一句鑑賞

神功皇后さんのお家は?(3)・・・仙道古墳

大己貴神社で兵を集めたというか・・・集まったのですが。

この大己貴神社の西方1㎞もないところに仙道古墳があります。http://www.town.chikuzen.fukuoka.jp/349.htm

古墳周囲からは盾持武人の埴輪が出土しています・・・興味深いですね。やはり神功皇后伝説は事実であったのではと思われます。

私がここで興味深いのは神社と古墳の位置関係なんです、西方に約一㎞ですが・・・この位置関係とまったく同じ位置関係の神社と古墳があります。宇美八幡宮と光正寺古墳なのですね!当時は神社はありませんでしたが、神功皇后が応神天皇を出産した地で楠の森となっていました(現在も)。この両古墳はともに国指定史跡です。

https://www.town.umi.lg.jp/soshiki/12/kousyouji.html

でなぜ西方1㎞以内におそらくかなりな豪族といいますか武人か分かりませんが、埋葬したのでしょうか?当時は西方浄土という考えはありませんし、西方からの敵の侵入を防ぐという意味もあるのかなと思いました。

 

今夜は応神天皇の名前が出ましたが、兵をあつめた時点では応神くんは生まれておりません(笑)

今夜は聖地と古墳の位置関係を考えてみました。

次回は朝鮮から戻ってからのお話しを書いてみます。

まだ続きそうです(笑)

コメント一覧

一句
Re:真田幸村も
こんにちは
コメントありがとうございます
また寒くなりましたね。
幸村は昨年楽しませていただきました♪
砦として古墳を利用したというのは分かりますね、地形的な利点があるのでしょう。幸村は抜かりがありませんから!

私の記事も実際に訪ねてその地に立って湧いてくる想像を元にしています。読んでいただき有り難うございます♪
koh
真田幸村も
古墳を砦(城)とした人は戦国時代にも何人かいるようで、真田幸村(信繫)も茶臼山を砦としていました。
茶臼山は5世紀くらいの豪族の墓(古墳)だったとか。
砦にもってこいのスタイルだったのでしょうね。

以前、歴史もののTV番組を見ていた時ですが、
『そんな古墳の上に上って戦をするなんて、叱られるでしょう?』

『いや、戦の真っ最中に、そんなこと言ってられなかったでしょう!』

という会話を歴史学者がされてまして、リアルな話やわ~と、笑ってしまいました(^_^)/

ほんとに、歴史はロマンですね。

神功皇后No.4…楽しみにしています
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