今回は5冊の図書狩りでした。
わたし如きが本の狩人っていうのはその道の人に失礼かもしれませんです、ね。
あいすみません。
最初に「契約の櫃/けいやくのはこ」
1998年10月31日/第1刷 徳間書店発行
ジョナサン・グレイ著 林陽訳
考古学者が書いた本、ノンフィクションです。
史上最大の秘宝「アーク」を発見するに至る経緯とそのもたらす意味を綴ったドキュメント。
私は見ていませんが、映画「レイダース/失われた聖櫃(アーク)」の中に登場するアークのことらしいです。
聖書に詳しければもっと興味をそそられたのかもしれませんが、契約の櫃に関わった方々の執念って凄いもの、と思いました。契約の櫃に関して、日本人には理解しがたいものがありそうです。
次に「指輪物語 旅の仲間 上巻」
1992年5月20日/初版 評論社発行
J.R.R.トールキン著 瀬田貞二/田中明子共訳
おとなのファンタジーなんでしょうか、ね。
確かに面白かった。本は厚いし重たいし全6巻ですがね、次巻も読みたいと思いました。
詩、歌が多く出ていたようですが、英語圏の人が書いたものだから、日本語では感じ取れない本来の音の響き/韻があるのかもしれません。
この映画も見ていませんが、その影響もあり、あまりにも知られた作品です。
続いて「人生を豊かに生きる12章」
2007年11月23日/初版 詳伝社発行
松原泰道著
日々生きていくうえで助けとなる内容がいっぱいの本。第2章の「ありのままで死んでいけばいい」の中のフレーズ「うんうんと苦しんで死んでいけばいい」が響いてきました。
臨終の際、みごとな辞世の句を詠んだ殿様に「何を死ぬ間際でごたごた色気を出すのだ。うんうんと苦しんで死んでいけ」と叱ったそうです。すると殿様はにっこり笑って息を引き取ったそうです。
世間から立派、偉いと言われている人は苦しく死んでいく時でもおちおちしてられないのでしょうか。殿様は、物外/もつがい和尚の人間味あふれる一言で安心して旅立っていったのでしょうね。
4冊目以下「絵本の絵を読み解く」と「まじょのケーキ」は省略させていただきます。申し訳ありません。ここまで読み進んでくださってありがとうございました。
嫌いなもの・嫌いなことは「勉強すること」っていう人多いと思うけど・・
なんかね、きちんと坐って、真面目な本を開いて、大切なことや気づいたことをノートに記していく、それも勉強、学びの姿勢だと思うのですが。
そんなことは、得意な人やそうすることが好きな人にとっては楽勝で遊びやゲーム同然なんでしょうね。
苦手な人にとっては苦しくて辛いことですよね。
ちなみに、わたしも勉強を辛く苦しく思う部類の者ですよ。
勉強をするってどれくらい人間に必要なことか測ることは難しいですが、短い期間と長い期間、時間や期間も関わってくると思うのです。
短時間・短期間だとある程度は努力というふんばりも効くけど、長時間・長期間はふんばる効き目ないですよね。
こんなこと書いていて、なんだか虚しくなってきましたけど。
なんのために勉強するのか、なんのために私の時間を使うのか、だれのために・・
取り敢えず、答えがすぐに出ないものや出せないものは捨て置いといて、やらなくちゃなんないものを先に済ませようと思いました。
まず、退院後は、差し迫って大切なことのひとつに食事の支度があり優先順位の上位に上ってきましたよ。
病院食は、もちろん入院中の患者のために作られる食事のことです。
病院食では、病気特有の痛みは消えないし病気も治ることはありませんが、入院前より体調が良くなったのは事実です。
食事について。
食事に関わる研究をしてきた人たちの日々の学び、努力の積み重ね、学ぶ人たちの、時を超え、場を超えて繋いできた人たちの継承の志し、そんなことなどを感じます。
その分野に携わることを単に経済的手段と考える人もいるだろうし、使命と考えている人もいるでしょうね。
これは、食に関することだけではなく、他の分野にも当てはまることだと思うのです。
遅々として進まない分野、ありますよね。
その道の最高峰、それを進むのも待つのももどかしいしじれったいし、我慢できやしませんね。
