☆上の画像は、箱です。これは、三省堂のホームページでは、「普通版(赤)」とされています。ほかに、白版、青版、小型版、革装とありますが、革装は2020年12月上旬発売予定とのことです。小型版はA6変型判で、ほかはB6判です。
☆『新明解国語辞典』には他の国語辞典にはない多くの特徴があるように思います。中でも、語意の記述は興味深いものがあります。ほかにも話題性があり、『新解さんの謎』なども広く読まれてきたものです。
☆語意の記述を旧版(第二版)と少し比べてみます。引用は一部省略などしています。■ちょう【蝶】 ・第二版「四枚の大きな羽でひらひらと飛ぶ昆虫。止まる時は羽を閉じる。多く、花に集まり羽が美しい。ちょうちょう。」 ・第八版「四枚の大きな羽でひらひらと昼間飛ぶ昆虫。〔止まる時は羽を直立して閉じるものが多い〕多く、花の蜜を吸い、羽が美しい。ちょうちょう。」 /■ところてん【心太】 ・第二版「さらして煮たテングサから作る、透き通ったべろべろの食品。「ところてん突き」で突き出し細長くしたのを酢じょうゆで食べる。夏の食べ物。〔凍らせたものが、寒天〕」 ・第八版「さらして煮たテングサから作る、透き通ったぷりんぷりんの食品。「ところてん突き」で突き出し細長くしたのを酢じょうゆで食べる。夏の食べ物。〔凍らせて、かわかしたものが、寒天〕」
☆語意を正確に記述することは至難の業で、辞典づくりに携わる人のご苦労を思うと、頭が下がります。特に新しく採り入れようとするのは大変なことでしょう。今回、「ほぼほぼ」というのが入っていますが、「ほぼ」との微妙な違いも記されていると思いました。それでもなお次回にはまた修正されるか、あるいは語彙自体が削られるかするのだと思います。
☆三省堂(発足当初は三省堂書店の由)の社名は、『論語』中の曽子のことば、「吾日に吾が身を三省す」から採ったものだと思います。今後さらなる改良へのご努力を期待しています。
邑南町(おおなんちょう)出身、浜田市在住の田中博一(たなかひろいち)さんの著書です。昨年、邑南町瑞穂の道の駅で販売されていたのを見つけて購入しました。
本書の著者プロフィールによれば、田中さんは、1973年生まれ、「石見国出羽郷で二ツ山城を見上げながら育つ」とあります。
二ツ山城は、瑞穂の鱒淵にあります。古く出羽氏、高橋氏、毛利氏などゆかりの城で、この本にも、出羽元祐(もとすけ)の物語が載っています。元祐は毛利元就の六男元倶(もととも)を養子に迎えています。詳しくは、この本をご覧ください。
ほかに、出羽元祐のほかに、益田兼高・福屋隆任・三隅兼連・下瀬頼定・神屋紹策・吉見広長らが描かれています。
これは、歴史書ではなく、歴史物語というべきものかと思います。たいそうわかりやすく生き生きと当時のことが語られていると思います。田中さんは、この本の「はじめに」の中で「この本をきっかけに、地域の歴史、遺産にも興味を持っていただければと思います。」と述べています。
☆☆『石見戦国史伝』田中博一・著 ハーベスト出版 2019年9月5日初版発行 本体1,000円+税
「平成30年5月20日発行」の本です。妻の父(故人)が、かつて芸備線(げいびせん)に乗務していたことがあるゆかりで、この本を購入しました。妻の父は機関車のボイラーに石炭をくべていたそうです。
芸備線は備中神代駅(びっちゅうこうじろえき)から三次駅(みよしえき)を経て広島駅に至るもので、三江線(さんこうせん)は、江津(ごうつ)から三次駅までの路線です。
三江線は、残念ながら平成30年3月末日に営業を終え、翌4月1日に廃線となりました。
三江線は大正8(1919)年に「速成期成同盟会」が結成され、大正15(1926)年最初の工事に着手、多くの難題を克服しつつ、全線開通となったのは、やっと昭和50(1975)年のことでした。何と半世紀掛かっての開通実現だったことになります。
この記録集を見ていると、三江線が多くの人の願いや労力によって開通したことや廃線となったことの経緯がわかります。そして、鉄道がいかに多くの人の生活を支えてきたかということも改めてわかりました。この三江線のもつ資源的な価値、歴史的な価値を、これから活かしていくことができますように、と願うものです。