話を聞いたときは、バイトとしては割がいいとは思っていた。さすがに、こんなことになるとは思っていなかったけれど。
「だいぶ錆び付いてるけど、でもこれ、ほんっとすごいのよね。ただの糸切りばさみというよりは、魔法のアイテム?」
面接相手、占い師の『加賀美ムーン』さんは、嬉しそうに言う。ちなみにムーンさんはスカーフをつけたジプシー女の格好である。
「ぼくは、占いの仕事を代行して欲しいって聞いたんですけど」
「そうなのよ。仕事は、結婚の相談を受け付けるだけ。そン時に、これを使ってほしいわけよ。ああ、あたしがもっと元気だったら、あんたにこれを渡すなんてあり得なかったのに」
イタタタタ、という顔をして、ムーンさんはお腹のあたりをさすっている。
駅前ビルの七階のテーブルに、いかにも「占います!」と水晶玉が載っている。その背後のカーテンには、銀色の星空がオーナメントされていた。いかがわしいなんてもんじゃない。
このムーンさんが渡してくれた糸切りばさみ。すっかり錆び付いていて、研ぎに出すとか、買い替えるとかした方がいいんじゃないだろうか。
「だいぶ、年季が入ってますね」
「そりゃあねえ、ずいぶんいろんなもの、切ってきたからねえ。糸だけでなくて、紙とか布とか……」
「むちゃくちゃですね」
「このはさみは、あんたと同じ便利屋さんなんですよ。なんでもアリってところが特に」
ぎこちなく、ウインクしてみせるムーンさん。
「研ぎに出した方がいいですよ。よければ別料金で、承りますけど」
ぼくが言うと、ムーンさんは、
「そんなことしたら魔法が解けちゃうかもしれないでしょっ! イタタタタ」
顔色が悪い。早く病院に連れて行こう。
カギを預かり、その場を立ち去りながら、内心グズグズ思っていた。
まったくもう、嫌になるよ。
苦学生で収入も限られている、となったら、便利屋のバイトでもなんでもやるしかない。貼り紙をして一週間、なんの反応もなかったから諦めていたのだ。だから、いいバイトがあるよ、1日一万円。ヘンな商売じゃなくてまっとうな人生相談の仕事だよと声をかけてくれた友だちが、救いの神に見えたものだった。あの裏切り者め。
せめてこの近くに、蜂の巣駆除とか、迷い猫探索とか、そういう、誰でも出来るかんたんなことで困ってる人がいれば良かったのに。
人の相談に乗るのって、苦手だ……。
ムーンさんは、急性腸炎で入院となった。わたしは彼女が退院するまで、ずっとこの仕事をするという約束をさせられてしまった。
まあいい。お客さんには、テキトーに言葉を並べておけば、みんな安心するだろう。
ここは、結婚相談所に行くにはハードルが高い人たちのための、憩いの場だと思えばいい。グチを聞いてあげるだけでも、気が楽になることってある。まあ、それでお金を取るのは詐欺だと思わんでもないのだが、占いとはそういうものなんだ。割り切れ、自分。
すっかり疲れてドアを開けたとたん。
「あら、あなただれ?」
声がしたので、顔を上げると席の向こうにどっかと座った女がひとり。
いかにも夜の商売女です、という雰囲気を漂わせ、安物の香水がぷんぷん。けだるい表情を浮かべている。泣きぼくろまであった。おそらくつけぼくろだろう。
「あ、ぼくですか。刈谷トムといいます」もちろん芸名だ。
「不用心よ、カギが締めてなかったわ」
そういえば、カギは預かったままで使った覚えはない。
「あなた、新入り?」
「はい、わたしはムーンさんの弟子です」
ひきつった表情を浮かべまいとしていると、女はテーブルに手をつき、顔をこっちにぐっと寄せて言った。
「あんた、腕はいいんでしょうね」
「は? はあ」
「ちゃんと、技術は磨いてる?」
「まあ、それなりに」
「バッタバッタとやっつけてくれるのよね?」
だんだん、不安になってきた。
「いや、バッタなら田舎の畑に」
「しょうがないわね! あんた、わたしがいなけりゃ、なんにもできないんじゃないの?」
そんなこと言われたら、沽券に関わる。
「だいじょうぶです。相談にならいくらでも乗りましょう」