でも、人はいつだって大切なことは後回しにしてしまうもの。
それの一端でも担いでみようって気持ちのある人が、その一歩を進めてきたんだろうと思うんです。
人の一生は短いけれど、人の学びはずっと継がれて続いていくものだと思うのです。
人の世が続く間だけは、ね。
一生かけて学ぶ心を失わないことが人間を目指す者の証し、生涯かけて何事を成さずとも、目指すところのものだけは、ここに置いておきたいと切に願っています。
「ジブリ」の作品で使われた音楽を聴きながら今この原稿を書いています。ピアノにアレンジした曲などは気分ががほぐれますから。グールドのピアノもいいですね。1981年の録音らしいです。
朝から観察について勉強しています。その意味を知らないとどうしようもないから。
わたしは、よく物や物以外のものを簡単に集めたり、飽きて放っておいたり、忘れたり、他人に上げたり、捨てたりする。
・・・観察したことがない。パッと飛びついてポイと放ってしまう癖があると思う。ネコみたいな習性、動くものというより、一時的に注意を惹くものがあると一時的に集中するだけなのね。
それで、捨てた物の多い中、現在、手元にあるのはごく僅か、それもガラクタに近い物、使えないような物、他人に上げられない物だけである、ね。
だから、もう、物は集めたくないの。
観察とは、結論からいうと奥深いものらしいので、焦らず身に付けていけたら良いと思うのです。
気持ちを鎮めて対象を見つめるのは、難題です。
落ち着きのない性格なんですね。
まずは、見たことを記録するってのは良い方法みたいなので、やってみたいです。
一日一枚のスケッチと記録することのトレーニングは厳しい、と思うけどあまり難しく考えないでやってみようと思うのです。
わたしは、わたし自身に希望の火を灯してみたい。小さくて良いので、ね。
今日、歯の治療が昼前に終わったので馴染みのお店へ定食を食べに行きました。
外食時、注文することのないハンバーグですが、このお店に限り定食は何でも食べる私です。
ハンバーグも勿論とても美味でした。
食事が済んで帰ろうとしていたら、私がおねえさんと呼んでいるこの店の主/あるじが「これ聴いてって」と言ってカセットテープを回してくれました。
越路吹雪さんの追悼番組みたいなものをカセットテープに採っておいたもののようでした。
あまり上手な録音状態ではありませんでしたが、それでも越路吹雪という人間の素晴らしさが伝わってきた内容でした。
おねえさんはお店が始まる前にそのテープを聴いて、それからお店を開けるんだそうです。
それはおねえさんにとって心のエネルギーのような、働ける原動力のようなものらしいです。
私はテレビを見ることもないし、越路吹雪というエンターテイナーのこともほとんど知りませんが、映像なしで歌だけで感動を与えられる人だってことは分かりましたね。
テレビ番組の映像を見ていないのに、私の脳裡にもその人の歌声は響いてきましたから。
そのあと、予定通り図書館に立ち寄りました。
ほぼ1年振りのこの街での図書館通いだったのであちこち歩き回ってしまいました。
1ヶ月半の入院生活を経てようやく社会復帰ができたばかりのこの頃なので疲れてしまったんですね。
ヨロヨロ、クラクラしながら図書館を出てきたら笛や太鼓などお囃子の音が聞こえてきました。
図書館の帰り道、祭りの行列に遭遇してしまったんですね。
思わずケータイ写メでパチパチ撮ってしまいました。
こんな山車/だしが27台もお披露目されるお祭りなんですよ。
紙や木や布などで作ったのかな?・・・とっても大きな山車/だしです。
この手の手作り工作のうちでは、もしかしたら世界一の工作ではないのかなーって思えるくらい天晴/あっぱれなものなんですよ。
毎年7月31日が前夜祭で8月3日まで催されているこの街での大切な祭事です。
網戸の向こうから蜩/ひぐらしの鳴き声が聞こえてきますよ。
日中かなり暑くても気温差の激しい、そして東京などに比べると少し湿度が低くめの街です。
今は、涼しい風が気持ち良く流れています。
ご参考まで、少しの期間、この祭りのサイトを掲載させていただきます。