2019年の本屋大賞『流浪の月』を読みました。
『神様のビオトープ』(2018年・講談社)でも感じたのですが、凪良ゆうは、”他人から見れば異常で理解されないが、2人が良ければそれが真実”という関係を描くのが、作家としてのテーマではないかと思います。本作は、その集大成のような純度の高さで読み応えがありました。
あらすじ> 小学4年で両親を失った更紗は伯母の家に引き取られるが、中2の長男から性的いやがらせを受け家にいたくなかった。毎日公園で友達が帰ったあとも読書をして過ごしていたある日、いつも公園にいて「ロリコン」と噂されている若い男・佐伯文(さえき ふみ)について行ってしまう。更紗は男の家でのびのびと過ごすが、やがて女児誘拐監禁事件として発覚し離ればなれに。15年後に再会した2人の人生は、大きく変わり始める。(以下ネタバレあり)
* 一緒にいることで、自分が自分でいられる関係がある、と訴えかけてくる物語
誘拐監禁事件の被害女児と加害大学生という関係は、他人の妄想を喚起するにあまりある重い事柄です。発覚当時更紗は9歳の子どもで、しかし15年経っても「犯人に洗脳された可哀想な子ども」のまま。更紗にとって彼は悪人ではなくても、他人からすれは小児性愛者の変態で犯罪者のまま。周囲に信じてもらえず孤独を深めていく様子はつらいものがあります。その人たちに悪意はなく、むしろ善意だからこそ話が通じないというやり切れなさがありました。
--わたしたちは親子ではなく、夫婦でもなく、恋人でもなく、友達というのもなんとなくちがう。わたしたちの間には、言葉にできるようなわかりやすいつながりはなく、なににも守られておらず、それぞれひとりで、けれどそれが互いをとても近く感じさせている。
という更紗の言葉は、自分たちの関係を他人に説明したくてもできないけれど、懸命に誠実に、自分なりに追究して言葉にしようとしていて、それが真実なんだろうと感じさせます。
つらい場面を多く描いていますが、更紗の「事実と真実は違う」という言葉の通り、文との関係は性別や年の差を超越した、人間どうしの深い繋がりがあると感じさせ、終わり方はむしろ多幸感がありました。
本当は一人でいるほうがラクなのに、人はやはり人を求め、“この人と一緒にいることで、自分が自分でいられる関係がある”と切実に、優しく訴えかけてくる物語でした。
(蛇足)
更紗の実母は我慢が嫌いで”浮世離れした人”と近所で噂されるような人でした。ママ友はつくらず気が向いたときしか料理をせず、夕飯はアイスクリームで済ましてしまうときもある。決して一般的に「良き母親」と言われるような人ではありませんが、常に更紗に好みを聞き選択権を与えるし、昼間から酒を飲んでも夫とラブラブで微笑ましい。
この人の最初の描写が一番、色彩にあふれてキラキラしていました。他人から見ればとんでもない母親でも、更紗にとっては大好きな両親だったし、世間が押し付ける「普通」の概念には、更紗は幼いころからなじまない性質だったことがわかります。
同調圧力の強い日本では、「普通」や「常識」は、平凡な人間が身を守るための枠組みでもあります。しかし、結婚や出産などかつて「普通」と言われてきたことがそうでもなくなってきて、普通の境界線がゆらいでいる中、その枠から抜け出た更紗たちは、むしろ羨ましいような人たちなのかもしれません。
最新の画像もっと見る
最近の「読書」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事