梅津政景日記によれば、秋田藩院内銀山で慶長17年にすでに、からミが使われ、からみ役・からみ札まであることから、石見銀山史料で慶長17年より古いものに、「からみ」を探した。その結果、初代の石見銀山奉行となった大久保長安の書状にあった。
1. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図1.
覚
・ ---
・ 伝兵衛間歩鏈分け候はば、ふたからミ程、ふかせ候て上げべく候間、その支度有るべき事。
・ ---
10月13日 大十兵
吉隼人殿 参
2. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図2.
覚
---
吹屋入候覚
・ふいご 6丁
・しゃうぜん 6本
・大からミ取 4本 この内 1本17貫目、1本16貫目
・中からミ取 2本 内 1本12貫目、1本10貫目
・口明からミ取 2本 内 1本5貫目、1本5貫目
・からミつち 3 但し1貫目
・くま手 5丁
・ゑぶり 4本
・こすき 6枚
・---
10月26日 大十兵
吉隼 宗弥右 今宗玄 参
考察
1. 1の「ふたからミ」とはなにか。本の解説文では「鏈を分けたら二からみほどこころみ吹きをせよとしている。」とある。鏈を分けたら(選鉱したら?)からミとよばれるもの、状態ができるのか?よく理解できない。
筆者は、「鏈を吹いて回収した1番からミだけでなく、2番からミも再度吹いてもれなく銀を取り出して、銀が多くなるようにせよ、またはからミ中の銀量は、バラツキが大きいので、2件サンプリングして正確を期せ」と推測する。これなら からみは、床で吹いて副生する通常のものということになる。
2. 2では道具のからミ取、からミつち が列挙されている。
からミ取が1本17貫目とは、その用具の重さにしては重すぎる。鏈の仕込み量17貫目に対応したからミ取ということであろうか。
ゑぶり(柄振り)とは別にからミ取りがあった。
3. 慶長7年の石見銀山では、「からミ」であった。
4. 「からミ」がKARAMI と発音されたかGARAMI と発音されたかは、わからない。
5. 筆者が探した史料の内で、今のところ、この大久保長安書状が「からみ」の初出である。
6. 「からミ」が記された最も古そうな文書にたどり着いたが、その由来や語源については、書かれていなかった。「からみ」は、銀吹きからでた言葉の可能性が高いので、石見銀山とその技術が伝わった佐渡金銀山、院内銀山あたりを調べてみる。
まとめ
慶長7年(1602)石見銀山の大久保長安書状に「からミ」があり、これが「からみ」の初出である。
注 引用文献
1. 村上直 田中圭一 江面龍雄「江戸幕府石見銀山史料」吉岡家文書p86~89(雄山閣 昭和53年 1978)→図1.2.
図1. 大久保長安文書(慶長7年10月13日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/33/19489010b86072b4dae1f3409a8e0901.jpg)
図2. 大久保長安文書(慶長7年10月26日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/33/cfc183fed911c73c4c2d64c9015eb507.jpg)
1. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図1.
覚
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・ 伝兵衛間歩鏈分け候はば、ふたからミ程、ふかせ候て上げべく候間、その支度有るべき事。
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10月13日 大十兵
吉隼人殿 参
2. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図2.
覚
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吹屋入候覚
・ふいご 6丁
・しゃうぜん 6本
・大からミ取 4本 この内 1本17貫目、1本16貫目
・中からミ取 2本 内 1本12貫目、1本10貫目
・口明からミ取 2本 内 1本5貫目、1本5貫目
・からミつち 3 但し1貫目
・くま手 5丁
・ゑぶり 4本
・こすき 6枚
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10月26日 大十兵
吉隼 宗弥右 今宗玄 参
考察
1. 1の「ふたからミ」とはなにか。本の解説文では「鏈を分けたら二からみほどこころみ吹きをせよとしている。」とある。鏈を分けたら(選鉱したら?)からミとよばれるもの、状態ができるのか?よく理解できない。
筆者は、「鏈を吹いて回収した1番からミだけでなく、2番からミも再度吹いてもれなく銀を取り出して、銀が多くなるようにせよ、またはからミ中の銀量は、バラツキが大きいので、2件サンプリングして正確を期せ」と推測する。これなら からみは、床で吹いて副生する通常のものということになる。
2. 2では道具のからミ取、からミつち が列挙されている。
からミ取が1本17貫目とは、その用具の重さにしては重すぎる。鏈の仕込み量17貫目に対応したからミ取ということであろうか。
ゑぶり(柄振り)とは別にからミ取りがあった。
3. 慶長7年の石見銀山では、「からミ」であった。
4. 「からミ」がKARAMI と発音されたかGARAMI と発音されたかは、わからない。
5. 筆者が探した史料の内で、今のところ、この大久保長安書状が「からみ」の初出である。
6. 「からミ」が記された最も古そうな文書にたどり着いたが、その由来や語源については、書かれていなかった。「からみ」は、銀吹きからでた言葉の可能性が高いので、石見銀山とその技術が伝わった佐渡金銀山、院内銀山あたりを調べてみる。
まとめ
慶長7年(1602)石見銀山の大久保長安書状に「からミ」があり、これが「からみ」の初出である。
注 引用文献
1. 村上直 田中圭一 江面龍雄「江戸幕府石見銀山史料」吉岡家文書p86~89(雄山閣 昭和53年 1978)→図1.2.
図1. 大久保長安文書(慶長7年10月13日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/33/19489010b86072b4dae1f3409a8e0901.jpg)
図2. 大久保長安文書(慶長7年10月26日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/33/cfc183fed911c73c4c2d64c9015eb507.jpg)
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