私の家族は5人娘二人に家内と私の母というファミリーです。昨年暮れから長女が職場の寮にはいりました。残る
四人が三月末から、みんな風邪をひいて熱はないものの咳と痰がひっきりなしに体を煩わせました。次女の娘と
家内は通勤の合間に医者にかかり、私はわたしで,ある病院に勤めているものだから、服薬をしていました。母は
と言うと2週間にいちど、心臓、高血圧、不整脈という事で月曜日をわたしの勤める病院に連れて行くといった具合
でその日が明日といった前の夕食も、食欲もありませんでした。朝になり病院ゆきを薦めるけれど言う事を聞いて
くれません。ちなみに母は5月の誕生日で92歳になります。どうとか説得に応じてくれて、医者にみてもらいレントゲン
を撮る事になり結果、肺炎の前兆とかで肺に少しだけ異変がありました。食欲が戻るまで入院したほうがいいだろうと言われ私も安易に承知しました。食事がとれてないと言うことで病室に入ってからは、点滴の注射が投薬されるそうで、母にも帰る旨を伝え病院を後にしました。次の朝、病室に行こうとナース室の前まで来ると、車椅子に
乗った母を補助看が押してやって来ました。私と認めた母は微笑んでいました。どうやら朝食に向かっているよう
でした。師長はいいました、昨夜は大変だったんですよ、真夜中に点滴の装備をとりはずし廊下を歩いてありました。私はその話に,師長は何が言いたいのだろうかとすぐには理解出来ませんでしたがどうやら認知症が出たらしいです。病室に戻った母に話を聞きました、するともう自宅に帰ってもいいのかと訴えます。ここは寂しい家がいいと言うのです。Γ今あなたは病院に入院しているんだよ。お医者さんが、良いって言わないと帰れないよ」
私はとっても不憫に思いました、そして今夜、母のそばに又来てみようと決めました。私は姉弟三人の長男です
真夜中に不意に来た私にナースはびっくりしていました。母は又点滴の最中でしたが点滴もこれが最後と言うこと
でした。「母さん来たよ」わたしの呼びかけに気付いたものの私は私でなく八年前に亡くなった父そのものでした
この病院のディケァーを利用している母はリハビリーの人に夢うつつにマッサ-ジをやってもらっていたようで
「わたしは終わったからやすみます,貴方もやってもらつたらどうですか?」こみ上げてくる涙をぬぐいながら、ああー母には自分しか頼れないんだなと思いながら、すっかり耳も遠くなった母を面倒くさくもあり邪見に扱ってきた自分が悔やまれ寝顔を見定め病院を出ました。そして次の日担当医師に病状を窺がい、退院を希望しました。
すると、もう肺炎になる心配はなくなった、食事も取れるようになったので退院もいいが、高齢でもあるし、心臓
が弱っているのが心配だ又このままいれば認知もひどくなるかも知れないと退院の許しが出たので、すぐ上の姉に
連絡をとり、一部始終を話して一日付き添ってくれるようお願いした。
駐車場で姉を出迎えて,すがる思いの気持ちからか、嗚咽まじりに母さんが・・・・姉は「どうしたね」といいながら病室へ足を向けた。サア、姉さんが来たよ家へ帰ろうと母に声をかけて私は昨夜と違う表情、受け答えに目の輝きそして会話の返答に希望をもった。10時を過ぎていただろうか姉は家なで連れて帰った。安心はしたものの今度
は気になって落ち着かない母の具合はどうなったかな、姉はどう思っているだろうか、いたたまれず電話をかけて
みると大丈夫よ、前とかわりないよと言う返事に胸をなでおろす。だが今回は思い知らされた、今の母には入院
と言う事に心が気持ちが順応出来ないのだ、耳が遠いことで、高齢と言うことで深夜における看護師との会話が
行き届かなかったのではないかと思っている。今は又週に3回のディケアーサービスに通い家では自由な畑散策を楽しんでいる。
