大忠臣蔵の旅も、なんだかマニアックになってきました。
もっとも、ストーリーをご存知の方には普通の内容なんですが、
興味のない人にとっては「ふ~ん」かな(^^ゞ
大石神社の建物に沿って、忠臣蔵の物語が描かれた絵馬が
掛けられています。それぞれのエピソードも書かれていました。
(画像はクリックすると大きくなります)
松の廊下の刃傷
元禄十四年三月十四日
勅使接待役播州赤穂の城主浅野内匠頭長矩は
指南役高家吉良上野介義央の度重なる意地悪に
我慢の限度もこれまでと江戸城松の廊下で刃傷に及んだが、
梶川与惣兵衛に抱き止められて目的を果たせず、
反って将軍の怒りにふれ長矩は切腹、浅野家は断絶、
赤穂城は没収されたが、吉良は何のお咎もなかった。
長矩田村邸で切腹
長矩は網乗物で愛宕下の田村右京太夫邸へ送られ、
片岡源五右衛門唯一人今生の別れを惜み、
身は大名でありながら庭上で切腹させられた。辞世は
風さそうふ花よりも
なおわれはまた
春の名残りを
いかにとか(や)せむ
早打ち赤穂へ飛ぶ
主君刃傷の悲報は第一の早打ち早水藤左衛門・萱野三平の
両士によって江戸から赤穂まで百五十五里
普通なら十五六日もかかるところを僅か
四昼夜半でぶっ飛ばし三月十九日の午前六時頃
城内大石屋敷へ到着した。
続いて第二の急使原惣右衛門・大石瀬左衛門の両名が
午後九時頃到着、長矩の切腹を知らせた。
藩士総登城大評定
籠城論、復讐説、開城論、殉死嘆願説など、
連日に互って斗わされ、結局無血開城ということとなったが、
内蔵助に従う者五十余人に過ぎなかった。
無念の城あけ渡し
祇園一力茶屋
高田馬場の血斗
元禄七年越後新発田の浪人中山安兵衛は堀内源左衛門道場で
叔父甥の盟約を結んだ菅野六郎左衛門から
高田の馬場の果し合いの助太刀を頼まれた。
安兵衛はおっとり刀で駆けつけ村上兄弟ら四人を
斬り伏せてみごと六郎左衛門の仇を討った。
これが機縁となって浅野家の堀部弥兵衛に見込まれ婿入りした。
恋の絵図面取り
神崎与五郎の営む小豆屋喜兵衛の小間物屋に手代として
住込んでいた岡野金右衛門は若くて美男子で独身であったから、
いつしか吉良邸出入りの大工棟梁の娘お艶と恋仲になり、
この事を幸に吉良邸の絵図面を 入手。
南部坂雪の別れ
討入りの朝、大石内蔵助は南部坂の下屋敷で明け暮れ、
内匠頭の菩提を弔い仇討ちを待っている酔う瑤泉院を訪ね、
今宵吉良邸へ討入り亡君の怨みを晴らすことを告げようとしたが
万が一洩れることをおそれて奥方の不興を承知の上で
西国大名に仕官のため別れに来たと嘘を告げ、
連判状を残してそれとなく別れを告げたという。
源蔵徳利の別れ
討入りを明日に控えて赤垣源蔵は兄塩山伊左衛門の家へ
暇乞いに行ったが兄は留守であったから、その羽織を借りて
一升徳利を据え酒を汲み交わして兄弟の別れを惜しんだという。
両国橋の源五と其角
吉良邸討入り
元禄十五年十四日の夜(今の時間でいうと十五日の午前四時頃)
本所松坂町の吉良邸へ向かった大将大石内蔵助良雄ら二十三人は、
表門から大石主税良金ら二十四人は裏門からそれぞれ討入った。
一般には雪の降る中を陣太鼓を打ち鳴らしながら討入ったように
思われているが、実際はそんなことはなかった。
浪士奮戦す
目指す敵の上野介の姿を探し求めながら部屋の中や庭の
あちこちで吉良の家来や上杉の附人たちと刀を交え、
近松勘六のように池におちた人もいた。
上杉の附人、小林平八郎や二刀流を使った義央の小姓
清水一学は特に有名であるが実際は二人とも余り戦わないで
斬り死したようである。
炭小屋にいた上野介
午前六時頃台所に続く炭小屋に隠れていた上野介に
間十次郎が一番槍、武林唯七が二番太刀をつけ、小屋の外へ
曳き出し合図の呼子笛で一同が集まった。
そこで内蔵助が止めの一刀を刺し一番槍の十次郎が
首を挙げて目出度く本懐を遂げた。
永代橋から引揚げ
冷光院殿に奉告
内蔵助ら切腹す
勅使差遣と神社創建
現在、スカパー「時代劇チャンネル」で放送中の「大忠臣蔵」は、
若くて美男子だったという岡野金右衛門が、
大工棟梁の娘・お艶から吉良邸の絵図面を手に入れ、
いよいよ、本格的な計画を練る時期となっています。
ちなみに美男子だったという岡野金右衛門役は、中村嘉葎雄さんです。
色仕掛けで、というイメージが強いですが、
このドラマでは本気でお艶に惚れていて、とても誠実な役柄です。
いじめやあだ討ちから、恋愛、チャンバラまで、
なんでもありですから。いつやっても、受けますねー。
ところで、浅野内匠頭長矩は 仕事もせずに毎日、
女性を追っかけまわしてばかりだった、というのを、
たしか 浅野家の菩提寺かどこかで、書いてあるのを
見た記憶があるんですが、、、。
なかったですか? 赤穂の人もけっこう
冷めた見方をしてるんだと 感心したおぼえがあります。
このお話も史実とは大分違うそうですね!
