歳のせいか?昔の事をふと思いだすことがある。
4月といえば、決算作業に追われていた。
時間との競争だったなぁ~♪
4月中頃に開催される取締役会に決算報告をする様になっていたので
7営業日前後にはシステムで行う決算は終えていた。
決算自動化が進み手作業で補正する取引は極めて限定的。
4営業日頃には各事業所ごとの採算表と個社の採算表が配布された。
個社の採算表を取引先担当が見てこれは何?と騒ぐ。
取引入力の際にコードを誤って入力すると、大きな黒字か赤字になる。
決算帳票で見つけ補正されていれば、採算表の手修正で済むのだが!
見落とされると、取引金額によっては多少なりと全体収益に影響してくる。
この補正を取り込むかを経理部を中心に協議。
修正となれば決算資料の再作成をすることに、
何やかんやと影響のある部分を一晩程度かけ再作業。
余りににも自動化が進んでいた。(株主総会後には利益金処理をオンライン記帳)
期初日に前日(決算日)の取引入力をするとオンラインの電子伝票を使い
決算の補正仕分まで自動で作成された。
(元帳は決算日の深夜確定させ自動処理が走っている為に追いかけが必要)
消費税導入に伴う消費税関係伝票が増えるため、
一件の取引で最大何枚の電子伝票が起票されるのか?仕訳日記帳で数えたことがあった。
システムで仕分を完成させる部分のワークエリアがオーバーフローしないかの調査。
結果は50数枚(54だったと思うが、記憶が曖昧)
原因は数々の勘定が本社へ集中。その一例が多通貨会計で発生する通貨振替勘定。
40年以上前にP/Lを除くB/S勘定は多通貨会計システムに移行していた。
(外貨別のB/Sは70通貨以上はあったのでは?)
嫌な事と言えば通貨のデノミ。予告もなく突然降ってわく迷惑な作業。
私が全拠点(駐在員,子会社を含む)宛ての通達を書いていた。
当時は中南米で猛烈なインフレに見舞われていた。
現地ではインフレ会計なる手法がとられていたと名前は聞いていたが詳細は知らない。
同業他社から円換算での記帳方式を教えてくれと言う問合せがあった。
担当メンバーが顔を見合わせて両手をあげ首をひねることしか出来なかった。
私が入社した当時は円換算記帳をしていたが・・・
末端の事業所にいたので興味はあったが、概略のアウトライン程度の知識。
結論は「分かりません!手作業でやっていた当時の人に聞いて?」
その後出て来たのが、有価証券勘定の責任部署への分解。
例:株式の取得価格は移動平均で計算する。
政策的に持っていた株式を投資部門が売買すればどうなるか?
政策は古い取引が殆ど、その上に低価法や無償増資など取得価格を下げることも
少なくなく時価と大きく乖離する銘柄がほとんど、まだ時価会計などされていなかった時代。
時価より安価な取得価格で保有している銘柄を投資部門が買えば移動平均で簿価は上がるが
それでも、実勢より安価になる。それを売却すれば、買いと売りの差額以上の売買益が計算されてしまう。
投資部門は手作業で集計し補正したと言うが、それは実力か?他部から当然出て来る疑問。
(実際、各部報告の集計結果とシステムが計算した本社全体の収益に差が出ていた)
問題を解決する手段として本社勘定を分解すべしと決定された。
既存の財務会計システムを使い分解出来るかが数年に渡るテーマだった。
経理部の企画担当やチームの先輩達が幾つも案を提示したものの、決算に耐えられる案は
出来なかった。そして、私に引き継がれた。
一時期、後輩に数ヶ月勘考えさせた結果は、数行見ただけで、貸借不一致で話にならない。
自分でやるしかないか!それから・・・サンプルの仕分を何度書いても上手くいかない。
いく筈もない資産勘定を貸記し本支店勘定で繋ぎ責任部署の総勘に借記すれば分解は出来るが
決算は銘柄ごとにやらなけれなら会計ルールに一致しない。
管理会計と財務会計を一つの記帳システムで出来る訳がない!!
