令和4年5月3日(火・祝)
JR東海主催 さわやかウォーキング
「⑤三井高利生誕400年 三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり」の続きです。
史跡 「松阪城跡」
これから突撃します^-^
石垣が続きます。
松阪城は、蒲生氏郷が天正16年(1588)この四五百森に築城した平山城である。
蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正19年(1591)に服部一忠、文禄4年(1595)に
古田重勝と城主が変わり、元和5年(1619)に徳川頼信が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降
明治になるまで勢州領(松阪・田丸・白子等)18万石を統括する城代が置かれていた。
城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸。三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、
外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、
正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。
また、二ノ丸には寛政6年(1794)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。
明治14年(1881)松阪公園となり、現在に至っている。
なんだか広そうですね。
裏門跡
道が左右に分かれました。
左は何かの入口がありましたが。。。
まずは右へ進んで行きます。
広場に出ました。
あれは藤棚のようですが、お花は枯れちゃっていました。
石垣注意
奥の柵のある所へ行ってみます。
おぉ♪(ノ)’∀`(ヾ)
先ほど訪れた武家屋敷が良く見える。
もうちょっと上から見たいので、先ほどの石垣注意の階段を上がっていきます。
階段っぽくないけどw
上がってきました。
何かの石碑が置かれていました。
(。・ε・。)ムー
改堂亀井翁碑ですって。
亀井改堂って漢学者でしたっけ?
よくわかりませんが。。。
(ノ・ω・)ノオオオォォォ-
更によく見えるようになりました。
真っ直ぐ綺麗に並んでいますね。
ただ、石垣の上で柵もなく切り立った絶壁なので、恐怖を掻き立てられますw
足が((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
他にもいろいろ見てまわることにします。
元に戻ってきました。
今度は左の方向へ行ってみることにします。
正面にあった門。
史跡 本居宣長旧宅?
本居宣長記念館
これは行ってみるしかないw
この門からは入れないのかな?
先に入ろうとした人は、戻ってきましたw
w
有料施設
赤ずきんは鈴屋が見てみたいので、入って行きます。
入館券は右へ進んだところに受付があって、そこで購入できました。
ちょっと周りを散策してみます。
山室山神社と魚町旧宅跡
今は石碑しか残っていませんでした。
ここから武家屋敷は良く見えませんでした。
隠居丸跡
井戸のようです。
これしか残っていませんでした。
本居宣長の旧宅「鈴屋」はこっち。
あれですね。
多分ここへ移築されたのだと思います。
ぐるりと回りこんで、細い道を抜けていきます。
この先にあります。
本居宣長ってどんなところに住んでいたのかなぁ?
気になるところですが、長くなりましたので続きはまたにします。