2012年に102歳で亡くなった母方の祖母からもらった写真があります。
曾祖父の写真です。
手前でしゃがんでいるのが曾祖父です。
曾祖父は設計技師で、黒部ダムの設計にも関わっていた、と祖母から聞いたことがあります。
この写真が黒部ダムでのものかどうか、今となっては確認することができず不明ですが、
仮に黒部ダムだとすると、Wikipediaによると「1928年(昭和3年)、日本電力がダムの高さ 120m、
最大使用水量30m3/秒、最大出力 126,000kW を立案し、立地調査が行われた。
しかし、国立公園内であることから国立公園行政当局および国立公園協会などは建設に反対した。
1928年11月18日、黒部景観問題協議会が反対集会を実施。1941年には戦時体制になり計画は消滅した。」
とあるので、祖母の生まれた年(1910年頃)から推定して、昭和3年だと恐らく曾祖父は40歳代ぐらいだと思われますし、
年代的には不自然ではないと言えるのではないでしょうか。
つまりこの写真は昭和初期のものだと思われます。
曾祖父と私。世田谷区用賀の都営住宅ですが、当時の都営住宅は戸建てで庭もありました。
そこで撮った写真ですね。
(昭和50年代に鉄筋コンクリートのアパートに建替えられて、今では世田谷区営になっているようです)
曾祖父のお葬式の写真です。遺影の横に幼い私がいます。
私が1歳くらいの時に亡くなったのだと思います。
前回のブログで愛知県の父の故郷を訪ねる記事を書きましたが、
実は今年の秋、高知から埼玉に帰る途中で曾祖父ゆかりの地に寄ろうと思ったのですが、
もう少し調査をしてからにしようと断念しました。
その場所は京都の山崎というところにあります。
サントリーの工場の近くに、曾祖父・祖母が住んでいた家があったと聞いていたのです。
更に祖母が山崎で幼稚園のような施設と関わっていた話を聞いた記憶があります。
しかし、母や私の妹に聞いてもその話は知らないらしいのです。
祖母は当時の女性としては珍しいのではないかと思うのですが、同志社大学に行っていたようです。
ネットで調べていると、その大学の関係者が山崎で何かしらの施設を運営した形跡があるようで、
ひょっとした祖母の話と関係があるのかも知れません。
これも前回同様”自分のルーツを訪ねる”意味でも私には大切なことだと思っています。
そして写真は大事にしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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