☆「青空の社会学」 目録(リンク)
1、「立憲主義」とは何か? 「憲法」とは何か?
(「憲法」とは、国民の「基本的人権」を守るため「国家権力」を規制するもの。)
「立憲主義」とは「憲法」は国の最高規範であり、国の統治は「憲法」に従って行わねばならない。という近代憲法の最も基本的なものです。
「憲法」とは国家の基本を定めた法、国家のあり方を定めた法であり、一般の法律とは本質的に異なります。
一般の法律は「国家権力」が私達「国民側」に対して規制するための規則ですが、(近代)「憲法」とは国民主権の原則に基づき、逆に「国民側」から、「国家権力」を法的に制限し、国民の人権を保障するためのものです。
先の戦争で日本の国家権力(天皇制ファシズム)が暴走し、日本国民だけでなくアジアの幾多の人民を戦死させてしまった(2000万人の戦死者)ように、「国家権力の暴走」はとんでもないほど恐ろしいものになります。
こうした事態にならないように(国民主権、基本的人権を保障するために)、「国民側」から「国家権力」を規制(制御)する目的で定められたのが「日本国憲法」です。
また「日本国憲法」は「国家権力」が時々の都合で簡単に「改正」できないように、(通常の法律より難しい手続きを必要とした)「硬性憲法」とし、政治権力者に対しては「憲法遵守」の義務(99条)を課しているのです。
2、「憲法破壊」を続ける安倍政権!「立憲主義」に真向う違反!
「憲法」を勝手に変える安部政権!「96条改正」、「解釈改憲」!
安倍政権による(本性を剥き出しにした)なりふり構わずの「憲法破壊」の行為」が続いています。
昨年には憲法96条の発議(憲法改正のための国会議員数)を2/3から1/2にしよう策動しました。
しかしこれは一時の内閣である安倍政権が憲法で定められた「96条そのもの」を勝手に変えてしまおうとする行為であり、「憲法の破壊」行為そのものです。政治権力者(国会議員を含む)達には逆に「憲法を遵守する義務」を課せられているのです。
一定の常識を持った者であれば誰にでもわかることです。安倍内閣の見識そのものが疑われました。
これは「良識ある憲法の専門者グループ」(96条の会)の声明によりその策動は一旦は引き下げられましたが、いつ又頭を持ち上げてくるかわかりません。
☆安倍政権による「憲法破壊」が次々と!「戦争する国」づくり。
(「秘密保護法」、「集団的自衛権」の行使!)
昨年暮れには「秘密保護法」など(これも憲法で定められている国民の「基本的人権」である「知る権利」など幾十にも違反した軍事立法です)を可決させましたが、今度は「集団的自衛権の行使」をめぐって勝手に「解釈改憲」を行おうとしています。
「集団的自衛権」=「海外で戦争する国」
「集団的自衛権」そのものが、日本の国が攻撃されているわけでもないのに、(軍事)同盟国の要請(具体的にはアメリカ)により地球上の至る所で(日本の自衛隊が)武力行使するというものです。
これまでの日本政府の見解を180度覆したもので、日本国憲法の基本である「平和主義」に真っ向から反する行為です。
安倍内閣(一時の内閣)は「集団的自衛権」の行使を「解釈改憲」で「最高規範である憲法」を勝手に変えてしまおうとしています。
これはまさに「政治権力」の暴走であり、「政治権力」の規制を定めた「立憲主義」に対する挑戦です。
3、「憲法」が邪魔で仕方がない「政治権力者」たち!
(「日本国憲法」の全面改正へ!)
安倍内閣は憲法96条の発議変更策動、「解釈改憲」策動に本性を剥き出しにしていますが、本丸は「日本国憲法」の全面改正です。安倍首相は任期中に見通しをたてると言っています。
しかし依然として「憲法改正」の意味を国民の前に示していません。「国の最高規範」たる日本国憲法を一体どう変えたいと言うのか、国民には未だにその全体像(中味)が理解できていません。
憲法を変えると言うことは「国の形」そのものを変えるということであり、本当に「憲法を改正」しようとするならば、最初に国民に対して、どのような「国の形」にしたいのか、わかりやすく明示するべきです。
その上で国民的な議論を呼び起こすべきです。
安倍首相が変えたいとする「国の形」は一体どういうものなのか?国民にはさっぱりとわかっていません。
4、どんな「国の形」にしようとしているのか?
(「自民党改正草案」2012年を見る!)
