一句鑑賞

鶏頭の拾四五本も・・・

昨日の子規の句だが・・・

坂の上の雲に子規の東京時代の日常に、その俳句心を描いた部分があるのを思い起こす。
日々歩く道の端にある植物などもよく観察していた。
それを句にするわけだが、かれはそこに人を見ていたのだと、司馬遼太郎の文章に思い起こした。


花鳥諷詠という自然は美しいという写生だけでは、それはああそうですねと言うだけのこと。
そこに人の心を打つ言葉が生まれなくては、ただ白薔薇を575にしただけである。

白薔薇は風に揺れるのではなく動いたのだ、というところが子規の写生心だと思うし。
揺れではなく動くと言う自動詞でなければ詩として完成しない。
鶏頭の十四五本咲く庭を見ながら、人というものを見つめ続けていたのだと改めて思った。
鶏頭は、ありにけりと言い切らなくてはならないのと同じで。

いよいよ夏に入りますね・・・季節もファッションも先へ先へと。
少し追いかけないと老けますからね(笑)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事