝要録の加筆者荒谷忠右衛門は「鍰」へ書換えなかったろう
からみ・鍰の由来(8) 「鉱山聞書」(1785)の原本が「鍰」であろう
からみ・鍰の由来(6) 「からミ」の初出は、慶長7年(1602)石見銀山の大久保長安書状
からみ・鍰の由来(5) 鉱山至宝要録の写本(1787以降)に「鍰」あり
からみ・鍰の由来(4) 「鉱山聞書」の写本(1872)に「鍰」があった
からみ・鍰の由来(3) 院内銀山の梅津政景日記は、慶長18年(1613)に「からミ」であった
理系の退職者
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