諦めかけた時に一つの閃きが!本支店勘定に有価証券勘定の性格を持たせれば仕分は出来るのでは?
勝手に「有価証券IO」と名付けた勘定を新設、日々の取引から決算処理まで全ての仕分例を作り
経理部へ送りチェックを依頼した。(IO=Inter Office「本支店」)
一週間以上経っても、当初の基本的な質問以外、音沙汰が無くなった。
意を決して電話をしたら、公認会計士が内容のチェック中だと答えが返って来た。
個別元帳を担当する業務は見切り発車で開発に着手していた。
これがNGなら数年待たせた上、プロジェクトが水泡に帰す。
やきもきして待つとやっとGOサインが来た。
私が経理システムを担当した最後のビックプロジェクトはどうにか日の目を見た。
早いもので四半世紀以上が経ってしまった。
有価証券IOで考えられた欠点は、残高が膨らむだけで減少することがないでは?
問題になったら本支店勘定に振替え相殺するしかないだろうと経理部の同期と話していた。
それも会社の合併でシステム自体がなくなり表面化することは無くなった。
ほぼ全ての取引をオンラインで記帳していた。その産物?仕分日記帳が作成されていた。
開発当時を知る大先輩に聞いたら、システムの稼働に合わせ紙の伝票を廃止することになった。
その為に記帳の証跡(帳簿)はどうすべきなのか?
各方面にヒヤリングをしても答えを得ることが出来なかったそうだ。
開発側が考えたのが簿記の基本にかえること。個別元帳もどこまで作成するのかも
結論が出なかったそうだ。1970年代はペーパーレスなって言葉は一般的で無かった筈。
先人達は、仕分日記帳と総勘定元帳明細帳の2帳票を作り帳簿システムを完備させた。
私は対面することはかなわなかったが、精神疾患を患った伝説の人が居た。
(私がシステム部に着任した頃は、既に他社に転籍していた)
システムに着任して間もない時、訃報が届き、6時前なのに大多数の人が通夜に出かけ
部内が閑散となった。まさしくきょうじん的な人がいたから出来た偉業なんだろう。
4月といえば、決算作業に追われていた。
時間との競争だったなぁ~♪
4月中頃に開催される取締役会に決算報告をする様になっていたので
7営業日前後にはシステムで行う決算は終えていた。
決算自動化が進み手作業で補正する取引は極めて限定的。
4営業日頃には各事業所ごとの採算表と個社の採算表が配布された。
個社の採算表を取引先担当が見てこれは何?と騒ぐ。
取引入力の際にコードを誤って入力すると、大きな黒字か赤字になる。
決算帳票で見つけ補正されていれば、採算表の手修正で済むのだが!
見落とされると、取引金額によっては多少なりと全体収益に影響してくる。
この補正を取り込むかを経理部を中心に協議。
修正となれば決算資料の再作成をすることに、
何やかんやと影響のある部分を一晩程度かけ再作業。
余りににも自動化が進んでいた。(株主総会後には利益金処理をオンライン記帳)
期初日に前日(決算日)の取引入力をするとオンラインの電子伝票を使い
決算の補正仕分まで自動で作成された。
(元帳は決算日の深夜確定させ自動処理が走っている為に追いかけが必要)
消費税導入に伴う消費税関係伝票が増えるため、
一件の取引で最大何枚の電子伝票が起票されるのか?仕訳日記帳で数えたことがあった。
システムで仕分を完成させる部分のワークエリアがオーバーフローしないかの調査。
結果は50数枚(54だったと思うが、記憶が曖昧)
原因は数々の勘定が本社へ集中。その一例が多通貨会計で発生する通貨振替勘定。
40年以上前にP/Lを除くB/S勘定は多通貨会計システムに移行していた。
(外貨別のB/Sは70通貨以上はあったのでは?)
