「鉱山聞書」は、尾去沢銅山の山師であった赤穂満矩(あかほみつのり)によって、天明5年(1785)に書かれた鉱山書である。東京大学工学・理工情報学図書館の「工学史料キュレーションデータベース」の「鉱山聞書」で「からみ」表記について調べた。1)
「鉱山聞書」
---
銀山の山色 凡そ200余品有りと云う。
・粘目 ・鵜の目やに ・黄炉粕 ・ ・ ---・朱石 ・山鍰 ・道明地 ・-----
-------
銀山吹方働方(→図1)
・堀荷 三つ切*を1荷と云う。(*莚(むしろ)を三つに切った叺(かます)のこと)
右堀荷は大鍰にして、唐臼に掛けて、笊(ざる)にて通し、直ちに板にて取る也。板は惣留(そうどめ)とて板に付きを残さず留める也。井替え切り捨てる板先きを揚げせりして、挽(ひき)臼に掛けて又板にて取るなり。
・羽色吹 是は板にて取りたる羽色なり。但し、大フイゴに掛けて吹く也。羽口は石羽口とて、腐(くさり)硯石を唐臼に掛けて粉にし是を塩水にてねり羽口にして紙蔦を入れ堅く拵え、半年位使うなり。釜は掛けず切羽口にて吹くなり。羽色に盃宛掛けて一吹にするなり。合(あい)からみ1盃、地鉛30匁、鉄10匁、炭は一吹に2貫目位要るなり。解(とけ)たる時は、返し吹する也。それより右鉛灰吹に掛ける也。
・石吹 堀荷そのまま平目にからみ、右石を吹く也。地鉛30目、相(あい)鍰1盃、鈷(ならし)20匁、炭1貫目、石2盃を吹くなり。
・腐(くさり)吹 ねば物・羽色物・堀荷そのまま石を拾い則吹く也。是は、大床に掛け、荷三つ切1荷を則吹く也。地鉛150目、合からみ4盃を入れて吹く也。すべて吹方は十山十色にて品々伝え有るなり。
熊野床法(→図2)
地床洞堀丸を8尺、深さ8尺堀にして扨石を以て巻上げる。---
---床の四方6尺の内所々に炭を置き焼く也。それより本床入れて鍰を一吹吹きて、それより焼を吹くなり。巻上げより24日也。
幾野床(生野床) 松葉吹と云う。
地床石巻なし四方5尺に洞堀してねばを以て塗上げ、3尺四方にして寸灰を以て2尺踏み込み7日干し、塗上げは3日干して中床とす。それより寸灰を2度に入れ炭を以て焼に各3日づつ也。本床に入て5日程火を入れて干す。25日位にて吹方成る也。---
野床(→図3)
右野床打は、差し渡し5尺、深さ6尺に洞堀して、下2尺の内、死石の大石を以て敷き、水道と云うものを石を以て巻き上げ、その上をねばにて塗り上げ、内のり深さ3尺、差し渡し4尺にして、寸灰を2尺に入れて中床とすい。それより本床に入て、15日位火を入れて吹くなり。----
・寸灰(寸吹?)65荷を一と仕舞とす本吹也。是を3つに割り朝床2つ目仕舞の口と云う。---
・真吹大皮吹は損也。小鈹吹は格別皮歩廻りよし。大略70貫目位吹はよし。
・寸吹大荷を3吹きにして床にあくりて緩自然に流るゝ時は吹切りの焼赤まり、次第に緩に潜り、桃と云うものになり、丸く堅まり、替え緩の時流れて出口へ出るものなり。外はからみにて割ってみれば内は残らず釣焼なり。まんてうとも云うなり。
まえがき
天明5年(1785)乙巳正月吉日 赤穂氏満矩
あとがき(→図4,5)
・この書は、巖州邪麻郡下谷地村々長直助所蔵
・明治5年壬申(1872)9月之を写す 藤本明信之を写字す 奉呈 河原田東山朋臺閣下
・この書は、藤本明信の蔵本なりしを河原田盛美より借覧し謄写に付して以て参考に供す 明治15年(1882)8月4日 農務局報告課
所蔵 東京大学工3号館図書室
考察
