令和6年、2024年ももうすぐ年末ですね。
今年は個人的には充実した一年であったと思います。
今回は今年5月に訪れた、父の故郷である愛知県西尾市吉良町岡山での話を書きたいと思います。
「忠臣蔵」で有名な「赤穂事件」
その中で”悪役”とされた吉良義央(吉良上野介)さんの家臣に鳥居利右衛門さんという方がいまして、
父から子供の頃にその方が我が家のご先祖様で「槍の名人だった」と聞かされたことがありました。
1982年に放映されたNHK大河ドラマの「峠の群像」で、郷ひろみさん(片岡高房役)が
「鳥居利右衛門様に〇〇をお持ちしました」と言う場面があった時、家族でそれを見て盛り上がった記憶があります。
鳥居利右衛門さんは、赤穂事件の際に吉良邸で亡くなっているのですが、Wikipediaには次のように書かれています。
「上杉氏の『大河内文書』によれば、討ち入りの際に吉良義央を逃がした後、須藤与一右衛門(50石近習頭・討死)とともに台所で赤穂浪士たちと戦った。
宝蔵院流の槍術で赤穂義士を翻弄したという。
だが、相手は大人数のうえ鎖帷子までつけていたため致命傷を与えられず、遂に堀部武庸の刀背打ちで頭を叩かれ卒倒し、皆で刺殺して首を斬りおとされた。」
「享年60」と・・・。
私も来年還暦を迎えるので、その前に一度父の故郷を訪れてみたいと思い、5月の連休を利用して高知の実家に帰る前に寄ってみることにしました。
もちろん一人で行くのは初めての事です。
当日は埼玉の自宅を朝早く出て始発に乗り、新幹線と名鉄西尾線で吉良町に向かいました。
「上横須賀」という駅で降り、駅前で借りることができるレンタサイクルを利用しました。
当日は非常に天気が良く、そして見えてきた父の故郷もとても「気の良さ」を感じさせる風景でした。
父の実家があったと思われる場所はこの華蔵寺のすぐそばだったようです。
そしてこの華蔵寺は吉良さんとゆかりが深いお寺なのです。
このように吉良家の墓所があります。
そしてこの「桐の花影」という石碑が今回の訪問でとても重要なものでした。
吉良ライオンズクラブが「2002吉良さん300回忌記念」として寄贈したものだそうです。
「元禄事件吉良家臣忠死者」として、右から2番目に鳥居利右衛門さんの名前が刻まれています。
そして墓所は「不明」と・・・。
「忠臣蔵」では「赤穂浪士」がヒーローであり、吉良さんは悪役ということになっています。
そしてその吉良さんを守ろうとした家臣たちも”忠臣”であったのに、世間の評判を恐れて墓所を明らかにしなかったとか・・・。
その名誉を回復しようと2002年に「桐の花影」が建立されたのでしょう。
母も「行ったことがある」と言っていた、少し南の「吉良吉田」方面にある「西福寺」にも行ってみました。
ここには鳥居利右衛門さんのはお墓があるとWikipediaにも書かれているのですが・・・
「世評を恐れてその跡を隠したとも思われる」とここに書かれていて、
実際の墓碑は確認されていないのです。
(「利」と「理」と名前の漢字にブレがありますが、間違いなく同一人物です)
私は個人的にはこう思いました。もちろん感情的と思われてもいいです。
「主君の暴力に更に暴力を重ねた家臣と、嫌われ者の主君でも最後まで命を懸けて守ろうとした家臣」
私は自分のご先祖様だからということだけではなく、やはり後者を支持したくなるのです。
そんな思いも含めて、このお墓に手を合わせてまいりました。
妻の「娘たちのためにもご先祖様のお墓参りはした方がいいよ」
という言葉に背中を押されたこともあったのですが、やはり訪れて良かったと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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