安倍内閣が剥き出しに「憲法改正」策動を続けていますが、その意味は既に「秘密保護法」や「集団的自衛権」の行使などに良く表れています。
この2つの策動は露骨に「戦争する国」を目指した(一体となった)軍事立法です。自分の国が攻撃されてもいないのに、地球上の至る所で武力行使や戦争する事を旨としています。
そのために軍事、外交情報を秘密にし、(国民には知らせない、見せない、話させない)といった国民から基本的人権を奪い去るものです。
しかし憲法を丸ごと変えてしまおうという(「憲法改正」の本当の目的)はこんなものではありません。それは国民にはあまり知られていませんが、2012年にまとめられた「自民党改正草案」を読むと良くわかります。
「自民党改正草案」は「現日本国憲法」に対峙してカモフラージュされた言葉(国民には理解しづらい意味)で覆われています。本当の意味を国民には理解してもらいたくないからでしょう。
☆「立憲主義」を根底から否定!「自民党改憲草案」!
(「憲法」の役割を果たさないまがい物!世界中からの笑いもの!)
最初から「自民党改正草案」は、「憲法」とは「国民側」から「国家権力」(政治権力)を法的に制限し、国民の人権を保障するためのものとした「立憲主義」の立場を180度転換しています。
そもそも近代憲法とは、「国家権力」(政治権力)を規制するために生まれてきたものであり(「立憲主義」)、世界中の近代憲法はそうした役割を持っています。
「国家権力」が暴走しないように、「国民」は憲法により「国家権力」を制限し、「国家権力」は法律によって「国民」を制限する。こうした構造になっているのです。
ところが驚くことに「自民党改正草案」は逆反対に「国家権力」(政治権力)が国民に対して義務を負わす。と言う内容になっているのです。
これ(「自民党改正草案」)では「国家」(国家権力)が国民に対して、「憲法」と「法律」の両面から、2重に制限し、義務を負わすことになります。
国民が主権者として、「憲法の役割」はなくなり、「国家権力」(政治権力)を規制するものは皆無になり、「国家権力」はやりたい放題になります。(「国家権力絶対主権」)。
逆に国民は現憲法で最大の価値として位置づけている「国民主権」は空洞化され、(平和主義、基本的人権、)の中味は「国家権力」により奪われることになります。
「自民党改正草案」の中味は、戦前の「大日本帝国憲法」(明治憲法)に似ていますが、「権力者」を規制する「立憲主義」の意味では「大日本帝国憲法」よりさらに劣る内容になっています。
中世の絶対権力制を彷彿とさせる「自民党改正草案」が知れ渡れば「世界中からの笑いもの」になることは必死です。
1、「立憲主義」とは何か? 「憲法」とは何か?
(「憲法」とは、国民の「基本的人権」を守るため「国家権力」を規制するもの。)
「立憲主義」とは「憲法」は国の最高規範であり、国の統治は「憲法」に従って行わねばならない。という近代憲法の最も基本的なものです。
「憲法」とは国家の基本を定めた法、国家のあり方を定めた法であり、一般の法律とは本質的に異なります。
一般の法律は「国家権力」が私達「国民側」に対して規制するための規則ですが、(近代)「憲法」とは国民主権の原則に基づき、逆に「国民側」から、「国家権力」を法的に制限し、国民の人権を保障するためのものです。
先の戦争で日本の国家権力(天皇制ファシズム)が暴走し、日本国民だけでなくアジアの幾多の人民を戦死させてしまった(2000万人の戦死者)ように、「国家権力の暴走」はとんでもないほど恐ろしいものになります。
こうした事態にならないように(国民主権、基本的人権を保障するために)、「国民側」から「国家権力」を規制(制御)する目的で定められたのが「日本国憲法」です。
また「日本国憲法」は「国家権力」が時々の都合で簡単に「改正」できないように、(通常の法律より難しい手続きを必要とした)「硬性憲法」とし、政治権力者に対しては「憲法遵守」の義務(99条)を課しているのです。
2、「憲法破壊」を続ける安倍政権!「立憲主義」に真向う違反!
「憲法」を勝手に変える安部政権!「96条改正」、「解釈改憲」!
安倍政権による(本性を剥き出しにした)なりふり構わずの「憲法破壊」の行為」が続いています。
昨年には憲法96条の発議(憲法改正のための国会議員数)を2/3から1/2にしよう策動しました。
しかしこれは一時の内閣である安倍政権が憲法で定められた「96条そのもの」を勝手に変えてしまおうとする行為であり、「憲法の破壊」行為そのものです。政治権力者(国会議員を含む)達には逆に「憲法を遵守する義務」を課せられているのです。
一定の常識を持った者であれば誰にでもわかることです。安倍内閣の見識そのものが疑われました。
これは「良識ある憲法の専門者グループ」(96条の会)の声明によりその策動は一旦は引き下げられましたが、いつ又頭を持ち上げてくるかわかりません。
☆安倍政権による「憲法破壊」が次々と!「戦争する国」づくり。
(「秘密保護法」、「集団的自衛権」の行使!)
