1、猪瀬(前)知事の「政治献金疑惑」の徹底解明を!
(「百条委員会」設置前(解明前)に辞職!)
東京都議会に「百条委員会」を設置する直前になって、自民、公明、民主党の都議団が反対に回り、これを受けた猪瀬(前)知事は辞職を表明してしまいました。これによって都議会内での「献金疑惑」の解明は困難になりました。
しかし政治資金オンブズマンの告発により、この件は現在東京地検特捜部によって捜査中です。
都議会での(前)猪瀬知事の答弁は2転、3転しました。おまけに5000万円の「借用書」はねつ造疑惑が深まっています。
借用書の送り主は徳州会側でなく、右翼団体「一水会」の木村三浩代表ということが判明したからです。
この借用書には返済期限も収入印紙も押印も一切ないものです。細川(元)首相の時と同じ、これで信用しろと言う方がとても無理な話です。裏での闇取引があったと疑われても仕方がありません。
当時猪瀬(前)知事は東京電力に東京電力病院(新宿区)の売却を激しく迫っていました。東電は2011年10月に病院売却を表明し、そして翌月に猪瀬(前)知事は徳州会から資金提供を受けています。
都は徳州会に対して9億円近い補助金を出していました。
2、「徳州会」からは自民党国会議員へたっぷりと政治献金!
(安部首相は徳田毅氏を自民党のホープと持ち上げていた!捜査後に離党)
2014年12月の総選挙をめぐる徳州会グループの公選法違反事件は、徳田毅衆院議員、母秀子、姉スターン美千代被告らが起訴、追起訴され、徳田議員の失職も現実味を帯びています。
徳州会マネーは猪瀬(前)知事の件で浮上しましたが、実は徳州会マネーの恩恵に預かったのは自民党国会議員です。
安部内閣閣僚のみならず、自民党国会議員の90人が実に献金やパーティー券を受けています。「徳州会」グループの利権を巡る政界工作です。
安倍首相は、首相就任直前の一昨年12月17日に都内で開かれた「?田毅君と語る会」の資金集めパーティで、自民党のホープ、日本のホープと持ち上げ、選挙後には?田毅氏を国土交通、復興政務官に抜擢していました。
?田議員は特捜部の調べを受けて、昨年11月に離党届けを出しています。国会議員の失職も浮上しています。
3、悪質な桝添氏の迂回マネーロンダリング!新党「改革」!
(「政党助成金」目当ての迂回、最後に個人の団体に移動!)
「政党助成金目当て」の新党結成が後を絶ちません。作っては解体し、解体してはまた新たに新党を作ります。そして最後には政党助成金(税金)を自分が責任者を務める「政党支部」を迂回させて、今度は自分の「資金管理団体」や「自分側の企業、団体」に寄付(移動)してしまいます。
こうしたやり取りをして、最後には(国民の税金である)政党助成金を自分個人の団体に入れてしまいます。
桝添氏の「新党改革」もまさにそうでした。
桝添氏は2010年に銀行から2億5000万円を借り入れています。(新党改革の政治資金収支報告書、2010~12年分)
この借入金を3年間で完済していますが、実質8割が政党助成金が使われています。
政党助成金は「組織対策費」(公表義務がない)として個人で受け取ってしまいます。
政党助成金は政党助成法により借金の返済に使うことを禁じています。
自民党の運営方法を不服として立ち上げた新党改革は、政策上もほとんど自民党と変わる所がなく、政治活動もほとんどありませんでした。そのため純収入は約1500万円にすぎず、政党助成金と立法事務費のほとんどを個人の懐に入れているわけです。
〈立法事務費も!事務所費も「家賃」名目で!〉
立法事務費は「議員の立法調査、研究の推進」を名目に、議員の数に応じて支給されますが、「新党改革」には毎年1560万円支給されていました。
この経費も不明で政党助成金と同様、借金の返済に充てられていた可能性が濃厚です。
事務所費も自宅に事務所をおきながら、「家賃」名目で約800万円を自分のファミリー企業に支出しています。
〈リンク〉桝添氏、「政党助成金」で借金支払い、、
〈注〉「桝添政治経済研究所」とは桝添氏が全株を所有し、妻が代表取り締まり役を務めるファミリー企業です。
4、わずか9ヵ月で辞任した細川氏!(佐川一億円疑惑)
(猪瀬前知事と類似、解明前に辞職!不明朗な借人金疑惑は謎のまま!)
細川護煕氏は肥後熊本藩主の18代当主として生まれました。1971年自民党公認で参議院に立候補し、初当選しています。派閥はロッキード事件で有罪判決を受けた田中角栄(元)首相の「門下生」です。
1983年に田中(元)首相から進められ、熊本県知事に立候補します。「一億円疑惑」とはこの時東京佐川急便からの裏献金疑惑です。
一億円は個人的に借り入れたものだとしていますが、実は熊本県知事選用の政治献金ではなかったのか?
選挙用の政治献金であれば公職選挙法違反になり、有罪が確定します。
当時同知事選挙では4選を目指していた現知事との間で「自民党公認」を得るために熊本県連や市町村議、県議に対する激しい工作合戦が繰り広げられました。
カネがドーンと!(新人細川氏が現職知事を下す!)1982年。
当時の細川陣営の選挙参謀や複数の県議が証言しています。
「細川氏の秘書から82年10月以降カネがドーンときた」、細川事務所の秘書が「選挙資金は潤沢にある。佐川清(佐川グループ総帥)からカネがきた」といっています。
熊本県知事選前のこのカネを細川氏は(知事選用)のカネではなく、家を修理するために個人的に借り入れたと説明しました。
しかし94年の国会では猪瀬(前)知事と同様日付のない契約書や押印も発行者の名前もない領収書のコピーを提出し「完済した」と言いました。
結局国会は空転し、説明責任を果たさないまま、政権を投げ出してしまいました。
〈リンク〉東京佐川急便事件と細川氏、、、