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からみ・鍰の由来(6) 「からミ」の初出は、慶長7年(1602)石見銀山の大久保長安書状

2021-03-07 08:41:17 | 趣味歴史推論
 梅津政景日記によれば、秋田藩院内銀山で慶長17年にすでに、からミが使われ、からみ役・からみ札まであることから、石見銀山史料で慶長17年より古いものに、「からみ」を探した。その結果、初代の石見銀山奉行となった大久保長安の書状にあった。

1. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図1.
  覚
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・ 伝兵衛間歩鏈分け候はば、ふたからミ程、ふかせ候て上げべく候間、その支度有るべき事。
・ ---
 10月13日 大十兵
 吉隼人殿  参

2. 慶長7年(1602)10月 大久保長安書状 →図2.
  覚
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 吹屋入候覚
 ・ふいご 6丁
 ・しゃうぜん 6本
 ・大からミ取 4本 この内 1本17貫目、1本16貫目
 ・中からミ取 2本 内 1本12貫目、1本10貫目
 ・口明からミ取 2本 内 1本5貫目、1本5貫目
 ・からミつち 3 但し1貫目
 ・くま手 5丁
 ・ゑぶり 4本
 ・こすき 6枚
 ・---
   10月26日  大十兵
 吉隼 宗弥右 今宗玄 参 

考察
1. 1の「ふたからミ」とはなにか。本の解説文では「鏈を分けたら二からみほどこころみ吹きをせよとしている。」とある。鏈を分けたら(選鉱したら?)からミとよばれるもの、状態ができるのか?よく理解できない。
筆者は、「鏈を吹いて回収した1番からミだけでなく、2番からミも再度吹いてもれなく銀を取り出して、銀が多くなるようにせよ、またはからミ中の銀量は、バラツキが大きいので、2件サンプリングして正確を期せ」と推測する。これなら からみは、床で吹いて副生する通常のものということになる。
2. 2では道具のからミ取、からミつち が列挙されている。
 からミ取が1本17貫目とは、その用具の重さにしては重すぎる。鏈の仕込み量17貫目に対応したからミ取ということであろうか。
 ゑぶり(柄振り)とは別にからミ取りがあった。
3. 慶長7年の石見銀山では、「からミ」であった
4. 「からミ」がKARAMI と発音されたかGARAMI と発音されたかは、わからない。
5. 筆者が探した史料の内で、今のところ、この大久保長安書状が「からみ」の初出である
6. 「からミ」が記された最も古そうな文書にたどり着いたが、その由来や語源については、書かれていなかった。「からみ」は、銀吹きからでた言葉の可能性が高いので、石見銀山とその技術が伝わった佐渡金銀山、院内銀山あたりを調べてみる。

まとめ
 慶長7年(1602)石見銀山の大久保長安書状に「からミ」があり、これが「からみ」の初出である
 
注 引用文献
1. 村上直 田中圭一 江面龍雄「江戸幕府石見銀山史料」吉岡家文書p86~89(雄山閣 昭和53年 1978)→図1.2.

図1. 大久保長安文書(慶長7年10月13日)


図2. 大久保長安文書(慶長7年10月26日)



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