「じゃあ、ついてきて」
いきなり、女は立ち上がった。ぼくは一歩さがってしまった。
「ど、どこへ」
「スナック『バンプー』よ。あたいとあいつを別れさせて欲しいの」
ぼくは、泡を食った。
「いや、いやいやいやいや……」
「相談に乗るんでしょ?」
「それとこれとはべつでして……」
「できないとは言わせないわよ。前料金、はらってるんだから」
ムーンさん……、逃げたな。
絶望的に、空を仰ぐぼくを、引きずるようにして女は部屋を出た。
女の名は、チヨ子と言うらしい。もちろん本名ではない。
ざっと話を整理すると、ずっとバンプーに務めていた彼女の客には、しつこく言い寄ってくる、吸血コウモリみたいな修次という男がいる。
「だいぶ錆び付いてるけど、でもこれ、ほんっとすごいのよね。ただの糸切りばさみというよりは、魔法のアイテム?」
面接相手、占い師の『加賀美ムーン』さんは、嬉しそうに言う。ちなみにムーンさんはスカーフをつけたジプシー女の格好である。
「ぼくは、占いの仕事を代行して欲しいって聞いたんですけど」
「そうなのよ。仕事は、結婚の相談を受け付けるだけ。そン時に、これを使ってほしいわけよ。ああ、あたしがもっと元気だったら、あんたにこれを渡すなんてあり得なかったのに」
イタタタタ、という顔をして、ムーンさんはお腹のあたりをさすっている。
駅前ビルの七階のテーブルに、いかにも「占います!」と水晶玉が載っている。その背後のカーテンには、銀色の星空がオーナメントされていた。いかがわしいなんてもんじゃない。
このムーンさんが渡してくれた糸切りばさみ。すっかり錆び付いていて、研ぎに出すとか、買い替えるとかした方がいいんじゃないだろうか。
「だいぶ、年季が入ってますね」
「そりゃあねえ、ずいぶんいろんなもの、切ってきたからねえ。糸だけでなくて、紙とか布とか……」
「むちゃくちゃですね」
「このはさみは、あんたと同じ便利屋さんなんですよ。なんでもアリってところが特に」
ぎこちなく、ウインクしてみせるムーンさん。
「研ぎに出した方がいいですよ。よければ別料金で、承りますけど」
ぼくが言うと、ムーンさんは、
「そんなことしたら魔法が解けちゃうかもしれないでしょっ! イタタタタ」
顔色が悪い。早く病院に連れて行こう。
カギを預かり、その場を立ち去りながら、内心グズグズ思っていた。
まったくもう、嫌になるよ。
苦学生で収入も限られている、となったら、便利屋のバイトでもなんでもやるしかない。貼り紙をして一週間、なんの反応もなかったから諦めていたのだ。だから、いいバイトがあるよ、1日一万円。ヘンな商売じゃなくてまっとうな人生相談の仕事だよと声をかけてくれた友だちが、救いの神に見えたものだった。あの裏切り者め。
せめてこの近くに、蜂の巣駆除とか、迷い猫探索とか、そういう、誰でも出来るかんたんなことで困ってる人がいれば良かったのに。
人の相談に乗るのって、苦手だ……。
ムーンさんは、急性腸炎で入院となった。わたしは彼女が退院するまで、ずっとこの仕事をするという約束をさせられてしまった。
まあいい。お客さんには、テキトーに言葉を並べておけば、みんな安心するだろう。
ここは、結婚相談所に行くにはハードルが高い人たちのための、憩いの場だと思えばいい。グチを聞いてあげるだけでも、気が楽になることってある。まあ、それでお金を取るのは詐欺だと思わんでもないのだが、占いとはそういうものなんだ。割り切れ、自分。
すっかり疲れてドアを開けたとたん。
「あら、あなただれ?」
声がしたので、顔を上げると席の向こうにどっかと座った女がひとり。
いかにも夜の商売女です、という雰囲気を漂わせ、安物の香水がぷんぷん。けだるい表情を浮かべている。泣きぼくろまであった。おそらくつけぼくろだろう。
「あ、ぼくですか。刈谷トムといいます」もちろん芸名だ。
「不用心よ、カギが締めてなかったわ」
そういえば、カギは預かったままで使った覚えはない。
「あなた、新入り?」
