昨日、近くの書店で面白い本を見つけました。
通称”れきしクン”、長谷川ヨシテルさん著の
”ドタバタ関ヶ原”という本です。
戦国時代、関ヶ原の戦に参戦した東軍西軍、
いろいろな武将が、「実はどのような戦いぶり
だったか…?」、を面白く描いていました。
関ヶ原の戦いは、いろいろな歴史小説や、
歴史ドラマで、数多く語られていますよね。
「徳川家康は、実に狡猾、老獪な狸じじいだ。」
「石田三成は、戦いがヘタで人望がない。」
…など、それぞれの戦国武将のイメージは、
しっかり定着されているみたいですね。
この本は、「従来のイメージはちょっと違う…。
実際の戦いは、こうだったに違いない…!」
…と、当時の戦国武将間の書状など、資料を
参考にして、独自の世界を展開しています。
一日であっけなく終わった関ヶ原の戦い…。
東軍西軍、どの武将もドタバタしている様子が
しっかり描かれていて、面白い読み物でした。
その中の”ピックアップ武将”欄に注目を…!
93歳という高齢で関ヶ原の戦いに参戦した
伝説の武将、大嶋雲八が紹介されています。
雲八さん、「まさに戦国のレジェンド、
まさかの93歳で参戦」…と、
2ページに渡って書かれていました。
さて、”93歳の関ヶ原”という歴史小説では、
雲八さんは、このように書かれていました。
「一応、”関ヶ原の戦い”には参戦したけれど、
主戦場となった”関ヶ原”にはいなかった…。」
小説の中では、雲八さんは大垣城を囲んで
西軍を攻撃…。でも戦っているうちに…、
”関ヶ原での戦い”は一日で終わってしまった。
雲八さん、ちょっと残念な戦いっぷりです。
大垣城の戦い、全く活躍していません…。
これって、作者の創作でしょうか…?
いや、何か資料に基づいて書かれたか…?
”関ヶ原の戦い”での雲八さんの戦いぶりは
どんなだったか…?どこかに記録がないか、
それからずっと探していました。
驚いたことに、雲八さんは大垣城ではなく、
主戦場となった”関ヶ原”に行っていたことが、
”ドタバタ関ヶ原”の中に書かれていました。
「”関原軍記大成”という江戸時代の資料に、
東軍の最前線で戦った戦国武将たちに、
付随した武将のなかに、大嶋雲八の名前が
登場している。」、と記載されています。
この資料を信じるなら、93歳の雲八さんは、
”関ヶ原の戦い”で、主戦場”関ヶ原”で…!
家康のそばに控えていた可能性が…?
さて、本を読んだ後、岐阜県関市にある、
雲八さんの菩提寺、大雲寺に出かけました。
関市は市町村合併を重ね、広大になりました。
関市の地形は、”Vの字”になっています。
Vは武将の兜の前立てによくある形ですね。
雲八さんの菩提寺、伊勢町にある大雲寺は、
関市の中心部にあります。関市を見下ろす
高台にある雲八さんのお墓にお参りしました。
大雲寺の副住職さんと、”ドタバタ関ヶ原”に
書かれる、関ヶ原の戦いの話題になりました。
副住職さんのコメントは…?
「雲八さんの石高は、戦い前は11200石…。
でも、関ヶ原の戦いの後に、18000石に
加増されています。この事実から見ると…、
雲八さんは、実際に関ヶ原の戦いに参戦し、
戦いで何らかの功績をあげたのでは…?」
その雲八さんの命日は、8月23日でした。
2015年から毎年、命日になると、お寺の
本堂で”雲八公供養祭”が行われています。
コロナ禍で大勢の人が集まるのが難しくて、
今年は自粛かな…? それとも非公開…?
副住職さんに尋ねてみました。
マスク着用、手指アルコール消毒、
コロナ感染症対策を徹底した上で、
例年通り、開催する予定だそうです。
一切PRしないので、おそらく関係者のみ…。
それなら、万障繰り合わせて参加です…!
93歳で関ヶ原の戦いに参戦したご長寿武将、
供養祭に参列して、雲八さんの冥福を祈る。
そして、雲八さんにあやかって、”生涯現役”
”健康長寿”を願うのもいいですね…!