寺尾九兵衛家の位牌のなかに、没年が享保で続柄の不明な位牌が二柱あった。九兵衛とか〇清とか九兵衛室と書かれていないので、当主やその室でないと判断していた次の二柱である。
位牌
享保9甲辰歳9月29日(1724)
梵字ア 法玉理然居士霊位
裏面
俗名 寺尾彌市右衞門
(推定)妻の位牌
享保13戊申年10月4日(1728)
梵字ア 観智恵照大姉霊位
金毘羅宮奉献八角形青銅燈籠 宝永3年10月吉日 寺尾春清 同九兵衛尉宗清 同十郎右衛門尉貞清1)
1. 位牌には寺尾弥市右衞門と俗名だけが書かれているので、春清、宗清との続柄が分らなかった。ここに至って筆者は次のように推理する。
① 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟である。
② 寺尾彌市右衞門と十郎右衛門尉貞清は同一人物である。
③ この人物が、宗清亡き後、七代当主寺尾貞清となった。そして貞清亡き後、享保9年(1724)に(1724-1697+1=)28歳となった庸清が八代当主となった。
2. 九代当主貞之進英清は、宗清とツタの子供ではないことは、生年から分ると前報で指摘した。英清は七代当主寺尾貞清の子と推理した。名に貞之進と「貞」が付くこともそれを示唆している。ツタの義甥にあたる。
宗清、貞清、貞清の妻、貞之進の年令考から、この推理の妥当性をチェックしてみる。
各人の生年と没年は以下の通り。
宗清 (1670)~1712
貞清 ? ~1724
貞清の妻 ? ~1728
貞之進 1720 ~1759
ここで、貞清は兄宗清より10才若いと仮定すると、生年は1680年となる。弟の結婚は30才と遅かったと仮定すると結婚は1709年となる。貞清の妻はやや遅く20才で結婚したとすると妻の生年は1690年となる。貞之進を生んだ妻の年令は31才となる。あり得ることである。
なお、以前本ブログ1)では、「寺尾十郎右衛門尉貞清とは、上天満村庄屋(西条藩)の名は「九郎兵衛」と古文書にあるが、その人の名でもあるのか」と記したが取り消したい。
これまでの情報だけでは、間違いがありうるので、今後過去帳の調査でより正確になることを期待したい。
3. 寺尾九兵衛家系図(5代~9代)は次のように修正した。
4. 寺尾九兵衛当主年表 暫定版(2024.6)を修正し、寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)として示した。→表
まとめ
1. 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟であり、位牌の俗名彌市右衞門と同一人物であると推定した。
2. 貞清は宗清亡き後七代当主寺尾貞清となり、貞清亡き後、宗清ツタの子庸清が八代当主となった。
3. 庸清亡き後、貞清の子貞之進英清が九代当主となった。貞之進英清はツタの義甥にあたる。
注 引用文献
1)本ブログ「天満村寺尾九兵衛(24) 春清・宗清は金毘羅宮へ八角形青銅燈籠を宝永3年に奉献した」
(2024-12-08)
表 寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)
位牌
享保9甲辰歳9月29日(1724)
梵字ア 法玉理然居士霊位
裏面
俗名 寺尾彌市右衞門
(推定)妻の位牌
享保13戊申年10月4日(1728)
梵字ア 観智恵照大姉霊位
金毘羅宮奉献八角形青銅燈籠 宝永3年10月吉日 寺尾春清 同九兵衛尉宗清 同十郎右衛門尉貞清1)
1. 位牌には寺尾弥市右衞門と俗名だけが書かれているので、春清、宗清との続柄が分らなかった。ここに至って筆者は次のように推理する。
① 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟である。
② 寺尾彌市右衞門と十郎右衛門尉貞清は同一人物である。
③ この人物が、宗清亡き後、七代当主寺尾貞清となった。そして貞清亡き後、享保9年(1724)に(1724-1697+1=)28歳となった庸清が八代当主となった。
2. 九代当主貞之進英清は、宗清とツタの子供ではないことは、生年から分ると前報で指摘した。英清は七代当主寺尾貞清の子と推理した。名に貞之進と「貞」が付くこともそれを示唆している。ツタの義甥にあたる。
宗清、貞清、貞清の妻、貞之進の年令考から、この推理の妥当性をチェックしてみる。
各人の生年と没年は以下の通り。
宗清 (1670)~1712
貞清 ? ~1724
貞清の妻 ? ~1728
貞之進 1720 ~1759
ここで、貞清は兄宗清より10才若いと仮定すると、生年は1680年となる。弟の結婚は30才と遅かったと仮定すると結婚は1709年となる。貞清の妻はやや遅く20才で結婚したとすると妻の生年は1690年となる。貞之進を生んだ妻の年令は31才となる。あり得ることである。
なお、以前本ブログ1)では、「寺尾十郎右衛門尉貞清とは、上天満村庄屋(西条藩)の名は「九郎兵衛」と古文書にあるが、その人の名でもあるのか」と記したが取り消したい。
これまでの情報だけでは、間違いがありうるので、今後過去帳の調査でより正確になることを期待したい。
3. 寺尾九兵衛家系図(5代~9代)は次のように修正した。
4. 寺尾九兵衛当主年表 暫定版(2024.6)を修正し、寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)として示した。→表
まとめ
1. 八角形青銅燈籠(宝永3年)の寺尾十郎右衛門尉貞清は宗清の弟であり、位牌の俗名彌市右衞門と同一人物であると推定した。
2. 貞清は宗清亡き後七代当主寺尾貞清となり、貞清亡き後、宗清ツタの子庸清が八代当主となった。
3. 庸清亡き後、貞清の子貞之進英清が九代当主となった。貞之進英清はツタの義甥にあたる。
注 引用文献
1)本ブログ「天満村寺尾九兵衛(24) 春清・宗清は金毘羅宮へ八角形青銅燈籠を宝永3年に奉献した」
(2024-12-08)
表 寺尾九兵衛当主年表 修正版(2024.12)