赤ずきんのお散歩ブログ

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⑦三井高利生誕400年 三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり

2022年05月19日 06時00分00秒 | JR東海ウォーキング

令和4年5月3日(火・祝)

JR東海主催 さわやかウォーキング

三井高利生誕400年 三井家発祥の地 豪商のまち松阪めぐり」の続きです。

 

これから本居宣長旧宅「鈴屋」へ入って行きます。

 

なかなか良い雰囲気ですね。

 

うだつが上がっている。

 

蘇民将来

 

誰もいないw

 

特別史蹟「鈴屋(すずのや)」

この鈴屋は、江戸時代中頃の国学者本居宣長が、少年時代より没するまでの、生涯の大半をすごした家です。

木綿などを商った宣長の祖先によって、職人町に隠居屋敷として建てられたこの家は、宣長の頃には魚町に移されていました。

したがって当時の松阪の商家とは、いささか構造が異なり、坪庭を中の間の前に配した独特の造りとなっています。

この家に宣長が母と兄弟と共に移り住んだのは、父の亡くなった翌年十二歳の時で、二十八歳からは、通りに面した、

「店の間」で医業をひらき、夜は奥中の間などで古典講釈や歌会をしたと伝えられています。

「古事記伝」の執筆も半ばを過ぎた天明三年五十三歳の折、先生は二階の物置を改築し、四畳半の茶室風の書斎とします。

三十六個の小鈴を赤い緒で連ねた柱掛鈴をかけ「朝夕に取出づる書」の一字ずつをとった十二の本籍を置いたこの部屋は、

やがて「鈴屋」とよばれ、その名称は宣長の学問と共に全国に宣伝されたのです。

その床には、師加茂真淵の忌日になると、「県居大人之霊位」(真淵先生の御魂)と自分で書いた軸を掛け、

厳しかった亡き師をしのんだと伝えられています。

この家のあった魚町は、参宮街道に近い、当時の松阪の商業の中心で、向いには豪商「長谷川邸」(現存)もありました。

宣長の没後も子孫はこの家に住んでおられましたが、明治四十二年当主本居清蔵翁の英断をもって、

保存と公開のため松阪城跡の現在地に移築され、若干の復原をおこない現在に至っています。

 

入って行きます。

 

店の間がありました。

表に面したお部屋です。

ここで医業をされていたのですね。

 

中の間

ここが一番広いです。

 

どんどん奥へ入って行きます。

小さな入口ですねw

 

かまど

台所のようです。

 

階段がありました。

 

お風呂だそうですが、とても小さいです。

 

井戸がある。

ここで炊事洗濯とかいろいろできそうですね。

 

2階建てになっているのですが、上へは行けませんでした。

 

まだ奥があったのですが、こちらへは入れませんでした。

残念。

位置的には、受付辺りになると思います。

 

こちらは中は確認できませんでしたが、厠かな?

 

細い廊下

 

引き返してくると、いつの間にやらおばさま方が寛いでいました。

 

天井

明り取り

 

こちらの絵は、本居宣長と加茂真淵の「松阪の一夜」ですね。

 

四角と丸の水鉢

この配置は覚えておこう。。

 

二階は書斎になっているようですが、上がることができませんでした。

師加茂真淵の掛け軸があるところです。

残念無念w

 

一番奥の部屋へ来てみました。

ここはちょっと雰囲気が違う。。。

 

本居宣長がいる@@

 

奥の間

「鈴屋円居の図」

 

本居宣長

 

仏間

仏壇はありませんでしたが、立派な仏壇が置けそうですね。

 

部屋からの眺め。

 

新たなお客さんがやってきて、急に賑やかになってきました。

そろそろ次の場所へ行くことにします。

 

鈴屋を出て、本居宣長記念館へ

 

長くなりましたので、続きはまたにします。

コメント (2)
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