大己貴神社で兵を集めたというか・・・集まったのですが。
この大己貴神社の西方1㎞もないところに仙道古墳があります。http://www.town.chikuzen.fukuoka.jp/349.htm
古墳周囲からは盾持武人の埴輪が出土しています・・・興味深いですね。やはり神功皇后伝説は事実であったのではと思われます。
私がここで興味深いのは神社と古墳の位置関係なんです、西方に約一㎞ですが・・・この位置関係とまったく同じ位置関係の神社と古墳があります。宇美八幡宮と光正寺古墳なのですね!当時は神社はありませんでしたが、神功皇后が応神天皇を出産した地で楠の森となっていました(現在も)。この両古墳はともに国指定史跡です。
https://www.town.umi.lg.jp/soshiki/12/kousyouji.html
でなぜ西方1㎞以内におそらくかなりな豪族といいますか武人か分かりませんが、埋葬したのでしょうか?当時は西方浄土という考えはありませんし、西方からの敵の侵入を防ぐという意味もあるのかなと思いました。
今夜は応神天皇の名前が出ましたが、兵をあつめた時点では応神くんは生まれておりません(笑)
今夜は聖地と古墳の位置関係を考えてみました。
次回は朝鮮から戻ってからのお話しを書いてみます。
まだ続きそうです(笑)