一句鑑賞

はらか、ばるか・・・

姪浜からほんのわずか西進すると糸島市に入る。

糸島市の平原遺跡は古代ロマンファンにとっては、ここが卑弥呼埋葬された墓だとの研究者もおられますね。

銅鏡もたくさん出ておりますので・・・。

平原・・・読みは・・ひらばる・・はらではなくてばるですね。

糸島の中心地、前原市街地も、ばるですね。まえはらとは言いません。


話は昔のテレビドラマになります。申し訳ないですね、いきなり現代で。

何処の局だったか、たぶんNHKかな?ドラマのタイトルが・・・

春日原まで一枚

「かすがばるまでいちまい」・・・西鉄大牟田線の春日原までの切符を買うのに、この「かすがばるまで・・」が言えない、言おうとすると、かかかっとなって声にならない、少年が主役だったような記憶なんですが、切符売り場でのそれが言えない・・最後は言えるようになるのですが、何かを克服したからという筋書きだったと思います。

春日原・前原・平原・と濁って発音するのは北部九州に多くあります。

これはなぜかな?と考えたことがあります。

原(はら)が、ばるなんですね。ずっと不思議に思っております。

考えてみたんですが、古代の話し言葉がどうであったかでしょうね。

また、原という言葉には、広い野という意味もありましょう、古代も開けた土地に集落ができていたようです。なぜ?そりゃ、お米を作るのに山地では無理ですから。

そういった稲作を行う集落全体を原(ばる)って言ったいたのかもしれないな?一人合点なんですが(-_-;)

この平原遺跡の近くに現在は井原(いはら)という地名があります。井は水のことですね、土を少し掘るだけで水が湧くようなところだったのでしょう。

井原は、いはら、と濁っていませんが、これは威張るに繋がるからわりと近世に濁音ではなくなったのではないかと推測しています。

 

長くなりそうなので・・・今夜はこのへんで・・・〆

神功皇后さんは遠賀川からと先日書きましたね、姪浜に上陸してなおまだ他にも移動できるのに支障がないのですね。これは北部九州を広く治めていた証だろうと思います。

何処にも神功皇后の伝承が残っています。これは一カ所に居を構えるような治め方をしていなかった。お米ができる北部九州の・・・糸島平野・筑紫平野・筑後平野もちろん朝倉平野・筑豊にも田園地帯があります。

その何処にでも神功皇后伝説がありますので、首都というか自らの館など置かない、移動的統治をおこなっていたと考えてます。

行く先々では、国外から入ってきた知識を基にしていろんな形態のクニを造っていたと・・・考えてます。

古代も、考え方は今と同じと思いますね。こうすればよい米がとれるとか、多くの民が困らずに済むとか・・・その辺が考え方の基となってるのでは?あちこちに似てはいるけどどこか違う遺跡が在りますもんね。

あんまりじぶんの所が卑弥呼の里とかいうのはどうかなと・・・王ですからね、すぐ隣に別の邪馬台国なるものがあっては・・・大変なことになります。

 

これで閉めます(笑)

じゃあ、博多の手一本で締めまっしょう!!よーぉお!パン!

 

何時までこげなつまらん話ばしようとな!はよ、寝らんね!博多んごりょんさんがおれば叱らるうことですやな・・・(笑)

なんかばらばらの記事になりましたやな(-_-;)

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