討ち入りの時の揃いの着物とか、陣太鼓とかはなかったそうね!
そりゃ当たり前やんね!
貧乏侍が揃いの着物なんか作られへんやんね!
それに大工道具とか持っていって戸とかをたたきこわしたそうです!
実際的ね!
この前テレビでやってました~!
今の時代では考えられないお話ね~!
>ドラマの要素がすべて入ってますよね。
日本人好みの美談といわれていますが、
私は美談として語られるのはあまり好きではありません。
歴史的な出来事として捉えたいです。
>いじめやあだ討ちから、恋愛、チャンバラまで、
なんでもありですから。いつやっても、受けますねー。
勧善懲悪ですよねー。
耐えて耐えて耐えて、最後に爆発!ですから。
ドラマ「大忠臣蔵」では細かいエピソードが満載で、
おもしろいですよ~。
>浅野内匠頭長矩は 仕事もせずに毎日、
女性を追っかけまわしてばかりだった
ひぇー!そうなんですか。何が本当なのかわかりませんね。
歌舞伎や仮名手本(?)は、かなり脚色してあって、
そちらのほうが有名だから、実際はどうなんでしょ。
ドラマでは、若い夫婦(内匠頭・瑤泉院)がとても仲睦まじく描かれてました。
>赤穂の人もけっこう冷めた見方をしてるんだと 感心したおぼえがあります
内蔵助も、元来、遊び好きだったから、
祇園で遊んでいたのも、かねてからの性質が出ただけだって説もあるみたい(^^ゞ
おもしろいですね~。
>忠臣蔵の長い説明ありがとう
ども
書くのしんどかったぁ。これでもはしょってあるんですよ。
も~自分の勉強のためって感じです(^^ゞ
>討ち入りの時の揃いの着物とか、陣太鼓とかはなかったそうね!
そうそう。夜間に出歩いたらいけない時代だし、
陣太鼓なんか叩いてたら目立って仕方ありません。
火消しに化けてたってことですが。
>貧乏侍が揃いの着物なんか作られへんやんね!
浪人してから、それはそれは生活に貧窮して大変だったもの~。
惨めな暮らししてたもんね~
実際は白いタスキ?だけがおそろいで、
あとは各自ばらばらだったみたいですね。
>大工道具とか持っていって戸とかをたたきこわしたそうです!
いや~よく成功しましたよね。
というか、吉良もあれだけ用心していてだめだったのが不思議。
>今の時代では考えられないお話ね~!
今だと、ゴルゴ13に頼んで暗殺してもらうでしょうね。
すごかばい。
>忠臣蔵解説者になれますヨ。
いや~もう、最近は自分のためのブログになってます。
あ、それでいいのか
訪問者の方は、うんざりかもしれませんね(^^ゞ
忠臣蔵は長~いお話ですね~。
四十七士それぞれの名前は覚えられないし誰が誰やら(^^ゞ
役を演じている役者の顔を思い浮かべて「あ、あの人か」って感じです。
矢頭右衛門七(まだ前髪の少年)なんて、あまり有名じゃないけど、
なんと、田村正和が演じてるから、しっかりと記憶に残りましたわ。
>すごかばい。
がばい豆柴(意味不明)