嫌な事と言えば通貨のデノミ。予告もなく突然降ってわく迷惑な作業。
私が全拠点(駐在員,子会社を含む)宛ての通達を書いていた。
当時は中南米で猛烈なインフレに見舞われていた。
現地ではインフレ会計なる手法がとられていたと名前は聞いていたが詳細は知らない。
同業他社から円換算での記帳方式を教えてくれと言う問合せがあった。
担当メンバーが顔を見合わせて両手をあげ首をひねることしか出来なかった。
私が入社した当時は円換算記帳をしていたが・・・
末端の事業所にいたので興味はあったが、概略のアウトライン程度の知識。
結論は「分かりません!手作業でやっていた当時の人に聞いて?」
その後出て来たのが、有価証券勘定の責任部署への分解。
例:株式の取得価格は移動平均で計算する。
政策的に持っていた株式を投資部門が売買すればどうなるか?
政策は古い取引が殆ど、その上に低価法や無償増資など取得価格を下げることも
少なくなく時価と大きく乖離する銘柄がほとんど、まだ時価会計などされていなかった時代。
時価より安価な取得価格で保有している銘柄を投資部門が買えば移動平均で簿価は上がるが
それでも、実勢より安価になる。それを売却すれば、買いと売りの差額以上の売買益が計算されてしまう。
投資部門は手作業で集計し補正したと言うが、それは実力か?他部から当然出て来る疑問。
(実際、各部報告の集計結果とシステムが計算した本社全体の収益に差が出ていた)
問題を解決する手段として本社勘定を分解すべしと決定された。
既存の財務会計システムを使い分解出来るかが数年に渡るテーマだった。
経理部の企画担当やチームの先輩達が幾つも案を提示したものの、決算に耐えられる案は
出来なかった。そして、私に引き継がれた。
一時期、後輩に数ヶ月勘考えさせた結果は、数行見ただけで、貸借不一致で話にならない。
自分でやるしかないか!それから・・・サンプルの仕分を何度書いても上手くいかない。
いく筈もない資産勘定を貸記し本支店勘定で繋ぎ責任部署の総勘に借記すれば分解は出来るが
決算は銘柄ごとにやらなけれなら会計ルールに一致しない。
管理会計と財務会計を一つの記帳システムで出来る訳がない!!
諦めかけた時に一つの閃きが!本支店勘定に有価証券勘定の性格を持たせれば仕分は出来るのでは?
勝手に「有価証券IO」と名付けた勘定を新設、日々の取引から決算処理まで全ての仕分例を作り
経理部へ送りチェックを依頼した。(IO=Inter Office「本支店」)
一週間以上経っても、当初の基本的な質問以外、音沙汰が無くなった。
意を決して電話をしたら、公認会計士が内容のチェック中だと答えが返って来た。
個別元帳を担当する業務は見切り発車で開発に着手していた。
これがNGなら数年待たせた上、プロジェクトが水泡に帰す。
やきもきして待つとやっとGOサインが来た。
私が経理システムを担当した最後のビックプロジェクトはどうにか日の目を見た。
早いもので四半世紀以上が経ってしまった。
有価証券IOで考えられた欠点は、残高が膨らむだけで減少することがないでは?
問題になったら本支店勘定に振替え相殺するしかないだろうと経理部の同期と話していた。
それも会社の合併でシステム自体がなくなり表面化することは無くなった。
ほぼ全ての取引をオンラインで記帳していた。その産物?仕分日記帳が作成されていた。
開発当時を知る大先輩に聞いたら、システムの稼働に合わせ紙の伝票を廃止することになった。
その為に記帳の証跡(帳簿)はどうすべきなのか?
各方面にヒヤリングをしても答えを得ることが出来なかったそうだ。
開発側が考えたのが簿記の基本にかえること。個別元帳もどこまで作成するのかも
結論が出なかったそうだ。1970年代はペーパーレスなって言葉は一般的で無かった筈。
先人達は、仕分日記帳と総勘定元帳明細帳の2帳票を作り帳簿システムを完備させた。
私は対面することはかなわなかったが、精神疾患を患った伝説の人が居た。
(私がシステム部に着任した頃は、既に他社に転籍していた)
システムに着任して間もない時、訃報が届き、6時前なのに大多数の人が通夜に出かけ
部内が閑散となった。まさしくきょうじん的な人がいたから出来た偉業なんだろう。
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