四人が三月末から、みんな風邪をひいて熱はないものの咳と痰がひっきりなしに体を煩わせました。次女の娘と
家内は通勤の合間に医者にかかり、私はわたしで,ある病院に勤めているものだから、服薬をしていました。母は
と言うと2週間にいちど、心臓、高血圧、不整脈という事で月曜日をわたしの勤める病院に連れて行くといった具合
でその日が明日といった前の夕食も、食欲もありませんでした。朝になり病院ゆきを薦めるけれど言う事を聞いて
くれません。ちなみに母は5月の誕生日で92歳になります。どうとか説得に応じてくれて、医者にみてもらいレントゲン
を撮る事になり結果、肺炎の前兆とかで肺に少しだけ異変がありました。食欲が戻るまで入院したほうがいいだろうと言われ私も安易に承知しました。食事がとれてないと言うことで病室に入ってからは、点滴の注射が投薬されるそうで、母にも帰る旨を伝え病院を後にしました。次の朝、病室に行こうとナース室の前まで来ると、車椅子に
乗った母を補助看が押してやって来ました。私と認めた母は微笑んでいました。どうやら朝食に向かっているよう
でした。師長はいいました、昨夜は大変だったんですよ、真夜中に点滴の装備をとりはずし廊下を歩いてありました。私はその話に,師長は何が言いたいのだろうかとすぐには理解出来ませんでしたがどうやら認知症が出たらしいです。病室に戻った母に話を聞きました、するともう自宅に帰ってもいいのかと訴えます。ここは寂しい家がいいと言うのです。Γ今あなたは病院に入院しているんだよ。お医者さんが、良いって言わないと帰れないよ」
私はとっても不憫に思いました、そして今夜、母のそばに又来てみようと決めました。私は姉弟三人の長男です
真夜中に不意に来た私にナースはびっくりしていました。母は又点滴の最中でしたが点滴もこれが最後と言うこと
でした。「母さん来たよ」わたしの呼びかけに気付いたものの私は私でなく八年前に亡くなった父そのものでした
この病院のディケァーを利用している母はリハビリーの人に夢うつつにマッサ-ジをやってもらっていたようで
「わたしは終わったからやすみます,貴方もやってもらつたらどうですか?」こみ上げてくる涙をぬぐいながら、ああー母には自分しか頼れないんだなと思いながら、すっかり耳も遠くなった母を面倒くさくもあり邪見に扱ってきた自分が悔やまれ寝顔を見定め病院を出ました。そして次の日担当医師に病状を窺がい、退院を希望しました。
すると、もう肺炎になる心配はなくなった、食事も取れるようになったので退院もいいが、高齢でもあるし、心臓
が弱っているのが心配だ又このままいれば認知もひどくなるかも知れないと退院の許しが出たので、すぐ上の姉に
連絡をとり、一部始終を話して一日付き添ってくれるようお願いした。
駐車場で姉を出迎えて,すがる思いの気持ちからか、嗚咽まじりに母さんが・・・・姉は「どうしたね」といいながら病室へ足を向けた。サア、姉さんが来たよ家へ帰ろうと母に声をかけて私は昨夜と違う表情、受け答えに目の輝きそして会話の返答に希望をもった。10時を過ぎていただろうか姉は家なで連れて帰った。安心はしたものの今度
は気になって落ち着かない母の具合はどうなったかな、姉はどう思っているだろうか、いたたまれず電話をかけて
みると大丈夫よ、前とかわりないよと言う返事に胸をなでおろす。だが今回は思い知らされた、今の母には入院
と言う事に心が気持ちが順応出来ないのだ、耳が遠いことで、高齢と言うことで深夜における看護師との会話が
行き届かなかったのではないかと思っている。今は又週に3回のディケアーサービスに通い家では自由な畑散策を楽しんでいる。
なんかジーンときました。
物事自分の身に起きてみないと気付かない事が沢山有りますね。私も負けないよう孝行頑張ります!!