1. 山鍰は、外見性状が「からみ」に似た銀鉱石であろう。「堀荷は、大鍰にして」とは、堀荷を釜に入れ、焙焼したものを大鍰というのか。「あいからみ」は「合(相)鍰」などと表記されている。前々報の佐渡金山の「アイカラミ」と同じような物か。
2. 「からみ」の表記は、「からみ」4ヶ所、「鍰」4ヶ所、「緩」3ヶ所 合計11ヶ所あった。「緩」は「鍰」の写し間違いである。
3. この書の履歴は以下のようであろうか。
「1785 赤穂満矩著」 →「xxxx写し村長直助所蔵」 →「1872 藤本明信写し」 → 「1882 農務局報告課写し(本写し)」
「1882 農務局報告課写し」は、3ヶ所が「緩」と間違って書かれている。よって
① 藤本が「緩」と写し間違えたのなら、原本または村長所蔵書には、「鍰」と書かれていたことになる。
② 農務局が写し間違えたのなら、藤本の写しに、「鍰」と書かれていたことになる。
しかし、写し間違えたのが藤本か農務局かは特定できない。但し、「1872年の藤本写し」には、「鍰」が書かれていたと言える。
また原本(1785)に「鍰」と書かれていた可能性がある。原本または、それに近い写本を探そう。
4. 鉱山聞書には、熊野床、生野床、野床の形状、作り方、略図が記されていて、参考になる。
まとめ
鉱山聞書の写本(1872)に「鍰」があった
注 引用文献
1. 東京大学工学・情報理工学図書館 web.「工学史料キュレーションデータベース」>「鉱山聞書」 コマ数 43,45,46(図1),53(図2),55(図3),65(図4),66(図5)
図1. 鉱山聞書の銀山吹方働方の部分
図2. 鉱山聞書の熊野床の部分
図3. 鉱山聞書の野床の部分
図4. 鉱山聞書のあとがき(所持者名)
図5. 鉱山聞書のあとがき(写し履歴)
「鉱山聞書」
---
銀山の山色 凡そ200余品有りと云う。
・粘目 ・鵜の目やに ・黄炉粕 ・ ・ ---・朱石 ・山鍰 ・道明地 ・-----
-------
銀山吹方働方(→図1)
・堀荷 三つ切*を1荷と云う。(*莚(むしろ)を三つに切った叺(かます)のこと)
右堀荷は大鍰にして、唐臼に掛けて、笊(ざる)にて通し、直ちに板にて取る也。板は惣留(そうどめ)とて板に付きを残さず留める也。井替え切り捨てる板先きを揚げせりして、挽(ひき)臼に掛けて又板にて取るなり。
・羽色吹 是は板にて取りたる羽色なり。但し、大フイゴに掛けて吹く也。羽口は石羽口とて、腐(くさり)硯石を唐臼に掛けて粉にし是を塩水にてねり羽口にして紙蔦を入れ堅く拵え、半年位使うなり。釜は掛けず切羽口にて吹くなり。羽色に盃宛掛けて一吹にするなり。合(あい)からみ1盃、地鉛30匁、鉄10匁、炭は一吹に2貫目位要るなり。解(とけ)たる時は、返し吹する也。それより右鉛灰吹に掛ける也。
・石吹 堀荷そのまま平目にからみ、右石を吹く也。地鉛30目、相(あい)鍰1盃、鈷(ならし)20匁、炭1貫目、石2盃を吹くなり。
・腐(くさり)吹 ねば物・羽色物・堀荷そのまま石を拾い則吹く也。是は、大床に掛け、荷三つ切1荷を則吹く也。地鉛150目、合からみ4盃を入れて吹く也。すべて吹方は十山十色にて品々伝え有るなり。
熊野床法(→図2)
地床洞堀丸を8尺、深さ8尺堀にして扨石を以て巻上げる。---
---床の四方6尺の内所々に炭を置き焼く也。それより本床入れて鍰を一吹吹きて、それより焼を吹くなり。巻上げより24日也。
幾野床(生野床) 松葉吹と云う。
