5年前の一枚です・・・山間の田植えが終わったばかりです。
田植で幼少の頃(^_^;)を思い出すと次のようになりますね。
とにかく家じゅうが田の匂いというか、昼間の田植えで身に着けたもの身体も匂いを被ったようでした。
わが家の田植えを手伝ってくれていた人たちがいて・・・数人ほどだったと。
昭和30年ころと思ってくださいね。
私も子どもながらに田に手伝いで行ってました。どれだけ農業の手伝いをしたでしょうか?
しゅろ縄?って言ってましたか・・・手植えですから苗が不揃いにならないように畔の向こうとこちらへ縄をピンと張って植える位置を出したりする作業。苗を一束にしていますので、それを田の要所へと畔から投げ込みます・・・外れると父から「そこでは駄目だ、もう少し人に近いところへ投げろ!」とお叱りが・・・(-_-;)
けっして遊びの手伝いではありません、それなりの戦力としての手伝いですね。
もちろん秋の稲刈りなども手伝いました、このまま田んぼの仕事をするのだろうなどとかは、全く考えずに、目の前の仕事を懸命に手伝っていましたね。おかげで知らぬ間に体力?もついていたようです。
田植に戻りますが・・・・
昼前になると母がお昼を持って来ます。手伝いの人たちの分と家族の分と数段の重箱に、おにぎり、野菜などのおかずを詰めて・・・これが届くと手伝いの人たちの元気が出ます。
「奥さんの料理は美味しい、食べたことが無い」などと相好を崩してました、のを記憶しております。一日が終わっての夕餉も、手伝いの人と一緒なんです。
が、板張りの卓に家族で食べます。手伝いの方は土間に簡易な卓と椅子に腰かけてでしたが、一緒に食べました。この時も皆さんは、奥さんの料理は美味しい、食べたことが無いと言いながらでした。
しかし卓には贅沢な品は並んでおりませんでした。限られた材料で母が、たぶん懸命に作ったのだろうと思うのです。
祖父母も居たのですが、別室での二人の分も作っておりましたのでしょう。母の凄さにはなんにも言えません。一昨日、たまたまお墓参りに行きましたが、その辺が下敷の記事となりましたね(-_-;)
いま私は、昼の賄いと夕餉の料理番ですが・・・辛いとか作りたくないとか考えたことはありません。流しに立てば頭も手も働きます。母の姿といいますか、当時の食べられるだけで良しとした時代に、美味しさを感じる一品があればこれは贅沢の極みなのでしょう。
薄っぺらなといえば怒られるが、出来合いをチンしたりする時代ではなかった。
といったところで、田んぼの匂いは伝わりましでしょうか?
俳句には辿り着けませんね(笑)