美味しいお散歩。

すべては必要でうまくいっている。
だから大丈夫。
「命」は「いのち」。

お花見4・北浜~道修町~少彦名神社(神農さん)。

2011年04月24日 04時59分58秒 | 街ぷらin大阪

『歴史的な証券取引の地、北浜は都心にありながら比較的戦災が軽度だったため、
伝統的な町家や近代建築などが多く集落している。重要文化財に指定されるような
価値の高い文化財級の建物が徒歩圏内に立地していることが特徴的である。』
(「e-よこ会」より)


生駒ビルヂング (登録有形文化財)

地下鉄堺筋線または京阪電鉄北浜駅から南へ徒歩約分。
生駒時計店の本社ビルは昭和5年に建設されたもので、界隈を代表する近代名建築のひとつ。
営業時間内であれば見学も可能らしい。

 大阪市中央区平野町2丁目2-12



建築様式 
20世紀初頭から流行した「アール・デコ」の様式を多分に取り入れた
設計者・宗兵蔵氏の代表的建築の一つで、当時も「モダン」なビルと言われた。
時計塔
5階から3階にかけて立てに長く出窓があり、その下の2階部分に丸窓がある。
これは時計の振り子をデザインしたもの。

道路をはさんで撮影したが、鷲の石造やタイルなど、近くで見たかったなあ。






重要文化財旧小西家住宅  通称:旧小西儀助商店 (きゅうこにしぎすけしょうてん)
1900年代に建てられた和風の商家であり、その大部分が重要文化財に指定されている
「コニシボンド」で有名な接着剤メーカー、コニシ株式会社の旧社屋(旧小西儀助商店)。
明治3年に「小西屋」として創業したコニシは、創業時は、薬種問屋、食品の販売を行なっていた。
明治17年に製造を開始した(明治21年に撤退)「アサヒ印ビール」は、アサヒビールのルーツでもある。
大正14年に小西儀助商店と社名を変更、昭和51年に現在のコニシに改められた。
塩野義・武田・藤沢・田辺・改源・小林・扶桑・小野と道修町(どしょうまち)界隈には
薬種問屋が軒を連ねるが、往時の雰囲気を今に伝える建物は少ない。現存する建物は、
エタノールなど化学薬品の輸入などで得た財力を背景に明治36年に建てたもので、
店舗と蔵は国の登録有形文化財。住宅の主屋は国の重要文化財となっている。
交差点に面した北西の蔵は、衣裳蔵と呼ばれている。(「プチたび」より)

大阪府大阪市中央区道修町1-6-10





八ツ目製薬の大きな看板 なぜ文字が横向きなんだろう・・・ 目の訓練?



ん?虎の絵が・・・?




オフィス街の一角にある「少彦名神社」。江戸時代の大阪・道修町の薬種仲買仲間の寄り合い所が起源。

少彦名神社(神農さん)
『少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は日本書紀に「大国主命と力を合わせ心を心を一つにして国を造り、
また人間と家畜の病気治療の方法を定められ、鳥獣や昆虫の災いを除く為に、まじないの方法を定められた」
と記されています。また、酒神、温泉神としても知られています。』

神農氏について
『神農氏は三皇五帝のひとりで、その姿は「牛首人身」とされています。
中国では、民に農耕を教えたことから農業の神様に、
市場で交易を教えたので商業の神様にと、さまざまな職業の守り神として崇拝されています。
特に、百草をなめて効能をさがし「神農本草」という書物をまとめた事から、医薬の神様とされています。』
(神社HPより)




春琴抄の碑
『谷崎潤一郎が、妻の松子夫人への思慕を道修町を舞台に借りて、
盲目の琴三絃の天才春琴と、彼女に仕える佐助に託した、日本近代文学史屈指の名作として広く知られています。
石碑には、地唄筝曲の人間国宝菊原初子師による「春琴抄の碑」の文字と、
谷崎潤一郎原稿からとった「春琴抄」冒頭部分の自筆が刻まれています。』
(神社HPより)

「春琴抄」といえば、山口百恵と三浦友和主演の映画を思い出す。原作も読んだ。


くすりの町・道修町  くすりの町・道修町資料館HP
社務所ビルに資料館があった。入らなかったけど(^^ゞ


拝殿



少彦名神社   HP

地下鉄堺筋線  北浜駅   6番出口 徒歩2分
     地下鉄御堂筋線 淀屋橋駅 11番出口 徒歩7分

           大阪市中央区道修町(どしょうまち)2-1-8
          


つづく 

Mameshiba

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