地床石巻なし四方5尺に洞堀してねばを以て塗上げ、3尺四方にして寸灰を以て2尺踏み込み7日干し、塗上げは3日干して中床とす。それより寸灰を2度に入れ炭を以て焼に各3日づつ也。本床に入て5日程火を入れて干す。25日位にて吹方成る也。---
野床(→図3)
右野床打は、差し渡し5尺、深さ6尺に洞堀して、下2尺の内、死石の大石を以て敷き、水道と云うものを石を以て巻き上げ、その上をねばにて塗り上げ、内のり深さ3尺、差し渡し4尺にして、寸灰を2尺に入れて中床とすい。それより本床に入て、15日位火を入れて吹くなり。----
・寸灰(寸吹?)65荷を一と仕舞とす本吹也。是を3つに割り朝床2つ目仕舞の口と云う。---
・真吹大皮吹は損也。小鈹吹は格別皮歩廻りよし。大略70貫目位吹はよし。
・寸吹大荷を3吹きにして床にあくりて緩自然に流るゝ時は吹切りの焼赤まり、次第に緩に潜り、桃と云うものになり、丸く堅まり、替え緩の時流れて出口へ出るものなり。外はからみにて割ってみれば内は残らず釣焼なり。まんてうとも云うなり。
まえがき
天明5年(1785)乙巳正月吉日 赤穂氏満矩
あとがき(→図4,5)
・この書は、巖州邪麻郡下谷地村々長直助所蔵
・明治5年壬申(1872)9月之を写す 藤本明信之を写字す 奉呈 河原田東山朋臺閣下
・この書は、藤本明信の蔵本なりしを河原田盛美より借覧し謄写に付して以て参考に供す 明治15年(1882)8月4日 農務局報告課
所蔵 東京大学工3号館図書室
考察
1. 山鍰は、外見性状が「からみ」に似た銀鉱石であろう。「堀荷は、大鍰にして」とは、堀荷を釜に入れ、焙焼したものを大鍰というのか。「あいからみ」は「合(相)鍰」などと表記されている。前々報の佐渡金山の「アイカラミ」と同じような物か。
2. 「からみ」の表記は、「からみ」4ヶ所、「鍰」4ヶ所、「緩」3ヶ所 合計11ヶ所あった。「緩」は「鍰」の写し間違いである。
3. この書の履歴は以下のようであろうか。
「1785 赤穂満矩著」 →「xxxx写し村長直助所蔵」 →「1872 藤本明信写し」 → 「1882 農務局報告課写し(本写し)」
「1882 農務局報告課写し」は、3ヶ所が「緩」と間違って書かれている。よって
① 藤本が「緩」と写し間違えたのなら、原本または村長所蔵書には、「鍰」と書かれていたことになる。
② 農務局が写し間違えたのなら、藤本の写しに、「鍰」と書かれていたことになる。
しかし、写し間違えたのが藤本か農務局かは特定できない。但し、「1872年の藤本写し」には、「鍰」が書かれていたと言える。
また原本(1785)に「鍰」と書かれていた可能性がある。原本または、それに近い写本を探そう。
4. 鉱山聞書には、熊野床、生野床、野床の形状、作り方、略図が記されていて、参考になる。
まとめ
鉱山聞書の写本(1872)に「鍰」があった
注 引用文献
1. 東京大学工学・情報理工学図書館 web.「工学史料キュレーションデータベース」>「鉱山聞書」 コマ数 43,45,46(図1),53(図2),55(図3),65(図4),66(図5)
図1. 鉱山聞書の銀山吹方働方の部分
図2. 鉱山聞書の熊野床の部分
図3. 鉱山聞書の野床の部分
図4. 鉱山聞書のあとがき(所持者名)
図5. 鉱山聞書のあとがき(写し履歴)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます