「この国をぼくには向いていないんだ!ぼくは生まれつき、働くのには向いていないんだ!」
と叫びます。ニヤリとする、いいセリフですね!
解説の和田忠彦先生によれば、イタリアが焦って近代化を進めようとするなか、働き手が不足し、30万人ともいわれた児童労働への批判だそうです。また、一生懸命やってないやつは悪という風潮に対する批判でもあり、このピノッキオの態度は「当然の権利を主張しているともいえる」といいます。
子どもは働かない、遊ぶ。本当に共感します。
* * *
最終の第4回では、学校に通い優等生になったピノッキオに新たな誘惑が訪れます。5か月遊んでばかりいたらロバになってしまい、なんとサーカスに売り飛ばされるはめに。これは、20世紀のイタリアで児童人身売買があったことを示唆しているのだとか。
なんとか元にもどったピノッキオは、5階建ての建物より大きなサメ(鯨じゃないそうです)に飲み込まれ、そのお腹のなかでジェッペットに再会。なんと彼は鮫の腹のなかで、一緒にのまれた貨物船のものを利用して2年も生き延びたというのです。
ここで和田先生は、展開がむりやりで「ある意味でずさん」と指摘していますが、
「一見無理がある、つじつまあわせをしている所に意味がある。隙間をどう読むか」
ともおっしゃっていて、興味深かったです。物語をみていて、簡単に「展開に無理がある、ありえないからしらける」なんて言うのは、見方が浅いのかもしれないなと。ここでは、一時的な豊かさに溺れたイタリアを象徴していると指摘していました。
最後は人間になれたピノッキオでしたが、木の人形が人間に変化したというイメージと違い、原作は、もとの木のあやつり人形もそのまま残され、それを人間になったピノッキオが「僕はおかしな姿をしていたんだな」と思いを語るところで終わるそうです。
これは「人間の男の子になるのが目的ではなく、変わった自分と以前の自分、両方をみることができることが成長」とのこと。ただ、「一直線の成長物語とは思えない。失ったものも多いのでは」と、自由な子ども時代から抜け出てしまった切なさも、和田先生は語っておられました。なるほど。
作者がギャンブルにおぼれて借金を返すために書いたというこの作品、すごく行き届いた話だったんですね~。自身が悪童だったからこそ書けたお話でしょうか。急激な近代化のもとでゆがみの犠牲になる子どもの姿、おしきせの教育に対する不信感などを感じました。
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