令和4年5月3日(火・祝)
JR東海主催 さわやかウォーキング
「➅三井高利生誕400年 三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり」の続きです。
これから本居宣長旧宅「鈴屋」へ入って行きます。
なかなか良い雰囲気ですね。
うだつが上がっている。
蘇民将来
誰もいないw
特別史蹟「鈴屋(すずのや)」
この鈴屋は、江戸時代中頃の国学者本居宣長が、少年時代より没するまでの、生涯の大半をすごした家です。
木綿などを商った宣長の祖先によって、職人町に隠居屋敷として建てられたこの家は、宣長の頃には魚町に移されていました。
したがって当時の松阪の商家とは、いささか構造が異なり、坪庭を中の間の前に配した独特の造りとなっています。
この家に宣長が母と兄弟と共に移り住んだのは、父の亡くなった翌年十二歳の時で、二十八歳からは、通りに面した、
「店の間」で医業をひらき、夜は奥中の間などで古典講釈や歌会をしたと伝えられています。
「古事記伝」の執筆も半ばを過ぎた天明三年五十三歳の折、先生は二階の物置を改築し、四畳半の茶室風の書斎とします。
三十六個の小鈴を赤い緒で連ねた柱掛鈴をかけ「朝夕に取出づる書」の一字ずつをとった十二の本籍を置いたこの部屋は、
やがて「鈴屋」とよばれ、その名称は宣長の学問と共に全国に宣伝されたのです。
その床には、師加茂真淵の忌日になると、「県居大人之霊位」(真淵先生の御魂)と自分で書いた軸を掛け、
厳しかった亡き師をしのんだと伝えられています。
この家のあった魚町は、参宮街道に近い、当時の松阪の商業の中心で、向いには豪商「長谷川邸」(現存)もありました。
宣長の没後も子孫はこの家に住んでおられましたが、明治四十二年当主本居清蔵翁の英断をもって、
保存と公開のため松阪城跡の現在地に移築され、若干の復原をおこない現在に至っています。
入って行きます。
店の間がありました。
表に面したお部屋です。
ここで医業をされていたのですね。
中の間
ここが一番広いです。
どんどん奥へ入って行きます。
小さな入口ですねw
かまど
台所のようです。
階段がありました。
お風呂だそうですが、とても小さいです。
井戸がある。
ここで炊事洗濯とかいろいろできそうですね。
2階建てになっているのですが、上へは行けませんでした。
まだ奥があったのですが、こちらへは入れませんでした。
残念。
位置的には、受付辺りになると思います。
こちらは中は確認できませんでしたが、厠かな?
細い廊下
引き返してくると、いつの間にやらおばさま方が寛いでいました。
天井
明り取り
こちらの絵は、本居宣長と加茂真淵の「松阪の一夜」ですね。
四角と丸の水鉢
この配置は覚えておこう。。
二階は書斎になっているようですが、上がることができませんでした。
師加茂真淵の掛け軸があるところです。
残念無念w
一番奥の部屋へ来てみました。
ここはちょっと雰囲気が違う。。。
本居宣長がいる@@
奥の間
「鈴屋円居の図」
本居宣長
仏間
仏壇はありませんでしたが、立派な仏壇が置けそうですね。
部屋からの眺め。
新たなお客さんがやってきて、急に賑やかになってきました。
そろそろ次の場所へ行くことにします。
鈴屋を出て、本居宣長記念館へ
長くなりましたので、続きはまたにします。