ハナの花

そのときどきの出来事や見聞について記します。

『論語』つれづれ30  貧にして怨む無きは難く、富みて驕る無きは易し。  2022.2.10

2022-02-10 16:07:30 | 論語
孔子の言葉です。
〇子曰く、「貧にして怨む無きは難く、富みて驕る無きは易し。」
〇読み:しいわく、「ひんにしてうらむなきはかたく、とみておごるなきはやすし。」
〇意味:先生がおっしゃった、「貧しくして他を怨まないというのは難しいことであり、それに比べれば、富んでいておごり高ぶらないのはまだ易しいと言える。」と。

*この文章は、貧にあってもそれを不満に思わずに努めるべきだという意味にも読めないことはありません。しかし、富者がおごり高ぶらないのは比較的容易だと言っていることからすると、この文章は、貧者の苦難を見た孔子が為政者のあるべき姿を要求して語ったものではないかと思うのです。
 すなわち、貧者はより生きづらいものだから、為政者は貧者の立場に立って、食を足らすように治めなければならない、と言っているのではないでしょうか。

*ご覧くださりまことにありがとうございます。

『論語』つれづれ29  子曰く、「性相近し。習ひ相遠し」  2022.1.10

2022-01-10 14:01:54 | 論語
〇子曰く、「性相近し。習ひ相遠し。」
〇読み しいわく、「せいあいちかし。ならいあいとおし。」
〇意味 先生がおっしゃった、「人が先天的に持つ質はそれほど個人差があるものではない。ところが、生長の過程で習慣化されることがらによって差異が生じるのである。」

 孔子の言葉からしばしば励まされるのですが、この言葉もまたその一つです。
 〈習い、性となる〉と言います。習慣がその人の天性のもののようになるということです。そこで、よい習慣を身につけることが重要だということになります。
 完全にはできませんが、休み休みでもよい習慣を続けたいと思っています。


*ご覧くださり、ありがとうございます。   
 
 


『論語』つれづれ27 子曰く、「吾十有五にして学に志す。・・・」      2021.9.15

2021-09-15 09:36:54 | 論語
 今回は孔子が晩年に自己のあり方を振り返って述べた章を取りあげます。

〇子曰く、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて、矩を踰えず。」                                         
〇読み しいわく、「われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。しじゅうにしてまどわず。ごじゅうにしててんめいをしる。ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがいて、のりをこえず。」
〇意味 先生がおっしゃった、「私は十五歳の時に本格的な学問に志した。三十歳で、何とか学問の基礎ができた。四十歳で学問の道に迷わなくなった。五十歳で天から授かった使命がわかった。六十歳で他者の言葉を素直に聞けるようになった。七十歳で自分の思いどおりに行動しても人の道をはずれなくなった。
(注)上に記した意味は、人によって異なる部分があります。

 ここから、人の年齢について、志学(しがく)=十五歳、而立(じりつ)=三十歳、不惑(ふわく)=四十歳、知命・知天命(ちめい/ちてんめい)=五十歳、耳順(じじゅん)=六十歳、従心(じゅうしん)=七十歳、という言い方ができました。

 この章を読むと、孔子はまったく努力の人だと思わされます。
 また、あくまでも矩=さしがね・規範を言動の基準に置いているところは、人の道をまっすぐに歩む孔子らしい点だと感じます。

*ご覧くださり、まことにありがとうございました。

『論語』つれづれ26 子張仁を孔子に問ふ。         2021.9.6

2021-09-06 10:33:25 | 論語
*『論語』には、孔子の考える最高の徳、仁(思いやり)について触れた章が多くあります。今回取りあげるのは、門弟の子張が仁について孔子に尋ねた場面です。

〇子張仁を孔子に問ふ。孔子曰く、「能く五者を天下に行ふを仁と為す。」請ひて之を問ふ。曰く、「恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功有り、恵なれば則ち以て人を使ふに足る。」
〇読み しちょうじんをこうしにとう。こうしいわく、「よくごしゃをてんかにおこなうをじんとなす。」こいてこれをとう。いわく、「きょう・かん・しん・びん・けいなり。きょうなればすなわちあなどられず、かんなればすなわちしゅうをえ、しんなればすなわちひとにんじ、びんなればすなわちこうあり、けいなればすなわちもってひとをつかうにたる。」
〇意味 子張が仁政の実現について必要なことを先生に問うた。孔子がおっしゃった、「五つのことを天下で行うことができれば仁と見なせよう。」と。子張は更にその中身を問うた。先生がおっしゃった、「それは、恭・寛・信・敏・恵の五つの徳目だ。恭であれば軽く見られることがなく、寛であれば多くの人々の気持ちをつかみ、信であれば人々が自分に任せてくれ、敏であれば功績を挙げられ、恵であれば人を動かすことができる。」と。
〇語注 *恭・・・敬意を持ってへりくだる。丁寧な儀礼の態度。 *寛・・・ゆったりしている。寛容。
*信・・・言行一致。 *敏・・・すばやい判断、対応。 *恵・・・めぐみ。恩恵。仁恵。

 子張は孔子よりも48歳年少だったと言われます。孔子が亡くなったときには20代半ばでしたから、この話も子張の若いときのことです。孔子の門弟は学問を積み人格を磨いて、官僚・政治家になることを考える者が多かったようです。ここでも、子張が仁について問うというのは、仁政について尋ねているように思われます。
 官僚・政治家の持つべき人徳には種々あり、『論語』でもいろいろ述べられています。
 私が、ここで注目するのは、「敏」です。すばやく問題をつかみ、すばやく対応していくのは、大変重要なことです。特に、事が起こったときに、最悪のことを考えて、周囲、関係者に対応していくことが重要だと思います。

*ご覧くださりまことにありがとうございます。








『論語』つれづれ25 「小人の過ちや必ず文る。」    2021.9.4

2021-09-04 09:46:58 | 論語
子夏曰く、「小人の過ちや必ず文る。」
〇読み しかいわく、「しょうじんのあやまちやかならずかざる。」
〇意味 子夏が言いました、「未熟な人は過ちをおかしたときにきっと飾り立てて言い訳をする。 」と。

 これは、この『論語』つれづれ第一回に補足的に紹介したものですが、最近思うところ多く、再度掲載しました。
 子夏は、孔子の門人です。孔子の特色ある十人の優れた門弟「孔門十哲」の一人で、『論語』によく登場する人物です。孔子の教えを受け継いで広めた一人でもあります。

 〈小人〉という語は、『論語』では学問を積み人格を磨いて社会改良を目指す〈君子〉と比較されてよく出てきます。
 今回取りあげた文に込められた意味は、君子は、自己の過ちを反省し、改めるべく努力するが、小人は自分の過ちをいろいろな言い訳で粉飾するものだというものです。
 特に、君子であるべき社会のリーダー;為政者、経営者、学者などは、過ちに対し君子たるべき言動を行うべきではないでしょうか。小人たる未熟な身も少しでも成長すべく慎んで行きたいと思います。

*最後までご覧くださりありがとうございます。