「はい、わたしはムーンさんの弟子です」
ひきつった表情を浮かべまいとしていると、女はテーブルに手をつき、顔をこっちにぐっと寄せて言った。
「あんた、腕はいいんでしょうね」
「は? はあ」
「ちゃんと、技術は磨いてる?」
「まあ、それなりに」
「バッタバッタとやっつけてくれるのよね?」
だんだん、不安になってきた。
「いや、バッタなら田舎の畑に」
「しょうがないわね! あんた、わたしがいなけりゃ、なんにもできないんじゃないの?」
そんなこと言われたら、沽券に関わる。
「だいじょうぶです。相談にならいくらでも乗りましょう」
「じゃあ、ついてきて」
いきなり、女は立ち上がった。ぼくは一歩さがってしまった。
「ど、どこへ」
「スナック『バンプー』よ。あたいとあいつを別れさせて欲しいの」
ぼくは、泡を食った。
「いや、いやいやいやいや……」
「相談に乗るんでしょ?」
「それとこれとはべつでして……」
「できないとは言わせないわよ。前料金、はらってるんだから」
ムーンさん……、逃げたな。
絶望的に、空を仰ぐぼくを、引きずるようにして女は部屋を出た。
女の名は、チヨ子と言うらしい。もちろん本名ではない。
ざっと話を整理すると、ずっとバンプーに務めていた彼女の客には、しつこく言い寄ってくる、吸血コウモリみたいな修次という男がいる。
彼は彼女自身よりも彼女の稼いでくる金のほうが興味があるのだ。修次に自分をあきらめさせてくれ、というのが彼女の依頼なのであった。そのために彼女はムーンさんに、十万円も払ったらしい。期限は今日。
ムーンさんが健康を害したのは気の毒だが、約束は約束。ちゃんとカタをつけてくれなければ、わたしにぞっこんのちんぴらに、店の営業妨害してやると息巻いている。
ムーンさん……どうするよ、これ。
ぼくは、タクシーの中から夜の街を見ていた。街灯とビルの灯りが道をてらてらと光らせている。数分しないうちに飲み屋街の赤い光が目に飛び込んできた。神社のほこらを通り過ぎて、スナック『バンプー』へ乗り付ける。
ムーンさん……どうするよ、これ。
ぼくは、タクシーの中から夜の街を見ていた。街灯とビルの灯りが道をてらてらと光らせている。数分しないうちに飲み屋街の赤い光が目に飛び込んできた。神社のほこらを通り過ぎて、スナック『バンプー』へ乗り付ける。
「さあ、ここよ!」
ドアを開けると、むせかえるような化粧とタバコの臭いがした。安いスナックのようだ。カウンターの向こうに安ウイスキーが並んでいる。カラオケも用意されていた。昭和のにおいが猛烈にする。
カウンターに相対するところにある奥のテーブル席には、スマホ写真で見せられた修次の姿があった。だらしなくよれよれになったスーツを着て、無作法にもテーブルに足を載せ、安物のタバコをふかしている。
「なんだい、このニヤけた小僧は。こんなところに来るような人間じゃ、なさそうじゃないのさ」
『バンプー』のママらしい女が、チヨ子に疑問を呈する。
「あの奥でタバコを吸ってるのが、修次さん。で、こちらがママ」
チヨ子は、チャッチャッと紹介を済ませてしまった。
「かわいいねえ、食べちゃいたくなるよ」
と言うのは、おねえっぽい顔をした背の高い女だった。ぼくは背筋が凍るのを感じた。
「さ、そこに並んで。さっさと終わらしちゃいましょう」
チヨ子は、修次の隣に立った。
ぼくは、ぼんやりと立っている。
「なんだなんだ。新しい彼氏の紹介か? そんなもんで諦める修次さまじゃ、ねえんだぜ」
ねっとりとした目で修次が言うと、足を降ろして顎を突き出す。
「一度、痛い目にあわせてやろうか」
「早く早く。アレを使って!」
チヨ子が、しなを作りながら要求してきた。ぼくはゴクリとツバを飲み込んだ。
アレというのはなんだろう。男の弱点か? イチモツで相手をコロリとやっつけるのか?
ぼくが困惑しているのを見て、チヨ子はぼくに近寄るなり、その巨大な胸をどーんと寄せて言った。
「占い師ムーンさんの道具を使ってちょうだい!」
道具?
