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花日和 Hana-biyori

読書会『彼岸花の咲く島』(後編)

李琴峰(り・ことみ)作『彼岸花の咲く島』読書会では「面白いけどいま一つな部分が目立つ」といった感想が多かったことは前編でご紹介した通りです。

もう少し書いておきたかったのは、全体をまとめて下さったようなこんなご意見でした(だいぶ端折ってますが)。

***

微妙な立ち位置の作品だと思う。何を一番描きたいのか、(性差や家族という概念がないという世界観か、それに対するひのもとことばの国か、言葉そのものの成り立ちとかジェンダー的なところか)全て中途半端になっている。

著者のアイデンティティがいろいろな問題に足をかけているからという所が大きいと思うが、どれも非常に中途半端でもったいない感じ。

ただ、この作者が男女二元論で世界を作ってみたかったのかというと、そうでもないと思う。

ひのもとの国というのは家父長制で、男性が主権を取っている世界。おそらく女性は家事育児に押し込められている。じゃあ、そういったものを否定して作った島の世界がユートピアのようであるか、といったらそうではない。

おだやかではあるけれども、とにかく島であるというだけで地勢的には不安定。男女は日常の生活の中では平等だし、性差とか格差や差別は少なそうだけれども、言語知識に関しては、ある集団が独占している状態。

それはやっぱり平等とは言えないし、ある種の危険もはらんでいる。

あと皆さんご指摘されている経済の基盤が薬物の製造販売だというのは大きな問題。戦争を抑えるために女性に権力を渡してこういう世界を作ったけれど、その経済の基盤になっているのは戦争の火種になるもの。他の国の人を言わば食い物にしている商売なわけなので、それは果たして平和と言えるんだろうか。というような問題が当然出てくる。

著者自身はおそらく自覚して書いていると思うが、そこを示唆する前の段階で話が終わってしまうので、雑じゃないかと指摘されてしまう状態。なのでどちらかというと作者の技術力がもうひとつな感じは否めない。

ただ、彼岸花のインパクトとか、植物の生態とかすごくよく描いていて、魅力のある描写は結構あるので、(作家として)伸びていく方向が難しい人だなという印象。

ご指摘あったひのもとことばに英語が混じっていることに関して、「漢語はだめなのに英語はいいのか」ってすごい痛烈なツッコミだなと。

なんでアジア系の諸国には差別的な意識があるのにアメリカ人にはないんですかと。英語は一応国際語ということになっているというのもあるが、アメリカだけなぜか特別枠に入っちゃってる。その差別意識は何なんだっていうのは多分いろんなところから突っ込まれる。

(小説として)悪くはないんだけれどもすごく良くもないし、芥川賞としてはそんなに尖ってない。読みやすくていいけど、芥川賞を目指すんだったら正直、個人的にはもっと尖った方に振ってほしいとは思う。

このラストもこの先どうなるだろうみたいな終わり方なんですけど、置きに来た感はある。これ以外にこの長さで終わりようはないよなとは思います。

なので、芥川賞って言っても、みんながみんな実験的な作品を描くわけじゃないんだなぁと感じた次第です。

***

ありがとうございました。私もこれ、一見ユートピアを描いているようでいてデストピア小説だなという不気味さを感じながら読んでいました。

一応、若者たちが作っていく近い未来に希望を抱くラストは、まあこれでいいんだろうこの長さの文学だし…とモヤモヤした人が多かったみたいですよね。

などなど、今回は全部の皆さんのコメントを詳細に書けなくてスミマセン。

でも読書会の最中は皆さんの解釈、解析を聞いてすごく分かりやすく面白かったです。あまり意識しなかった点を明確にしてもらったり、このモヤモヤした感じはそういうことだったのかと納得したり。興味深く贅沢な時間でした。




  
 
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