昨年暮れには「秘密保護法」など(これも憲法で定められている国民の「基本的人権」である「知る権利」など幾十にも違反した軍事立法です)を可決させましたが、今度は「集団的自衛権の行使」をめぐって勝手に「解釈改憲」を行おうとしています。
「集団的自衛権」=「海外で戦争する国」
「集団的自衛権」そのものが、日本の国が攻撃されているわけでもないのに、(軍事)同盟国の要請(具体的にはアメリカ)により地球上の至る所で(日本の自衛隊が)武力行使するというものです。
これまでの日本政府の見解を180度覆したもので、日本国憲法の基本である「平和主義」に真っ向から反する行為です。
安倍内閣(一時の内閣)は「集団的自衛権」の行使を「解釈改憲」で「最高規範である憲法」を勝手に変えてしまおうとしています。
これはまさに「政治権力」の暴走であり、「政治権力」の規制を定めた「立憲主義」に対する挑戦です。
3、「憲法」が邪魔で仕方がない「政治権力者」たち!
(「日本国憲法」の全面改正へ!)
安倍内閣は憲法96条の発議変更策動、「解釈改憲」策動に本性を剥き出しにしていますが、本丸は「日本国憲法」の全面改正です。安倍首相は任期中に見通しをたてると言っています。
しかし依然として「憲法改正」の意味を国民の前に示していません。「国の最高規範」たる日本国憲法を一体どう変えたいと言うのか、国民には未だにその全体像(中味)が理解できていません。
憲法を変えると言うことは「国の形」そのものを変えるということであり、本当に「憲法を改正」しようとするならば、最初に国民に対して、どのような「国の形」にしたいのか、わかりやすく明示するべきです。
その上で国民的な議論を呼び起こすべきです。
安倍首相が変えたいとする「国の形」は一体どういうものなのか?国民にはさっぱりとわかっていません。
4、どんな「国の形」にしようとしているのか?
(「自民党改正草案」2012年を見る!)
安倍内閣が剥き出しに「憲法改正」策動を続けていますが、その意味は既に「秘密保護法」や「集団的自衛権」の行使などに良く表れています。
この2つの策動は露骨に「戦争する国」を目指した(一体となった)軍事立法です。自分の国が攻撃されてもいないのに、地球上の至る所で武力行使や戦争する事を旨としています。
そのために軍事、外交情報を秘密にし、(国民には知らせない、見せない、話させない)といった国民から基本的人権を奪い去るものです。
しかし憲法を丸ごと変えてしまおうという(「憲法改正」の本当の目的)はこんなものではありません。それは国民にはあまり知られていませんが、2012年にまとめられた「自民党改正草案」を読むと良くわかります。
「自民党改正草案」は「現日本国憲法」に対峙してカモフラージュされた言葉(国民には理解しづらい意味)で覆われています。本当の意味を国民には理解してもらいたくないからでしょう。
☆「立憲主義」を根底から否定!「自民党改憲草案」!
(「憲法」の役割を果たさないまがい物!世界中からの笑いもの!)
最初から「自民党改正草案」は、「憲法」とは「国民側」から「国家権力」(政治権力)を法的に制限し、国民の人権を保障するためのものとした「立憲主義」の立場を180度転換しています。
そもそも近代憲法とは、「国家権力」(政治権力)を規制するために生まれてきたものであり(「立憲主義」)、世界中の近代憲法はそうした役割を持っています。
「国家権力」が暴走しないように、「国民」は憲法により「国家権力」を制限し、「国家権力」は法律によって「国民」を制限する。こうした構造になっているのです。
ところが驚くことに「自民党改正草案」は逆反対に「国家権力」(政治権力)が国民に対して義務を負わす。と言う内容になっているのです。
これ(「自民党改正草案」)では「国家」(国家権力)が国民に対して、「憲法」と「法律」の両面から、2重に制限し、義務を負わすことになります。
国民が主権者として、「憲法の役割」はなくなり、「国家権力」(政治権力)を規制するものは皆無になり、「国家権力」はやりたい放題になります。(「国家権力絶対主権」)。
逆に国民は現憲法で最大の価値として位置づけている「国民主権」は空洞化され、(平和主義、基本的人権、)の中味は「国家権力」により奪われることになります。
「自民党改正草案」の中味は、戦前の「大日本帝国憲法」(明治憲法)に似ていますが、「権力者」を規制する「立憲主義」の意味では「大日本帝国憲法」よりさらに劣る内容になっています。
中世の絶対権力制を彷彿とさせる「自民党改正草案」が知れ渡れば「世界中からの笑いもの」になることは必死です。