「水晶玉?」
「ばかじゃないの」
「タロットカード?」
「そんなものでごまかせると思ってるのかよ」
今度は修次が不機嫌になった。
「じゃあ、これ?」
ポケットから取り出した糸切りばさみを見て、その場の全員はおお、とため息をついた。
ぼくも思わず、そのはさみを見つめてしまった。錆びていたはずなのに、ピカピカに光っている。しばらくするとふしぎなことに、目の前の人から赤い糸が出ているのが見えてくるのである。その糸は、チヨ子と修次の間でからまってぐちゃぐちゃになっている。
「それそれ! それで、修次とわたしの縁を、切ってちょうだい!」
チヨ子が、甲高い声で言い切った。
「バッタバッタと、切り取ってちょうだい!」
「させるかっ!」
修次が、跳びかかろうとした。ぼくはひょいっと腕をつき出して避けた。修次は足を取られてそのまま倒れ、顔ごと床に転がった。
「切り取るって……」
なにがどうなってるのか、さっぱりわからない。
「そのはさみは、縁切りばさみって言うのよ」
チヨ子は、ドヤ顔で言った。
「どんなものとでも、縁が切れるの」
「バカバカしい」
ぼくは、はさみを放り出そうとした。チヨ子は、尻で修次の頭をおさえつけ、顔を上げて真顔で言った。
「やめなさいっての! それは、占い師どうしでなけりゃ、使えない道具なんだから」
「――だけどぼく、便利屋なんで……」
チヨ子は、うさんくさそうにぼくを見やった。
「占い師もやるんでしょ」
「まあ、いちおう……」
「じゃあ、使ってよ。コイツとの腐れ縁を、切って捨てたいんだから」
修次は、チヨ子の尻にしかれて幸せそうだ。あまり抵抗していない。チヨ子のほうは、ゴキブリでも踏みつけているような顔をしている。
だが、そんなことってあり得るのだろうか。縁を切る糸切りばさみ。たしかに、恋人同士は赤い糸でつながれているというが、勝手に切ってだいじょうぶなのか。
ぼくの不安を知ったらしく、チヨ子が巨乳の胸元から、財布を取り出した。
「前払い料金に上乗せして、あと二十万ほどあんたに払ってあげるわよ。いいじゃないの、たかが縁を切るだけなんだから」
「いやだよ、チヨ子ちゃんとの縁が切れたら、どうやって生きていくんだよぉぉ」
修次の顔は、よだれと鼻汁ですごいことになっている。
「そんなのあたしの知ったこっちゃないわよ。もとの借金取りにでもなれば?」
チヨ子はつれない言い草だ。この二人、なんだかんだ言ってもけっこう仲がよさそうなのにな、とぼくは思った。女の金をアテにして、毎日あそんでいるような男とは、縁を切りたいのはわかるのだが、修次を見ていると憎めない。
とはいえ、この二人の間の赤い糸は、これ以上ないってほどこんぐらがっていた。ここはひとつ、一度スッキリさせた方がいいかもしれない。
ぼくは、糸切りばさみを構えた。
店内の照明を反射して、新品同様のはさみが鈍く光った。
「おいっ、やめろっ! 頼むっ!」
修次が叫ぶ声を無視して、ぼくは修次とチヨ子の間の、からまった糸を切った。
その直後。
ぷつん、と音が響き渡り、修次がすごい勢いで起きあがった。上に乗っているチヨ子を押しのけ、腐ったみかんでも見るような目でチヨ子を見つめる。
「どけ。じゃまだ」
立ち上がるなり、ポカンと見ているチヨ子の足を蹴飛ばし、そのままずんずんと扉に向けてこっちに歩み寄る。
「うわ……」
豹変、とはこのためにある言葉だとぼくは思った。
ところが、その切れた糸の端っこが、まっしぐらにぼくの方へ!
「うわ……!」
ぼくははさみを振り回したけれど、糸の端っこがピトリとぼくにくっついた。修次は、ぼくを見つめた。真っ赤に頬が染まる。
「あらあ、よく見ればあんた、いけてる顔してるじゃん」
ぽおっとしてぼくを見ている。
「いや、いやいやいやいや」
ぼくはそのまま赤い糸を切ろうとするが、どういうわけか糸切りばさみは言うことを聞かず、糸は切れるどころか頑固に強くなるのであった。
「よかったわあ、さすがムーンの弟子ね! お金を払っただけはあるわ!」
チヨ子は、うれしそうにそう言って飛び起きた。足を痛そうにさすっている。
ぼくは必死ではさみを繰っている。だけど、糸はどうしても、切れない。
「おまえは、おれの魂だ!」
修次は、ぼくに抱きついてきた。ムダ毛の多い腕だった。ぼくは総毛立ってしまった。
「ぼ、ぼ、ぼくはストレートなのでっ」
修次を引き剥がそうと、必死になっていると、修次はうっとりと言った。
「実はおれは女」
「え」
「女。色気たっぷりの、なまめかしい熟女」
「どこをどうしたら、そうなるんですかっ!」
ぼくが突っ込むと、修次はくねくね身をよじりながら、
「いやん、ばかん。身体は男でも、中身は女なのよぉ」
ひえーっ!
「よく観察すれば、わかったはずよ。しなやかな歩き方、立ってるときも内股だしね。ずっと理想のヒトを探していたのよ!」
「ぎゃーっ!」
教訓:高い報酬には、訳がある。
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